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ダリア~感謝~ 2

 ゆっくりと立ち上がり、しばらく進んだところで、数歩先の木立の陰に人影が見えた。

 気配に気づかなかったことに内心動揺しながらも、反射的に剣に手を伸ばす。

「遅い」

 そっけない声に緊張を解いた。

「……気配消して隠れるな」

 木陰から現れたアトリーは、じろりと俺をにらむ。

「待ちくたびれたぞ。もっと早く来い」

 なぜ、と思ったが、今日はあの人の命日だ。

 王都に戻ったことはまだ連絡していなかったが、俺が来ると予測して待っていたのだろう。

「毎年人を使って花を供えるぐらいなら、自分で持って来い。

 バカ者め」

「……知ってたのか」

「当たり前だ」

 前回会った時は、コディを死なせかけたことへの罪悪感もあって用件のみで会話を済ませたから意識しなかったが、その居丈高な口調は昔のままだ。 

 団長になって少しは丸くなったようだが、気を許した相手への乱雑さは変わらないらしい。

 そう思って内心苦笑する。

 にらまれるのが親密さの証というのも不思議なものだ。

「コディは、どうした」

「宿で待たせてる」

「まだしばらくは王都にいるのか」

「ああ」

「だったら、一度ぐらいは顔を見せろと言っておけ」

「ああ、……?」

 うなずいた時、感じた気配に眉をひそめる。

 とっさにアトリーの腕を引いて木立の陰に隠れた。

「何……」

「黙ってろ」

 近づいてくる気配は間違いないもので、思わず舌打ちする。

「宿を出るなとあれだけ言っといたのに」

「……おまえ、過保護すぎだぞ」

 呆れたような声を無視して考えても、コディがここに来た理由がわからない。

 俺を追ってきたわけではないはずだ。

 宿を出てくる時に行き先は言わなかったし、ついてきていたならすぐわかる。

 アトリーと違って、コディは気配を隠すことなどできない。

 もしかしたら、ここに知り合いが眠っているのだろうか。

 だが墓参りをしたいなら、俺の言いつけを破ってまで一人で来るはずがない。

 いくら考えてもわからず、姿を隠したまま様子をうかがう。

 コディはきょろきょろとあたりを見回しながら進んできて、あの人の墓の前で足を止めた。

 手にしていた白い大輪の花の花束を墓石の上に置き、その前に両膝をつく。

「はじめまして。

 私は、コディといいます。

 エッジさんと一緒に旅をしています。

 私は、エッジさんが好きです。

 エッジさんも、私を好きだと言ってくれます。

 この先どうなるかはわからないけど、出来ることならずっと一緒にいたいです」

 柔らかな笑みで言って、ふと考えこむ表情になる。

「……私は、名も家も捨てましたが、貴族の生まれです。

 だから、貴族がどれだけ血筋を重んじるか知ってます。

 貴族でも、ましてこの国の人間でもないエッジさんを養子にするのは、大変だったと思います。

 それでもあなたがそうしたのは、本当にエッジさんを愛していたからですよね」

 確かに、あの人は父親や家督を継いだ兄と折り合いが悪く、若い頃に家を出て母方の家名を名乗っていたとはいえ、出自は建国の頃から続く名門貴族だ。

 俺のせいでよけいな苦労をさせてしまった。

 それでも関係ないと、笑ってくれる人だった。

「エッジさんは、あんまり話してくれないけど、すごく苦労して、つらい想いをしたはずなのに、すごく優しいです。

 優しくて、心の強い人です」

 アトリーがからかうような視線を向けてくる。

 俺を『優しい』と言うのは、コディだけだ。

「きっと、あなたに似たんだと思います。

 私は、今はエッジさんに守られてばかりだけど、いつかは、エッジさんみたいに、そして、あなたみたいに、心の強い人間になって、エッジさんを守りたいです」

 しばらく間をおいて、コディはくすりと笑う。

「私は、あなたに会ったことはないけど、エッジさんが話してくれたから、少しは知ってます。

 それに、姪にあたるアトリー団長にも、以前お世話になったんです。

 エッジさんの話では、あなたとアトリー団長は、あまり似てらっしゃらなかったそうですね。

 あなたは、陽気で揉め事好きで、騒がしい人だったって」

 アトリーににらまれて、軽く肩をすくめる。

 本当のことだ。

「剣の師としては厳しかったけど、養父としては楽しい人で、酒の飲み比べをしたり、一晩中賭札をしたりで、おかげで酒や賭事に強くなったって。

 ……あれ。何を言いたかったのか、わかんなくなってきちゃいました」

 苦笑したコディは、すぐに真面目な表情になって、じっと墓石を見つめる。

「……私がエッジさんと出会えたのは、あなたのおかげです。

 あなたがエッジさんを助けてくれたおかげです。

 ありがとうございました」

 深く頭を下げ、手を胸の前で組んで、祈りを捧げる。

 かなり長い間そうしていて、ようやく立ち上がり、軽く膝を払った。

「また来ます。

 今日は黙って来ちゃったけど、今度は出来ればエッジさんと一緒に来ますね。

 失礼します」

 最後に騎士の礼をして、コディは歩いていく。

 遠ざかる背中を見つめて、ちらりと隣を見る。

「おまえ、この後なんか用事あるか」

「……いや」

「おまえんち、あいつでも飲めるような果実酒あるか?」

 アトリーは俺と同じようにコディの背を見つめ、わずかに苦笑する。

「用意させる」

「頼む」

 苦笑をかわして木立の陰から出た。

「コディ」

「!?」

 声をかけると、コディはびくりとして振り向き、驚いたように俺とアトリーを見る。

「……どう、して……?」

「それはこっちのせりふだ。

 宿から出るなと言っただろう」

 コディがあの人の墓参りをしてくれたことは嬉しいが、それとこれとは話が別だ。

 厳しい口調を作って言うと、コディはしゅんとうなだれた。

「ごめんなさい、でもあの、どうしても一人で来たくて……」

「そもそも、なんでここに墓があると知ってたんだ」

「あ、それは、昨年のこの時期に、アトリー団長が不在の折に騒動が起きて、先輩が『東墓地に叔父上の墓参りに行かれているはずだから、至急使いをやって戻って来ていただけ』と言っていたのを思い出し、て……」

 不自然に言葉を途切れさせたコディは、おどおどと俺達を見比べる。

「…………もしかして、さっき私が言ってたこと、聞こえてました……?」

「……ああ。

 盗み聞きする気はなかったんだが……悪かった」

「……っ」

 コディはさっと青ざめて、それを隠すように頬を押さえてうつむいた。

「すみません……」

「謝るのは俺の方だろ」

「いえ……あの……すみません……」

 視線がちらちらとアトリーに向けられる。

 どうやらアトリーとあの人が似てないと言ったことを気にしているらしい。

 アトリーは小さく息をつく。

「こんなところで立ち話をすることもないだろう。

 来い」


☆☆☆☆☆☆☆


 アトリーが待たせていた馬車に同乗し、連れていかれたのは、十一年前と同じ王宮の近くにある屋敷だった。

 出自と地位からすればかなり小さいが、調度品などはアトリーらしい簡素だが使いやすそうなものだ。

 応接室に通された俺達の前に、使用人がてきぱきと酒宴の支度をしていく。

「アトリー団長、怒ってらっしゃるでしょうか……」

 ソファに並んで座っていたコディの不安そうな声に苦笑する。

 墓地での件をまだ気にしているようだ。

「あいつはそんなに度量狭くねえよ」

「ですが……アトリー団長は本当に叔父上を尊敬してらっしゃいますから……」

 だから、『似てない』と言ったことで気を悪くしていないか心配なのだろう。

「おまえにそう教えたのは俺だ。

 もしあいつがおまえに怒るなら、俺も一緒に怒られるさ」

 安心させるように手を握ると、コディはようやくかすかな笑みを浮かべる。

「……ありがとうございます」

「待たせたな」

 部屋着に着替えて部屋に入ってきたアトリーは、手を握ったままの俺達を見てわずかに眉をひそめたが、結局何も言わず、向かいのソファに座った。

「……あの、すみません、さっきは」

 コディの言葉を軽く手を上げて制する。

「気にするな。本当のことだ」

「え」

「私は叔父上を尊敬しているが、盲目的に崇拝しているわけではない。

 近衛騎士としては奔放すぎたこともわかっている。

 それでも……いや、だからこそ、尊敬している」

 そう言うアトリーの表情は柔らかで、コディはほっとしたように笑った。

「……ありがとうございます。

 あ、あの、王宮に戻らなくてよろしいんですか?」

「ああ。今日は一日休みを取ったからな」

「一日お休みを取られるなんて珍しいですね」

 無邪気な言葉に、アトリーはほんのわずか苦笑する。

「たまにはな」

 あの人の命日だから、だろう。

 今年に限っては、俺を待ち伏せして文句を言う為だったからかもしれないが。

「適当に用意させたから、食べてくれ。

 コディ。相変わらず酒には弱いのか?」

 アトリーのかすかに笑い含みの問いかけに、コディは赤くなってうなずく。

「はい……。

 エッジさんやアトリー団長みたいにはなかなか……」

「君はもう近衛騎士団員ではない。

 『団長』と呼ぶ必要はない」

「え……でも……」

 とまどったような視線にうなずいてやると、コディはおそるおそる言う。

「あの……アトリー、さん、は、昔からお酒強かったんですか?」

「まあな」

 家系なのか、アトリーもあの人同様酒に強い。

 出会った当初から何度も飲み比べを挑まれたが、いつも決着がつかないまま朝になってしまって引き分けだった。

「おまえは体質だからしょうがねえよ。

 無理して飲む必要はねえ」

「……はい」

「軽めの酒を用意させた。

 君でも大丈夫だろう」

 テーブルの上に並べられた酒瓶は、アトリーの好みに合わせて強いものばかりだった。

 唯一混じっている果実酒の瓶を取り上げて、ごく薄く作った湯割りを渡してやると、コディははにかんだように笑って受け取る。

「ありがとうございます」

 俺とアトリーは強い酒をそのまま杯にそそぎ、軽くかかげて口をつけた。

 やはり酒場の酒よりも格段にうまい。


 飲む合間に肴や軽食をつまみながら、アトリーに乞われるままに最近行った地方の様子を話す。

「崖崩れか。最近多いな」

「雨が続くとどうしてもな」

「復旧に時間がかかりそうな状況なら、早馬で知らせろ。

 街道が途切れると、王都にも影響が出る。

 他国や、国政に関わりそうな貴族の動向も、気づいたら知らせてくれ」

「……おまえは白百合騎士団だろうが」

 団長とはいえ、王女専属の騎士が国政に絡むことはないはずだ。

「白百合騎士団だから、だ。

 国政が乱れると、王女殿下の身辺が危険になる。

 我が国では女性でも王位を継げるから、王太子殿下を排除して王女殿下を傀儡の王に仕立て上げようとした者どもがいて、それを防ごうとした王太子派貴族が王女殿下を暗殺しようとしたことがある。

 周辺国の力関係が変わると、婚約者選定に横やりが入る可能性もある。

 得た情報を使うかどうかは私が判断するから、気になることがあれば知らせてくれ」

 言葉を切ったアトリーは、ふと懐かしむような表情になる。

「『情報は常に最新のものを複数集めて、その中から事実を見つけだせ』。

 平騎士の時はわからなかったが、団長になってから、叔父上のその教えを何度も思い出すようになった。

 おかげで、王太子殿下が王女殿下をかわいがっていると知っているはずの王太子派貴族が、王女殿下のお命を狙う理由を推測できた。

 叔父上が金獅子騎士団の副団長を務めていた当時の団長は、実直だが融通のきかない人物だったから、叔父上がそういう方面を補佐していたのだろう。

 ……時が経つほどに、叔父上の偉大さを実感する。

 私はいまだに遠く及ばない。

 剣の腕だけでなく、情報の集め方も、人間関係の構築も、優れた人だった」

「……そうだな」

 旅の途中、街道や宿を選ぶ際は常に複数の情報を集めて検討する。

 意識していなかったが、それも、あの人の教えだった。

 酔っぱらい同士で意味のない会話をしているようにしか見えなかったのに、いつの間にか有用な情報を得ていたあの人は、騎士ではなく諜報員でもやっていけそうなほど、情報の扱いが上手だった。

「……顔見知りの傭兵からしばらく前に聞いたんだが、リバーランドの動きが怪しいらしい」

 旅の間に得た情報で、アトリーが使えそうなものをぽつぽつと語る。

 ふと重みを感じて目をやると、コディが肩にもたれかかっていた。

 顔をのぞきこむとかなり赤く、目を閉じている。

 手の中の杯はからだ。

 ごく薄く作ったとはいえ、三杯目だから限界だろう。

「眠いか?」

「……ううん……」

 コディは間延びした動きで首を横に振る。

 落としそうになった杯を取り上げて、テーブルに置く。

「アトリー、こいつ寝かせてやってくれ」

「ああ。部屋は用意させてある」

「ん」

 うなずいて抱き上げようとしたが、コディはなぜかいやがって俺の首に腕をからめて抱きついてくる。

「やだ……」

「どうした?」

「いっしょに、いる……」

 コディはアトリーをちらりと見て、抱きつく力を強くする。

「…………」

 酔っている時のコディは、ひどく俺に甘えたがる。

 なのに俺がアトリーとばかり話していたのが寂しかったようだ。

「……みっともない顔をするな」

 アトリーが呆れたように言う。

「……すまん」

 幼い嫉妬が嬉しくて自然と緩んでしまった口元をひきしめて、優しい声を作って囁く。

「一緒にいるから、そばにいるから、眠れ」

 コディはわずかに顔を上げて俺を見る。

「ほんと……?」

「ああ」

 うなずいて、触れるだけのキスをする。

 向かいからの突き刺すような視線は無視した。

「うん……」

 嬉しそうに笑ったコディは、俺の肩に頬を寄せて目を閉じる。

 ソファにそっと横たえて腿に頭を乗せ、脱いだ上着を身体にかけた。


「……おまえ、変わったな」

「そうか?」

「ああ。ずいぶんと甘くなったものだ」

「こいつにだけはな」

「……本気で惚れているのか」

 呆れと探りが混じっているまなざしに、眠るコディの頭を撫でながら答える。

「こいつに勧められて、おまえに会いに来る気になるぐらいにはな」

「惚気るな」

「おまえが聞いたんだろうが」

 アトリーはため息をつきながら酒瓶を取り上げ、俺の杯にそそぐ。

「都に定住する気はないのか。

 おまえの腕前なら、警備隊でもなんでも仕事はあるだろう」

「俺はこいつに付いていってるだけだ。

 こいつが定住するなら定住するさ」

「いつまでも旅などしてられんぞ」

「わーってる。

 だが、こいつの望みだからな」

 コディが望むなら、どこにだってついていく。

 この先いつまで戦えるかはわからないが、それでも命が続く限りはコディのそばにいて、守るつもりだ。

 ただ、年齢だけで考えても、俺の方が先に逝く可能性は高い。

 その時コディがおちこまないかが、気がかりだった。

「……俺が死んだら、こいつを頼む」

 アトリーは軽く片眉を上げ、じろりと俺をにらんだ。

「縁起の悪いことを言うな」

「可能性はいつでも考えとかねえとな」

「…………」

「頼む」

「知るか」

 アトリーはそっけなく言って杯をあおる。

「アトリー」

「私は知らん。

 そんなにそいつが大事なら、死んだ後の心配をするより、生きる為に努力しろ。

 ……叔父上も、そう言っただろう」

 静かな声に目を見開く。

「なんで、知って……」

 アトリーは強いまなざしで俺を見返す。

「考えればわかることだ。

 叔父上がおまえを追い、しばらくしておまえから叔父上の遺髪が送られてきた。

 叔父上が死んだのに、叔父上より弱いおまえが生き残っているということは、叔父上がおまえをかばって死んだからとしか思えない。

 ならば、叔父上はおまえに『生きろ』と言ったはずだ。

 だからこそおまえは、生き続けてきたのだろう」

「…………ああ」

「だったら、これからも生きる努力をすることだ。

 コディの為にな」

「……ああ。そうだな……」

 かすかに笑って、アトリーの杯に酒をそそぐ。

「……ナリー」

 十数年ぶりに呼んだ愛称に、ぴくりとその眉が上がる。

「似てねえと思ってたが、おまえ、やっぱりあの人に似てるな」

 冷たいようでいて、情の深い人だった。

「当たり前だ。

 エドと違って、私は血のつながった姪なのだからな」

 出会った頃と同じように言って、ナリーは俺の杯に酒をそそぐ。

 二人して杯をかかげた。

「私達に、剣と酒と生きる(すべ)を教えてくれた叔父上に」

「陽気で揉め事が好きで、そのくせ面倒見がよくて人情厚い、父さんに」


「乾杯」


 かつんと音を立てて杯を合わせ、一気に飲み干した。

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