アザミ~報復~ 3
☆コディ視点☆
抱きしめた腕が離れたのを感じて、咳きこみながら顔を上げると、剣帯を腰に付けながら歩いていくエッジさんの背中が見えた。
「エ……」
「おっと、嬢ちゃんはこっちだ」
ばさりと毛布でくるまれて、オーエンさんにひょいと抱え上げられる。
そのまま木立の陰を通って橋の近くまで連れていかれると、エッジさんと入れ替わるように戻ってきた傭兵達が駆け寄ってきて、不満そうな声をあげる。
「団長! なんで退却なんすか!」
「このまま一気に攻めりゃ落とせますよ!」
「いいんだよ。
おまえらがいても邪魔なだけだ。
それより腹に力入れてよく見とけ。
『伝説』を直に拝めるぞ」
「え……?」
オーエンさんに抱えられたまま、エッジさんの動きを目で追う。
橋のたもとにいる盗賊達の手前で止まると、見張り台の弓部隊が一斉に狙いを定める。
「エッジさん、危ない……!」
「大丈夫だ」
もがいてオーエンさんの腕から抜け出そうとしたが、なだめるようにぽんぽんと背を叩かれる。
「あいつは心配いらねえよ。
どっちかってえと、おまえの方が危ねえ」
「え……?」
とまどって見上げると、オーエンさんはにっと笑う。
「ちょっと我慢しろよ」
言葉とともに、厚い胸に抱えこまれる。
反射的に身体を硬くすると、ふわりと、肌の熱ではない何かを感じた。
エッジさんに抱きしめられた時のような、空気のような気配のような、そんなぬくもりに包まれる。
「一度だけ言う」
ふいに聞こえた冷ややかな声に、なんとか顔を動かし、エッジさんを見る。
「武器を捨てて降伏した奴は、見逃してやる。
向かってきた奴は殺す」
「この人数相手に何ができるというのかね。
さっきは驚いたが、あれで生き残れたということは、運は我々にある。
死ぬのは君の方だよ」
見張り台の中央に立つ首領が嘲笑うように言う。
そのまわりの手下達も、小さな傷はあるようだが、戦うのに支障はなさそうだ。
「そうか」
エッジさんはゆっくりと剣を抜いた。
「なら、いくぞ」
どんっと殺気がはじけた。
「!!」
まるで大砲の衝撃のようなものが全身に叩きつけられる。
心の底から凍りつくような、鋭く冷ややかな風が吹き抜けた。
「……っ」
思わずオーエンさんにすがりつく。
今まで何度かエッジさんの殺気に触れたことがあるが、今感じたものは桁違いの強さだった。
もしもオーエンさんにかばわれていなければ、耐えきれず正気を失っていたかもしれない。
それほどに烈しく昏く、悍ましい殺気だった。
殺気に慣れているはずの傭兵達でさえ、ほとんどが腰を抜かしている。
「情けねえぞおまえら。
だがまあ仕方ねえか、俺もちょっとビビった。
昔より格段に強くなってやがる」
オーエンさんは苦笑しながら腕をとき、私の顔をのぞきこむ。
「大丈夫か?」
「……は、い。
ありがとうございます」
まだ身体は震えているが、なんとか答えると、ぽんぽんと背中を叩かれた。
「いや。しっかし派手にやったな」
呆れたような声にはっとして砦の方を見ると、エッジさんの姿はもう見当たらず、橋のたもとにいた盗賊達は全員へたりこんでいた。
離れていた私達でさえこれほどの衝撃を受けたのだから、至近距離でまともにくらった彼らは当然の結果だろう。
見張り台の上にいた弓士も、姿が見えない。
砦の中からはかすかに戦いの声が聞こえていたが、ほとんどが悲鳴だった。
エッジさんの強さは充分に知っているし、中にいる人数はそう多くなさそうだが、それでもエッジさん一人だけで、勝てるのだろうか。
不安が顔に出ていたのか、ぽんと大きな手が頭に乗せられる。
「あいつんとこに行きてえか?」
あたたかなまなざしで問われて、迷った末にこくりとうなずく。
「……はい。
私が行っても足手まといになるだけなのはわかってるけど……でも、やっぱり心配なんです」
オーエンさんはにっと笑って、がしがしと私の頭を撫でた。
「なら、見に行くか。
ただし、俺のそばから絶対離れんなよ」
「……はい!
ありがとうございます」
「おう。
おい、おまえらも来い」
「……は、はいっ!」
声をかけられて、呆然としていた傭兵達がはっと我に返って立ち上がった。
私とオーエンさんの周りを十人ほどの傭兵が囲んで、砦へ向かう。
濡れた服が肌に貼りついて重いが、動けないほどじゃない。
うつろな目をしてへたりこむ盗賊達の間を抜けて橋を渡り、砦の中へ入ると、騒ぎ声のしている方をめざす。
周囲を警戒しながらも、オーエンさんが語る。
「俺がエッジと初めて会ったのは、内戦が続いてる国の戦場だった。
雇い主が同じなら傭兵同士連携して当たることが多いが、あいつは俺らの作戦を無視して単独行動ばかりしていた。
腕は確かだったが、勝手な行動をされると俺らの作戦が成り立たなくなる。
キレた指揮官が『そんなに単独行動がしたいなら、一人で敵の砦を落としてこい』と言ったら、本当に一人で行って、一晩で落としてきた。
確認に行った奴の話では、敵の兵士だけじゃなく、下働きの民間人まで含めて百人近くが皆殺しになってたそうだ。
あいつは名前を聞いても答えなかったから、ついたアダ名が【灰色の死神】だ」
「死神……」
ホーキンズさんが言いよどんでいたのは、その呼び名だったのか。
エッジさんの連れである私に、面と向かって言うのはためらわれたのだろう。
「それ以来、指揮官はあいつを作戦に参加させることは諦めて、落としたいところに一人で突っ込ませるようになった。
あいつはどんな場所でもどんな状況でも、『一対すべて』なら負けなしだった。
だからって無傷なわけじゃなくて、時には怪我をすることもあった。
それでもあいつは、単独行動をやめなかった。
俺の経験からすると、そういう奴は、だいたい二通りに分かれる。
一つは、自分が世界で一番強いと思っていて、他の人間は足手まといだと見下してる奴。
もう一つは、味方が誰もいないと思ってる奴だ。
あいつは、後者だったんだろうな」
「…………」
胸が痛いのはなぜだろう。
ぎゅっと胸元を掴む。
「戦場にもルールがあって、敵だからって問答無用で皆殺しにすると雇い主のメンツやらなんやらが傷つくと言われる。
特に民間人に手を出すと、戦後処理で揉めることが多い。
だが、混戦状態で兵士と民間人を見分けるのは難しいし、面倒だ。
だから、『一度だけ降伏勧告をして、殺気ぶつけて、脱落した奴は無視しろ。捕虜にしたら戦後処理で賠償金をふんだくれるんだ。殺したらもったいないだろう』と言ったら、あいつは返事しなかったが、俺が言った通りにするようになった。
さっきみてえにな。
殺気が強すぎて、降伏勧告じゃなくて死刑宣告だとか言われてたが」
「……?」
『殺したらもったいない』という言葉に首をかしげる。
どこかで、聞いたような気がする。
しばらく考えて、ようやく思い出した。
エッジさんのお養父さまが、そう言っていたと、以前話してくれた。
同じようなことを言っていたから、よけいにお養父さまに似ていると思ったのかもしれない。
だから、オーエンさんの提案を受け入れたのだろう。
「【灰色の死神】の噂が戦場中に広まると、兵士でもあいつを見ただけで戦意を喪失して降伏したり逃げる奴が増えた。
おかげでその時の内戦は、予想の半分の速さで終わった。
その後も、あちこちの戦場で味方として、時には敵として、何度も顔を合わせた。
あいつは、なぜか俺が教えた降伏勧告を毎回律義にやってたから、敵になった時は即投降して、命拾いできた。
教えといてよかったと、しみじみ思った」
傭兵は金で雇われて兵士のように働くのだと思っていたが、そんなに簡単に投降してよかったのだろうか。
疑問が顔に出ていたのか、オーエンさんが教えてくれる。
「国によって違うが、そのあたりじゃあ傭兵は捕虜になっても自分で身代金を払えば解放されるんだ。
だから、強い奴とヘタにやりあうより、捕虜になった方が安全なんだよ。
俺は、あいつとだけはやりあいたくなかったから、さっさと降参したんだ。
それぐらい、ヤバい奴だった」
「…………」
「数年前、傭兵辞めて流れになってからも、一人で行動してると聞いていた。
なのにしばらく前に、ずっと誰かの護衛をやってるって噂を聞いて、意外に思ったんだが」
ふと声の調子を変えて、私を見たオーエンさんはにっと笑う。
「あいつは、嬢ちゃんと一緒にいて変わったようだな」
「……何が、ですか?」
「さっき、あいつは剣を手放して敵の要求に従おうとした。
まあ、本気で従ったんじゃなくて、嬢ちゃんを取り返す為の演技だったんだろうが。
昔のあいつは、味方側の捕虜を盾にされても無視したし、寝てる時でも決して武器を手放さなかった。
あいつが変わったのは、間違いなく嬢ちゃんの影響だろうな」
「……そう、なんでしょうか」
エッジさんは優しくて、自分を犠牲にしてでも私を助けてくれる。
だが私が知っている限りずっとそうだから、それが私の影響なのかどうか、私自身にはわからない。
ふいに上階から大きな悲鳴が聞こえた。
反射的に駆け出そうとしたが、オーエンさんに片手を上げて制される。
「うかつに動くな。
おい、見て来い」
「はいっ!」
階段の近くにいた二人が駆け上がっていって、しばらくしてどこか複雑そうな表情で戻ってきた。
悲鳴はその間も途切れ途切れに続いている。
「どうだった?」
「それが……その……」
若い傭兵達は顔を見合わせ口ごもる。
「なんだよ。はっきり言え」
オーエンさんに促されて、二人はちらりと私を見た。
「……エッジさんが、首領を嬲り殺しにしてます」
「嬢ちゃんは、見ねえ方がいいと思います」
「!」
「あ、こら待て!」
オーエンさんの手をすりぬけ、階段を駆け上がった。
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☆エッジ視点☆
砦の中に入り、首領がいた見張り台をめざす。
「う、おおおぉぉぉぉお!」
雄叫びをあげて突進してきた奴を一撃で殺す。
それを繰り返しながらまっすぐ上をめざしていくと、階段を上がった途端、首領を取り囲む集団と遭遇した。
「て、てめえ!」
「やっちまえ!」
一斉に襲いかかってくる奴らを、それぞれ一撃で斬り捨てる。
その間に首領は廊下をよろめきながら走り、奥の階段を上がっていく。
武器を捨てた奴は無視して、その後を追った。
階段を上がると、見張り台だった。
踏み出した直後に振り下ろされる刃を、半歩横にずれてかわす。
切っ先が床の石に当たって、耳障りな音を立てた。
「このっ!」
引き上げる勢いで首筋に向かってきた刃を、軽くはじき返す。
「うっ!」
空を切って飛んだ剣を目線で追った首領は、一瞬俺を見て、すぐに背を向けて駆け出した。
弓を手にしたままうつろな表情でへたりこんでいる奴らは無視して、その後を追う。
「く、来るなっ!」
投石機の土台の陰に回った首領に剣の間合いまで近づくと、首領はひきつった顔で笑う。
「わ、わかった、君をこの砦の隊長に任命してやろう。
だから」
無意味な言葉を遮るように、右膝を蹴り砕いた。
「ぎゃあっ!」
首領は悲鳴を上げながら、ごろごろと転がって膝を抱える。
これでもう逃がさない。
動きを止めた首領に、手首の動きだけで刃を振り、右耳を切り落とした。
「ひっ!」
次は左耳を切り落とす。
「ぎゃっ!
た、たのむ、助けてくれ」
首領は震える両手を祈るように組んで、俺を見上げる。
「なんでもする、だから命だけは助けてくれ!」
無様な命乞いに、剣を握る手に力が籠もる。
こんなくだらない奴が、俺からコディを奪おうとしたのか。
どす黒い憎悪が、心を塗りつぶしていく。
「やめてくれっ!」
赦さない。
右手首を落とす。
「助けてくれっ!」
赦さない。
左手首を落とす。
「助けて……っ」
赦さない。
鼻を落とす。
「助け……」
赦さない。
俺からコディを奪うことは、絶対に赦さない。
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☆コディ視点☆
階段を上りきると、見張り台に出た。
あちこちにうつろな表情の人が座りこんでいる。
見回すと、投石機の土台の前にエッジさんが立っていた。
手にした剣は血に染まっている。
ここからでは見えないが、その向こうに首領がいるらしく、弱々しい呻き声が聞こえていた。
エッジさんは私に背を向けているから、どんな表情をしているのかわからない。
それでも、全身を包む気配が、私の好きなあのあたたかいものではないことはわかった。
肌がちりつくような鋭い気配に、身体がすくむ。
逃げ出したくなる衝動を抑えて、一歩踏み出す。
「来るな」
冷たい、拒絶するような声だった。
びくりとして、足が止まる。
追ってきたオーエンさんが、私の腕をそっと掴んだ。
「嬢ちゃんは下で待ってた方がいい。
来な」
優しく腕を引かれて、首を横に振って拒む。
「嫌です」
振りほどこうとしても、がっしりとした手は離れない。
「今は近づかねえ方がいい」
「嫌だ。
エッジさん!」
今離れてしまったら、エッジさんを喪ってしまう気がした。
私が知っている、私の大好きな、優しいエッジさんがいなくなってしまう気がした。
「エッジさん、エッジさんっ!」
何度呼んでも、エッジさんは振り向かない。
冷たい気配は揺るがない。
切なくて、哀しくて、怖くて、涙がこぼれる。
「嫌だ、お願い、エッジさん!」
「いいコだから、おとなしくしろ。
な?」
オーエンさんになだめるように言いながら、強引に抱え上げられた。
それでも、必死にエッジさんに手を伸ばす。
「エッジさん……!!」
ふっとエッジさんの気配が緩んだ。
血糊を拭いて剣をおさめ、ゆっくりと振り向く。
いつもの、静かな表情のエッジさんだった。
力のゆるんだオーエンさんの手を振り払って駆け寄る。
「エッジさん!」
飛びつく勢いで抱きつくと、柔らかく受けとめてくれた。
「……悪かった」
「エッ、ジ、さ……」
「悪かった。
だから泣くな」
囁く声も背中を撫でてくれる手も優しくて、あたたかくて、涙が止まらない。
「やれやれ、たいした嬢ちゃんだ。
【死神】を人間に戻しちまうとはな」
呆れたように言いながらオーエンさんが近づいてきた。
「それとも、惚れた弱みってやつか?」
からかうような問いに、エッジさんはかすかに笑う。
「……そうかもな」
「おーお、惚気てくれやがって。
おら、いいかげん泣きやみな」
がしがしと頭を撫でられて、なんとか涙を袖で拭って顔を上げる。
二人の身体に遮られて、その向こうにいるはずの首領の姿は見えない。
エッジさんに肩を抱かれて、身体の向きを変えられた。
「後は任せる」
「おう」
「行くぞ」
「……うん」
エッジさんに肩を抱かれたまま砦の中を歩き、門の前に出た。
出入りしている傭兵達を見て、はっと思い出す。
「そうだ、ホーキンズさんが……!
宿で、刺されて」
「そいつなら、ここまで報せに来た。
手当てを受けてたから大丈夫だ」
「よかった……」
ほっと息をつくと、エッジさんはどこか複雑な表情で私を見たが、何も言わなかった。
橋を渡って木立の中に入ると、切り株に座らされる。
私の前に片膝を付いたエッジさんは、私の全身を見回す。
「見た目は怪我してなさそうだが、どこか痛むところはねえか?」
「え、っと、ううん、平気」
「……ここは、どうした」
伸びてきた指先が、こめかみにそっと触れる。
「あ……攫われた時に、ナイフの柄で殴られて……。
でも、痛くないよ」
「少し腫れてるぞ。
今は興奮してるから、わからねえだけかもしれねえ。
後で痛んだら、すぐに言えよ」
「うん」
うなずくと、エッジさんはどこか苦しそうな表情で私を見つめる。
「……悪かった」
「え?」
「おまえを喪うと思っただけで、耐えられなかった。
俺からおまえを奪おうとした奴を、赦せなかった。
だが……そのせいで、おまえを泣かせちまった。
悪かった……」
さっきのエッジさんは、姿は変わらないのに、まるで別人のようだった。
あれが、【死神】と呼ばれていた頃のエッジさんなのだろう。
その心の奥底の闇は、いまだに深く消えていないのだろう。
それでも、私の為に、その闇から抜け出してくれた。
今のエッジさんは、【死神】なんかじゃない。
「謝らないで。
私を好きだから、怒ってくれたんだよね?
だったら、嬉しいよ」
にこりと笑うと、エッジさんは驚いたように私を見る。
「そうだ、言い忘れてた。
助けてくれて、ありがとう。
怖かったけど、『絶対に助ける』ってエッジさんが約束してくれてたから、勇気を出せた。
ありがとう」
もし失敗して私が死んでしまったら、エッジさんの心は闇に飲みこまれてしまったのだろう。
自分の為ではなく、エッジさんの為に、生き延びられてよかったと思う。
私を見つめていたエッジさんは、とても優しい表情で笑った。
「……おまえも、約束を守って、生き延びてくれて、ありがとう」




