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ミズバショウ~思い出~

短いエピソードの詰め合わせです。

すべてエッジ視点です。

全体的に甘めです。

 コディは素直な性格だから、俺の注意はたいていちゃんと守る。

 だが植物に関する時だけは別だ。

 熱中しだすと他の事を忘れてしまう。

 普段は好ましいと思うそのまっすぐさも、時と場合によっては困りものだ。


「コディ。それ以上身を乗り出すと落ちるぞ。

 もう少し下がれ」

「はい」

 コディは答えながらも、ますます身を乗り出す。

 植物のスケッチに夢中になっていて、足場がもろい崖だということを完全に忘れているようだ。

 小さく息をついて近づく。

「わ……っ」

 前のめりに落ちそうになった身体を、腰を抱えるようにして引き寄せた。

「下がれと言っただろうが」

「ごめんなさい……」

 素直に謝ったコディは、くすりと笑う。

「……なんだ?」

「子供の頃にも、同じように写生に熱中してて、木から落ちて怪我したことあるんです」

 これ、と言って袖をめくり、肘の下あたりに斜めに走る傷跡を見せる。

 今でもこれだけはっきり残っているなら、かなり深い傷だったのだろう。

「母にすごく泣かれて、怪我が治ってもしばらく一人で外に出してもらえませんでした」

 その頃から変わってないということか。

「……おまえの母親の気持ちがわかるな」

 コディはきょとんとして俺を見る。

「何がですか?」

「……おまえが喜ぶことを、させてやりたい」

 腕の中に閉じこめるように、柔らかく抱きしめる。

「だが、何をやらかすか不安で、閉じこめておきたくもなる」

「……私、そんなに危なっかしいですか?」

 どこか拗ねたような口調に苦笑して、こめかみにそっとくちづけた。

「おまえが好きだから、心配なんだ」

 耳元で囁くと、コディは嬉しそうに笑った。


☆☆☆☆☆☆☆


 カウンターの椅子に座り、店主にこの先の町の治安を聞いていると、左肩に重みがかかった。

 目をやると、コディが俺にもたれて目を閉じていた。

「どうした?」

「ん……」

 小さく呻いてますます寄りかかってくる。

 椅子から落ちそうになるのを肩を抱いて支える。

「もう酔ったのか?」

 テーブルに置かれたコップを見ると、ほとんど(から)にはなっていたが、果実酒の湯割りだったはずだ。

 コップを取り、少しだけ飲んでみる。

 口当たりはいいが、しっかりと酒の味がした。

 果実酒は全般的に弱めの酒で造るが、この酒場の果実酒はかなり強い酒を使っていたようだ。

 小さく息をついて抱き上げ、部屋に運ぶ。

 コディは酒に弱い。

 弱いという自覚はあるが、自分の限界はわかっていない。

 口当たりがいいと飲みすぎて、酔っぱらって寝てしまう。

 気をつけろと何度か言って、本人も注意しているようだが、まだ見極めが出来ないようだ。

 これからは俺が味見をしてから渡したほうがいいかもしれない。

 考えながらベッドにそっと寝かせると、コディはかすかに呻いてうっすらと目を開ける。

「……エッジ、さん……」

「なんだ?」

 靴を脱がせ、剣帯(けんたい)を外してやりながら言うと、くすくす笑いながら腕を伸ばしてくる。

「エッジさん……」

 首に腕をからめて引き寄せられる。

「こら、外せねえだろうが」

 体重をかけてしまわないように顔の横に肘をついて、もう一方の手でなだめるように髪を撫でると、コディはくすぐったそうに笑う。

「エッジさん……」

「ここにいる。だから眠れ」

「……いる……?」

「ああ」

「ずっと……?」

「ああ」

 触れるだけのキスをすると、コディは嬉しそうに笑う。

「ずーっと?」

「ああ」

「いっしょ?」

「ああ」

「いる?」

「ああ」

「うん……」

 ようやく満足したのか目を閉じて、とたんにぱたりと腕が落ちた。

 剣帯を外し、服を脱がせて楽な姿勢で寝かせて、毛布をかける。

 子供のように無邪気な寝顔を見つめて苦笑した。

 酔っぱらって眠るまでの間、コディはひどく俺に甘えたがる。

 だが翌朝起きた時はまったくおぼえておらず、二日酔いになっている。

 明日もそうだろう。

 二日酔い用の薬湯(やくとう)を準備しておいたほうがよさそうだ。

 穏やかな寝顔を見つめ、そっと囁いた。

「……おやすみ」


☆☆☆☆☆☆☆


 水を汲みに行ったコディが戻ってこない。

 すぐ近くだからと付いていかなかったが、何かあったのか。

 だが、感じる気配は同じ場所にいたままで、動いていない。

 気になって見にいくと、コディは泉の横に座りこんで空を見上げていた。

 つられて見上げる。

 よく晴れていて星がはっきり見えていたが、特に変わったものはない。

 だがコディは空を見上げたまま動かない。

 すぐ後ろまで近づいてもそのままで、ためらってから声をかける。

「コディ」

「ふぇっ!?」

 コディはびくりと身体をふるわせ、妙な声をあげて振り向く。

「……どうした?」

「あ、ごめんなさい、あの、ちょっと、びっくりしちゃって……」

「何を見てたんだ?」

「流れ星です。

 さっきから時々流れるんです。

 あ、ほら!」

 指さした方角を見上げると、光の尾を引いた星がすうっと空を走ってすぐ消える。

「ああ、そういう時期だな」

「時期?」

「毎年今頃、星が流れるんだ。

 見えるのはこのあたりだけらしいが」

「そうなんですか。

 私、こんなに続けて流れ星見たの初めてです」

 嬉しそうに言いながら、じっと空を見上げる。

「今度こそ……」

 小さな声のつぶやきを不思議に思って見ていると、星が流れたとたん、コディはなぜか祈るように両手を組み合わせ、口の中で何か言う。 

 星が消えると、残念そうにため息をついた。

「また間に合わなかった……」

「……何がだ?」

「流れ星が消える前に三回願いごとを言えたら、願いごとが叶うって、こどもの頃に近くに住んでた女の子が教えてくれたんです」

「……そうか」

 コディらしい素直さだ。

 こどもの発想だが、信じているなら、あえて否定することもないだろう。

「今度こそ……」

 どこか必死な表情で空を見上げる姿勢は、首が痛そうだ。

 背後に座り、半ば仰向けになるような姿勢で抱きしめる。

「少しはマシだろ」

「ありがとうございます」

 嬉しそうに笑ったコディはまた空を見上げる。

「……そんなに大事な願いごとがあるのか?」

「え」

 なにげない問いだったが、なぜかコディは星明りでもわかるほど赤くなった。

「……はい」

 恥ずかしそうに小さな声で言う。

「……『エッジさんとずっと一緒にいられますように』って……」

 思いもしなかった言葉に、目を見開く。

「……ありがとう」

 そっと手を握ると、コディはますます赤くなりながらも握り返してくる。

「……俺も、同じことを願ってもいいか?」

 コディは驚いたように俺を見て、ふわりと笑った。

「……はい。

 ありがとうございます」



 夜が更けるまで、手を握りあったままずっと空を見上げていた。 


☆☆☆☆☆☆☆



 食事を終えて酒を飲んでいると、急にコディが黙りこんだ。

「……どうした?」

 顔をのぞきこむと、うつむいて小さく首を横にふる。

 ついさっきまでは体調は悪くなかったし、酔ったわけでもない。

 この酒場の果実酒は強い酒を使っていたから、飲まないように言ってある。

 それきりずっと黙ったままで、部屋に入っても目を合わせようとしない。

 何かあったのかと考えてみたが、思い当たることがない。

 以前は話してくれるまで待つようにしていたが、コディは性格が真面目すぎて、考えこみだすと際限なくおちこんでいってしまう。

 だから最近は、何か悩んでいそうだと気づいたら、なるべく早く聞き出すようにしていた。

「コディ。こっち来い」

「……はい」

 ベッドに座って呼ぶと、おとなしく隣に座る。

 それでもうつむいたままだ。

 そっと手を握る。

「何を考えてるのか、話してくれ」

「…………」

「……俺には、言いたくないか?」

 責める口調にはならないように気をつけて静かに言うと、コディはびくりと身体をふるわせる。

 ほんのわずか視線を上げ、潤んだ目で俺を見つめる。

「……私と、一緒にいるの、嫌じゃないですか……?」

 震える声が胸に痛い。

 なぜそんな風に思ったのか問いつめたいが、今は誤解を解くほうが先だ。

「嫌だと思ったことは一度もねえよ」

「…………」

「……おまえは、俺と一緒にいるのは、嫌なのか?」

 コディは強く首を横に振る。

「嬉しいし、楽しいよ。

 だけど……私……」

「なんだ?」

「……私、お酒弱いし、賭事もできないし、世間知らずだし、……コドモだから、私と一緒にいても、つまらないんじゃないかなって……」

 コディは素直だし、どんなことでも先入観なしに正しい判断ができるが、自分に関してだけはなぜか過小評価する。

 コディの本質は、今コディが言ったようなこととは何も関係がないところにあるのに、コディ自身はそれをわかっていないというのが困りものだ。

 どうやら今日は酒を飲むなと言ったことからおちこんだようだ。

「つまらないと思ったことなんてねえよ」

 想いが伝わるように、両手で包むようにその手を握る。

「酒や賭事の相手はいくらでもいる。

 だが、一緒にいたいと思うのは、おまえだけだ」

「…………」

 コディはゆっくりと顔を上げた。

 迷う瞳で俺を見つめる。

「……ほんとに、嫌じゃない……?」

「ああ。

 おまえと一緒にいられるだけで嬉しいよ」

 長い間独りでいたから、気持ちを言葉にするのは苦手だった。

 だが、コディの為なら、どんなことでもしてやりたかった。

「ありがとう……」

 ようやく笑みを浮かべてもたれかかってきた身体をしっかりと抱きしめる。

「おまえが好きだよ」

 その笑顔の為なら、何回でも何十回でも、言葉にしよう。

「おまえだけが、好きだ」


☆☆☆☆☆☆☆



 街道を進み、川べりに出ると、白い花で埋めつくされていた。

 水辺を好む花で、このあたりではよく見る。

 隣でコディが息を飲む。

 だがそれは、いつもの感動したようなものではなく、むしろ恐怖から来るもののようだった。

 目を見開いたまま表情を強張らせている。

「……どうした?」

 声をかけると、びくりと身体をふるわせ、ぎこちない動きで首を横に振る。

「……なんでも、ない、です」

 うつむいたままゆっくりと歩き出す。

 いつものように観察をしようともせず、おびえの混じった表情のまま、ひたすら足を進める。

「……大丈夫か」

 そっと問うと、コディはわずかに身体を強張らせたが、すぐに無理やり作ったとわかる笑みを浮かべる。

「はい」

「…………」

 その笑みを見つめて、少しだけ歩く速度を速めた。


 川べりを通り過ぎ、再び森に入ってしばらくして、コディはようやく身体の力を抜いて息をついた。

「……大丈夫か」

「はい」

 同じ言葉に同じ言葉を返す。

 表情はだいぶマシになっていたが、それでもいつものコディとは大違いだ。

 周囲を見回し、他の旅人がいないのを確かめてから、そっと抱きしめた。

 コディはびくりと震えたが、すぐにぎゅっと抱きついてくる。

 しばらくそのままでいると、コディは小さく息を吐いた。

「……心配かけて、ごめんなさい」

「……いや」

 コディは俺の肩に額をすり寄せるようにしながら、ぽつぽつと話す。

「……あの花、ミズバショウっていうんですけど、六歳の時、さっきみたいな群生地でスケッチしてたら、大型犬に襲われたんです。

 どこかの貴族が飼ってた犬で、近くの別荘に遊びに来た時に連れてきたみたいで。

 犬の方はじゃれついてきただけなのかもしれないけど、自分より大きい犬にえんえん追いかけられて、私、泣きながら逃げ回ってたんですけど、犬の飼い主らしき人達は笑いながら見てるだけで……。

 最後は押し倒されて、顔中舐め回されました。

 怪我はしなかったけど、今にも噛まれそうで、殺されちゃうと、思って……。

 それ以来、犬も、あの花も、怖くなっちゃったんです……」

「……そうか」

 それは、心の傷になって当然の出来事だろう。

 初めてコディと旅をして、アンの家の手前で狼に襲われた時、まともに戦えなかったのは、野生の獣に慣れていなかったからだけではなく、その時の恐怖を思い出したからかもしれない。

 少し伸びてきた髪をいたわるようにそっと撫でると、コディはくすぐったそうに微笑む。

 ようやく見せた笑顔にほっとした。

「……嫌な思い出と結びついてるなら、新しい思い出を作ればいい」

 コディはきょとんとして俺を見上げる。

「新しい……思い出?」

「ああ。

 嬉しいとか楽しいとか思える思い出と結びつけたなら、もう恐くなくなるだろう。

 今度あの花を見たら、試してみるといい」

「嬉しいとか楽しいとか思えること……」

 つぶやきながら考えこんでいたコディは、ふいに赤くなった。

 ちらりと俺を見上げ、ますます赤くなって、それを隠すように頬に手を当てる。

「……どうした?」

「え、あ、ううん、なんでもない」

 あわてたように言って、大きく首を横に振ってうつむく。

 不思議に思いながら見つめていると、うつむいたまま、ようやく聞きとれるほどの小さな声で言った。

「……あの花を見ながら、エッジさんが、……キス、してくれたら、……嬉しい思い出に、なるだろうなって、思って……」

 耳まで赤くなっているコディを呆然と見つめる。

 十年以上経っても消えない心の傷が、俺のキス一つで消えると思うほど、俺の存在はコディにとって大きいものになっているのか。

 嬉しいような恥ずかしいような誇らしいような、味わったことのない感覚が胸に満ちる。

「……ありがとう」

 火照った額にそっとくちづけると、コディは更に赤くなった。

「ごめんなさい……」

「謝らなくていい。

 それはきっと、俺にとっても嬉しい思い出になるだろうから」

「……ほんと?」

 おそるおそる見上げてくる瞳に笑ってうなずく。

「ああ」


 次にあの花を見た時は、コディも俺も、嬉しい思い出が増えるだろう。

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