幼馴染(男)
本条七希には幼馴染が2人いる。一人は言わずと知れた藤間由紀だ。
幼い頃にした一方的な婚姻の約束を破棄せざるを得ないという世の中の神秘に打ちのめされたが、最近は女×女でも良いかと割り切ってる強い娘である。
そしてもう一方は――
「よう、久しぶりだな、七」
「……」
実家の玄関先に昨日の夕食のおすそ分けを持参して現れた男。
名を加賀見高虎という。
筋骨隆々とした大男で、短髪にまとめられた髪に精悍な顔つきは武道を嗜む影響か、なかなかに威圧的な目つきをしている。
「そうだな、1年ぶりくらいか?」
「中学の卒業式以来だ。そんなもんだろう」
そういって高虎は無遠慮に七希の頭からつま先まで視線を這わせた。
男の視線に鈍感な七希ではあるが、幼馴染からこうも正面から観察されては決まりが悪い。
「今はどこからどう見ても女か。なんで隠していた?」
詰問口調の高虎は昔を思い出す。
小さい頃から、この華麗なる幼馴染はライバルだった。
空手を習っていた高虎にとっては、家が古武術道場の子供である七希は張り合う相手だったし、実際子供ならではの取っ組み合いの喧嘩もした。結果は七希の全勝だが。
勉強に関しても手を抜いたつもりはないが、全て七希の圧勝。
神様に愛され過ぎた本条七希は、地元では浮いていた。いや多分どこでも浮く。
そんな七希に張り合おうという同級生はおらず、その実力を分かった上で突っかかる事ができたのは高虎だけであった。
その一生のライバルだと思っていた相手が、あろうことか性別を偽っていたのである。
男か女かなど、そんな小さな話ではない。
好敵手だと思っていた相手に、嘲笑われていたと思ったのだ。
むろん、その件に関しては七希のせいではないし、どちらかというと被害者でもあるが。
それを伝える術も無ければ、伝えようとも思わないのが本条七希でもある。
だから今日も七希はこれ見よがしに、ため息をついて見せた。
「……ふぅ、だから私は何も偽ってなどないし、この話を蒸し返すつもりもない。おすそ分けは有り難く頂いておく。おじさんとおばさんにもよろしく伝えておいてくれ」
そう言っておすそ分けの袋を受け取った七希の腕を、ムッとした高虎が掴んだ。
「まだ、何か?」
「……細いな、細すぎる」
高校生まで成長したお互いの身体つきの違いが、嫌でも性差を際立たせている。
高虎の胸の内は複雑だった。どろどろの思いを吐き出す当たり所が無い。
もちろん高虎の想いなど、七希の知った事ではない。
物思いに耽って固まっている高虎を見て、七希がやれやれと手を引こうとして――後ろから無理やり引き離された。
「おい! 七希さんを離せ!」
ぐっと引き寄せられて、七希の頭がぽすんと桐生の胸に収まった。
七希の瞳から光彩が消えた。
もちろん、そんな七希の胸の内を知る由もない恋する男子こと桐生誠也くんはそのまま七希を背中に隠して、大男を睨むように相対する。
「なんだ、お前は?」
「桐生誠也、七希さんの友人だ」
「そして桐生涼音よ。お兄ちゃんの妹でもあり、七姉の義妹でもあるわ!」
「呼んでない」
「ぐえっ」
七希は話がややこしくなりそうな駄犬の首を掴んで引っこ抜いた。
勢いよく前に出ていこうとした反動で良い感じに決まったらしく、涼音はノックダウンした。仕方ないので気付けしてやる。復活した。
「……なんで涼音だけ」
「混沌はいらない」
「人をカオスの申し子みたいに言わないでっ」
自慢のツインテールをしょんぼり垂らして抗議するが、説得力はない。
むしろ言い得て妙だな、と感心してしまう七希である。
「なんだか良くわからんが、高校の連れか?」
「そうだ、七希さんにはいつも世話になってる」
「七姉は涼音が幸せにするんだから、あんたなんかお呼びじゃないのよ!」
子犬がご主人に全力で甘えるかのように七希にはしっと抱き着く涼音である。
なお、七希の光彩は消えたままだ。
「何の話だ……」
「どーせ、七姉が予想以上に綺麗になったからってスケベ心出したんでしょって言ってんのよこのスケコマシ」
「てめぇ……」
高虎の額に青筋が浮いた。
相変わらずの駄犬ぶり、全方向に吠える吠える。
いつもは止める七希なのだが、男の胸に抱きすくめられたダメージが強すぎて涼音にされるがままである。
なお、涼音に抱き着かれる分にはダメージにならないのが七希の複雑な男心である。
「あー、虎。もういいか? 見ての通り来客中だ」
訳、さっさと帰れ。
「久しぶりに帰ったわりに、相変わらずだな。地元になんぞ興味無しか」
「それはお前の印象だ。私に含むところなど無い」
抱き着いたままの涼音もべーをしている。意外と可愛いやつだなと思う七希である。
「久しぶりというなら、由紀にも顔を見せてやれ。一緒に帰って来たぞ」
「……それをお前が言うか」
ギリっと歯を食いしばる高虎。
何を隠そう、高虎の想い人は由紀なのである。藤間由紀は規格外の幼馴染を除けば、どこであろうとトップレベルの才色兼備な女子である。男から好意を寄せられるのはある意味当然と言える。
惚れた腫れたが苦手な七希がずっと目を逸らしていた事実でもある。
「……はっ、あの由紀に見向きもしなかった理由が性別詐称とはな。まあ納得だが、家の事情でもないだろうし、隠す意味も分からん。情けないヤツ」
むろん七希は元々男であるし、性別以前に由紀が嫌いなはずもない。
ただ恋愛に疎かっただけである。
しかし高虎からすれば、惚れた女が七希に夢中であれば当然面白くない。
「横から聞いていれば、随分好き勝手言うんだな。事情なんて人それぞれだろう。七希さんが黙ってるのを良い事に言いたい放題。情けないヤツはどっちだ」
そして興味無しの七希に代わって、男同士は盛り上がってきていた。
七希は再びため息をついた。
埒が明かないと思ったので、さっさと踵を返す。すると涼音ももう用はないとばかりに七希の腕に抱き着きながら背を向けた。
「もういいだろう。では元気でな、虎」
「いいや待て、俺と勝負しないか、七」
「断る。理由が無い、必要が無い、意味が無い」
足を止めずに、七希は奥に引っ込んで行く。
結局残されたのは男2人。
七希のあんまりと言えばあんまりな振舞いを見送った桐生は、思わず笑った。
ああ、七希さんらしいと。
高虎は憤慨した、ああ、七らしいと。
「お前、桐生と言ったか? あいつが好きなのか? あれが?」
「好きだよ。カッコいいし、本当に直視できないくらい綺麗だし……やっぱり、分かる?」
「あいつを見る目が全然違うだろ。確かに美人だから、目で追ってしまうのが男だろうがな」
由紀が好きな高虎はライバル憎しで七希の事を見ていたし、中学の頃の七希は男装のような恰好をしていた。
それが1年ぶりに再会した七希の姿は反目していた高虎でさえ見とれてしまうほどだった。あまりに女性らしく成長した七希を見れば誰であろうと美人であると評せざるを得ない。
「まあ単純な見た目も本当に綺麗だよ、七希さんは」
「聞いてられん」
「えーっと……」
「高虎だ。加賀見高虎」
「加賀見なら、昔から見てきたんだろ? 七希さんは不器用かもしれないけど、本当に優しい人なんだ。だから僕は見た目以上に、本質的に好きだよ。本当に好きだ。自分がこんなに人を想い焦がれるなんて思いもしなかったけどね」
「……は、まあ、否定する程でもないがな。だが俺はそれ以上に複雑な思いしかない。何をしても適わず、もう一人の幼馴染はあいつの事ばかりに夢中。挙句の果てに、ライバルと認めた相手が実は女だろう? もう開いた口がふさがらん」
女だろう、のくだりは桐生には分からない。
ただ、色々あったのだろうという事は想像できる。
「おい桐生、おまえ格闘技はやるのか?」
「いや、僕はサッカーしかやったこと無いよ」
「ふーん。なら蹴りには自信がある訳か」
「蹴りというか……まあ足腰は鍛えてはいるけど」
「素人相手に武道で勝負するのも問題だし、走りで勝負でもしないか?」
「勝負って……なんで?」
高虎はにやりと好戦的に笑った。
「そりゃお前、今の七の近くにいる奴がどんなもんか見てみたいんだよ。知ってるか? 地元じゃあいつは雲の上の人扱いで、浮いてたんだぜ?」
ちなみに現在進行形でも七希は浮いている。いろんな意味で。
「……それが?」
「だからあいつの傍に居られる理由が知りたいんだよ。あいつが高校で神童から転げ落ちたせいなのか、それともお前がそれだけすげえ奴なのか。もしくは――現実の見えてないアホなのか」
桐生誠也はお人好しである。
ただそんな彼にもはっきり喧嘩を売られているのは分かった。
つまり高虎はこう言いたいのだ。
――お前程度が本条七希の傍にいて良いのかと。
ゆえに、桐生の返答は一つだった。
「受けるよ」
男の矜持がそれ以外の選択肢を許さない。
「そうこなくっちゃな」
高虎は笑う。
◇■◇■◇。
その頃のリビングでは、女3人がため息をついていた。
本条七希、桐生涼音――そして藤間由紀である。
「勝負って、なんで勝負になるの? 何の勝負? ごめん七ちゃん、あたし全く意味が分からない」
「私に分かる訳ないだろ」
「えー七ちゃんの方がもうちょっと、男心が分かると思ったんだけどナー」
イラっとした。
「由紀ちゃん、そんなことも分からないの?」
「お、涼音ちゃんが分かるの?」
確認しておくが、タメ口を聞いている涼音は由紀より2つ下である。
「男が争う理由なんて、今も昔も女の事だけでしょ!」
「馬鹿にしてるのか駄犬」
「いたたた! 何でぐりぐりするの!?」
「いや、一般的な男子の代弁者として」
「なんで七姉が男子の代弁者なのよっ」
「どうどう七ちゃん、図星だからって涼音ちゃんに当たらない」
何が図星だ。
玄関は少し前に「ちょっと出てくる!」という桐生の声と共に静かになっている。
「このくそ寒い中で、どこに行ったんだあいつは。上着も置いたままで」
ソファにかけたままの桐生の上着を持って七希も立ち上がる。
「おやおや、七ちゃん? 気になるのかナー?」
「北国を舐めてる馬鹿が風邪を引く前に仲裁してくるだけだ」
「お、なら涼音も行く! お兄ちゃんが七姉以外の人に負けるところ見たこと無いし、ちょっと興味ある!」
「勝手にしろ」
そう言って2人は外出の用意をする。
2人を見ながら由紀は頬を掻いた。藤間由紀は鈍感なつもりはない。
「んー、これあたしも行かないとダメ、かなぁ。こーゆーの時効って一体いつなんだろ」
困った様に笑う由紀だった。




