副業は、護衛?
「いやだが?」
柏井杏奈の提案に、本条七希はあっさりと首を横に振った。
「手当は弾みます……という話ではなさそうですね?」
「小遣いは足りているし、私は他にバイトをしている」
むしゃりと出された菓子を食みながら、七希は想像する。
顔を出す回数を減らした時の涼音の不満を。
ただでさえ手を焼くというのに、これ以上騒がれてもゴメンである。
「それに私はそれほど勤勉な性格じゃないんだ。悪いが他を当たってくれ」
決して人当たりが良い訳ではないが、飾らないまっすぐな人だ、と柏井杏奈は目を細めた。
不真面目に見える七希に主である四楓院みやびが食って掛かるのも、見ていて微笑ましい。
あのように気の置けない友達がみやびに居ただろうかと考えると、得難い存在だ。
「分かりました、では週1回だけ、登下校にお付き合い願えませんか?」
「杏奈、あなた私のスケジュールを勝手に決めないで貰えるかしら……」
ジト目で見つめてくる主を手で制すると、はぁと大きくため息をつかれた。
構わない、柏井杏奈にとっては四楓院みやびが健やかに過ごせることこそが全てなのだから。
「その程度なら別に負担でもないが、そんな事で良いのか?」
「ええ、そんな事で宜しいのです」
真っ直ぐに目を見て提案してくる柏井杏奈に、まあ良いかと七希は頷いた。
大きな要望の後に、本命の手ごろな要望を伝えてくる。
なかなか優秀な人間だなと杏奈の事を評する七希である。
「別に構わないが、朝は迎えに来たらいいのか?」
「それには及びません。朝は貴女様の家の前まで主をお送りしますので」
「それだと私だけ遠回りじゃないですの!?」
まあまあと、再び主を手で制す。
「まあ分かった。スケジュールは連絡してくれ」
七希がスマホを取り出すと、杏奈も淀みなく意図を読み取って連絡先を交換し合う。
ちなみに、みやびは七希の連絡先を知らず、頬を命一杯膨らませていた。
「? どうしたみやび」
「わ、わたくしに……きす、しようとした癖に……」
顔を反らせてブツブツ呟く主にふぅと息を吐いて、杏奈は居住まいを正して七希に礼をする
「それでは本条様、今後ともお嬢様をよろしくお願いします」
「分かった」
その後はとりとめのない話に終始して、七希は四楓院の別邸を後にした。
帰りも送ってくれるとの事だったが、明らかな高級車で送り迎えされて悪目立ちするのは嫌なのでお断りしている。
みやびの家から七希の家までは電車で二駅といったところだ。
まだ日も落ちて間もない時間でもあるので、散歩がてら歩いて帰る。
小高い丘の上にある閑静な住宅街を通り抜けていると、前から黒塗りのリムジンがゆっくり向かってきていた。
特に気にする事もなく通り抜ける。
横を通り過ぎた時、速度を落とした車の後部座席の窓を開けて、若い男が顔を出してきた。
「おい。送ってやろうか?」
「結構だ」
振り向きもせずに、七希は足を進める。
「お、おい――!」
Uターンするには道幅が狭く、車も大きい。何やら悪態を突きながら、仕方なく住宅街の丘を登っていく車を横目で確認する。
あの先にある住宅は限られているが……
「まあ、私には関係ないことだな」
しかし地元の星空と比べると濁った空だな、と見上げながら七希は夜の散歩を楽しんで帰宅した。
「おはよーななちゃん!」
「ああ」
翌朝、何の変哲もない朝を迎えた七希はいつも通りのルーティーンで学園に登校した。
珍しく通学路で藤間由紀と出会ったので二人で登校する。
「いけないんだ~ななちゃん、ああ、とか挨拶じゃないからね? そんなんじゃ社会に出てから心配だよ?」
「大丈夫だ、私は社会の歯車からは逸脱して天寿を全うする」
「冗談に聞こえないから凄いんだよね……」
由紀が語る少女漫画の展開がどうのこうのという話を適当に聞き流しながら歩いていると、サッカー部のジャージを着た一団が走り抜けていくのに遭遇した。
朝練である。よくやるなと基本的に熱血からは対極にある七希が眺めていると、部員たちも光陵館学園が誇る二人の美少女にチラチラと目線をやりながら通り過ぎていく。
「ぜえぜえ……お!! 本条七希じゃん! はよーっす!」
息を切らしながらもちゃらちゃらした声を掛けてきたのは羽原達也という男。一応、桐生誠也の友達でもあるがもちろん七希は覚えていない。無視をする、と思ったが――
「おはよう! 本条さん」
当然といえば当然だが、隣には桐生誠也が並走していた。
お互いの両親の顔までお互いに知る仲でもある。流石にコクリと挨拶を返す。
その分かりにくい挨拶に由紀は苦笑して、桐生は顔をほころばせる。
そんな朝の一幕であった。
「お、おい……俺は無視なのかぁっ!?」
一人騒ぐ男を引き連れて、サッカー部は去って行った。
「ななちゃんって、本当に主人公だよね~、物事の中心にいるもん」
「少女漫画の見過ぎだな、由紀」
「そんな事ないよ? ちなみに、ななちゃんのスペックは少女漫画の中でもやり過ぎだよ? 事実は小説より奇なり、とはこの事だよぉ」
男が女になる時点でそれはそうだろうと思う七希ではあるが、七希の知らない界隈では割とよくある事である。
「――ほら、由紀危ない」
車道側を歩いていた由紀を抱き寄せるように歩道の内側に寄せて、朝から暴走気味の車から庇うように身体を入れ替える。
驚きから状況を理解すると、由紀は耳まで赤くして俯いた。
「そういうところだよ?」
「?」
本条七希は今日も平常運転。ただし、天が遣わせたかのような最高スペック女子高生(中身男)は、やはり世の中の方が放っておいてくれない。そんな騒動を、七希は今日の放課後に知る事になる。
本条七希の学園での一日は、最近平和である。
1学期2学期はもう、無駄に告白やら騒動やらに巻き込まれたりもしたが最近はクラスも調教が済んでおり、武田を筆頭にクラスメイトが他所のクラスや他学年のチャラい男を締め出しているからだ。
そんなこんなでクラスに居る間、七希は割と快適である。
「あ、あの! 本条さん、ここ……教えて欲しいんだけど」
眼鏡がトレードマークの気弱そうな女子、クラスメイトの桜庭が七希の席に寄ってくる。
これも割とよくある光景である。
レクリエーション以来、そんなつもりは全くなかったが七希は割とクラスで受け入れられており、元来こう見えて面倒見の良い七希は節度を持った相手を無下にしない。
「ああ、これは――」
先ほどの数学の授業の問題を方程式を放り込みながら解説する。
「少し前の方程式になるが、これを使わないと解けないな。復習しておくと良い」
「ありがとう!」
嬉しそうに教科書とノートを抱えて桜庭は手を振っていく。
七希はそれを見送って、由紀から押し付けられた少女漫画ならぬ恋愛小説を開いて目を通す。結構な乱読家である七希は暇があれば何でも読む。
コイツ、私より年下なのに舌を入れて粘膜接触か、などと内心慄いていたりするのだがこういう世界もあるんだなぁと変な知識を受け入れていく。
結果、四楓院みやびが被害にあったりもする。
そうして昼休みも半ばに差し掛かった頃、廊下から騒がしい気配が近づいてくる。
七希は顔をしかめた。
この騒がしさ、心当たりは二人しかない。
どちらか。
我関せずを貫きながら本に目を落としていたが、教室の扉が勢いよく開いた。
「本条七希!! 少しよろしくって!?」
ああ、お前の方かと。
面倒そうに教室の入り口に――四楓院みやびに顔を向けてため息をついた。




