故郷と友人と同級生
それなりに喫茶店で時間を潰した後、七希たちは適当にぶらつくべく街に向かった。
見上げた空からは先ほどまで止んでいた雪がちらほらと舞い始めていた。
「ふむ、まあここの天気はこんなものか。どうする桐生、帰るか?」
七希にとっては慣れたものだが、桐生にとっては遊ぶどころではないかもしれない。
桐生は柔らかく微笑んで首を横に振った。
「僕は七希さんと、一分でも長く一緒にいたいよ」
「ふぅ、ならば良い。行くぞ」
「うん」
ため息が出る七希に、朗らかに笑う桐生。
つかず離れず二人で歩いて街まで出ると、見知った顔を発見した。
1人は藤間由紀、そして一緒にいるのは見覚えのある地元の同級生たち数人である。
普段から無表情気味の七希の顔から更に表情が消えた。
「お? 七ちゃんだ」
すぐに由紀が気づいて声を上げると、周りの同級生たちも一斉に七希の方に振り向いた。
「え!? 本条さん……? やっば! 可愛い!」
「マジ!? 芸能人でもこんな人いる!? やば~い!」
姦しい声に眉をひそめていると、由紀が「しょうがないな~」と言わんばかりに苦笑した。
そして失敗したなぁと、舌を出している。憎めない。
「こんにちは、藤間さん」
「こんにちは~、桐生くん!」
黙殺を決め込んだ七希に代わって顔なじみの二人が挨拶する。
すると、先ほどから桐生をちらちら観察していた同級生たちが、またも黄色い声を出した。
そう、桐生誠也は本条七希以外の女子にはだいたい好評である。本人にとっては救われない話だが。
「え~凄くない? もしかして本条さんの、彼氏?」
「彼氏って、やばくない?」
「ね~、やっぱ女子じゃんって?」
「ね」
ウザい。
「てか中学の頃より髪伸びたね~本条さん」
「ね~、これなら……疑われる心配ないっていうか」
ちらちら桐生の顔を伺いながら、七希の過去を仄めかす同級生には由紀もうんざりした。
由紀とて別に彼女たちと遊びに来た訳でもなく、用事があって街に出てきた所で鉢合わせたのだ。
七希と違って社交的な由紀は久方ぶりの帰郷で出会った同級生と、しばしの同行を許していたに過ぎない。
しかしそれもここまでである。由紀は肩をすくめた。
「みんなゴメンね、あたし、七ちゃんと待ち合わせしてたから。このまま一緒に行くね?」
「お~、またな由紀」
「元気でね~」
名残惜しさの欠片もなく去っていく元同級生。
あげくに、なんの許可もなく去り際にスマホを向けられた。
七希の頭が沸騰しかけた――瞬間、桐生が七希の前に立ってさり気なくブラインドになってみせた。
桐生くん、それなりのイケメンである。
「……すまないな、桐生」
「ん? 何が?」
「ふふ、あたしお邪魔だったかな~」
でもあの子たちと一緒に居たくなかったしゴメンね~と、てへぺろする由紀である。
「あ~でも、あたしだって複雑だよ、七ちゃんとは結婚の約束までした幼馴染なのに、桐生くんに寝取られるなんて……」
「いやあの、藤間さん?」
「放っておけ桐生。いちいち由紀に構っていたら疲れるぞ」
「え~、ひっどいなぁ七ちゃん。もうちょっと幼馴染に優しく接する義務があると思います!」
ナチュラルに腕を絡めてくる由紀のさせるがままにして、七希はさっさと歩き始める。
桐生くんは割と羨ましかった!
「ところで二人とも、どこか行く途中だった?」
「いいや、当てはない」
「うん、街を観てみたいから、七希さんについてきただけだから」
「そぉなんだ? じゃあ記念にお土産でも買ってく? 物産センターが中央公園の傍にあるけど?」
大体30分くらいの距離かなぁ、と由紀が首を傾げる。
七希にも特に異論はない。桐生も喜んでいる。目的地が決まったのでしばらく歩いていると、由紀が「うーわ」と声を上げた。
何事かと顔を向けると、手元のスマホを指さしていた。
のぞき込んでみると、全て理解できた。
「由紀、歩きスマホは危ないぞ」
「うん、ゴメンね七ちゃん。でも七ちゃんにくっついてるから許して欲しい」
もちろん七希は歩きスマホなどしないので、くっついている由紀の安全確認にも余念が無いが。
「それにしても、う~~ん、自分たちのコミュニティと関係ないと思ったらやりたい放題だなぁ」
再度確認するスマホには、SNS交流アプリで先ほど隠し撮りされたと思われる七希たちの写真がUPされていた。
何枚か隠し撮りされており、桐生が庇った瞬間以外の写真も掲載されていた。
正面からのものは無く、横からもなく、後ろ姿だけだが七希の写真もある。
それを見た桐生の顔が珍しく険しくなる。
「あの子ら……!」
「う~ん、本当の美人さんは後ろ姿だけでも100%美人って事が分かる写真だねぇ」
「藤間さんっ」
「あはは、ちょっとふざけちゃったね、ゴメンね?」
スマホをちらりとだけ見た七希の胸の内は、心底冷えていた。
故郷に馴染まない。
田舎を飛び出した理由の一つは、間違いなくこれだ。
今の学園の知り合いは七希の過去を知らないのでピンと来ないだろうが、幼少期を過ごしたこの街ではある事ない事言われるのが普通だ。もっとも七希はそれに屈するほど弱くも脆くも無いので問題が逆に複雑になったのだが。
「行くぞ」
「タンマタンマ、七ちゃん」
さっさと歩きだす七希の腕にしがみついて移動を止める由紀。
「そうだよ、許せない……探し出してやめさせてくる!」
「まってまって桐生くん……よし――ポチっとな」
冷え込んだり熱くなったりする二人とは対照的に、いつも通りの由紀はSNS交流アプリに不正の申請をしておいた。このアプリ運営は割と厳格なので、直ぐに違反処置がされるだろう。
「あ、そうか……冷静だね、藤間さん」
「まあ、なんていうか、熱くなったりしても、七ちゃんは守れないから。昔はそれで火に油だったからね……やー恥ずかしいなー」
本当に申し訳なさそうにする由紀を、七希は思わず抱きしめた。
街中なので、道行く人たちも興味本位に視線を向けてくる。しかし関係なかった。
当の由紀は流石にびっくりして、目を白黒させているのだが。
正面から抱きすくめられて手はどうしていいのか分からなかったので、ぷらぷら遊んでいる。
「あれ~? 七ちゃん?」
「ん、いや……」
「いやって、なに? ふふ、ななちゃ~んっ!」
「まあ、うむ……」
「なになに~」
遊んでいた腕を七希の背中に回して、由紀はほにゃっと、はにかんだ。
その微笑ましい光景に、強い絆だなぁと桐生は優しく微笑んだ。
◇■◇■◇
「見苦しい所を見せたな」
物産センターでお土産を眺めながら、七希はぶっきらぼうに桐生に謝罪した。
「見ての通り、私は地元では腫物扱いでな。自分自身が堪えたかという意味では気にしたことはなかったが、どうしたって周りの大切な人たちには負担をかけたからな。そういう意味では居心地は良くなかった。桐生にも気を使わせてしまったか?」
桐生は気まずそうに頭を掻いた。
「そんなこと気にしないで。僕は、いや僕たちはいつも七希さんに助けられてるんだから。七希さんのために心を砕けることは嬉しくて、それを負担に思うわけがないよ」
それを聞いて七希は知らず、肩の力が抜けていた。
その微妙な変化を、由紀だけは見抜いていた。
「そうか――ありがとう」
照れ臭そうに、本人には全く自覚なく柔らかな笑顔で礼を言う七希は、桐生でなくとも客観的に可愛すぎた。
物産センターでちらちらと視線を送っていた不特定多数の男たちの胸を打ち抜いたことは、もちろん七希だけは知る由も無い。
「罪な女だよね~~~~~」
「何をする、やめろ由紀」
額をつんつんしてくる由紀の手を捕まえて、ついでに頭をぎゅむっと押さえつけると、負けるかとばかりに由紀は抗議のショルダータックルで体を押し付けてきた。
そんな由紀の様子にすっかり毒気を抜かれた七希は、今度は屈託なく笑った。
そして由紀は盛大なため息をついた。万感の思いが籠ったような盛大なため息だった。
「――はぁ~、ダメだ。桐生くん、ごめんね?」
「え?」
「過去とか現在とか、まあ性別とか、どうでもよくなっちゃったよ。あたし本当は応援しようと思ってたんだよ?」
小悪魔のように意味ありげに微笑んだ由紀が、七希の手をいわゆる恋人繋ぎで絡めながら桐生を見上げた。
その笑みに桐生は一瞬たじろいだが、苦笑いで受け止めた。
「……正直、一番怖い存在になったよ、藤間さんが」
「ふふふ~、恐れおののきなさい!」
「?」
七希だけが、意味が分からない顔をしていた。
繋がれた手の方は、由紀の好きにさせたままで。
■◇■◇■
適当に土産を選んで家に帰ってくると、涼音が寄ってきた。まるで主の帰りを待ちわびた柴犬である。
「なな姉、おかえり。今度は涼音も連れてってよ」
唇を尖らせながら、七希の腕をもう離さないとばかりに絡めとってくる。割と体温の高い妹分の温もりにほっこりと癒される。由紀もそうだが、女子は割とスキンシップが多いのだな、と正解のようで見当違いの納得をする七希である。
「悪かったな」
「いいけど」
「もう暗くなるし、また明日だな」
「……分かってるけど」
風船のごとく、絶賛頬が膨らんでいる妹分である。
「そうだな、まあ今日はいくらか気分が良い。代わりと言っては何だが、いつものお前の頼みを聞いてやらなくもない」
「え……!? いいの!?」
『いつものお願い』の承諾を得て、涼音の曇り顔が晴れ渡る。
「ああ、こちらの冬は寒いしな。お前くらいがちょうど良い暖になる」
「やったあああああ! ついになな姉がデレた!」
うしし、と独特の笑い声をあげる妹分に判断を誤ったかと思いながらも七希は満更でもない笑みを漏らした。
『いつものお願い』とは、つまるところ一緒に寝る事なのだが、流石の七希も妹分とはいえ同世代の少女と同衾はまずかろうと遠慮していた。性にうとい七希でもそのくらいの分別はあるのだ。
しかし久方ぶりの帰省という解放感と理解ある友人たちに囲まれて、七希でさえ多少羽目を外す気分になったという訳である。
――その後の涼音の行動は早かった。
夕食を食べたかと思うとせっつくように風呂場に連行されて、ここでも一緒に入浴させられた上に、その後は寝室に直行だ。
小学生でもこんな早く寝ない。
ただ成長期にたっぷり寝る事は悪い事ではない。七希自身はこれ以上育ってくれるなよ、と視線を落として自らのふくよかな双丘を眺めてしまったのだが。
「なによ、なな姉」
ついでに涼音の慎ましい体を眺めてしまって、恨みがましい目を向けられた。
「いや羨ましいな、と」
「馬鹿にしてるの!?」
「していない、スレンダーで良い身体だ」
ど真ん中ストレートな物のいいように、思春期真っ盛りの涼音は赤面した。
「そ、そう? まあ涼音は美少女だし? で、でもなな姉も、その、すごく魅力的なプロポーションしてると思うわ、よ?」
七希とて、自身が綺麗な部類に入るのだろうと少しは認識できる程度には性についても考えてみた。
さりとて未だに性別を感じさせるような胸を焦がすナニカを体験した事もなく、それが自分に訪れるとも思っていない。桐生に初めて出会った頃に言い放った言葉が未だに一番心にしっくりくる。
曰く「恋など一時の気の迷い」である。
「ふむ……ほら涼音、いつまで突っ立ってるんだ? 早く来い、寒いだろう?」
さっさと床に入った七希が、未だに突っ立って唸っている涼音を寝床に促した。
布団をたくし上げて、さあ来いと準備万端である。
「わ、分かってるし! ちょっと直立体操してただけよ!」
意味不明の言い訳を吐き捨てた後、涼音はふぅ~~~と気分を落ち着けてから、えいや! と勢いで七希の懐に潜り込んだ。
寝床に収まった涼音を見て、七希はたくし上げた布団を掛け直してやる。
部屋は暖房で温めてあるが、それでも寒いのが北国の冬だ。潜り込んできた涼音の体温は、正直心地よかった。
「……」
「……」
「……」
「……な、なんか言ってよなな姉」
「何かと言われてもな……寝るんじゃないのか?」
「こーゆー時はいきなり寝ないし! 語り明かすのが常識でしょ!」
「ふむ」
喋る代わりに、七希は涼音を抱き寄せた。暖の代わりである。
「うえ……!? え!?」
「確かに言葉は偉大だ。完全に近い意思疎通は人の集大成、その極致かもしれん」
もっとも言葉を持ってしても完璧に分かりあうことは無いのが人だが。
それに今は言葉より抱き寄せた涼音の温もりの方が、氷点下の世界では有意義だ。
「……なな姉」
「なんだ」
「なんか……ドキドキする……」
「病気か?」
「……なな姉って、恋したことあるの?」
「無いな」
「する予定はあるの? ほら……うちのお兄ちゃん、とか?」
本当に女子は夜の恋バナとやらが好きらしい。七希もこの情報は一華と由紀から入手済みである。その場合、全力で共感と肯定をしておけば問題ないらしい。いつだったかビール片手に語っていた気がする。よって七希にも対処可能である。
「へー、すごい」
七希の完璧な回答はしかし涼音を脱力させるに十分だった。
「……はぁあああ、まったくなな姉はもうっ。すぐにこれなんだもん」
「ああ、大丈夫だ。問題ない」
「いや、涼音いま肯定とかいらないからね?」
「そうだな、あいつが悪い」
「共感とかもいらねーからっ! なな姉、実はもう脳みそ寝てるでしょ!?」
「……」
「いや、チャンスとばかりに眠ったふりすんなし! もうっ! このめんどくさがりな義姉は! 乳もみほぐしたげよーか!?」
「肩の方が良いぞ」
「ほら! 起きてんじゃん!?」
「やかましい奴だな」
「もう良い、寝るし! なな姉は罰として、寝るまで涼音の頭なでなでしてて!」
何の罰か腑に落ちない七希だったが、このわがまま姫の言う事をいちいち真に受けても始まらない。実態は七希が9割5分悪いのだが。
されど分からない時は、逆らわない。この真理こそが対涼音用の七希の絶対戦術である。知り合ってからの半年は割と七希を寛容にした。尖っていた頃なら煩わしい奴は瞬殺である。
「ふむ、命拾いしたな涼音」
「ぇ、なによそれ、こわ」
軽口は叩きつつ、いつもはツインテールのほどいた涼音の髪。その柔らかい頭皮を七希は優しく撫でた。
「……へへ」
緩み切った妹分のだらしない顔に思わず笑みが出る。昼間に感じた不快な気分はどこかに消えてしまった。不思議なものである。
何か重要な会話をしただろうか?
否、結局のところ人なんて会話も温もりも二の次なのかもしれない。
「誰といるか、か」
「んや?」
「寝てろ」
「……ねるしー」
寝苦しいくらいに抱き着いてくる涼音に苦笑しながら、七希も眠りに落ちていく。
こんなふうに眠るのも悪くないな、と思いながら故郷の冬が過ぎていく。
お久しぶり過ぎました。生きてます。
時々更新します。




