サザンクロス~願いをかなえて~ 3
☆コディ視点☆
息苦しさに目を覚ます。
原因を探してみると、喉元に誰かの腕が乗っていた。
「……えっ!?」
あわてて身体を起こして、自分が裸だと気づく。
「え!? 何っ!?」
わけがわからず、とまどいながらも座ったまま後ずさるようにして腕の持ち主から離れ、あたりを見回す。
そばに置かれた布の塊の中に自分のマントを見つけ、引き寄せて羽織った。
それで少しだけ気持ちがおちついて、周囲に視線を巡らせる。
床に敷かれたマントの上に寝かされていたようで、腕の持ち主である男がうつぶせに横たわっていた。
顔は反対側に向いているからわからないが、淡い灰色の髪には見覚えがないから、知らない相手だろう。
下腹部に不快な感触があり、視線を向けると、白いどろりとしたものが内腿を伝っていた。
「こ、れ……」
見知らぬ男に押し倒されていて、裸で、身体を汚す白いもの。
最低限の知識しかないが、それらが意味することは、さすがにわかった。
「ぃ、ゃ……っ」
困惑、羞恥、恐怖、屈辱、憤怒、後悔、嫌悪、様々な感情が胸で渦巻く。
がたがたと身体が震え、込み上げる吐き気と涙を両手で口元を覆ってこらえた。
「なん、で……なんで……何もおぼえてないの!?」
思わず叫んでからはっとして、寝そべったままの男の様子を窺った。
よほど深く眠っているのか、ぴくりとも動かない。
ほっと安堵の息をついて、目元を掌でごしごしと拭う。
泣いている場合ではない。
逃げるべきだが、ここがどこかもわからないと、動きようがない。
改めて今いる場所を見回した。
丸太組みの小屋は、見たことがあるような気がするが、思い出せない。
「……おちつけ……順番に、思い出せ……。
最初は、そう、アトリー団長の屋敷だ」
あえて声に出して、記憶をたどっていく。
アトリーさんの屋敷で目覚めると、記憶に空白があった。
一年ほど前、密命を受けて、アンさんに会いに行く途中で、誰かに会った。
その人にすごく世話になって、助けてもらった。
その人を好きになった。
その人と旅をした。
なのに、その人の顔も声も名前も思い出せない。
好きだという想いははっきりおぼえているのに、一緒に見た風景も鮮明に浮かぶのに、その人のことだけが思い出せない。
それがつらくて、苦しくて、もどかしくて、気が狂いそうだった。
アトリー団長に尋ねたが、教えてくれなかった。
『思い出さない方が君の為かもしれない。
今は混乱しているが、そのうちおちつくだろう。
トールマン村の屋敷で、しばらく静養するといい。
……どうしても思い出したいなら、もう一度旅をしてみろ』
そう言われて、馬車に乗せられ護衛を付けられて、トールマン村の屋敷に送られた。
屋敷を守っていたばあやとじいやにも聞いてみたが、やはり答えてくれなかった。
『ここでのんびり過ごしているうちに、思い出すかもしれませんよ』
ばあやにそう言われ、しばらくは屋敷にいることにした。
二人とも喜んで、大量に出された好物ばかりの夕食を苦労して食べ、自分の部屋で眠りについたが、夜更けに目を覚ました。
胸をかきむしりたくなるほどの切なさと喪失感に、涙が止まらなかった。
翌朝、引き留めようとする二人を振り切って、旅に出た。
その人のことは思い出せないが、自分がどう旅をしたのかはおぼえている。
記憶をたどりながら街道を歩き、アンさんが住む迷い森をめざす。
その人と出会った酒場でも聞いてみたが、『一年も前のことなんざ、おぼえてねえな』と流された。
酒場は多くの人が集うところだから、仕方ないだろう。
だが、アンさんなら、おぼえているし、教えてくれるはずだ。
それだけを心の支えに、迷い森に入る。
こどもの頃に大型犬に追いかけ回されて以来、犬が苦手になった。
犬に似ているうえに犬より狂暴な狼も苦手で、出遭わないように祈りながら進んだが、やはり見つかってしまった。
冬で食料が少ないせいか、狼達は気が立っていて、一斉に襲いかかられた。
「え……?」
そこまで思い出して、あわててマントをめくって自分の身体を見おろす。
裸だから、一目でわかる。
あちこちに血がこびりついてはいるが、傷はない。
だが、狼に足や肉を食いちぎられた時の痛みを、確かにおぼえている。
「どうして……?」
とまどいながら見回して、マントと一緒にあった布の塊に目が留まる。
おそるおそる摘まんで広げてみると、血まみれなうえにあちこち破れていたが、私の服だった。
では、やはり狼に襲われたのは夢ではないのだ。
死を覚悟した大怪我が、なぜ治っているのだろう。
それに、あの男はなぜ、私に手を出したのだろう。
女なら誰でもよかったのかもしれないが、少年に間違われてばかりの体型なうえに血まみれの私に、そんな気になるものだろうか。
同期の男性騎士達が話していた、特殊性癖というやつだろうか。
頭が混乱して、わけのわからない言葉が思い浮かび、まともに考えられない。
呆然としていると、そっと扉が開いてアンさんが入ってきた。
「あ」
それでようやく記憶がつながった。
ここは、アンさんの小屋だ。
ほっとしながらも、あわててマントの端をしっかりと押さえて、身体を隠す。
女同士とはいえ、裸を見られるのはおちつかない。
「あの、アンさん。
私……」
何から聞けばいいかわからず口ごもると、アンさんは静かな表情で私を見た。
「どこも痛くない?」
「え、あ、はい」
ということは、アンさんも私が怪我したことを知っているのだ。
「あの……私、どうして怪我が治ってるんでしょうか」
「…………」
アンさんは静かに近寄ってきて、うつぶせで寝たままの男の横に膝をついた。
私に無体を働いた男、のはずなのに、アンさんのどこか愛おしげにも見える優しいまなざしに困惑する。
「……その、人は、アンさんの知り合いなんですか?」
「……ええ。
エッジというの」
「!?」
その名を聞いた途端、心がきしんだ。
苦しいのに、ひどく幸せな気分になる。
わけがわからなくて、胸元を押さえる。
アンさんはそんな私をじっと見ていたが、ふと眠るエッジさんの顔をのぞきこみ、なぜだか泣きそうな顔で笑った。
「エッジのこんなに幸せそうな顔、初めて見たわ。
あなたのそばでなら、こんな顔で眠れたのね」
「え……?」
意味がわからなくて混乱が増したが、興味がそれを上回る。
膝立ちになってそろそろと近づき、アンさんの横から男の顔をのぞきこむ。
目を閉じた顔は、長い前髪と顔の下半分を覆う無精髭でわかりにくいが、柔らかく微笑んでいるように見えた。
どくりと、胸の奥で鼓動が跳ねる。
「……私……この人を……知って、る……?」
知らない人のはずなのに、なぜかそう思った。
「……あなたの心は、エッジをおぼえているのね」
「え……?」
とまどって見つめると、アンさんは複雑な表情で私を見返す。
「……エッジはきっと望まないでしょうけど、でも、このままではエッジも、あなたも、かわいそうすぎるわ」
深く息を吐いて、まっすぐに私を見る。
「コーデリア・トレヴァーに、アンジェリーナ・エリオットが命じる。
エッジに関するすべての記憶を思い出しなさい」
「な……!?」
アンさんの額に灯った青みがかった銀色の光が、私の全身を包んだ。
その瞬間、記憶の奔流が脳裏を埋めつくす。
アンさんのところに行く時に出会い、世話になって、助けてもらって、好きになって、一緒に旅をした人。
「エッジさん……!」
アンさんはほっとしたように息をつく。
「思い出せたようね。
よかったわ」
「はい……。
でも、私、どうして……」
「エッジが、今私がしたように、真名を呼んで命じたのよ。
自分のことを忘れるように」
「……エッジさんが……」
エッジさんの静かな寝顔を見つめてうつむく。
私の記憶を消してまで、私から離れたかったのだろうか。
それほどに、嫌われてしまったのだろうか。
なのに結局、私はまたエッジさんに助けてもらったのだ。
また、嫌な想いをさせてしまったのだ。
涙をこらえながらエッジさんを見つめていて、違和感に気づいた。
「エッジ、さん……?」
静かすぎる。
呼吸を、していない。
おそるおそる手を伸ばして、首筋に触れる。
鼓動が、感じられなかった。
「……なん、で……?」
「……それが、あなたの記憶を消した理由よ」
アンさんがゆっくりと言う。
「あなたと私で魔法を使って、【歌う石】を作った時、あなたが聞いたわね。
『魔法を使うと疲れるものなんですか?』って」
「はい……」
「私は『そうね。普段は使わない力だから』と答えたわ。
おぼえてる?」
「はい……」
「魔法は人にはない力よ。
それを使えば当然身体に負担がかかるの。
……エッジは、昔魔法を使いすぎたせいで、身体が限界だったそうよ。
だから、あなたの記憶を消して、あなたから離れようとしたの」
「……限界……」
「もう一度魔法を使えば、死ぬとわかっていた。
それでも、あなたに魔法を使って、助けたの。
あなたを、愛していたから」
「…………」
触れた身体はあたたかいのに、表情はとても静かなのに、エッジさんは目覚めない。
もう二度と。
「いや、だ……」
すがりついて抱き起こす。
力の抜けた身体は重く、上体を起こすのがせいいっぱいだったが、エッジさんの頭を胸に抱えるようにして揺する。
「エッジさん。
起きてよ。
なんで?
死んじゃ、やだ。
ずっと、そばにいてくれるって、言ったじゃない……!」
アンさんがなだめるように私の肩に手を置く。
「コディ。
エッジを、静かに眠らせてあげて」
「いやだ……!
お願い、エッジさん……!」
強く抱きしめて心の底から叫ぶ。
私を嫌いでもいい。
二度と会えなくてもいい。
それでもかまわないから。
「死なないで……!」
あふれた涙がきらめきながらエッジさんの額に落ちた瞬間、魔法の光を放った。
「え!?」
光はエッジさんの全身を包み、すぐに消えた。
「……今の……?」
呆然としていると、抱きしめた腕にかすかな振動が伝わった。
「!?」
鼓動が、感じられる。
「エ……」
呼吸を、している。
「エッジさん!」
ゆっくりと目が開いた。
瞬きして、さまよった視線が私をとらえる。
「……どうした……?」
いつも通りの、優しい声だった。
「……っ」
いつも通りだと思い出せたことが、もう一度その声を聞けたことが、嬉しくて仕方ない。
言葉にならなくて、ただ強く抱きしめると、エッジさんは不思議そうにしながらも身体を起こし、私を柔らかく抱きしめてくれる。
「どこか痛むのか? 苦しいのか?」
「……っ」
涙をこぼしながらも、なんとか言葉を絞り出した。
「へいき……。
エッジさんが、治してくれた、から……」
エッジさんはぎくりと身体を強張らせた。
私の両肩を掴んで身体を離し、顔をのぞきこむ。
「おまえ、俺のこと……おぼえてるのか」
「うん。
アンさんが、思い出させてくれた」
「……アン。なぜだ」
怒りの籠った硬い声の問いかけに、アンさんは軽く肩をすくめる。
「あのままじゃ、コディも、あなたも、かわいそうすぎたもの。
それより、さっきあなたは間違いなく死んでたわ。
なのにコディの涙が魔法の光を放って、あなたを包んで、生き返ったの。
どういうことだと思う?」
「……わからねえ」
つぶやくように言って、エッジさんは私を見る。
「コディ。
何か思い当たることはあるか?」
問いかけに、とまどいながら首を横に振る。
「ううん……私にも、よくわからないんだ。
だけど、エッジさんが、生き返ってくれてよかった……っ」
再び涙があふれて、頬を伝って落ちる。
「もしかしたら、コディは魔法者の血を引いていたのかもしれないし。
あなたが何度も強い力で魔法を使ったから、コディの中に【癒す】力が蓄積されていたのかもしれないし。
王立研究所の魔法者の見立てが違っていて、まだ魔法力が残っていたのかもしれないし。
あるいは、魔法者が言っていた二次的効果というものかもしれないし。
可能性はいくらでも考えつくけれど、答えはわからないわ。
魔法って、そういうものだもの」
「……だが、あの時俺は確かに死を感じた。
なのに、なぜ……」
横でかわされる言葉が、なんだか遠い。
短時間であまりにも激しく感情を揺さぶられたせいか、心がついていけてない。
「……コディ。
身体が熱いぞ。
熱があるのか?」
「ぇ……?」
エッジさんのとまどうような声に、顔を上げた途端、すうっと視界が白くなる。
「おい、しっかりしろ」
あわてる声が聞こえて、答えようとしたが、声にならない。
そのまま意識まで白く塗りつぶされた。




