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ヒース~孤独~

エッジ視点です。

暗めです。

 俺が生まれたのは、冬の厳しい北国だった。

 六年前の内乱で国は分裂し、周辺国に攻めこまれてさらに分断され、今では複数の小国と自治領が点在している。

 王族の治療の為の道具として育てられ、十一歳で同盟国に売り飛ばされたから、故郷だと思えるほどの執着はないし、知り合いもいない。

 だから、コディに俺の元故国の隣国に雪の中で咲く花を見に行きたいと言われた時、反対はしなかった。

 コディには、生まれは北の国だとしか話していない。

 隣国とはいえ間に大きな山脈があるし、関係ないと思っていた。

 それでも、近づくにつれて少しずつ気が重くなっていく。

 最近たて続けにコディと引き離されたことが、よけい気持ちを苛立たせていた。

 ゴードンの仲間、盗賊、魔法具を使う女と、それぞれ状況も理由も違ったが、危うくコディを喪うところだった。

 コディがそばにいてくれるようになって以来鎮まっていた心の闇がわきあがり、コディを泣かせてしまったこともあった。

 俺を想う涙のおかげでいったんは鎮まったが、故国に近づくにつれて、また心の闇がざわつき出す。

 コディは、俺の態度がおかしいと気づいているのか、気遣うような視線を時折向けては来たものの、問いかけてはこなかった。

 それをありがたいと思う反面、心配をかけたくないと思い、それでも心を鎮めることはできず、苛立ちだけがつのっていった。


☆☆☆☆☆☆☆


 街道沿いの休憩所で、二人きりで夜を過ごす。

 次の村の手前で分かれる街道を西に進んで山脈を越えれば、もう俺の故国だ。

 黙って焚火を見つめていると、思い出したくもない記憶ばかりが蘇ってくる。

「エッジさん」

 どこか思いつめたような声に我に返って視線を上げると、焚火の向かい側に座ったコディがまっすぐに俺を見ていた。

 今までは並んで座っていたが、三日ほど前から近寄ってこなくなった。

 恐がらせていると、自覚はあっても抑えられず、それがよけい神経をささくれだたせる。

「……なんだ?」

 意識してなんとか静かな声を作る。

「明日の昼には、次の村に着くんですよね」

「……ああ」

「……そこから先は、私一人で行きます。

 エッジさんは、その村で待っててください」

 思いがけない言葉に目を見開く。

 このあたりは比較的治安はいい方だが、安全とは言えない。

 それよりもまず離れたくなかった。

「なぜだ」

「……一人で、行きたいんです」

「理由を言え」

「お願いします」

「コディ。理由を言え」

「お願いします」

 かたくなにそれだけを繰り返すコディをにらみつける。

 今の俺と一緒にいたくないのかもしれないが、だからといって一人にすることなど承諾出来るはずがなかった。

「理由を言えねえなら、ダメだ」

「……お願いします」

「…………」

 にらみすえても、硬い表情は揺るがない。

 コディは元々素直な性格だから、わがままを言うことはめったにない。

 植物に関してだけはこだわるが、それでも今まではきちんと理由を説明したうえでの要望だった。

 なのに今、理由を言わないまま、一人で行きたがる原因がわからない。

 怒鳴りつけたくなるのを、強く拳を握ってこらえる。

「……水、汲んでくる」

 目を合わせないまま言って、水袋を掴んで休憩所を出た。

 少し離れた泉で、冷たい水で顔を洗うと少し気持ちがおちついた。

 一昨日泊まった村を出てから、何か考えこんでいたのは気づいていたが、いったい何があったのだろう。

 苛立っていたせいで、ついきつい態度になってしまったが、コディは単なるわがままなど言わない。

 それだけの理由があるはずだ。

 戻ったら、きちんと話を聞こう。

 反省しながら休憩所の近くまで戻って、違和感に気づく。

 コディの気配が感じられない。

 剣に手をかけながら休憩所に飛びこむと、コディはおらず、荷物もなくなっていた。

 何があったのかとあたりを見回して、俺の荷物の上に手帳をちぎった紙片を見つける。


【ごめんなさい。ひとりで行きます。

 エッジさんは、次の村で待っていてください】


 走り書きの字を呆然と眺める。

 パキリと焚火の枯れ枝が爆ぜて、我に返って荷物をつかんで飛び出した。

 焦る気持ちを鎮め、気配を探る。

 夜の森は生き物の気配が少ない分、遠くまで探りやすい。

 街道の先になじんだ気配を見つけて、全速力で駆ける。

 ゆるやかにうねる街道を曲がると、急ぎ足で歩く影が月明かりでかすかに見えた。

「コディ!」

 叫ぶと影がびくりとふるえて、横手の木立の中に走りこむ。

 同時にかすかな悲鳴が聞こえて、気配が途絶えた。

「!?」

 さらに速度を上げて、姿が消えたあたりに向かう。

 のぞきこむと、小さな土手の下にコディが仰向けに倒れていた。

 足を滑らせて落ちたようだ。

「コディ!」

 滑り降りて抱え起こす。

 気を失っていたが、外傷はないようだった。

 ほっと安堵の息をついて抱きしめた。


☆☆☆☆☆☆☆


 コディを抱き上げて休憩所に戻る。

 マントを脱がせて、怪我がないか全身を確かめてから、毛布の上に寝かせる。

 靴を脱がせると、右の足首が腫れていた。

 落ちた時にひねったのだろう。

 水で濡らしたタオルを当てて冷やしておいて、薬草を刻んで湿布を作る。

 タオルを取って湿布を貼ると、コディはかすかに呻いて目を開けた。

「足以外で、どこか痛むところはあるか?」

「……ううん……」

 コディはぼんやりとうなずきながら起き上がる。

 包帯を巻くのを不思議そうに見ていたが、ようやく気絶する前のことを思い出したのか、びくりと震えて身体を固くした。

 手当てを終え、焚火を挟んで向かい側に座る。

「腫れが引くまでは、無理に動かすなよ」

「……うん」

 コディはこくりとうなずき、右足は前に伸ばしたまま、左足の膝を立てて抱えこむようにして、背中を丸めてうなだれる。

「…………」

 誰に対しても誠実に接しようとするコディが、置き手紙だけで逃げるように去っていこうとした。

 それほどに、嫌われたのか。

 そう思っただけで心がきしんだが、最近の俺の態度では、当然かもしれない。

 それでも、無責任に放り出すことなど出来なかった。

「……コディ。

 なるべく近づかねえようにするから、代わりの護衛が雇えるまでは、我慢してくれ」

 静かな声を作って言うと、コディはびくりとふるえ、うつむいたまま小さく首を横に振る。

「違う……エッジさんと一緒にいたくないわけじゃないんだ」

「無理しなくていい」

 自分でも憎むことしかできなかった俺を受け入れて、好きだと言ってくれて、そばにいてくれた。

 なのにその優しさに甘えて、苦しめてしまった。

 だからこの結果は、自業自得だ。

「違う、私……っ」

「いいんだ。

 ……俺は、外にいるから。

 ゆっくり眠れ」

 立ち上がって出口に向かおうとすると、コディはあわてたように立ち上がる。

「待って……っ」

「!」

 右足が痛んだのか、体勢を崩して焚火の上に倒れかけるのを、腕を掴んで引き寄せた。

「気をつけろ」

 すぐに手を離そうとしたが、それより早く腕を掴まれる。

「私、エッジさんが、好きだよ。

 ほんとなんだ。

 だから、お願い、行かないで、嫌わないで……!」

 俺を嫌いになったから、離れていこうとしたのでは、ないのか。

 涙混じりの声にとまどいながらも、すがりつく手を振り払うことは出来なかった。

「おちつけ」

 壁にもたれるように座らせて隣に座り、支えるように肩に手を置くと、強く抱きついてくる。

「好き、私、エッジさんが、好きなんだ……っ」

 コディは泣きじゃくりながら何度も繰り返す。

「わかったから。

 どこにも行かねえから。

 ここに、おまえのそばにいるから」

 優しい声で囁きながら、ゆっくりと背中を撫でた。


 嗚咽がおさまったのをみはからって、静かに問いかける。

「どうして、一人で行こうとしたんだ」

「…………」

 コディは俺の肩に額を押しつけるようにして、顔を伏せる。

「……あの魔法具の女の人が、エッジさんによく似た色の髪の女の子のことを言ってたんだ」

 小さな声で言われたことに、ぎくりと身体がこわばる。

「『昨年ヒースのハーブ酒で有名な村に行った時に、あの男より綺麗な銀灰色の髪の女の子がいたわね。あの時は青い目の子しか集めてなかったから放ってきたけど、ついでに連れてきておけばよかったわ』って、言ってた。

 逃げ出した直後に魔法使ってもらったから、記憶が曖昧になってたんだけど、一昨日泊まった村の酒場で近くにいた商人さんが『次の次の村はヒースのハーブ酒で有名なところだ』って話してたのを聞いて、思い出したんだ。

 ……前に、生まれたところの話をしてくれた時、年の離れた妹さんがいるって、教えてくれたよね。

 詳しい場所は教えてくれなかったけど、北国だって言ってたし、エッジさんの髪の色は北の方でも珍しいみたいだから、もしかしたら、妹さんかもしれないって思ったんだ。

 でも、違ってて、がっかりさせちゃうのは申し訳ないし、もしエッジさんを知ってる人に出会ったら困るだろうから……」

「……だから、一人で行こうとしたのか」

「……うん……。 

 ごめんなさい……」

 コディはうなだれて小さな声で言う。

「……妹さんが見つかったら、エッジさんは独りじゃなくなるでしょ……?

 だから、どうしても、妹さんを探したかったんだ……」

「……ありがとう」

 コディは普段は素直な性格だが、植物観察に熱中すると我を忘れることもある。

 今回は、自分で妹を探すということに拘り過ぎて、暴走してしまったのだろう。

 その優しさが嬉しくて哀しくて、そっと抱きしめる。

「だが、それは俺の妹じゃねえ」

「……でも」

「妹は、もう死んだ」

「え」

 顔を上げたコディに、なるべく淡々と言う。

「三年前の冬だ。

 ……俺が墓を作った。

 だから、どんなに似ていても、それは俺の妹じゃねえんだ」


 傭兵を辞めて放浪し始めた頃、故国が崩壊したという噂を聞いて、この地にやってきた。

 結託して逃亡するのを防ぐ為か、別々に育てられてほとんど接触がなかったから、家族という認識はなかったが、それでも気になったのは、養父が俺にくれた愛情が心の奥底に残っていたからかもしれない。

 妹も俺と同じ魔法を使えるから、裏では王族の治療の道具として、表向きは侍女として王宮で働かされていたようだ。

 六年前の内乱で、王宮は反乱軍に襲われ、王族は皆殺しにされて、王宮で働いていた使用人の多くが巻きこまれて命を落としたという。

 だが妹はかろうじて逃げ出せたらしく、尋ねまわって、小さな村に着いた。

 雪と氷に閉ざされた村には、生き物の気配がなかった。

 暴徒の略奪にあったらしく、石造りの家は焼かれ、あちこちに凍った死体が転がっていた。

 その中に、妹もいた。

 魔法者には魔法者がわかるし、血縁者も認識できる。

 死の苦痛と絶望をとどめたままの顔には幼い頃の面影はなかったが、俺とよく似た色の髪と、魔法者としての感覚が、否定したくてもさせてくれなかった。


 呆然と俺を見つめていたコディの瞳から、涙があふれてこぼれ落ちる。

「……ご、め……っ」

「……泣くな」

「ごめ……、私、ごめん、なさ……」

「おまえが謝る必要はねえ。

 ちゃんと話さなかった俺が悪いんだ」

 止まらない涙を、頬を撫でて拭う。

 泣かせたくなかったから黙っていたが、結局泣かせてしまうなら、あの時に言っておけばよかった。

「家族がいなくても、おまえがそばにいてくれれば、俺は独りじゃねえから。

 だから、泣くな」

 そう言った途端、心がすっと軽くなった気がした。

 ああ、そうだ。

 そんな簡単なことだったのに、心の闇に飲みこまれて、わからなくなってしまっていた。

 本当に手遅れになる前に、気づけてよかった。

 コディはためらうように俺を見る。

「……私で、いいの……?」

「おまえが、いいんだ」

 まっすぐに見つめて言うと、コディは涙を浮かべたまま、それでもかすかに笑った。 

「……私も、エッジさんが、いい」

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