ダリア~感謝~ 1
エッジ視点です。
王都まで後数日のところまで戻って来たあたりで、雨に降られて足止めされた。
幸い降り出す直前に休憩所に逃げ込めたから良かったが、昼過ぎから降り出した雨は、翌日の朝になってもまだ降り続いていた。
小雨程度ならマントが防いでくれるが、本降りだと染みこんでくるし、足元の跳ね返りでも濡れてしまう。
季節はもう初夏とはいえ、濡れた服は徐々に体温を奪っていくし、身体に貼りついて動きを制限する。
俺は慣れているが、コディにはつらいだろうから、雨が止むまで待つ方がいいだろう。
「急ぐ旅でもねえし、今日はここで過ごそう」
「そうですね。
でも、暇ですね……」
この休憩所には俺達しかいない。
気を使わないですむが、出来ることは限られている。
「剣の稽古でもするか?」
思いついたことを言うと、コディはぱっと顔を輝かせてうなずく。
「はい! お願いします」
「ああ」
荷物を壁際に片づけ、焚火も消して、中央に向かい合って立って剣を抜く。
休憩所の内部は、大人の男が二人並んで両手を広げたぐらいの幅がある。
動きまわらなければ剣の稽古には充分だ。
「左利きの奴とやったことはあるか?」
「あまりないです」
「なら、今日はそれだな」
たいていの剣士は両手で柄を握っているが、利き手が違うと構える位置が違うから、間合いが掴みにくい。
剣を左手に持ち、意識を左手中心に切り替える。
「始めるぞ」
「はい。お願いします」
ゆっくりと剣を繰り出すと、コディは構えた剣で受けとめながら右に流す。
「切っ先だけじゃなく相手の手や足の動きにも注意しろ」
「はい」
「受け流す時は手首をひねりすぎないようにしろ」
「はいっ」
時折注意を挟みながら続けていくと、だんだんコディの息が上がっていく。
限界を超えても動ける訓練も必要だが、今はそこまでしなくていいだろう。
「休憩だ」
「は、い。
ありがとうございました……」
剣をおさめ、きちんと礼をしたコディは、肩で息をしながらその場にぺたりと座り込み、額の汗を袖で拭う。
水筒を渡してやると、一気に半分ほど飲み、大きく息を吐いた。
「ありがとう。
……エッジさんは、息が乱れてないし、汗もかいてないですね。
すごいなあ……」
素直な称賛のまなざしがくすぐったい。
「男と女では、腕力だけじゃなく体力も違うからな。
おまえは、女にしては動けてる方だぞ」
俺が知る中で一番強い女はアトリーだが、コディはそのアトリーに鍛えられていただけあって、剣技も身体の動かし方も筋がいい。
細剣の使い方にもだいぶ慣れてきたし、命を奪うことへの心理的抵抗も乗り越えられたようで、剣筋に迷いがなくなった。
旅をしながら歩き続けることで体力も増えてきているし、このまま鍛えていけば、アトリーに匹敵するぐらいには強くなれるだろう。
「そうですか? 嬉しいです」
はにかむように笑ったコディは、ふと首をかしげて俺を見た。
「エッジさんて、元から両利きなんですか?」
「いや、右利きだ。
……養父に仕込まれたんだ。
たとえどんな状況でも戦えるようにってな」
「あ……、ごめんなさい」
コディはうつむいて小さな声で言う。
以前養父の最期について話したことを思い出したのだろう。
隣に座り、軽くその頭を撫でた。
「謝らなくていい。
あの人のことを思い出しても、今はたいしてつらくねえんだ。
おまえのおかげだ」
「……私は、何もしてません」
「おまえがそばにいてくれるから、独りじゃねえから、つらくねえんだ」
少しだけ顔を上げたコディは、じっと俺を見つめてくる。
嘘でも慰めでもないとわかってくれたのか、そっともたれかかってきた身体を、柔らかく抱きしめた。
しばらく肩を撫でていると、コディがためらいがちに言う。
「お養父さまのこと、聞いても、いいですか?」
「ああ。なんだ?」
「アトリー団長の叔父上だそうですが、似てらっしゃるんですか?」
「いや、全然似てねえな。
最初は血縁だと信じられなかったぐらいだ」
「え……」
「あの人は、陽気で悪ふざけが好きで、揉め事に首つっこんではひっかきまわして騒ぎを大きくして楽しんでた」
アトリーは真面目な堅物だから、印象は正反対だ。
「……なんか、すごい人ですね……」
想像がつかなかったのか、コディはとまどうように視線をさまよわせる。
「でも、元は近衛騎士で、国王陛下専属の金獅子騎士団の副団長だったんですよね?」
「そうだ。
それも最初は信じてなかったけどな。
あんなに不真面目な人が、騎士になんてなれるはずねえと思ってた」
「はあ……」
「だが、人情厚くて面倒見のいい人だった。
行き倒れてた俺を拾って、剣を教えてくれた。
酒や賭事を教えてくれたのもあの人だ。
俺はどっちも知らなかったから、面白がって一晩中つきあわされたりした。
おかげで強くなったが、最初の頃はしょっちゅう飲みつぶされてたな」
「私からしたら、エッジさんは信じられないぐらいお酒強いのに、そんな時期もあったんですね」
どこか嬉しそうに言われて、苦笑する。
「当時は、今のおまえより若かったしな。
酒だけじゃなく、あの人は剣も強かった。
近衛騎士だったのに戦い方はやけに実戦的で、剣で戦いながら手も足も隠し武器も使った。
俺を拾ってくれた頃は、流れの剣士みたいなことをやってたが、どんな奴が相手でもいつでも容赦なかった。
そのくせ殺さねえんだ。
『殺しちまったらもったいねえだろ』と言ってた」
「『もったいない』、ですか……」
何がどうもったいないのかは、俺もよくわからないままだ。
「愛用してたのは長剣だったが、隠し武器をあちこちに持ってた。
あの人が手入れしてる時に数えてみたら、ナイフが十五本あった。
なのに、どこに隠してるのか全然わかんねえんだ」
「エッジさんと一緒ですね」
「そうだな。
……隠し武器も、両手使いも、あの人の教えだ。
たとえどんな状況でも、剣が折れても利き手が使えなくなっても、戦えるようになれと言われた。
『自分が生き残る為に、そして大切な者を守る為に、強くなれ』っていうのがあの人の口癖だった」
「……?」
コディは不思議そうな表情で首をかしげていたが、しばらくしてふいに笑みを浮かべる。
「そっか……」
「……どうした?」
「同じようなこと、アトリー団長が何度も言ってたんです。
『己が生き残る為に、そして大切な者を守り抜く為に、強くなれ』って。
私の家庭教師だった女性は、元は王妃様専属の赤薔薇騎士団の騎士だったんですけど、その人は『騎士は主の為に戦って死ぬのが最高の誉だ』っていう考えだったから、アトリー団長に最初にそう言われた時は、びっくりしました」
「……あいつも、おぼえてたのか」
アトリーが最初に剣を教わったのはあの人だから、同じことを言われているのは当然かもしれないが、今もその教えを守っているというのは、嬉しかった。
☆☆☆☆☆☆☆
雨は夕方には上がったが、地面がぬかるんでいるから、出発は翌朝に延期した。
俺にもたれて眠るコディを見守っていて、ふと気づく。
一昨日訪れた村で聞いた日付から数えてみると、やはりあの人の命日が近かった。
「……もうすぐ、十一年か」
王都を追放された後、養父は俺を追ってきた。
アトリーと同じように、魔法者だということを隠していたのを責められるかと思ったが、逆に謝られた。
『気づいてやれなくて悪かった』『無理に近衛騎士への入団を勧めて悪かった』と、何度も謝られて、せつないような泣きたいような気分になった。
魔法の種類を聞かれたが、軽蔑されるのが怖くて言えなかった。
あの人は、『いつか教えてもいいと思えたら教えてくれ』と笑ってくれた。
それからしばらく一緒に旅をしていたが、とある山の中で盗賊の襲撃を受けた。
剣技を仕込まれてはいたが、人を殺したことはまだなかった。
始めから殺す気で襲ってくる盗賊の気迫に飲まれてやられそうになった時、俺をかばって、あの人は死んだ。
『生きのびる為の技はすべて教えた。だからおまえは生きろ』と言い残して、かすかに笑って目を閉じた。
魔法を使えば、助けられたかもしれない。
だが、たとえ周りを盗賊に囲まれていなかったとしても、生まれて初めて大切だと思った人に、憎いだけの力を使うことはできなかった。
あの人を、穢したくなかった。
それでも、自分のせいで大切な人を死なせたという自責の念が、心の深いところの何かを壊して、ためらうことなく盗賊を皆殺しにした。
過去の出来事のせいで、触れることにも触れられることにも嫌悪感があった。
あの人は敏感にそれを察して、適度な距離を保ってくれていた。
初めて触れた身体は、冷たかった。
それから数年、傭兵として暮らした。
憎しみにとりつかれて、ひたすら殺し続けた。
だが一番憎かったのは、殺したかったのは、自分自身だった。
それでも死ぬことはできなかった。
最初からずっとあの人を裏切っていた。
『おまえは生きろ』という最期の言葉まで裏切りたくなかった。
数年経って、殺すことにすら飽きて、傭兵を辞めて流れの剣士になった。
あちこちを放浪して、金がなくなったら護衛や道案内の仕事をして、酒に溺れて生きていた。
他の魔法者に出会うこともあったが、忌まわしい力への恨みが蘇り、馴れ合う気にはなれなかった。
生きているのではなく、死んでないだけの無為な時間を過ごした果てに、コディに出会った。
初めて見た時は、十八とはとても思えない幼さで、今はこんな子供でも近衛騎士になれるのかと、内心嘲笑にも似た思いがあった。
だが少し話をして、見方が変わった。
俺は周囲に勧められたから騎士になっただけだったが、コディは、騎士であることに誇りと覚悟を持っていた。
純粋でまっすぐなまなざしは、俺にはない強さだった。
アトリーが目をかけていただけあって腕は立つのに、妙に世間知らずで子供っぽいところもあって、なのにそれが気にならない。
何より不思議だったのは、その気配だ。
穏やかで優しく、そばにいるとおちついた。
他人に近寄られると眠っていてもすぐ目が覚めたのに、コディだけは平気だった。
むしろコディがそばにいると、今までなかったほどに深い眠りに落ちた。
最初はとまどったが、共に旅をしているうちに、そばにいるのが当然のことのように思えてきた。
常にささくれだっていた心が鎮まっていった。
あの人が俺を拾って面倒見てくれた頃は、こんな心境だったのかもしれないと思った。
だがコディは近衛騎士で、俺は王都を出る時に近衛騎士を数人半殺しにしたお尋ね者だ。
道案内の仕事が終わった後でも続く縁を望むことはできなかった。
コディの為にも縁を切るべきだと、わかっていた。
せめてコディを守りきって何事もなく旅を終わらせるのが、俺にできる唯一のことだと思った。
なのに、旅の最後の夜、ならず者の襲撃を受けた。
毒矢で死にかけているコディを、救いたいと思った。
たとえそのことで恨まれ殺されたとしても、あの人の時のように、救えなかった自分を憎んでこの先の一生を過ごすよりはマシだ。
初めて自分の意志で魔法を使った。
恨んだことしかなかった力が自分にあったことを感謝した。
目覚めたコディは、俺を怒りも責めもせず、逆に謝った。
『力を使わせて申し訳ない』『つらい話をさせて申し訳ない』と、何度も謝った。
まるで、王都を出た俺を追ってきた時のあの人のように。
その優しさを守りたくて、無理やり護衛を申し出た。
今度こそ守るつもりだったのに、俺の過去の因縁のせいでまた死なせかけて、やはり俺が関わってはいけないのだと思った。
俺を受け入れてくれた人は不幸になる。
あの人のようにコディを喪うことは耐えられなかった。
だから離れようとした。
だがコディは、俺と一緒にいたいと、俺を好きだと言った。
その時になってやっと、コディに対する執着が『好き』という気持ちなのだと理解した。
俺でも誰かを愛することができると教えてくれたのは、コディだ。
触れることの、触れられることの幸せを教えてくれたのも、コディだ。
コディが俺を変えてくれた。
今なら、言える気がした。
☆☆☆☆☆☆☆
王都にたどり着き、宿を取る。
コディの知り合いの植物学者に、旅の間に見かけた植物について情報提供することになり、しばらく滞在することになった。
あの人の命日の昼すぎ、コディに宿から決して出ないよう念押しして、一人で宿を出た。
王都の外れにある広大な墓地は、きちんと手入れされているせいか暗い雰囲気はなかった。
あちこちに植えられた木の緑が鮮やかで、遠目では庭園のようだ。
ゆっくりと歩道を進み、奥まった一角で足を止める。
あの人の遺体を埋葬した後、遺髪と日付を書いた紙だけをアトリーの屋敷に送った。
俺の名前もあの人の名前も記さなかったが、アトリーには、わかるだろうと思った。
その後人を雇って調べると、ここに墓が作られていた。
毎年人を雇って命日に花を供えていたが、自分で訪れるのは初めてだ。
墓石は横に細長い黒い石で、名前と生没年が彫りこまれているだけのごく簡素なものだったが、あの人にはよく似合っているように思えた。
アトリーの手配だろう。
墓地の入口で買った小さな花束をそっと置く。
しばらく墓石を見つめ、その前にゆっくりと膝をついた。
行き倒れていた俺を拾い、様々なことを教え、養子にし、居場所を与えてくれた人。
実の親の顔すら知らない俺は、父親というものがよくわからなかった。
だからあの人のことも、そう呼んだことはなかった。
あの人はそれを咎めず、『いつか呼んでくれよ』と笑っていた。
その『いつか』が来る前に、あの人は俺をかばって死んだ。
最後の最期まで呼べなかったその言葉を、そっと口にする。
「ありがとう……父さん」
嬉しそうな笑みが、見えた気がした。




