アセビ~献身~ 2
目を開けると、ごつごつとした岩の天井がぼんやりと見えた。
焚火は消えているが、入口から差し込む日の光のおかげで薄明るい。
「気分は? どこか痛むところはあるか?」
静かな声に、ゆっくりと視線を動かす。
「いいえ、でもここ、どこ……!」
がばりと身体を起こす。
身体の上にかけられていたマントが滑り落ちた。
エッジさんのシャツを着せられた自分の身体を、呆然と見下ろす。
「コディ」
「……ごめん、なさい……」
また魔法を拒みきれなかった。
また嫌な思いをさせてしまった。
自分が情けなくて、両手で顔を覆う。
エッジさんを守りたかったのに、また守られた。
自分だけ怪我を治してもらった。
エッジさん自身の怪我は治せないのに、私だけ。
「ごめんなさい……っ」
「コディ。見ろ」
両手首を掴まれて、ゆっくりと顔からずらされる。
「……え!?」
両手、だ。
私の両手を、エッジさんの両手が、掴んでいる。
昨日のことがまるで悪い夢だったかのように、エッジさんの左手がそこにあった。
「なん、で……?」
呆然とつぶやくと、エッジさんは苦笑いを浮かべる。
「俺にもわからねえ。
だが、おまえの怪我と同じように治癒された」
「……でも、魔法は、魔法者自身には効果がないって、教会が……」
それは、聖女の力を世界に知らしめた教会が正式に発表していることだ。
「そうだな。
俺の魔法は、家系的に『交わった相手の完全治癒』とはっきりしてたから、相手の状況はさまざまな条件で実験させられたが、俺の状況が問題にされたことはなかった。
だから俺も今まで知らなかったが、どうやら俺自身にも有効らしい」
そう語るエッジさんの表情には、どこかとまどいの色があった。
エッジさん自身、まだきちんと把握できていないのだろう。
「あ……そういえば、アンさんに魔法について話をした時に、『魔法者自身には効果がない』と言ったら、『建前上はね』って、言われたような……」
ふと思い出したことを言うと、エッジさんは考える表情をしてから、小さくうなずく。
「そういや、言ってたな。
なら、あいつは知ってたんだろう。
あいつの魔法なら、何度でも試せるからな」
「そうですね……」
アンさんの魔法は歌に関するものだから、試す方法は色々あっただろう。
だが、常識として教わったことがそうではなかったと突然言われても、すぐには飲みこめない。
ぼんやりとエッジさんの左手を見ていると、その手が私の頬に触れる。
「コディ。なぜ約束通り起こさなかった」
「ぁ」
静かな声が胸に痛くて、顔を伏せようとしたが、頬を包む手がそれを許してくれない。
「……ごめんなさい」
「謝らなくていいから、理由を言え」
ごまかすことも嘘をつくこともできず、ぽつりぽつりと言葉をつなぐ。
「泉に水を汲みに行ったら、あいつらが、私達を探していて、この場所はばれてないようだったから、戻るより、ここから、引き離そうと思って……。
時間を稼げたら、エッジさんは助かるだろうから……」
「おまえは?」
鋭い切り返しに、言葉に詰まる。
「なぜ、おまえ自身が助かる方法を考えなかったんだ」
「…………」
「俺が、おまえを犠牲にして助かって、喜ぶと思ったのか?」
哀しげな声に、強く目を閉じて首を横に振る。
「……だって、エッジさんは、左手を犠牲にしてでも、つらい思い出しかない魔法を使ってでも、私を助けてくれるのに、私は、何も、できなくて。
エッジさんが、私を守ってくれるのは、嬉しい。
だけど、私を守って、傷つくのは、嫌だ。
私も、私だって、エッジさんを、助けたいのに、守りたいのに、傷つけてばっかりで。
だから、あの時、私の命でエッジさんを助けられるなら、本望だって、思って…………ごめんなさい……」
膝を抱くようにしてぎゅっと身体を丸め、顔を伏せる。
エッジさんが、自分だけ生き残って喜ぶ人じゃないと、わかっていたのに。
あの時は、そこまで考えられなかった。
そのうえ、結局エッジさんに助けてもらった。
そのことに感謝もせず、こどものように泣いて駄々をこねて、最低だ。
本当にこどもの頃は、そんなことしなかったのに。
どうして今になって、こんなに感情の制御ができなくなったのだろう。
もう自分でも自分がわからない。
「ごめんなさい……」
唇を噛みしめて嗚咽をこらえていると、なくなっていたはずの左手が、ゆっくりと頭を撫でてくれる。
「助けてくれただろう?」
「……それは、エッジさん自身の力だよ。
私は何もしてない……」
「魔法は、一人では使えねえ。
おまえがいたから、俺は助かったんだ」
優しい声が、かえってつらかった。
「違う、私がいたから、エッジさんは怪我をしたんだ。
好きなのに、幸せでいてほしいのに、私のせいで、つらいめにあわせてしまう。
ごめんなさい……ごめんなさい……」
それしか言葉にできなくて、泣きじゃくりながら繰り返す。
「……俺も、同じだ。
おまえが好きで、幸せでいてほしいのに、俺と一緒にいるせいで、また痛い思いを、嫌な思いを、させちまった。
悪かった……」
頭を撫でていた手が、ゆっくりと離れていく。
その声に含まれた悲痛なものを感じて、少しだけ顔を上げると、エッジさんは、哀しそうな顔で私を見ていた。
「俺は、おまえに触れることなど許されねえほど、穢れてる。
離れるべきだとわかっていたのに、おまえが、俺を好きだと言ってくれたから、その言葉に甘えて、ここまで来ちまった。
おまえの誤解を解いてやるべきなのに。
……それでも。
おまえを傷つけるとわかってても、おまえから離れられない。
おまえを、失いたくねえんだ」
まるで血を吐くような、苦しみと切なさに満ちた声だった。
そんな思いをさせたくないのに、『失いたくない』と言われるのは嬉しくて、自分の感情に付いていけない。
袖で顔を拭い、深呼吸を繰り返して、気持ちを鎮める。
「誤解、って、何……?」
そっと聞くと、エッジさんは自嘲するように唇を歪める。
「おまえが俺を好きだと言えるのは、魔法を使ってる時のことを知らねえからだ。
すぐ気を失っちまうから、おぼえてねえだろ?」
「……うん」
「知識でしか知らねえから、嫌なことだと理解できねえだけだ。
最後まで起きてられたなら、きっと俺を嫌いになる。
現に、ヒカゲマジワリソウの男の時も、宿の女将の時も、おまえは嫌がって泣いていただろう」
「それ、は…………」
確かに、私にとってそういうことは、ぼんやりした知識でしかない。
こどもの頃は植物に夢中で、十二歳からは騎士になる為だけに生きてきたから、異性を好きになるという感情も、その先にある行為も、未知の領域だ。
そのうえ、少年にしか見えない外見のせいで、女として扱われたおぼえがない。
だから、女として見られて、女として求められることに、恐怖を感じた。
だが、エッジさんだけは、違った。
今までの旅の間で、エッジさんは、撫でたり、抱きしめたり、触れるだけのキスをしてくれた。
エッジさんにとってそういうことがつらい記憶と結びついていると知っていたから、それだけで十分幸せだった。
だがエッジさんは、魔法を使う時に私にそういうことをするのが、私を苦しめる行為だと思っていたのだろうか。
自分にとって嫌なことだから、私に嫌なことを強制してしまったと、後悔していたのだろうか。
「そんなことない。
確かにおぼえてないし、経験もないから、具体的なことはわからないけど。
おぼえてたとしても、エッジさんが好き。
あの人達には、触られるだけで怖かったけど、エッジさんになら、何されたって嬉しいよ」
「…………」
ふいに肩を掴んで押し倒された。
のしかかるように体重をかけられ、両手首をひとまとめにして頭の上で押さえつけられ、顎を掴んで上向けられる。
「エッジさ」
言葉を奪うようにくちづけられた。
唇を割るように入りこんできた熱い舌が、激しく動いて私を貪る。
強い瞳に間近から見すえられて、耐えきれず目を閉じた。
「……ふ……ぁ……っ」
まともに呼吸が出来ないせいか、それとも与えられる熱のせいか、頭がくらくらしてくる。
意識がかすみそうになった頃、やっと唇が解放されて、思わず大きく息をついた。
「……これでもか?」
硬い声が耳元で囁いて、ゆっくりと目を開ける。
エッジさんは、ひどくつらそうな表情をしていた。
「……うん。
それでも私は、エッジさんが好きだよ。
だって本当は、もっと優しい。
私、魔法を使う時いつもすぐ気を失ってしまうけど、最初のキスだけは、おぼえてる。
すごく大切なものに触れるように、優しく、キスしてくれる。
わざと乱暴にするなんて、ずるい」
「…………」
「だけど、エッジさんになら、どんなに乱暴にされたってかまわない」
エッジさんはゆっくりと目をそらす。
苦しそうな表情が哀しい。
どう言えば、わかってもらえるのだろう。
「エッジさん」
「……なんだ」
「私を、抱いてほしい」
エッジさんはぎくりとして私を見る。
「魔法を使う時みたいに、抱いてほしい。
さっきみたいに乱暴でもかまわない。
それでも好きだと言ったら、信じてくれる?」
私を見つめるまなざしが、とまどうように揺らめく。
「……なぜだ。
なぜそこまで俺にこだわる」
「エッジさんが、好きだから」
きっぱりと言って、まっすぐに見つめる。
「だから、私がほんとにエッジさんを好きだってこと、わかってほしい。
……嫌なことさせてしまうのは、申し訳ないけど」
「……嫌じゃねえ」
エッジさんは迷う表情で私を見る。
「だが…………本当に、いいのか?」
「うん。
かまわないから……お願い」
「…………」
エッジさんはなおも迷っていたようだったが、やがてゆっくりとうなずいた。
☆☆☆☆☆☆☆
深く息をついたエッジさんは、私の横に身体を投げ出すように横たわった。
そっと抱きよせられたが、全身がだるく、目を開けることすらできない。
「……コディ」
優しい声に呼ばれて、答えたいのに、息が乱れて声にならない。
乱れた髪を整えるように、いたわるように、何度も撫でてくれる。
どれぐらいそうしていたのか、ようやく息が整ってきて、うっすらと目を開ける。
身動きしたとたんにずきりと腰が痛んで、思わず顔をしかめた。
「悪い……痛むか。
魔法を使った時は、その傷も一緒に治るからよかったんだが……」
「……へいき」
気遣う声が申し訳なくて、なんとか声を絞り出すと、エッジさんは肘をついて身体を起こした。
水筒を取って水を含み、頭を持ち上げられる。
唇を重ねてそそぎこまれた水を、こくりと飲みこんだ。
何度か繰り返して飲ませてもらい、ほっと息をつく。
「ありがと……。
……エッジさん」
「ん?」
「私、やっぱりエッジさんが好き」
「…………」
エッジさんはじっと私を見つめる。
「さっきまでも好きだったけど、今は、もっと好き。
すごく、恥ずかしかったし、疲れたし、きっと、他の誰でも嫌だったけど、でも、エッジさんだから、嬉しかった」
思わず涙がこぼれて、それでもまっすぐ見つめて笑う。
「抱いてくれて、ありがとう」
エッジさんは、指先でそっと涙を拭ってくれる。
「エッジさんがしてくれたこと、全部おぼえてる。
それでも好き。
信じて、くれる?」
「……ああ。
俺も、おまえが好きだ。
おまえが俺を受け入れてくれて、嬉しかった」
まっすぐに私を見つめて、優しく笑う。
「抱かれてくれて、ありがとう」
くすりと笑い合って、だがエッジさんはすぐにまなざしを鋭くする。
「だから、二度と俺から離れるな」
「……だけど」
好きだからこそ、迷惑をかけたくないのに。
「おまえは俺を死なせてえのか?」
「ち、がう。
生きててほしいんだ」
強く首を横に振ると、そっと頬を撫でられる。
「だったら、そばにいてくれ。
たとえ俺の魔法が、交わった相手だけでなく俺自身をも癒すのだとしても、俺一人では魔法は使えねえんだ」
「それは、そうだけど、でも……私じゃなくても……」
「俺は、おまえがいいんだ」
エッジさんはきっぱりと言って、私の瞳をのぞきこむようにしながら囁く。
「おまえじゃなきゃ嫌なんだ」
「……っ」
手を伸ばしてすがりつくと、しっかりと抱きしめてくれる。
「私も、エッジさんじゃなきゃ嫌だ……」
「だったら、そばにいてくれ」
「……うん」




