エリカ~裏切り~ 1
内容で区切った為短いです。
とある町の酒場で偶然出会った女性は、ひどくエッジさんを気に入ったようだった。
三十歳前後ぐらいで、きつめの顔だちを華やかな化粧で引き立て、薄茶色の長いつややかな髪はゆるやかにうねり、豊かな胸を強調するような服を着ている。
美人だとは思うが、こういう過剰に女性らしさを見せつけるタイプの人は、少し苦手だ。
女性は極上の笑みを浮かべて、エッジさんに話しかけてきた。
「あんた、いい男ねえ。
私はこの街で雑貨店をやってるエリカっていうの。
この間、いい酒を仕入れたのよ。
ねえ、飲みにこない?」
「断る」
だが、エッジさんはまったく相手にしない。
女性が抱きつくようにしなだれかかろうとしたのを、するりと避けた。
「行くぞ」
「……うん」
背中に手を添えて促されて、その場を離れる。
エッジさんは、過去のつらい出来事のせいで、触れるのも触れられるのも苦手だ。
だが、私にだけは触れてくれる。
それを嬉しいと思う反面、他人を拒絶したままなのを哀しいと思う。
背後からの突き刺すような視線を感じながら酒場を出た。
☆☆☆☆☆☆☆
翌朝目覚めると、エッジさんはまだよく眠っていた。
ここ数日休憩所での野宿が続いていたから、エッジさんは仮眠しか取っていなかった。
決して一人で行動するなといつも言われているが、ゆっくり眠ってほしい。
下に降りて朝食を食べてくるだけなら、大丈夫だろう。
起こさないようにそっと部屋を出て、下の酒場で朝食を食べ終わった頃、昨夜のエリカと名乗った女性がやってきた。
「ちょっと来なさい」
エッジさんに話しかけていた時とは別人のような、横柄な口調にとまどう。
「あんたの連れの人のことで話があるのよ」
「……なんですか?」
「ここでできる話じゃないから、来なさいって言ってるの。
さっさとしなさい」
「……はい」
エッジさんのことだと言われたら、断ることはできない。
この町に住んでいて、宿の女将とも知り合いのようだから、悪人ではないだろう。
それでも念の為に、宿の女将に、私が戻るまでにエッジさんが起きてきたら、すぐ戻るからと伝えてもらうよう頼んでおいて、エリカさんについていく。
宿から十五分ほど歩いてたどり着いたのは、小さな二階建ての店だった。
裏口の鍵を開けたエリカさんに、顎で促されて中に入る。
裏口のまわりは少しだけ空いているが、小さな部屋は雑多なものがあふれていた。
人一人がようやく歩けるぐらいの隙間を抜けていくエリカさんについていくと、店内に出た。
二歩ほど進んでから店内を見回すと、日常品よりも装飾品を扱っているようだった。
見たこともないような形の壷や動物の絵や飾りものなどが小さな店いっぱいにひしめいていて、店主のエリカさんと同じくどこかおどろおどろしい雰囲気だった。
エリカさんは、奥の控室と店の間にある背の低いカウンターにもたれるように立って、豊かな胸を押し上げるように腕を組んで私を見た。
「あんた、あの人とどういう関係なの」
居丈高な問いかけに、エッジさんに言われている通りに答える。
「道案内兼護衛を、してもらってます」
「だったら、この町で代わりの道案内兼護衛を雇って、あの人から離れなさい」
命じる口調にむっとする。
「……どうして、ですか」
「あたしがあの人に惚れたからよ。
まさに理想の男よ。
あの人も、きっとそうよ」
「そんな、ことありません」
思わず言うと、エリカさんは毒々しい赤い口紅を塗った唇を歪めるように笑う。
「あたしを好きにならない男がいるわけないでしょ」
確かに、エリカさんは、美女の部類に入ると思う。
普通の男なら誰でも好きになるかもしれない。
だが、エッジさんは違う。
違う、はずだ。
「……昨夜あなたが誘っても、断られましたよね」
「それは、あんたのお守りをしなきゃいけないからよ。
でなきゃきっと来てくれたわ」
自信に満ちた口調に、ひるみそうになって、ぎゅっと拳を握る。
守られているばかりで、迷惑をかけているという自覚はある。
それでも、一緒にいられるだけで楽しいと、言ってくれた。
私がいれば独りじゃないと、言ってくれた。
「エッジさんは、そんな人じゃないです」
きっぱりと言うと、エリカさんはせせら笑う。
「それは、あんたがあの人に惚れてるから、そう思いたいだけでしょ」
「っ」
「あたしが惚れるぐらいイイ男なんだから、あんたが惚れるのも仕方ないだろうけど。
あんたみたいな小娘にはもったいないわ」
低い声を作るのを忘れていたから、女だとバレたのは仕方ないにしても、なぜ私がエッジさんを好きだとわかったのだろう。
「あんたがあの人を見てる時の顔見たら、一発でわかるわよ。
でもね、あんた、『身の程知らず』って言葉、知ってる?
髪も肌も爪も手入れせず、男物の着古した服で、がさつなふるまいで、女としての自分磨きを怠っておきながら、あの人には女として扱ってもらおうなんて、図々しいのよ」
ひそかに気にしていることを言われて、心が痛む。
「……それは、だって、旅の途中だから」
「旅の途中だって、お手入れも服に気を遣うことも出来るわよ。
あんたは旅を言い訳にして手を抜いてるだけよ」
ばっさりと切り捨てられて、返す言葉が浮かばない。
「あたしはね、元から美人だけど、もっと美人でいられるように、日々努力してるの。
あんたみたいに、自分は何の努力もしないくせに、あたしの努力を『男に媚びてる』とか『やりすぎ』とかって文句言ってくる女、大っ嫌いなのよね」
「…………」
直接言ってはいないが、内心で思っていたことを見抜かれて、動揺してしまう。
確かに、私は何の努力もしていないのに、彼女の美しさを批判していた。
「あんた、あの人に抱かれたことあるの?」
突然の問いかけに、かっと顔が熱くなる。
「あるのね。
でもせいぜい一回か二回でしょ」
せせら笑うように言われて、ぎくりとする。
「なん、で……」
「見ればわかるわよ。
女はね、愛されると、身体も心も変わっていくのよ。
だけどあんたはコドモのままだもの。
そんな幼児体形で男を満足させられるわけないし、お情けで抱いてもらっただけでしょ」
「……でも、エッジさんは、『嬉しかった』って、言ってくれた……」
なんとか絞り出した言葉は、鼻で笑われた。
「はんっ、そんなの、社交辞令に決まってるでしょ。
そもそもあんた、男を悦ばせる方法知ってるの?」
「え……?」
「知らないでしょ。
男はね、イくのと満足するのは別なの。
あんたは優しく抱いてもらって満足したかもしれないけど、あの人はきっとつまらなかったでしょうね」
「そんな、こと……」
ない、と言いたかったが、言えなかった。
指摘された通り、エッジさんは私に優しくしてくれたが、私からは優しくするどころか何もしていないと、気づいてしまったからだ。
求め合う、愛し合うと言うからには、してもらうだけでなく、私からも何かするべきだったのだろう。
なのに、彼女の言う『男を悦ばせる方法』がどんなものなのか、見当もつかない。
「あたしなら、あの人を満足させてあげられるわ。
心も、身体もね」
エリカさんは自信に満ちた口調で言いながら、腕で胸を押し上げた。
「……エッジさんは、そんな人じゃない」
過去の出来事のせいで、むしろ身体の関係を求めてくる相手は拒否するはずだ。
「じゃあ、わからせてあげる」
「……え」
意味がわからず見つめると、エリカさんはにやりと笑う。
「宿の女将に頼んでおいたの。
あの人が起きたら、ここに来てくれるよう伝えてって。
あんたは奥に隠れてなさい。
あたし達だけなら、きっとあの人は本心を見せてくれるわ」
「…………」
「あの人があたしを選んだら、あんたはあの人から離れるのよ。
いいわね」
にらみつけられて、その目をまっすぐに見返しながらうなずいた。
「……はい」
エッジさんが、この人を選ぶはずがない。
☆☆☆☆☆☆☆
エリカさんに言われるままに、奥の部屋に隠れる。
店に通じる扉をごく細く開けて見ていると、エリカさんは入口近くの机の上を片付け、小さな皿を置いて何かを入れ、火をつけた。
白い煙が細くゆるくたちのぼる。
風向きの関係か、私のいる場所からは匂いはわからなかったが、何かのお香のようだった。
しばらくして、ドアを叩く音がした。
エリカさんはちらりと私に視線を投げかけてから、ドアの鍵を開ける。
入ってきたのはエッジさんだった。
「いらっしゃい。待ってたわ」
「俺の連れはどこだ」
そっけない声での問いかけに、エリカさんは真面目な表情で言う。
「あの子のことで、話があるの。
中に入って、ドアを閉めてちょうだい」
「…………」
エッジさんはドアを閉めると、店内をぐるりと見回した。
こちらを向いて視線が止まって、ドキリとする。
エリカさんは、その視線を遮るようにしながら、さりげなくエッジさんに一歩近づく。
「……話とは、なんだ」
「とても大事な話なの。
ここなら二人きりよ。
邪魔は入らないわ」
言いながら、エリカさんはさらに一歩近づく。
エッジさんの険しいまなざしが、とまどうように揺れて弱まった。
エリカさんはもう一歩近づき、エッジさんの耳元で何か囁く。
声は小さく、なんと言ったのかはわからなかった。
ゆっくりと腕を上げ、エッジさんに抱きつく。
「!」
思わず息を飲む。
エッジさんが、エリカさんを抱きしめた。
まるで私を抱きしめてくれる時と同じように、優しくエリカさんを抱きしめていた。
呆然と見つめていると、エリカさんが顔を上げ、また小さな声で何か囁く。
エッジさんは、エリカさんを抱きしめたままキスをした。
「……っ」
キスを続けながら、エリカさんがちらりと視線を向けてくる。
優越感に満ちたまなざしに耐えきれず、その場から逃げ出した。




