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ポインセチア~幸福を祈る~ 2

 翌朝、目覚めても腕の中で眠るコディは子供のままだった。

 複雑な心境で寝癖のついた髪を撫でていると、コディが目を開けた。

 しばらくぼんやりと俺を見つめていたが、突然真っ赤になった。

「ご、ごめんなさい!」

 あわてふためいてベッドから飛び出そうとするのを、柔らかく抱きこんで止める。

「おちつけ」

「でも、あの、えと……」

 意味不明の言葉をつぶやきながらもがいていたが、逃げられないとわかったのかそのうちおとなしくなる。

「……あの……私……どうしてエッジさんと一緒に寝てたんですか?」

 気恥ずかしそうに頬を染めながらの問いかけに、しばらく思案する。

 夢にうなされたことをおぼえていないなら、あえて思い出させる必要はないだろう。

「昨夜は少し冷えたからな」

 背中を撫でると、拗ねたように見上げてくる。

「私、湯たんぽ代わりですか?」

「おかげでよく眠れたぞ」

 間接的に肯定するような言葉をわざと言うと、コディは頬をふくらませて拗ねたような表情になったが、ふいに笑う。

「私も、なんだかよく眠れました」

「……そうか」

「はい」

 はにかんだ笑みに苦笑を返して、腕をとく。

「朝飯食いにいくか」

「はい」


 食事の後、荷物は宿に置いて町に出た。

「うわあ……!」

 コディが歓声をあげる。

「すごいですねエッジさん!

 お店がいっぱいありますよ!」

「はぐれるなよ」

「はい!」

 素直にうなずきながらも、コディは興味を惹かれるままにあちこちの店に向かう。

 すぐ隣にいたのに、するりと離れていく。

 俺の胸の下までしかない小さな身体は、人の波に間を遮られた一瞬で見えなくなった。

 普段なら姿が見えなくても気配をたどれるが、子供のコディの気配は弱いから、探しにくい。

 焦りながら探し回って、ようやく見つけられたのは飴細工の屋台の前だった。

「あ、エッジさん!

 見てくださいこれすごいですね!」

 嬉しそうな表情に、怒ることもできず、背後に立ってコディが示すものを見る。

 台の上の箱には小さな穴が無数に開いていて、細い棒の先についた飴細工がいくつも並べられていた。

「ね、まるで生きてるみたいでしょう?」

 コディはウサギの形をしたものを指さして嬉しそうに言う。

 素直な賞賛に、屋台の親父の無骨な表情がゆるむ。

「欲しいのか?」

 コディは一瞬迷う目をして、だがすぐに首を横に振る。

「いいです。

 食べちゃったらかわいそうだもの」

 コディらしい言葉に苦笑して、屋台の親父を見る。

「生き物以外でも作れるか?」

「へい、なんだってできやすよ」

 自慢げに言う親父に金を渡す。

「なら、ヒマワリの花を作ってやってくれ」

「へいっ!」 

 骨ばった指先が器用に動いて、小さいながらも本物そっくりの花を作りあげていく。

「へいお待ちっ」

「うわあっ、すごいですっ!

 ありがとうございます!」

 飴細工の棒を握ってはしゃぐコディの反対側の手を握る。

「迷子になるから、手離すなよ」

 コディは驚いたように俺を見て、恥ずかしそうに笑った。

「……なんだか、父様みたいですね」

「…………」

 俺には実父の記憶がない。

 それでも、コディの言いたいことはなんとなく理解できた。

 コディも、名門貴族の父親とは屋敷に引き取られるまでほとんど会ったことがなかったと言っていた。

 嬉しそうに飴を舐めていたコディは、ふいに不安そうな表情になって俺を見上げた。

「あの……エッジさんは、私の父様のこと、知ってますか?」

「……ああ」

「そっか」

 ほっとしたように笑う。

 おそらく父親が貴族だということは口外しないようにと、母親から言い含められていたのだろう。

「……はぐれるなよ」

「はいっ!」

 コディに繋いだ手を引っ張られるようにして、あちこちを見てまわる。

 興味を示すものは昨日と全く同じで、当然とはいえ胸の奥が苦しい。

 一通り見てまわってから、声をかける。

「あっちに用があるんだが、行ってもいいか」

「あ、はい」

 占いのテントがあった広場の一角をめざしたが、あの老婆のテントがあった場所はぽっかりと空いていた。

「ここでやってた婆さんは、今日は来ねえのか」

 隣のテントの前にいた女に聞くと、軽く肩をすくめて答える。

「次の町に行くって、今朝出発したよ」

「……どこへ行ったか、わかるか」

「さあねえ。

 あたしらは流れもんだ。

 風の向くまま気の向くままだよ」

「…………」

 これであの老婆の魔法に関する手がかりはなくなったことになる。

 もっとも、魔法者である俺自身も、自分の力がどう働くのかはよくわからない。

 改めて話を聞いても繰り返しになるだけで、コディを元に戻す方法はわからなかっただろう。

「エッジさん、どうかしましたか?」

 手をつないだままのコディが、きょとんとして見上げてくる。

「……いや、なんでもねえ。

 他に見たいものはあるか?」

「あ、あの、さっき通ったとこの、輪投げの芸をもっとよく見てみたいんです」

「わかった。行こう」


 一日中はしゃいでいたコディは、夕食時にも見聞きしたものを興奮しながら話していた。

 はしゃぎすぎた反動か、部屋に戻ってベッドに横になったとたん眠ってしまった。

 靴と服を脱がせ、寝巻き代わりの俺のシャツを着せる。

 寝ている間に元に戻った時の為だが、おそらくはそうはならないだろうという奇妙な確信もあった。

 穏やかな寝顔を見ながら思案する。

 このまま元に戻らないなら、コディは父親の無理強いで心に傷を受けることなく大人になれる。

 母親のことはどう伝えるか難しいが、旅から戻る間に亡くなったとごまかせなくもない。

 だが一番の問題は、もしかしたらずっと十一歳のままかもしれないということだ。

 魔法の力は人知を超える。

 まして意図したものとは違う作用が出ているのだ。

 この先どうなるかはまったく予測がつかない。

 コディから離れるつもりはない。

 だが十年二十年経ってもコディを守るだけの力が自分にあるかはわからない。

 魔法者は長命だと言われているが、それでもせいぜい六十年だ。

 まともに戦える期間はもっと短いだろう。

 それに、コディ自身が、十年二十年経っても変わらない自分を受け入れられるかどうかわからない。

 時の流れに一人だけ取り残されて、正気を保てるだろうか。

 魔法についてわかっていることは少ない。

 魔法者自体が少ないからだ。

 それでも都の王立研究所には様々な魔法者がいて、古代の魔法書もあるらしい。

 まずは王都に行って、ナリーに話をしよう。

 ナリーは公爵家の娘だし、白百合騎士団の団長という肩書きもあるから、王立研究所にも顔が利くはずだ。

 コディを気に入っていたから、俺に対しては文句を言うだろうが、力を貸してくれるだろう。

 とりあえずの方針を決めた頃、コディの呼吸が乱れた。

 まるで昨夜の繰り返しのように、苦しそうに息をして顔を歪める。

 閉じた目元からあふれた涙が、枕を濡らしていく。

 また夢を見ているのか。

「……コディ」

 何度か肩を揺すると、ようやく目を開けた。

 視線がさまよい、俺を見て何度か瞬きする。

「エッジさん……?」

「……ああ」

「もう、朝……?」

「……いや」

 昨夜と同じような会話をかわし、再び眠ったコディを見つめる。

 コディの今の姿は、ある意味夢だ。

 だから逆に夢の中に現実が現れる。

 そのうちおさまるならいい。

 だがもしこの状態がずっと続くのであれば、いつしかコディの精神は疲弊して、現実の悪夢に飲みこまれてしまうだろう。

 その前になんとかしなくてはならない。

 だが、どうすればいいのかわからなかった。


☆☆☆☆☆☆☆


 翌朝、昨日の朝と同じような会話をくりかえして宿を出た。

 道具屋で子供用のコートやブーツを買いそろえる。

 元のコディの服は、荷物になるのはわかっていたが、売らずに持っておくことにした。

 町を出て街道を歩くと、コディは物珍しそうにきょろきょろしながらいくつも質問をしてくる。

 今のコディには、生まれて初めての旅なのだ。

 質問に答えながら速度を合わせてゆっくりと歩き、次の村で宿を取った。

 閉鎖的な村人達は、親子にはとうてい見えない俺達に奇異の目を向けたが、面と向かって聞いてくる者はさすがにいなかった。

 夕食を取り、早々に部屋に入る。

 コディは疲れていたのかすぐに眠ったが、やはり夢を見て泣いた。


 翌日も、その翌日も、コディは毎晩夢を見て泣いた。

 起こさない方が早く泣きやむかと様子を見たこともあったが、眠ったまま涙を流し続けるのを見ていられず、結局毎晩起こした。

 日を追うごとに、コディは少しずつ元気がなくなっていく。

 コディは、夢にうなされていることをおぼえていない。

 自覚はないはずなのに、昼間は無理にはしゃいで見せる。

 病弱な母親と暮らすうちに身につけたのだろう作り笑顔が哀しかった。


☆☆☆☆☆☆☆


 数日後に泊まった宿は、大きな花壇がいくつもあった。

 綺麗だとはしゃぐコディは久しぶりに本当の笑顔で、内心ほっとする。

 その声が聞こえたのか、五十歳ぐらいの女が宿の裏口から出てきた。

「あらまあかわいいお客様。

 こんにちは。

 私の花壇を気に入ってくださって嬉しいわ」

「あ、こんにちは!

 すごく綺麗ですね!

 あの、これ見たことないんですけど、なんていう名前ですか?」

「これはポインセチアっていうんですよ」

 コディは嬉しそうに女と話を始める。

 花壇を巡りながら話す二人を邪魔しないように少し離れて見守っていると、途中で様子が変わった。

 うつむいて黙り込んだコディに、女がおろおろしながら話しかけている。

「……どうした」

 近づいて問いかけると、女はほっとしたように俺を見た。

「あの、ごめんなさい、坊ちゃんに、『あの人はお父さんなの? お母さんは?』と聞いたら、坊ちゃんが黙っちゃったから、お母さんはいないんだと思って。

 それで、あの、『私も坊ちゃんぐらいの頃に母を亡くして、すごく哀しかったけど、時が経てば哀しみは薄れて、いい思い出だけが残るの。坊ちゃんも大人になったらわかるわ』って言ったんですけど、かえって思い出させちゃったみたいで……」

 コディの横に膝を付いて見上げると、うつむいたコディは唇を噛みしめて強く目を閉じ、泣くのを必死にこらえているような表情だった。

「……コディ」

 そっと呼ぶと、コディはうっすらと目を開ける。

 俺を見ると、腕を首にからめるようにして抱きついてきた。

 何度か背中を撫でると、さらに強く抱きついてくる。

 背中に手を添え、左腕に乗せるようにして抱き上げた。

「あの、ごめんなさいね、私、坊ちゃんを慰めてあげたくて……」

 言い訳を続けている女を無視して、コディを抱えたまま宿に入る。

 二階に上がり、部屋に入っても、コディの腕は緩まなかった。

 ベッドに座り、膝にコディを乗せて横抱きにする。

「…………」

 母親の顔すら知らない俺は、何十年経っても消えないという思慕の念が理解できない。

 養父を目の前で喪った時の絶望と自分自身への憎悪は今も心の底に刺さっていて、どんな慰めの言葉も受け入れられないから、安易な慰めの言葉など言えない。

 元に戻す為には、現実を受け入れる為には、母親はもう死んだと言ってしまうべきかもしれない。

 だが、哀しみを受け入れられなかったら、逆に一生このままで、元に戻らなくなる可能性もある。

 どうするべきか悩みながらコディの背中を撫でていると、ぽつりと声がした。

「エッジさん」

「……ん?」

「母様は、生きてるんだよね?」

 とっさに答えられずにいると、コディは潤んだ瞳で俺を見上げる。

「違うの……?」

 絶望がちらつくまなざしと声に、真実と嘘どちらを言うべきか迷った末に言う。

「……おまえと俺が、屋敷を出た時点では、生きていた。

 だが、旅に出てもう一ヶ月以上経つし、手紙のやりとりもしてないから、……今も無事かは、俺にもわからない」

 心の準備が出来るような遠回しな言い方をすると、コディはうつむく。

「……そう、ですよね。

 母様は、前から身体が弱くて、いつ、どうなるかわからないって、お医者様にも、前から、言われて、……私の、せい、で……っ」

「……おまえのせいでは、ないだろう」

 そっと頭を撫でると、コディは小さく首を横に振る。

「私の、せいなんです。

 私が、生まれる時に、難産、だったから。

 母様は、元々病弱だったけど、よけい、弱くなっちゃったんです。

 そのせいで、父様から離縁されて、あの屋敷に追い出されて。

 ぜんぶ、わたし、の、せい、なんです……っ」

 言葉と共に、頬をつたった涙がぽとぽとと落ちる。

 以前コディからそういう話を聞いたが、それを自分のせいだと思っているとは知らなかった。

 そういう罪悪感があったからこそ、一人で死なせてしまったことを尚更悔やんでいるのかもしれない。

「だから、私、ずっと、母様と一緒にいて、ずっと、母様を守ってあげなきゃって、思ってたのに、……どうして、旅に出ちゃったんだろう……どうして、母様を、ひとりにしちゃったんだろう……」

 コディは自分の誕生日であり母親の命日でもある日に、母親の墓の前で『一人で死なせてしまってごめんなさい』と詫びていた。

 母親の死を知ってからずっと、そんな苦しみを抱えていたのか。

「……泣くな」

 『母親を置いて旅に出た』という俺の嘘が、コディを苦しめている。

 嘘だと告げるのは簡単だが、そうすると結局母親の死を話さなくてはならない。

 どちらがマシなのか、判断がつかない。

「さっきの、おばさんは、『大人になったらいい思い出になる』って、言ってたけど。

 母様が死んだことが、思い出に、なるの?

 それは、母様を、忘れるって、ことなの?

 ……そんなの、いやだ。

 母様を忘れるのが大人になることなら、私、大人になんかなりたくない……!」

 切ない声に、コディの心の傷の深さを思い知る。

 だが、今の状態のままでは、永遠に十二歳にはなれない。

 母親の死を乗り越えられない限り、元には戻れないだろう。


 その日の夜、コディは何度起こしても夢を見て、泣き続けた。

 昼間の出来事が影響しているのは明らかだった。

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