ポインセチア~幸福を祈る~ 1
エッジ視点です。
国境近くのその町にたどり着いたのは、ちょうど建国祭の時期だった。
町の中心を貫く大通り沿いに、様々な物を売る屋台がずらりと並び、広場には技を見せる芸人がいて、占いの怪しげなテントまである。
近隣からも人が集まっているようで、かなりの賑わいだった。
コディは子供のように目を輝かせる。
「私、こんな大きなお祭見たの初めて」
嬉しそうな表情を不思議に思う。
「トールマン村でも、リバーランドの王都でも祭はあっただろう」
俺が王都にいたのは数年だけで、そういうことには興味がなかったから参加したこともないが、建国祭や豊穣祭や新年祭など、年に何度か祭があったはずだ。
「あったけど、トールマン村では村人だけでやる小さいものだったし、王都では……行かせてもらえなかったから……」
寂しそうな笑みを見て思い出す。
コディは王都では父親の屋敷で軟禁状態だったと言っていた。
「……今夜はここに泊まることにして、祭を見てまわるか?」
コディはぱっと顔を輝かせて俺を見上げる。
「いいの?」
「ああ」
本当はこの町は通り抜けるだけで次の町で宿を取るつもりだったが、コディが喜ぶなら、どんなことでもしてやりたかった。
「ありがとう!」
はしゃぐコディと共にあちこち見てまわる。
人が多く騒がしい場所は好きではないが、見るものすべてにいちいち歓声をあげて喜ぶコディの笑顔が見れるなら、気にならなかった。
「あ」
ふいにコディが足を止めた。
「どうした?」
「……あれ……」
指さす方向を見ると、黒い布の小さな縦長のテントの入口の上に【幸せの魔法】と書かれた看板がつけられていた。
周囲には同じようなテントがいくつも集まり、それぞれ看板をかかげている。
どうやらすべて占い師のようだ。
「……本物なのかな」
「こんなところで商売をしてるようじゃ、怪しいがな」
「……そっか」
そう言いながらも、コディはじっとそのテントを見ている。
若い女が妙にはしゃぎながら出てきたのを見送って、ためらいがちに俺を見た。
「入ってみてもいい?」
上目遣いの視線は、興味本位なものではなく真剣だ。
暗に一人で行きたいと伝えられて、答えに迷う。
占いとは悩みを相談するものらしいから、付いていかない方がいいのだろう。
金を脅し取るような悪辣な相手なら、助けに入ればいい。
「……外で待ってる。
危険があれば呼べ」
「ありがとう」
ほっとしたように笑うコディと共に、テントの前まで行く。
中には一人分の気配しかしない。
「じゃあ、いってくるね」
「ああ」
コディはおそるおそる入口の垂れ布をめくり、中に入る。
入口の横に立ってコディの気配を追っていると、入口の垂れ布の上に更に布がかぶさった。
反射的に剣を抜きかけたが、よく見ると布には【占い中】と書いてあり、布の端に紐が結ばれて、中から操作できるようだ。
客がかち合わない工夫なのだろう。
深く息を吐いて気を鎮め、コディの気配を探る。
特に揺らぎはないようだ。
しばらく時間が経った時、ふいに妙な気配を感じた。
同時にコディの気配が大きく揺らぐ。
「!」
かすかな呻き声とどさりと倒れる音が聞こえて、垂れ布をはねあげて飛びこんだ。
テントの中は薄暗く、何かの香の匂いがしていた。
奥に小さなテーブルがあり、その上の蝋燭の炎が俺が起こした風に揺らめく。
揺れる灯りの中、テーブルを挟んで向こう側に老婆と、こちら側の椅子の横に倒れたコディが見えた。
「コディ……!?」
老婆を警戒しながらもコディを抱き起こそうとして、違和感に気づく。
服は確かにコディのものだったが、着ているのは子供だった。
だが、ぐったりと目を閉じた顔にはコディの面影があった。
気配も弱くなってはいるが、コディに間違いない。
「こいつに、何をした」
にらみつけると、老婆が目を見開く。
同時に俺も気づいた。
魔法者には魔法者がわかる。
この老婆は、本物の魔法者だ。
「おまえさんも魔法者だね」
老婆がしわがれた声で言う。
「なるほどね。
そういうことかい」
「……なんだ」
にらみつけても老婆は飄々と語る。
「そのお嬢ちゃんはね、『魔法者が幸せになる方法はありますか』と聞いてきたんだよ。
不思議に思ったんだが、おまえさんの為だったんだね」
「…………」
「私はね、普段は札占いや小物で依頼者を幸せな気分にさせてるんだが、そのお嬢ちゃんのまっすぐさが気に入ったから、本当に魔法を使ってやったんだ。
私の魔法は、【一番幸せだった記憶を思い出す】だよ。
何が幸せか忘れてしまっていても、私の魔法で思い出せるのさ。
ところが、なぜかお嬢ちゃんは子供になっちまったんだ」
「…………」
腕の中の頼りない存在を見つめる。
「私もこんなことは初めてだから驚いたが、おまえさんが魔法者ならわかる。
おまえさんの魔法がどんなものかはわからないが、そのお嬢ちゃんに対して魔法を使ったことがあるだろう。
それも一度じゃない。何度も」
問いかけというよりは確認に、わずかにためらってからうなずく。
「……ああ」
「だからそのお嬢ちゃんには、魔法の力が蓄積されていたのさ。
しかも、おまえさん以外の魔法者からも魔法を受けたことがあるだろう」
「……ああ」
俺とコディが出会った旅で、コディはアンに魔法を受けた。
しばらく前には、魔法具を使う女に支配されたこともあった。
「お嬢ちゃんの中に蓄積されていたいろんな魔法の力が、私の魔法と合わさって、妙な作用をしちまったんだろう」
「……どうすれば、元に戻る」
「それは私にもわからないね」
「なんだと」
殺気をこめてにらみつけると、老婆は軽く肩をすくめる。
「こんなことは初めてだと言っただろう。
そもそも、なぜ子供になったのかすらわからないんだ。
元に戻す方法なんて、もっとわからないさ」
「…………」
「とはいえ私の魔法は本来ごく短い間だけのものだから、その状態はそう長くは続かないと思うよ。
おまえさん達の魔法がどう働いてるかにもよるがね」
俺やアンの魔法は、ある意味半永続だ。
俺達の魔法の影響ならば、この魔法は解けないということになるのだろうか。
「とにかく様子を見るこったね。
それと、元に戻るまでは、おまえさんの魔法は使わないほうがいい。
今度は赤ん坊になるか老人になるかわからないよ」
「…………」
だぶついた服ごとそっとコディを左腕に乗せるように抱き上げ、背を向ける。
「おまえさん、そのお嬢ちゃんに惚れてるのかい」
先ほどまでのどこかからかう調子が消えた、真面目な声に思わず振り向くと、老婆はまっすぐに俺を見ていた。
「おまえさんがそのお嬢ちゃんを過去の記憶よりも【一番幸せ】にすることができたら、お嬢ちゃんは元に戻るかもしれないよ」
☆☆☆☆☆☆☆
眠り続けるコディを抱え、人目につかないよう裏通りを歩いて、宿を取る。
祭の時期で大勢の人間が町に出入りしているせいか、特に怪しまれずにすんだ。
『はしゃぎ疲れて寝ちゃったんですね。酒場は夜遅くまでやってるので、起きたら夕食食べにきてくださいね』と言われたから、親子と思われたのかもしれないが、否定はしなかった。
コディをベッドに寝かせ、隣のベッドに腰かけて息をつく。
子供になったのが身体だけなのか心もなのか、俺をおぼえているのかいないのかで、対応の仕方がずいぶん変わってくる。
思案しながら見つめていると、一時間ほどでコディが目を覚ました。
ぼんやりと視線をさまよわせ、俺を見て瞬きする。
「どなたですか?」
子供特有の澄んだ高い声だった。
身体を起こして不思議そうに部屋を見回し、再び俺を見る。
「ここはどこですか?
母様はどこですか?」
コディの母は、コディが十三歳の時に死んだと聞いている。
今のコディは、身体も心も、そして記憶も子供なのだ。
コディは呆然とする俺を不思議そうに見て、ふと片手を上げ、だぶついた袖を見て首をかしげる。
「私、どうしてこんなかっこしてるんですか?」
「…………」
ゆっくりと深呼吸して、なるべく優しい口調を作って言う。
「俺は、エッジという」
「エッジさん?」
「ああ。
……おぼえてないか?」
コディはしばらく俺を見つめていたが、うつむいて小さく首を横に振る。
「ごめんなさい。
おぼえてないです」
「……そうか」
「母様のお友達ですか?」
「……ああ」
「母様はどこですか?」
「…………」
母親はもういない。
だが今のコディにはそう言っても納得できないだろう。
どう伝えたものか悩んでいると、コディは次第に不安そうな表情になる。
「母様に、何かあったんですか?
もしかして、また倒れたんですか?」
母親は病弱だと言っていた。
いつもこんな風に心配していたのだろうか。
「エッジさん。
教えてください」
ベッドを降りたコディは床に両膝をつき、俺の膝にすがるように手を乗せて見上げてくる。
「母様はどこにいるんですか?
……無事、なんですか?」
今にも泣き出しそうな瞳が、必死に俺を見つめる。
本当のことはとても言えなかった。
「……おまえの母親は、トールマン村の屋敷にいる」
安心させるように、小さな手を両手で包むように握る。
「屋敷に?」
「ああ。
……ここは、オールドランドの隣の、レイクランドという国だ。
おまえと俺は、二人で旅をして、この町に来たんだ」
コディはじっと俺を見て、とまどったようにうつむく。
「ごめんなさい。
全然おぼえてません」
「……おまえは、初めての長旅の疲れで熱を出したんだ。
そのせいだ」
「…………」
コディはしばらく考え込む。
「……どうして、私はエッジさんと旅に出たんですか?
母様はいつも私と離れるのを嫌がったし、私も母様を一人にしたくないんです。
だって、母様には私しかいないから」
「……大人になる前に、あの村以外の世界も知ったほうがいいと、旅をすることになったんだ。
それと、おまえ自身が、雪と、雪の中で咲くフクジュソウを見たいと言ったんだ。
ノースマウンテンランドでそれを見て、トールマン村に戻る途中だった」
それは事実だった。
俺は冬に北国を旅するのは無謀だと反対したが、どうしても見たいとコディに粘られて、妥協案で早咲きのフクジュソウが咲くノースマウンテンランドを目指し、見てすぐ南下してきたのだ。
「フクジュソウ?
そうです。以前図鑑で見て、いつか絶対見に行きたいって思ってたんです」
目を輝かせて言うコディは、最初に俺にその花の話をした時と同じ表情をしていた。
「そうだ。
だが一人では危ないから、俺が一緒に来たんだ」
「そうだったんですか……。
ごめんなさい。忘れちゃってて」
俺の言葉を疑いもせず謝る素直さに、罪悪感が込み上げるが、なんとか隠す。
「かわまねえよ。
それより、どこか痛いところはないか?」
「いえ、大丈夫です。
心配かけてごめんなさい」
「いや……」
息をついて、からかう口調を作って言う。
「自分の名前や歳はおぼえてるか?」
コディは拗ねたように頬をふくらませる。
「おぼえてますよっ!
名前はコディ、歳はもうすぐ十二歳です!」
コディは十二歳になってすぐ、父親の元に連れていかれた。
それまでは母親と使用人達で静かに暮らしていたという。
だから十一歳がコディにとって【一番幸せだった】頃なのだろう。
記憶だけが戻るはずが、身体と心まで戻ってしまったのだ。
「……エッジさん?」
不安そうな声に、はっと我に返る。
「……悪い。
ちょっと、考え事してた」
深呼吸して気持ちを切り替える。
元に戻す方法は、後回しでいい。
今のコディを不安にさせないことを最優先に考えよう。
☆☆☆☆☆☆☆
宿の女将に交渉して、女将の子供の服で今のコディに合うものを一式譲ってもらった。
娘も息子もいると言うから、どちらにするか悩んだが、見た目は完全に少年だし、少女を狙う変質者もいるから、息子の方の服を頼んだ。
「どうして私の服は一着もないんですか?」
無邪気な問いかけに、さりげなく視線をそらせて言葉を探す。
「……熱を出したおまえを診た医者が、流行り病かもしれないと言ってな。
他の子供にうつらないようにと、すべて焼いたんだ」
「そうだったんですか」
素直すぎる性格を利用していることに罪悪感が増すが、信じきった様子に内心安堵する。
譲ってもらった服に着替えたコディと、宿の一階の酒場で夕食を取る。
コディは食べながらも珍しそうにきょろきょろと見回す。
「ずいぶんにぎやかですね」
「祭の時期だからな」
「お祭?」
「ああ」
「いいなあ……」
羨ましそうなつぶやきに、迷ってから言葉にする。
「……明日もやってるから、見にいくか?」
コディはぱっと顔を輝かせて俺を見る。
「いいんですか?」
「……ああ」
「ありがとうございます!」
昼間と同じ笑顔に心がきしんだが、なんとか抑えた。
はしゃぐコディをなだめながら食事を終え、早々に部屋に戻る。
「おまえはまだ本調子じゃないんだ。
早く寝ろ」
「はい」
コディは素直にうなずく。
寝ている間に戻るかもしれないから、寝巻きがわりに俺のシャツを着せて、ベッドに寝かせる。
「エッジさんは、まだ寝ないんですか?」
「ああ。剣の手入れをしたいんだ」
「エッジさんは剣士なんですね」
感心したように言われて苦笑する。
「……ああ」
「私も剣を習いたいんですけど、母様が危ないって許してくれないんです」
「そうか」
「でもやっぱり、自分で自分の身を守れるぐらいにはなりたいんです」
「そうだな」
寝そべったままのコディの声に剣の手入れをしながら相槌を打っていると、次第に話す間隔が間延びしていって、やがて目が閉じられる。
穏やかな寝顔を見つめて、息をついた。
なるべくコディを不安にさせないようにしなければと思いながらも、今まで子供に接したことがほとんどないから、どうすればいいかよくわからない。
考え込みながら剣の手入れを終え、道具を片付けていると、コディの様子が変わった。
呼吸が浅くなり、表情が歪む。
「……か……っ」
かすかな声には哀しみと絶望が含まれていた。
閉じたままの目から、あふれた涙がつたって枕を濡らす。
起こすべきか迷ったが、あまりにも哀しそうで、見ていられなかった。
「……コディ」
軽く肩をつかんで揺する。
「コディ」
「……ぅ……?」
うっすらと目を開けたコディは、ぼんやりと俺を見上げる。
さまよった視線が俺の髪にとどまり、しばらくそのままでいて、ようやく思い出したのか瞬きをした。
「エッジ、さん……?」
「……ああ」
「もう、朝……?」
「……いや」
どう言っていいかわからず、言葉を探していると、肘をついて身体を起こしたコディは、手の平でぐいぐいと目元をこすった。
「……私、泣いてた……?」
手が濡れたことに気づいたのか、不思議そうに言って俺を見る。
「……ああ。
だから、起こしたんだが……怖い夢でも見たのか?」
「夢…………」
コディは自分の手に視線を落とし、しばらくそのままでいたが、ぽつりと言った。
「てがみ……」
「……何だ?」
「……手紙を、読んで、た……」
言葉は途切れたが、またあふれた涙がぽとぽとと落ちて、コディの手を濡らす。
「あれ……? 私、なんで、泣いてるの……?」
自分でも止められないのか、他人事のように言いながら泣き続けるのを見ていられず、隣に座ってそっと肩を抱き寄せた。
「……泣くな」
寄りかかってきたコディは、涙をこぼしながら俺を見上げる。
「エッジさん……?」
「それは夢だ。
だから、忘れろ。
もう泣くな……」
「……うん……」
涙の元は、おそらく老婆からの母親の死を知らせる手紙だろう。
今の十一歳のコディは知らないはずだが、やはりどこかに記憶は残っていたのか。
本当のことは言えず、だが慰める言葉も思いつかず、ただ背中を撫でていると、ふいによりかかる重みが増した。
そっと顔をのぞきこむと、コディは泣き疲れたのか眠っていた。
このまま朝まで眠れるならいいが、もしかしたらまた夢を見るかもしれない。
「…………」
靴を脱ぎ、起こさないようそっとコディを抱えてベッドに横たわる。
母親の代わりにはとうていなれないが、すぐそばに人の気配があれば、少しはマシかもしれない。
コディが寝やすいように抱えなおし、毛布を肩まで引き上げた。
コディを抱いて眠ったことは何度もあるが、今のコディは記憶よりも小さく頼りない。
その頼りなさに心がきしむのを感じながらも、あえて無視して目を閉じた。




