幽霊式マッサージ
「甘やかす?一体どういうことだ」
イラつきながらベッドに座り、幽霊と思しき女性に問いかける。何故イラついているのかというと、先ほどの悲鳴によるクレームが後を絶たなかった。たとえ幽霊を言い訳にしたとしても誰がそれを信じよう。結果俺は十分間隣の爺さんと大家の説教を受けて、ひたすら謝った上に次に騒ぐものなら「覚悟は出来てるわね」と大家に言われたので、さらに苛立ちが募っていったわけであった。
「その言葉通りです。あたしは、あなたのことを甘やかしたいのです」
「名前の知らない幽霊に甘やかされたいとは思えんな。それに、本当に幽霊なのかも怪しい。誰かが俺ん家に侵入して、何故か知らないがバーチャル式プロジェクションマッピングの装置を置いた可能性だってあり得る」
「ぷろなんとかっていう装置は知りませんが、あたしは本当に幽霊ですよ。少なくともあたしは他の人には見えませんよ。実際あなたがお説教を受けてらっしゃったときにあたしは横にいたのですが、だれもあたしの姿を見ている人なんていませんでしたよ」
「………………」
確かに横に幽霊は並んでいた。しかし、二人の視線はいつも俺のほうに向いていた。
「思い出したくないことを思い出させるな。そして、お前は誰だ」
白色のLEDライトが彼女の顔を当てる。さっきよりも薄く見えるその表情は気味悪く、それでいて美しい微笑を浮かべていた。
「あたしの名前は福井美緒。十五年前からここに住む地縛霊ですよ~」
「地縛霊…」
地縛霊。その地に縛り付けられた幽霊又は妖怪のことを指す。つまり、彼女は俺がこの家に引っ越した時にはもう住んでいたことになるらしい。
「でも、俺は今まで見えていなかったぞ」
「それは、今までは霊感がなかったからでしょう。あなたの精神力が弱くなった時、気付けば霊感は強くなっているものですよ」
「…信じがたいな」
「三年前、元カノとここで喧嘩して、別れた挙句大家さんのクレームまで飛んできて」
「お前は俺を甘やかしたいのか貶したいのかどっちかにしやがれ!」
煽り性の強い幽霊だ。クソッ、思い出したらまたイラついてきた。
それに俺の精神が弱くなっていることは今の仕事が大きく関係していることは間違いないので、見透かされている気がして、またイラつき度が増した。
「何度も言っているじゃないですか。あたしはあなたを、稲村俊介さんを甘やかしたいんですよ!」
強い意志を伝える美緒。こんだけ大声で伝えてもクレームが来ないのだから、少しは嫉妬してしまう。
「それにですね、もしこのまま俊介さんの精神力がどんどん弱くなってしまった場合、他の、あたしのような交友的な幽霊ではなく、本当にヤバイ幽霊にだって巻き込まれるかもしれないんですよ」
「……………」
確かに、このまま精神が弱くなっていくのはよくないし、これ以上面倒事と付き合ってられるか。
「だから、この話は俊介さんにとって悪くない話だと思うんですよ。あたしは俊介さんを甘やかしたい。俊介さんは厄介ごとに巻き込まれたくない。WinWinじゃないですか」
「確かに、お互いメリットだらけだな。しかし、美緒さんはどうやって俺を甘やかすんだ?労いの言葉でもかけてくれるのか?」
「あたしのことは美緒って呼んでくれて構いませんよ。むしろ美緒って呼んでください!」
「…………俺の質問に答えて」
「わかりました。確かに、あたしがあなたに出来ることは限られています。しかし、俊介さんをリラックスさせることはできますよ」
「リラックス?どうやって?」
「そうですね。では、ベッドでうつ伏せになってくれますか?」
「うつ伏せ?」
何をする気なのだろうか。俺には全く予想がつかない。予想がつかないまま、俺はベッドでうつ伏せになるように寝転んだ。
「一体、何をしようというんだ、、ッ!」
腰を部分的に押されているような感覚して、声にならない悲鳴を上げる。誰かが俺の腰をマッサージしていた。そして、すぐに美緒の仕業と分かって一瞬ぎょっとしてしまった。
「まあ、さすがに驚かない人は居ませんよね。悲鳴を上げないだけまだマシですけどね。よく怪談話で聞いたことありませんか?誰もいないのに誰かが私の肩を叩いた、みたいな」
「……………」
「まあ簡単に言うと、幽霊って念を強く籠めると人間に接触することができるんです。仕組み的には空気が圧縮されるような感覚らしいんですけどね」
「……………」
「驚きすぎて声も出ませんか。要はあたしの甘やかせたいパワーが漲った両手によって、俊介さんに触れるようになるんです。分かりましたか?」
「………不可解だ」
「信じてもらえないかもしれませんが、これも事実なんですよ。現実逃避せずに現実受け入れましょうね。それにこう考えれば良いじゃないですか。チョーかわいいお姉さん幽霊にマッサージされるなんて俺って超運ついてるじゃんって」
「そこまでポジティブに考えられるほど、俺は今元気がない…」
いつもだったらどれだけツッコミが出来ただろう。「身長百五十センチいかないくらいの小柄なお姉さんで可愛いかもしれないけれどっ!自画自賛が過ぎる!」と。しかし、疲労感に加え不可解な事実に俺はさらに元気を失っていた。
「でもそんなに疲れているところを見せられると、マッサージのし甲斐があります。これでもあたしのおばあちゃんが認めた腕利きのマッサージャーなんですから」
腕利きのマッサージャーとはいったい何なのだろうか。しかし、再び腰を突かれて、ツッコミが炸裂することはなかった。
腰を揉みつつ押していく。そして、それは肩甲骨まで及んだ。決して痛くないマッサージ。快感を呼ぶマッサージと呼んでいいだろう。そして気付けば、幽霊によってマッサージを受けているという不可思議な光景よりも気持ちよさが上回っていた。
「おや―だいぶ凝ってますねー。デスクワークお疲れ様。俊介さんはよく頑張った!えらいえらい!」
「そんな褒め言葉に…俺が嬉しが…ると、、」
意識が遠のく。俺の最後のツッコミも気持ち良さによってかき消されてしまった。
「本当にお疲れ様。俊介さん」
※ ※ ※
「はッ!!!あ、朝か…」
カーテンには日光の光が差し込んでいる。マッサージの快感のあまり寝落ちしてしまい、気が付けば朝になっていた。
「おはようございます、俊介さん」
頭上から声がする。透き通った声をしている方を見ると、昨日より明らかに透明度も増した美緒がいた。
「おはよう、美緒さん…。昨日は世話になったな」
「だから美緒でいいって言ってるじゃないですか。怒りますよっ!」
「強要かよ!」
どうやら美緒と呼ばないといけないようだ。初めてあった幽霊に呼び捨てにすることに少し罪悪感を覚えたがまた『さん』付けて呼ぶとまた怒られそうなので、あまり気にしないことにした。
「それに、あたしは好きで俊介さんを甘やかしているのでお礼なんてとんでもないですよ。むしろ、あたしがお礼を言いたいくらいですよ」
「いやいや、お世話になったのは事実だし、お礼を言わないとすっきりしなくてな。とにかく、ありがとな、美緒」
「いえいえ、こちらこそ俊介さんを甘やかすことができて、ありがとうございます」
双方がお辞儀する。和やかな空気が部屋中を包んだ。
「そういえば、俺のことは俊介って呼んでいいからな」
「いえ、あたしは頑固として『俊介さん』とお呼びしますよ。そのほうが、甘やかすのに都合がいいですしね」
「なんで俺は『さん』付けが許されないんだぁ!」
今日一番のツッコミが炸裂した。




