お嬢様家のお宅訪問
ぷるぷる震えている四楓院みやびがモンスター(ナンパ男)たちに囲まれている!
助ける?
逃げる?
「はあ……世話の焼ける」
悪魔の誘惑を振り切った七希は男たちの囲みを潜り抜けて、四楓院みやびを庇うように男たちと対峙した。
「良くないな、明らかに怯えている女子を相手に男が寄ってたかって」
見たところ大学生くらいだろうか?
高校生ではなさそうな風貌だが、もしかしたら中退している同年代かもしれない。
みやびは知らぬ間に七希の制服の裾を掴んでいた。
おそらく無意識の行動だろう。
「お? なんだよ君、もしかして嫉妬した? だ~いじょうぶだよ、俺は君の方が好みだよ」
全く話にならないのでもしかしてコイツは猿なのかもしれないと真剣に検討する七希である。
「私たちの容貌はどうでも良いがナンパのつもりならお断りする。私もコイツも帰るところだ」
「よーぼー? なにそれ? はは、俺ら頭悪いから持って回った言い方されても分からねえわ」
そもそも話自体聞く気が無いのでは? とうんざりする七希である。
「とにかくさ? 遊ぼうって、絶対楽しいからさ」
「いや絶対に楽しくない、私たちはな」
「うそうそ、じゃあ気持ち良いってことで!」
「――ひっ」
どうもお嬢様には刺激が強いらしい。
後ろからしがみ付かれて動き難いったらない。まあどうとでもなるのだが。
会話で穏便に収めようと思ったが、思った以上に頭のネジが飛んでいるタイプらしい。
そうなると会話に付き合うのも面倒だ。
「……」
ちらりと周囲を確認する。
いい加減に制止しようと迷っている通りすがりの人たち。もう通報くらいはしているかもしれない。
しかし時間を稼ぐのも疲れる。
川の方を見る。
土手を下って川幅の狭い所なら対岸まで15mというところだろうか?
「走れるな」
「……え?」
「いくぞ、みやび」
「ちょ、ひゃあ!? ま、待ちなさい、本条七希!?」
流れるように四楓院みやびを抱きかかえた七希は呆気にとられる周囲を置き去りにして土手を駆け降りる。
人生の2度目のお姫様だっこはまたしても本条七希に捧げてしまった四楓院みやびは顔を真っ赤にしながら、ふと前方に迫る川が目に入った。
「ちょ、ちょっ!? 待ちな、さい、本条七希! ま、まさ、まさか貴女……!?」
「他人と騒ぎを起こすと面倒だろう? 黙っておけ、舌を噛むぞ」
「~~~~!?」
悟った。
四楓院みやびはこれから本条七希がしようとしている事を悟って自分と大して変わらぬ七希の華奢な身体に抱き着いた。
みやびの覚悟が決まったのを確認した訳ではないが、七希は土手を利用した助走を終えて――川の上を走った。
正確に言うと、シャーベット状に流れている氷の上を巧みに、体重を感じさせないほど軽やかに早く走り抜けていく。
いわゆるシガという現象を利用した川渡である。
あっという間に対岸まで渡り切った七希は呆けたように口を開けてこちらを見ているナンパ男たちを一瞥してから、さっさと踵を返した。
「あ、貴女本当に人間なんですの? い、異世界から転生したのでは?」
「? なんだみやび、お前もライトノベルが好きなのか? 私も由紀に借りてよく読んでいるぞ。あとパニック小説」
「か、完全におかしいですわ……人間って、こんなに無限の可能性があるんですの……?」
「気にするな、川渡は15mまでは大丈夫という逸話もある。まして氷を利用したしな」
「どこの世界の逸話ですの!?」
腕のなかの四楓院みやびはキャンキャン煩いが、ある意味正常な人間の正常な思考回路ではあった。
対岸の土手を登り切った七希はみやびを降ろして肩を竦める。
「まあ世話になったな、みやび。後の事を考えれば賢い選択でもないが」
まだ顔を赤くして七希の袖を掴んでいたみやびは、ジトっとした目を向けてため息をついた。
「貴女に助けが必要ない事と、それでも私が助けに入る事は別問題ですわ。この四楓院みやび、目の前の蛮行を無視できるほど腐ってはおりません」
震えながらも堂々と告げる四楓院に、七希も思わず破顔して自然と頭を撫でてしまった。
「そうか、偉いなみやびは」
「こっ!? な、あたま撫でないでくださいまし!」
「ふむ?」
「不思議そうにしながら、そのまま撫でないでください! 子供扱いですの!?」
満更でもなさそうな蕩けるような顔をしながら声を荒げるお嬢様に、七希は自分の気が済むまでヨシヨシと頭を撫でるのであった。
「礼など必要ないのだが」
「そういう訳には参りません」
あの後、助けられたことの礼だと言って七希は四楓院みやびの家に招かれていた。
すぐに黒塗りの車が迎えに来て断る間もなく連行されてしまった。
案内された大豪邸は一般人がのけ反るくらいの規模であったが、四楓院家の持つ別邸の一つでしかないらしい。
既に個人資産としては生きていくのに十二分に稼いでいる七希からすると嫉妬も羨望も湧いてこないのだが。
「本当にお嬢様だったんだな」
「まあ、そうですわね」
事実なので、謙遜もしないが自慢する訳でもない。
この歳にしてなかなか出来た人間だと感心する七希であるが、自分も同い年ではある。
「一人で出歩くと危なくないのか?」
「いつもは堅苦し警護もいるんですの。でも学園の時くらいは専用の侍女だけですわ」
「その侍女も居なかったようだが?」
「……買い物を頼んだところで、貴女の騒動が目に入ったからですわ」
とすると、今居ないのはキツイお叱りを受けている可能性がある訳か。
お嬢様の頼みを放り出す訳にもいかないが、お嬢様を一人にするのも危険だというジレンマを抱えているのでは? と妙に侍女に思いを馳せてしまう七希である。
「私からとりなしておりますので、侍女の事は心配ありません。ほら?」
通された応接室でみやびと会話していると、扉がノックされた。
入ってきたのは七希たちと同じ制服を着た女子だった。
「失礼いたします、お嬢様」
「ええ、入ってちょうだい。一緒にお茶を飲みましょう?」
「……その前に」
鋭い雰囲気を持ったナイフのような少女だな、というのが七希が感じた初対面の印象だった。
三つ編みを後ろでまとめてアレンジしている髪型は大人っぽく、その目つきは主に損をさせないよう感情を乗せないような透明感がある。そんな少女が七希に向かって綺麗に頭を下げた。
「この度は、お嬢様の危ない所を助けて頂き、ありがとうございました」
人と対面したとき、感情は乗せ過ぎても薄過ぎても相手を不快にさせる。
その点この侍女さんは完璧なバランス感覚で七希に向かって感謝の意を告げた。
「いや、私も助けられた所だった。お互い様だ」
「感謝いたします」
ふわりと優しく表情をゆるめて侍女は頭を上げた。
「堅苦しいわよ、杏奈。こっち来て座りなさい」
「まだ自己紹介も終わってませんよ。失礼、私は柏井杏奈と申します」
「本条七希だ」
お嬢様にせっつかれて隣に腰を下ろす柏井杏奈。
どうやら距離感は姉妹のような雰囲気だ。
「お父様から怒られていらしたの?」
「ええ、それは仕方ありません」
「怒るなって言いましたのに……」
「仕事には責任が付くものです。それよりお嬢様には警備の人間を増やすべきでしょうね」
「それは嫌です」
「どう思われますか、本条さま?」
急に水を向けられた七希は仲良いなコイツらと菓子を食べていた所だった。
焦らず飲み込みながら考える。
「そうだな、学園はそれなりのセキュリティだが通学が徒歩だというなら危ないなというところか」
「通学は徒歩ではないのですが、時々お嬢様は寄り道をしたがって車を呼ばないのです。だいたいそういう時に騒ぎが起こるので人手が欲しいのです」
感情を乗せない怜悧とも取れる瞳が七希を値踏みするように見据えていた。
「それで、柏井さんは学園の先輩なのか?」
「はい。光陵館学園2年の風紀委員をしております。貴女の事はよく存じておりますよ」
「そうか」
お前の事は知らん、とはギリギリ言わなくなった七希の社交性は以前よりレベルアップしている。幼馴染と桐生家のおかげである。
「本条さん、私が言いたい事は伝わっているとは思いますが、お嬢様の元で働いてみる気はございませんか?」




