不機嫌?
テレビを付けると恋愛番組。ネット配信を付けると恋愛バラエティ。世の中にはどうも恋だの愛だのに現を抜かす輩が多いらしい。
そんな事に本条七希は最近気づいた。
相手を大切だと思う気持ちは分かる。友情、親愛、家族愛。では恋は?
なんだそれ、である。
「何を唸ってんの、七」
休み明けの朝、牛乳をパックのまま飲みながら一華が声を掛けてくる。
七希は無表情で朝のニュースを眺めていただけで決して声も出していない。この表情の変化に気付けるのは今のところ3人くらいのものである。
「なんでもない」
「そお? じゃ、私行ってくるから、あんたも緩く行っといで」
セリフとは裏腹に一華はパリッとしたパンツスーツに身を包み、シャツも含めて皺一つない。元々美人の小さな顔に薄く化粧を施して、七希のストレートとは違ったふんわり気味のくせ毛も上手くセットしてどこから観てもデキるお姉様でしかない。
「あ、今月のお小遣いね」
1万円を七希に渡してじゃあね~とさっさと出ていく一華。慌ててありがとうと声を掛けると振り返らずにひらひら手を振って出ていった。
そもそも学費生活費は親から出してもらっているし、一華の部屋に転がり込んでいるので家賃も無し。なんなら小遣いは桐生家のバイト代で出ているし、大きな声では言えないが株で相当儲けている七希にはあまり必要のないものだ。
よく自分で稼いだお金が一番嬉しいと聞くが、七希は一華から貰うこのお小遣いが不思議と一番嬉しかった。
見る人が見ないと分からない笑みを浮かべて、七希も新学期の学校に出発した。
◇■◇■◇
新学期の教室に足を踏み入れた七希か感じたのは、どこか浮ついているなというクラスの雰囲気だった。
休み明けという事もあるだろうが微妙に一部の人間の距離感が変わっているというか。
いつも周りを気にすることのない七希にしては珍しくクラス内の様子を見るとも無に眺めていた。
「おはよ、七ちゃん」
「ああ由紀。おはよう」
割と遅めに藤間由紀が登校してきた。
予冷まであと5分というところだ。
「辛そうだな?」
「あ~、分かっちゃう? 七ちゃんに分かられるのも微妙なんだけど……」
困った様に微笑む由紀に肩をすくめて会話を終わらせる。
辛そうならフォローすればいい。過干渉しない匙加減が何ともお互いに心地よい幼馴染の距離感である。
もっとも由紀にとってはこの距離感のまま終わらせるつもりは無くなった。
里帰りして改めてそういう気持ちと覚悟が決まったのである。
長期休み明けというのはそういうそれぞれのドラマがあったりなかったりする訳で、その雰囲気がクラスに蔓延していると言える。
まだよくわからない七希にとっては首を傾げるだけだが。
始業式と授業は恙なく終わった。
特に何があるでもない日常の一コマだ。由紀は青い顔をしてさっさと帰ったので、見送った七希は生徒会室に寄る事にした。
がらりと扉を開けると、そこには金髪ロングのくるくる巻き毛のお嬢様、四楓院みやびが座っていた。
「あら、本条七希ではありませんの。生きていたのですね、ごきげんよう」
ふん、とツンツンしている可愛いお嬢様を歯牙にも掛けず軽く挨拶を済ませて自席に座る。みやびは何やら書類仕事をしているが、新学期早々から七希は別に生徒会の仕事など無い。なんともなしに足を運んだだけである。由紀でも送ってやれば良かったかと思わなくもない。
「なんですの、あなた? 暇なんですの?」
訝し気な視線を向けてくるみやびに特に返事もせずに窓の外に目を向ける。
「まったく。相変わらずですわね、あなたは。もう少し協調性というものを学んでは如何?」
特に気分を害した様子もなく、ため息をつきながら苦言を呈するみやび。本条七希相手にモノ申せる貴重な友人である。
無反応な七希を放っておいて、みやびは自身の仕事に専念し始める。
七希としては新学期早々に働きづめとは、こいつはマゾなのかと気味の悪い視線を向けていたのだが幸いそれに気づいた様子はなかった。
逆に七希がスマホで株価チェックを始めると胡乱気な視線を向けてきていたのだが、言っても無駄だと思ったのか校則がどうとか口うるさい説教は向けてこなかった。
休み前に売り仕掛けていた玉が、ブラックマンデー張りに急降下している株価に会心のヒットをしており億り人となっているのだが、もはや単なる数字を眺めているだけで七希には詰まらない。
そういえば今日は一華に小遣いを貰っていたなと思い出した七希は寄り道でもして帰るかと席を立つ。
「あら、もう帰るんですの?」
「ああ、おまえもほどほどにしておけよ。何が楽しいのか知らんが」
「そうでしょうとも、あなたにはね。全く、要領ばかりよくても世の中詰まらなくてよ」
みやびからしたら何気ない言葉だったのだろうが、思いのほか七希にはクリーンヒットした。
「……ではな」
「ええ? また明日、ですわ」
首を傾げたみやびを置いて、七希は学校を後にした。
◇■◇■◇
夏は帰らなかった里帰りをしたせいか、どうもぼんやりとする。
らしくないと首を振りながら七希は繁華街を歩く。
芸能人顔負けのオーラを纏って街を歩く美少女は注目の的だが、何気に声を掛けてくるのは気後れするのか七希はあまりナンパなどには引っかからない。
適当に買い食いしていたりしたのだが、どうも何故かムシャクシャする。そこで目に入ったゲームセンターに入った七希は目的のパンチングマシーンの前に陣取った。
ブレザーは邪魔なので、上着を脱いで軽く腕のシャツをまくった。冬ではあるがゲーセン内は暖房が効いているので寒くはない。
軽く準備運動して腕を回して体を温める。
制服から超名門校の生徒が放課後にゲーセンで何をしているのかと周りからは注目の的だった。もちろんその理由は一人で妖精かと見紛うような美少女がパンチングマシーンの前で腕まくりしているのだから当然である。
「……やるか」
準備を終えた七希がコインを投入する。
3発勝負で、難易度は最高難度を選択する。
周囲のギャラリーがざわついた。当たり前である。女子の細腕でクリアできる難度ではない。どこか微笑ましいものを見る目でギャラリーは七希の様子を伺っている。
一発目。
「――っし!」
景気よく吹き飛んだパンチングマシーンの的がド派手な音をまき散らす。
312kg、と計測された数値に周りの目が点になった。一拍遅れてそれを理解したギャラリーがざわめきだす。
七希は的への当て方のズレ、身体の使い方の修正ポイントを頭の中で考えているので気にしていない。
2発目。
「――っつ!!」
422kg。
周囲のギャラリーは息を飲んだ。
そんなことがあり得るのかと。
七希は自己分析する。体重が足りていない。おそらく500kgを出すのは無理だ。それが分かってしまって、余計にムシャクシャする。
大きく息を吐いて雑念を飛ばす。気分転換に来て腹を立ててどうする。団十郎の事を言えない。心を凪に、過度に意識せず、集中しろ。
「せっ―――っ!!!」
会心の一発はマシーンが砕けたのかと見まがうほどの演出で周囲のギャラリーを釘付けにした。誰かがゴクリと唾を飲み込んだ音が聞こえるほど、騒がしいゲームセンター無いが静寂に包まれた。
記録478kg。
周囲は拍手喝采、阿鼻叫喚である。
「――――くっ」
そ。
叫びだしたくなる衝動を飲み込んで、七希は制服と鞄を引っ提げてゲーセンを飛び出した。
繁華街を走り抜け、何事かと目を向ける周囲を置き去りにして夕暮れの河川敷に座り込んだ。しばらく何を見るともなく座り込んで――前を向いたまま声をかけた。
「……何か用か」
「あはは、凄いね、やっぱり気づいてたんだ」
苦笑しながら桐生誠也はペットボトルを差し出した。




