エンゼルトランペット~偽りの魅力~ 1
エッジ視点です。
街道を歩いている途中で、コディがふと足を止めて、街道脇の木を見た。
「エンゼルトランペットだ。珍しいな」
横に広がるように枝を伸ばし、トランペットのような形の白い花が下向きに咲いている木は、コディよりも背が高い。
「毒があるから、自生してるものは抜かれちゃうことが多いし、寒さに弱い方だから、このあたりでこんなに大きくなってるなんてすごい。
日当たりがいいからかな?」
「そうかもな」
「ちょっと見にいってもいい?」
「ああ」
まだ午前中だし、時間には十分余裕がある。
「ありがとう」
にこりと笑ったコディは街道から離れ、エンゼルトランペットの木に近づく。
「すごい、大きいなあ。
あ、花の中ってこうなってるんだ」
ほとんど真上を向くようにして咲いている花をのぞきこむと、マントのフードが取れて、少し伸びてきた黒髪が見える。
嬉しそうに観察する様子を背後から見守っていると、馬の蹄の音が聞こえた。
振り向くと、街道の前方から馬車がやって来るのが見えた。
装飾の多い箱型の馬車を二頭立ての馬が牽き、御者台には御者と下男が乗っている。
しばらく前に通り過ぎた森の中に別荘がいくつかあったようだから、領主かそれに近い者だろうか。
「二頭立て馬車なんて珍しいね。
貴族かな?」
コディも馬車を見ながら言う。
「そうだな。
念の為、ここで待っていよう」
「あ、うん」
平民が馬車の進路を塞いだと難癖をつけてくる貴族も、たまにいる。
木の下で馬車が通り過ぎるのを待っていると、馬車がなぜか目の前で停まった。
御者台の下男が降りてきて、扉に付けられた窓を開ける。
顔を出したのは四十代半ばほどの女で、化粧が濃く、派手な色合いのドレスを着ていた。
額飾りや首飾りや指輪などを大量につけている。
「そこの少年。
こっちに来て顔を見せなさい」
「え、……はい」
命じることに慣れた傲慢な口調に、コディはとまどいながらも数歩近づき、馬車を見上げた。
値踏みするように目を細めてコディを見ていた女は、笑みを浮かべる。
「きれいな黒髪と黒目ね。
このあたりの者じゃないわね。
出身はどこ?」
「オールドランドです……」
だいぶ北上してきているから、このあたりでは俺のように髪の色の薄い者が多く、逆にコディの黒髪は目立つ。
だからフードをかぶらせていたのに、ちょうど外れた時に目をつけられるとは運が悪い。
「ああ、あの国出身の者はいなかったわね。
ちょうどいいわ。
名前は?」
「……コディです。あの」
「私の屋敷に来なさい。
侍従にしてあげるわ」
「え」
「断る」
一方的に命じてきた女をにらみながら、コディを背にかばうように間に割りこんだ。
「俺達は旅の者だ。
あんたが何者かは知らねえが、命令に従う義理はない」
「…………」
女は俺をじろりとにらむと、残忍な笑みを口元に浮かべた。
「トム。この男を殺しなさい」
言葉に合わせて女の額に銀青色の光が灯り、額飾りの水晶を通して眩く輝く。
「!?」
魔法の光だ。
それに気を取られたせいで、反応が遅れた。
「ぐっ!」
黙ってぼんやりと立っていた下男が、短剣を抜いて俺の腹に突き刺してきた。
ぎりぎり急所はかわしたが、灼けつくような痛みが走る。
妙にうつろな目で短剣を引き抜いて、再び刺そうとした下男を殴り飛ばし、がくりと膝をついた。
「エッジさんっ!」
コディが叫んで俺の身体を支える。
「エッジさん、しっかりして、エッジさんっ!」
「あら、まだ生きているの。
そう、エッジというのね。
エッジ、そのまま永遠に眠りなさい」
命じる言葉に合わせて、再び女の額が魔法の光を放つ。
「……っ」
急速に襲ってきた眠気を、唇を噛みしめてこらえる。
だが俺の意思に逆らうように身体から力が抜け、意識がかすんでいく。
「コディ。こちらに来て馬車に乗りなさい」
「エ……!?」
俺を支えていたコディの手から、力が抜けた。
支えを失って、地面に倒れこむ。
なんとか顔を上げると、コディは下男と同じうつろな瞳でふらふらと歩いて、馬車に近づいていく。
「コ……!」
叫びは声にならず、意識が闇に飲みこまれた。
☆☆☆☆☆☆☆
目を開けると、コディはおらず、馬車も既になかったが、血は乾いてなかったから、まだたいして時間は経っていないようだ。
「……く……っ」
なんとか身体を起こし、細長い布を腹に巻きつけて強く縛って止血する。
リュックをおろして漁り、小さな箱を取り出した。
体力を上げ、痛みを麻痺させ、感覚が鋭敏になる薬だ。
戦場で傭兵がよく使うもので、飲むとまる一日動き続けられるが、副作用としてその後数日虚脱感とひどい頭痛が続く。
それでも、コディを取り戻す為ならためらいはしなかった。
丸薬を噛み砕き水筒の水で流しこむと、わずかな吐き気の後、痛みが薄れていく。
周囲の物音が明確に聞こえ、視界が澄む。
立ち上がって、問題なく動けることを確かめる。
地面に倒れたままの下男の胸元を掴んでひきずり起こし、乱暴に揺すると呻いて目を開けた。
ぼんやりと視線をさまよわせ、俺を見てはっとする。
「か、勘弁してくださいっ!」
悲鳴を上げてわたわたと暴れる下男の喉元を絞めあげる。
「あの馬車の女は誰だ」
「ご、御領主様の奥様の、シビー様です」
「どこにいる」
「この先の、森の中の最初の分かれ道の突きあたりにある、別荘です」
答える男の顔は恐怖にひきつっていたが、俺を刺した時のうつろさはなかった。
「なぜあいつの言いなりになって俺を殺そうとした」
「それは、あの、シビー様の魔法です」
「魔法、だと」
「そうです。
嫌だと思っても、死にそうなぐらい頭痛がして、逆らえないんです」
「…………」
魔法者には魔法者がわかる。
あの女は、魔法者ではない。
だがあの女は、確かに魔法の光を放っていた。
そのくせ、魔法を使っている時の、独特の力の流れを感じなかった。
しかも、あの女は真名ではなく愛称で命じていた。
俺もコディも、呼ばれた名は正確には愛称ではなく通称だし、真名でしか使えないはずの魔法が発動するはずがない。
なのに、俺の身体と意識は命令に従って眠りに落ちたが、すぐに目が覚めた。
おかしなことだらけだ。
「……なぜ、真名じゃないのに命じられるんだ」
「それは、あの、本人が自分の名前だと思ってる呼び名でなら、命じられるみたいです」
それが本当なら、一応は理屈は通るが、まだ謎が残る。
「……俺の連れがあいつに連れていかれた。
あの女は、いつもそんなことをしてるのか」
「は、はい。
男女問わず、見目のいい若いのを集めて、侍らせてらっしゃいます」
ならばすぐに命を取られるようなことはないだろう。
突き飛ばすように放すと、下男はごほごほと咳をして喉元を押さえていたが、おそるおそる声をかけてくる。
「あの……あんた、お連れさんを助けに行くつもりかい」
「当たり前だ」
「やめといた方がいい。
シビー様は恐ろしい御方だ。
御領主様は、元は実直な御方で、奥方様や御子息様を愛してらっしゃったのに、シビー様の魔法でお二人が目の前で死んでも、シビー様に命じられた通りに後妻になさったんだ。
それに反対した人達も、みんな殺された。
俺みたいな新参者で、距離が離れると支配が消える場合もあるが、同じ命令を何度もされると、離れても支配されたままになる。
御領主様も役人達も、完全にシビー様の支配下だ。
この領はもう、シビー様のモノなんだ。
逆らっちゃなんねえ」
「……貴族だろうが魔法者だろうが関係ねえ」
相手が誰であろうとも、コディは絶対に取り返す。
☆☆☆☆☆☆☆
街道を小走りに戻り、シビーの館をめざす。
薬のおかげで痛みは感じないが、出血が止まらない。
傷口に血止め薬を塗りこんで、布を巻いてきつく縛りなおす。
森の中に入り、下男の言う通り最初の分かれ道を進むと、石組みの大きな館があった。
周囲には鉄製の柵が巡らされ、警備兵らしき者が巡回している。
そいつらもうつろな目をしていたから、全員がシビーの支配下なのだろう。
近くにあった無人の小屋に荷物を隠し、館の周囲を巡って侵入口を探す。
裏手にいくつか木造の小屋があったが、使用人用だろう。
舘の主のシビーは、館の奥深くにいるはずだ。
裏口を見張っていると、使用人らしき男が出てきた。
素早く近づき、殴り倒して木陰にひきずりこむ。
慎重に周囲をうかがい、裏口から入って、さらに館の使用人口から中へ入った。
大きな館だが、人の気配は少なかった。
それらをかわしながら慎重に進んでいくと、一階の奥まった部屋にコディの気配を見つけた。
ほっと息をついたが、その弱さに眉をひそめる。
眠っているのとも怪我をしているのとも違う、奇妙な感じだ。
操られているからだろうか。
大きな扉にぴたりと身を寄せて、気配を探る。
コディの他にも何人かいるようだが、一人をのぞいて同じように気配が弱い。
扉をそっと開く。
「おや、身の程知らずが来たようね」
嘲笑う声に、身を隠すのをやめて大きく扉を開いて中に入る。
豪奢な部屋の中央に置かれた布張りのソファに、シビーが寝そべっていた。
その手元の床に、表情のないコディが座っていた。
「コディ!」
名を呼んでも表情は動かない。
服がドレスのような飾りのついた侍女の制服のようなものに変わっているが、とりあえずは無事なようだ。
シビーの周囲にいる少年少女達も同じような格好で、うつろな目をしていた。
「せっかくきれいな黒髪を愛でていたのに、無粋な男ね。
女の子だったのは意外だけど、着飾らせる楽しみができたわ。
でも、おまえはなぜ起きたのかしら。
わたくしの魔法は完璧なはずなのに」
「…………」
今すぐ殺したかったが、それでコディが正気に戻らなくなってしまったら意味がない。
こいつの魔法の種類と解き方だけでも吐かせなければならない。
「でもまあ何度でも命じればいいのよね。
エッジ、その場に膝をついて待機しなさい」
「……っ」
シビーの額が銀青色に輝くのをにらみながら、ゆっくりとその場に膝をついた。
「あら、やっぱり従えられるじゃない。
そうよね、わたくしの魔法に逆らえる者などいるはずがないわ」
勝ち誇るように言った女は、テーブルに並べられた一口大の果物をつまみ、口に入れる。
「では、わたくしの命令に逆らった罰を与えないとね」
女は果物の皿の横にあったナイフを取り、コディに差し出す。
「コディ。これでエッジを殺しなさい」
「…………」
コディはナイフを握って立ち上がると、うつろな瞳のまま俺に向かってくる。
だが、二歩手前でぴたりと動きを止めた。
表情がわずかに揺れ、苦しそうにすがめられた目から涙がこぼれ落ちる。
あの下男は、シビーに操られている間も自我はあったようだった。
そして、逆らうと死にそうなほどの頭痛がすると言っていた。
ならばコディも今、俺を殺せという命令と、殺したくないという自我が、必死に戦っているのかもしれない。
命令に抗ってくれることを嬉しいと思う反面、抗うことによってコディの心身が壊れてしまわないか心配だった。
「コディ、早くやりなさい!」
「!」
いらだたしげな命令と共に、女の額飾りの石が強く光を放つと、コディの身体がびくりと強張る。
一歩踏み出し、震える両手でナイフを握り、俺の喉に向けて突き出した。
それを立ち上がりながらかわし、コディの背後に回って首に腕を巻きつけ、強く絞めつける。
コディはもがいて抵抗しようとしたが、すぐに意識を失う。
力の抜けた身体を抱きしめて、深く安堵の息をついた。
「バカな、おまえ、どうしてわたくしの魔法が効かないの!?」
シビーがうろたえた声を上げる。
コディをそっとその場に寝かせ、その手から取ったナイフを強く握った。
「魔法を使ってるのはおまえじゃねえ」
「なんですって!?」
振り向きざまに、全力でナイフを投げつける。
まっすぐに飛んだ刃は、シビーの額飾りの石に突き刺さり、粉々に砕いた。
「がっ!!」
衝撃でシビーがソファに倒れこむ。
周りの少年少女達が、びくりと身体をふるわせた。
その目に正気の色が戻る。
「あ……」
「え……?」
とまどいながら顔を見合わせ、俺とシビーを見比べる。
「そいつはもう二度とおまえらを操ることはできねえ。
家に帰れ」
「…………」
少年少女達はしばらくぼんやりとしていたが、やっと理解できたのか歓声を上げる。
「ありがとう!」
口々に言って部屋を飛び出していくのとすれ違いながら、シビーに近づく。
シビーの魔法の光は、俺やアンと同じように額から放たれているように見えた。
だが本当は、光は額飾りの石から出ていた。
おそらく、あの額飾りは、魔法によって作られた魔法具だ。
かつて、すべての人間が魔法を使えた時代には、強力な魔法具が大量に出回っていたらしいが、今の時代には昔話の中にしか存在しない。
亡国の国宝だったとか、古代遺跡から発掘されたとかいう魔法具が時々闇ルートで出回るが、だいたいは眉唾物だ。
あの額飾りは、なぜか本物だったようだし、効力は恐ろしく強かった。
とはいえ、使っていたシビーが魔法者でなかったせいか、魔法者の俺が真名を意識しながら強く意志を持てば対抗できた。
コディより先に連れてこられた少年少女達が正気に戻ったなら、コディも大丈夫だろう。
「……てめえは、赦さねえ」
シビーの髪をつかんで喉をそらせ、声帯を切る。
「……っ!?」
悲鳴のかわりに息をもらして暴れる身体を踏みつけ、両手両足の腱も切断する。
これでもう話すことも自分で動くこともできない。
ナイフを投げ捨て、痛みにもがく姿を見下ろす。
一瞬で楽に死なせてやるつもりなどなかった。
「その惨めな姿をさらして、生きていけ」




