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ノギク~守護~ 2

 翌朝は曇りで、水はさらに減っていた。

 もう私の膝ぐらいまでしかないように見える。

 それでも、渡し場には通行止めの(ふだ)が立てられていた。

「どうして渡せないんだよ!」

 昨日の繰り返しのような口論が始まる。

 昨日はいなかった渡し人頭(にんがしら)らしい禿頭の中年の男が言った。

「危険だからだよ。

 このあたりは水が引いてるように見えるが、川の真中あたりは深いんだ」

「……そうなの?」

 隣のエッジさんに問うと、小さくうなずく。

「まあな。

 だが、それこそ川を知りつくしてる渡し人だ。

 深みを避けて渡すことぐらいできるはずだ」

「そうだよね……」

 なのになぜ、渡せないと言うのだろう。

 他に何か理由があるのだろうか。

 少し離れたところから様子を見ていると、旅人と渡し人達の口論はますます激しくなっていく。

「どうしてもってんなら、渡し人一人につき銀貨十枚払ってもらおうか」

「十枚!?

 渡し賃は一人につき一枚だろうが」

 川を渡る輿は通常渡し人四人で担ぐが、子供や荷物は直接肩に担ぐこともある。

 不公平にならないように、渡し賃は渡し人一人につき銀貨一枚と定められていた。

「危険だって言ってんのに無理やり渡せってんなら、それぐらい払うのが筋ってもんだろ」

「……やはりな」

 エッジさんが小さな声でつぶやく。

「何?」

「渡せねえと言い張って、値をつりあげてるんだ」

「あ……」

「他のところならともかく、この川は渡し人に頼るしか渡る方法がねえ。

 あくどいことしやがる」

「……どうしようか……」

 言われる通りに払う気はもちろんないが、だからといって引き返したくもない。

 悩んでいると、ふいに袖を引かれた。

「コディさん。

 ミラを見ませんでしたか?」

「え」

 ザラさんが心配そうに言いながらあたりを見回す。

「ちょっと目を離した隙に、どこかへ行ってしまったんです」

 周りには三十人ほどの大人がいる。

 私の腰ぐらいまでしかないミラちゃんの小さな姿は埋没してしまう。

「探すの手伝います」

「お願いします」

 ザラさんは小さな声でミラちゃんの名を呼びながら、人をかきわけていく。

 私も反対側へ行こうとした時、甲高い声がした。

「どうして、ダメなのっ!?」

 あわてて声のした方を見ると、渡し人頭のすぐ前にミラちゃんがいた。

 顔を赤くして渡し人頭をにらんでいる。

「なんだ、ちび」

「わたしは、むこうにいきたいの!

 おとうさんに、あいにいくの!」

 ミラちゃんの叫びに渡し人頭がせせら笑う。

「だったら金払いな。

 そしたら渡してやるよ」

「おかね、ないもん!」

「なら引っ込んでろ」

「やだ! おとうさんにあいにいくの!」

「うるせえな」

 渡し人頭の目つきが凶悪なものに変わる。

 あわてて人をかきわけて近づく。

 渡し人頭が目配せすると、渡し人の一人がうなずいて、肩にかついでいた木の杖をぶんと振り回した。

 太さはミラちゃんの腕ほどもある。

「おら、邪魔だっ!」

「!」

 人を押しのけて飛び出し、杖とミラちゃんの間に身体を割りこませる。

 ミラちゃんに覆いかぶさるようにして膝を付きながら痛みを覚悟したが、何も起こらなかった。

「……?」

「な、てめ、なんだっ!?」

 おそるおそる顔を上げると、杖を持つ渡し人の腕をエッジさんが掴んでいた。

「ミラっ!」

 ザラさんが走り寄ってきて、ぎゅっとミラちゃんを抱きしめる。

 ミラちゃんは何が起こったのかわからないのか、きょとんとしていた。

 ほっとして身体を起こすと、エッジさんが男の腕を掴んだまま少しだけ振り向く。

「下がってろ」

「……うん」

 硬い声に言われるままに立ち上がって数歩下がり、ザラさんを手招きする。

 ザラさんはとまどいながらもミラちゃんの手を引いて近づいてきて、深々と頭を下げた。

「ミラをかばってくださって、ありがとうございます」

「いえ、それより、危ないからもう少し下がっててください」

「はあ……」

 エッジさんはマントのフードをかぶったままだが、雰囲気がぴりぴりと張りつめていて、怒っているとわかる。

 それを嬉しいと思う反面、かばわれるばかりの自分の弱さが少し悔しい。

「てめ、くそ、離しやがれっ!」

 渡し人が怒鳴ると、エッジさんはその手を離す。

 相手が再び杖を構えるより早く、一瞬で殴り倒した。

 エッジさんは細身だが力は強い。

 しかも最小の力で最大の衝撃を与える方法を知りつくしている。

 エッジさんより一周りは大きい渡し人は、あっけなく倒れた。

 その手から落ちた杖を取り上げたエッジさんは、腕を絡めるように持って構える。

「な、てめえっ!?」

「やっちまえ!」

 殺気立って押しよせてきた渡し人達を一撃ずつで叩きのめしていく。

 エッジさんの棒術は初めて見た。

 おそらくは痛みを与えすぎない為だろう。

 倒れた渡し人達は、呻いてはいるが気絶はしていない。

 あっという間に十人ほどいた渡し人全員を叩きのめしたエッジさんは、呆然としている渡し人頭の喉元にぴたりと棒の先を突きつけた。

「けちな稼ぎ方はやめろ」

 渡し人頭は、顔をひきつらせながらもエッジさんをにらむ。

「て、てめえ、俺達にたてついて、ただですむと思ってんのか!?

 俺達にゃあケント組がついてるんだぞ!!」

 怒鳴り声に、まわりにいた旅人達が騒めく。

 ケント組は、このあたりを仕切っている組織だ。

 どこの地方にもそういう組織がある。

 無法者が好き勝手に暴れているよりも、統率が取れている方が一般人の被害は減るから、警備隊も黙認している。

 だが敵に回すと厄介だから、出来る限り関わらないようにしようと、エッジさんに言われていた。

 エッジさんでも、さすがにそんな組織が相手では大変だろう。

 不安になって見つめると、エッジさんは考えるような間を置いて、なぜか嘲るような声で言った。

「てめえの背後に誰がついてようが、てめえ自身がクズなことには変わりねえ」

「なんだとっ」

「虎の威を借ることしかできねえ狐は、身の程を弁えるんだな」

「て、てめえっ!」

 激昂して飛びかかってきた渡し人頭も、一撃で叩きのめされて転がった。

 だがやはり気絶させるほどではない。

 エッジさんは呻いている渡し人頭の眼前に杖を放り投げ、居丈高に言う。

「俺はそこの宿に泊まってる。

 文句があるなら来い。

 いつでも相手してやる」

 言い捨ててくるりと背を向け、私の方へと歩いてきた。

 まわりの人達が、おびえるように離れていく。

「戻るぞ」

「は、はい」

 気にした様子もなく歩いていく後をあわてて追いかける。

「……どうして?」

 その背に小さな声で問う。

 渡し人達に手加減したのは、この後川を渡してもらう為だとしても、渡し人頭を挑発するような言動は、なぜなのだろう。

 エッジさんは普段あんなことは言わない。

 何か理由があるはずだ。

 エッジさんは前を向いたまま言う。

「あの手の輩の考えることは決まってる」

 それは私にもわかる。

 きっとケント組の者を大勢連れて仕返しに来るだろう。

 もちろんエッジさんが負けるとは思わないが、心配にはなる。

 あえてそれを狙ったようだが、理由がわからない。

 エッジさんはひとりで行動していた時期が長かったからか、口数が少ない。

 聞けば答えてくれるが、全てを説明してくれるわけでもない。

 あの言動にも、説明してくれないことにも、何か意味があるのだろう。


☆☆☆☆☆☆☆


 エッジさんに言われるままに荷物をまとめて、宿の前の石造りの椅子に座る。

 巻きこまれるのを恐れてか、他の客は出てきていない。

 騒動が伝わったのか、他の宿の客もおらず、渡し場は無人だ。

 近くに生えているノギクの花をスケッチしたりして待っていると、昼近くになって渡し人達の集団がやって来た。

 明らかに無法者とわかる男も十人ほど混じっている。

 先頭の渡し人頭の横にいた中年の男は、一人だけ雰囲気が違っていた。

 四十半ばほどで、貫禄はあるものの、身なりはきちんとしている。

 一見まともに見えるが、視線の鋭さがその気配を険しいものにしていた。

 上背があるし厚みのある身体つきだが、使いこんだ剣を帯びているから、剣士のようだ。

 おそらくはケント組の幹部だろう。

 少し離れたところで足を止めて、渡し人頭が勝ち誇ったような笑みを浮かべる。

「逃げずにいるとはいい度胸だ。

 この御方(おかた)はな、ケント組若頭のネルソンさんだ。

 このあたりじゃあ最強の剣士だ。

 てめえの言う『虎』相手に、強がりがどこまで通じるか見ものだな。

 ネルソンさん、あの野郎です。

 やっちまってくだせえ!」

 思わずエッジさんを見ると、静かに立ち上がる。

「おまえはここにいろ」

「……うん」

 エッジさんは宿の前の短い階段を下りながら、マントのフードをおろす。

「!?」

 その途端、ネルソンと呼ばれた男が顔色を変えた。

「久しぶりだな」

 エッジさんの静かな声に、ネルソンははっと我に返るなり、剣帯(けんたい)を外した。

 剣ごとその場に落として片膝を付き、立てた膝に両手を重ねて深く頭を下げる。

 剣士としての最高礼だ。

「【灰色】の旦那、御無沙汰しておりやすっ!」

 明らかに上位の者に対する挨拶に、その背後の男達が騒めく。

「ネ、ネルソンさん、なんで」

 ネルソンはわずかに顔を上げ、渡し人頭をにらみつける。

「この御方は、姫の命の恩人だ。

 どんなことでも便宜をはかってさしあげろと、頭領からご命令が出ている」

「なっ……!?」

 言葉と顔色を失った渡し人頭からエッジさんに視線を戻し、ネルソンは再び深々と頭を下げた。

「こいつらがご迷惑をおかけしたようで、誠に申し訳ありやせん」

 エッジさんは再びフードをかぶりながら言う。

「そいつらは、川を渡せねえと言い張って旅人を足止めしたうえに、高い渡し賃をふっかけやがった。

 おかげで無駄な金と時間を使わされた」   

「申し訳ありやせん。

 責任持って弁償させていただきやす」

「俺だけじゃねえ。他の客もだ」

「わかっておりやす。

 今この渡し場の宿にいらっしゃる方々全員にお詫びをさせていただきやす。

 もちろん渡し賃もいただきやせん。

 こいつらは、後できっちり躾け直しておきやす」

「……ああ」

 エッジさんが小さくうなずくと、ネルソンはほっとしたように息をついて、頭を下げた。


☆☆☆☆☆☆☆


 渡し場に、渡し人達の威勢のいい掛け声が響く。

 旅人達が順番に輿に乗り、川を渡っていく。

 宿の前の石造りの椅子にエッジさんと並んで座り、その様子を見守る。

 渡し場の手前にネルソンがいて、並んでいる旅人ひとりひとりに自ら小さな包みを手渡して、頭を下げていた。

 旅人達は驚きとまどいつつ受け取っている。

 やがて渡し場から旅人がいなくなると、ネルソンは私達の方にやってきて、エッジさんに深く頭を下げた。

「ご迷惑おかけして、本当に申し訳ありやせんでした」

「……もう少し下の者に目を向けとけよ」

「へい。おっしゃるとおりにいたしやす。

 これはささやかながら、詫びの品です。

 どうぞお納めください」

 エッジさんは恭しく差し出されたものを受け取り、そのまま服のポケットにつっこんだ。

「こちらは、【灰色】の旦那のお連れさんですか?」

 視線を向けられて、小さくうなずく。

「ご迷惑をおかけして申し訳ございやせんでした」

「いえ……」

「どうぞお納めください」

 差し出されたのは、エッジさんと同じもののようだった。 

 エッジさんに視線を向けると小さくうなずかれたから、おそるおそる受け取る。

「ありがとうございます……」

「いえいえ。

 あの、よろしければ(やかた)にお寄りくださいやせんか。

 頭領も姫も、会いたがってらしたんで。

 歓迎させていただきやすよ」

「気が向いたらな」

 エッジさんのそっけない返答に、ネルソンは怒るでもなくうなずく。

「ありがとうごぜえやす。

 いつでもお越しくだせえ。

 では、失礼いたしやす」

 丁重に頭を下げて去っていく姿を見送って、渡された小さな紙包みを開いてみると、中には金貨が一枚入っていた。

「え」

 驚いてエッジさんを見る。

「あの……」

 エッジさんはちらりと私の手の中に視線を向ける。

「もらっとけ」

「うん……」

 金貨一枚は銀貨百枚に相当する。

 足止めされた間の出費を補って余りある。

 何もしていない私がもらってもいいものなのか悩んだが、エッジさんがいいと言うのだから、いいのだろう。

 同じものを全員に配っていたようだから、少なくともミラちゃん母娘には助けになったはずだ。

 ミラちゃんとザラさんは、最初に渡っていった。

 今頃はもう父親に会えただろうか。

 最後に挨拶に来たミラちゃんの笑顔を思い出しながら紙包みを閉じようとして、金貨の下に何かあるのに気づいた。

 それは木の(ふだ)で、表に『この札を所持する者の渡し賃を無用とする』と書いてあり、裏にはケント組の名と家紋らしきものが入っていた。

 つまりこの札があれば、何回川を渡っても無料だということだ。

「すごい……」

 これだけのものをすぐ用意できるほどの権力と財力を兼ね備えたほどの組織の幹部が、エッジさんに礼を尽くしていた。

 『姫の恩人』とか言っていたが、いったい何があったのだろう。

 聞きたかったが、なんとなく聞きづらくて、それでもやはり気になって、ちらちらと視線を向けていると、エッジさんが苦笑する。

「……二年ほど前にこのあたりを通った時に、十五ぐらいの女の護衛を頼まれた。

 遊びに来ていた祖父母宅から自宅に戻る途中だが、最近このあたりは物騒だと聞いたから、念の為護衛を増やしたい、と。

 引き受けた時点では知らなかったが、それが、ケント組の頭領の娘だった。

 よその組と揉めてたらしく、隣町まで送るだけのはずが、やたらと狙われた。

 何人か護衛が付いてたが、自宅に着いた時には俺と娘だけだった」

 組同士の争いなら、相手も必死だっただろう。

 護衛に選ばれた手練れでも脱落するほどだったなら、おそらくエッジさんでなければ生き残れないほどの修羅場だったはずだ。

「金で雇われて仕事をしただけだが、えらく感謝されて、宴会開いてもてなされて、『婿に入ってくれ』と頭領に頭を下げられた。

 組同士の争いの駒になる気はなかったから、断ってさっさと旅立った。

 俺をおぼえてる奴が来るとは限らねえから、黙ってて悪かった」

「あ、ううん……」

 もしエッジさんを知らない相手が来たら、先程と同様に叩きのめして、従えるつもりだったのだろう。

「…………」

 そのお嬢さんには、エッジさんが自分を守ってくれる騎士のように見えただろう。

 婿に入ってほしいというのは、彼女の希望だったのかもしれない。

 もしかしたら今も、待っているのだろうか。

 そう思った途端に胸が苦しくなって、胸元を押さえてうつむく。

「……どうした?」

「……なんでも、ない……」

 エッジさんは何年も護衛や道案内の仕事をしていたから、私以外にも守ってもらった女性はたくさんいるはずだ。

 それだけのことが、どうしてこんなに不安になるのだろう。

「…………」

 エッジさんは身体を寄せて、そっと手を握ってくれた。

「仕事抜きで守りたいのは、一緒にいたいのは、おまえだけだ」

 耳元で囁かれて、かあっと顔が熱くなる。

 不安を見抜かれたことが、恥ずかしいと同時に嬉しい。

 ぎゅっと手を握り返した。

「……私も、一緒にいたいのは、エッジさんだけだよ」

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