本条家のドッキリ
ぱちり、と目が覚めた。
本条七希は2,3度瞬きを繰り返してから身を起こす。
いつもより喉が渇いている、否、懐かしい渇きである。
低く唸る暖房の音が聞こえる以外は痛いほどの静寂と暗闇の中、普通の同世代ならば2度寝を決め込むのに疑いのない早朝に七希は寝床を出た。
実に4時30分の事である。
◇■◇■◇
手早く防寒着を着込んだ七希は懐かしき実家の玄関を出て、軒先を慎重に確認した。
昨日から降り続く雪はいまだに止む気配はなく、しんしんと空から舞い落ちている。
ある程度危険を把握してから、七希はさっと軒下から出た。
立てかけておいたはしごに足をかけ、屋根に上る。腰まで届きそうな積もり具合である。
状況を確認し、用意しておいたスコップですばやく雪を落としていく。軒先でつららになっている氷も叩き落す。一連の作業を10分もかけず軽快に終わらせて、はしごを降りる。
次は落とした雪を通り道から除けていく。地道な作業を延々黙々とこなし、満足してスコップを置いたところで新聞配達員がやってきた。近くに車を置いて数軒を徒歩で回っているところなのだろう。
「お? 七希ちゃんかい? えれーべっぴんになったね~!」
おはよう、と気安い挨拶をしてくるのは七希も顔なじみの年嵩なおっちゃん配達員だ。
べっぴんという言葉に七希の眉がぴくりと動いたが、今さらである。
「ああ、久しぶりだな。この暗がりでも目が良いらしい。その調子で気を付けて行くのだぞ」
「へへ、や~っぱ本条の倅よりもよっぽどお武家様っちゃな、七希ちゃんは」
時代がかった口ぶりなのは七希も自覚していることだが、これこそが地なので、これも今さらである。
忙しい新聞配達員は軽く挨拶を済ますと、さっさと走っていった。
それを見送った七希は軽く体操をした。
「さて」
準備万端、この糞寒い雪の積もった早朝にランニングである。
新聞配達員に走れて七希に走れない訳がない。確かにそれは事実ではあったが、そんなストイックな高校生はほぼいない。なにも労働している訳でもないのだ。
白い息を吐きながら、ヒグマでも出たら修行になるなと内心期待しながら七希は町内を軽く一周した――
◇■◇■◇
7時。
本条家の母、六花が用意してくれていたお風呂から上がった七希は朝食の準備を手伝っていた。
「あら~、七希さん。もう少し寝てても、いいのよ~?」
「いい、招かれざる客も増えて六花も大変だろう」
「い~え~? むしろ嬉しくて~、張り切ってます~」
ほんわか母は、のんびり口調でふんすと握りこぶしを作った。可愛さは2児の母とは思えなかった。
「それに~、朝から雪かきしてくれたでしょ~? ありがとうね~ よしよし~」
「……いい」
頭を撫でられるほど子供ではない七希ではあったが、六花のやりたいようにさせてやるだけの大人な対応は持ち合わせていた。
というか満更でもなかった。
よしよしよ~しよしよし~と六花もご満悦である。
久しぶりの娘……のような息子が帰ってきて浮かれている。
「七希さんも、ボーイフレンドを紹介しに帰ってくるなんて~お母さん、ちょっと困るっていうか~」
ボーイフレンド。
男友達。
ふむ、間違ってはいない。
何かを根本的に間違えている七希は頷いた。
「クラスメイトだ。気を遣う必要はない」
「そ~お? まだ、手も繋いでない~?」
背負い投げならしたな、と振り返る。
「腕を掴んだことはあるが」
「まあっ!」
大胆ね~、七希さんは~と何故か頬を染める母は実は年齢詐称しているのではないかと七希は本気で思う。もちろん逆の方に。
実の息子ですら、高校生に思えるほど若いのである。
「いや、団十郎が極度のロリコンだった可能性があるか。犯罪だな」
「え~? お母さんと団十郎さんの~馴初めを聞きたいの~?」
「いや、まったく聞きたくない」
「あれは~――」
などと、噛み合わないいつもの本条家の日常は七希が進学してから1年ぶりのことだった。
◇■◇■◇
桐生涼音が起きてきたのは8時半を回った頃だった。
寒い寒いと用意していたはんてんを着込んで、目をこしこししながら口元はむにゃむにゃ。どうみてもまだまだ寝足りないと全身で主張している彼女はまさに年相応。六花はそんなお客人を迎えて満面の笑みを浮かべた。
本条家は姉の一華も七希も年相応という言葉を母の胎内に置き忘れてきたかのような子供だったので、どうも母性本能がくすぐられるらしい。
「おはよ~、涼音ちゃん~」
「ん、ふぁ~~~、ん、おはよ~ございまふ、お義母さま」
おかあさま、という涼音の呼称に多少の違和感と字について問いただしたい気もする七希だったが面倒なのでスルーした。
スルースキルはカンスト。
七希のスタイルである。
「涼音ちゃん、朝ご飯食べられる~?」
食べないと身体に悪いから、め、ですよと言わんばかりの六花である。
食卓には焼き魚と千切り大根、ほうれん草のお浸しに卵焼きが並べられている。
そこに後はご飯とみそ汁を足せば完璧な和食の出来上がりだ。
涼音はそれを見て眠そうな目をあっという間に輝かせた。
「おいしそっ! これお義母さまが?」
「七希さんも~手伝ってくれました~」
「さっすが七姉! もういつでもお嫁に行けるね」
「うんうん~そうでしょ~? 七希さんは3年前からどこに出しても恥ずかしくない理想のお嫁さんなの~」
「わかる~っ」
お前らは友達か、と歳の差を気にしない会話を繰り広げる家族とやかましい妹分を尻目に、七希は食後のコーヒーを飲んでいた。むろん、二人のことなどスルーである。
「――薪割り、終わりました」
さわやかな汗を流した桐生家兄、桐生誠也が居間に顔を出した。
本条家は時代がかった武家屋敷のようなお屋敷ではあったが、設備はもちろん近代化している。よって薪が必須ではないが、薪ストーブなども設備としてはあるし、それは意外と使い勝手も良く、なにより温かい。古いものにも良いものは多い。
「あら~ありがとう~誠也くん。働きものね~、安心だわ~」
「い、いえ、そんな」
やかましいな。
コーヒーを飲み終えた七希は姦しく語り合う涼音たちを残して席を立った。
武道場に足を向ける。
そんな七希の背中を切なそうに見つめる桐生くんである。なお、母と妹はにしし、とか、しっかりしてよ~とか好き勝手言いながら意気投合していた。
◇■◇■◇
道場の中心にて七希が正座していると、やぼったい気配が近づいてきた。
「ぬうっおおおおおおおおおお!!!」
不意打ちの意味を微塵も考えない気合の雄たけびをあげながら、その人、本条団十郎は七希の背後から渾身の手刀を繰り出した。
何度も言うが、実の娘に後ろから全力の攻撃である。人の親のやることだろうか?
「ふ、甘すぎる」
予定調和のように、団十郎は宙を舞った。
手刀の勢いを合気道の技で力を上手くいなして、投げ飛ばす。
本条七希、齢16にして既に達人の域であった。
「ぐおあ!?」
自らの勢いそのままに宙を舞って道場に叩きつけられた団十郎、悶絶する。
しばらく打ち上げられた魚のように道場を転がっていた団十郎だが、痛みが引いたころにすっくと立ちあがった。
「へ、まあまあ、だな」
負け惜しみである。
1年ぶりに帰ってきた我が子に対する第一声であった。
「団十郎、前にも言ったと思うが気合だけ空回りしても意味はない」
時には気合も意味がある。それは確かにその通りだが団十郎の場合はそれ以前であった。
というか団十郎とて道場の師範代を務める武芸者ではなったのだが、七希には手も足も出ない世の理不尽である。
「ちぃ、おっぱいばっか成長しやがって、あいっかわらず捻くれた性格は変わってねえ!」
ふむ、そういえば3年前より大分大きくなったな、むしろ一華より大きい。
七希も正直邪魔なので気にしていた。
「ああ、最近妙に成長してしまったな……」
七希のつぶやきに、団十郎真っ青になる。
「な、おま……まさか……あの坊主に、揉ま……っ! ちいいいっ! ふざけるなああああ!」
七希の胸は、俺のもんだあああああああっ! と叫びながら、団十郎は道場を走って出ていった。目が血走っており、この後の少年の安否が気遣われた。
つくづく桐生という少年は幸が薄い。
「ふぅ、やれやれ……」
やかましい。
しかし悪くはない。
そういえば、これが実家だったなと懐かしく思い出す。
団十郎が騒ぎ、六花が和まし、一華が毒を添える。それで世の中事も無し、本条家は平和な時を過ごしてきたのである。
では七希の存在はどうだろう?
本条家はこれで意外と由緒正しい道場をやっている。
跡取りは男と前時代的な話はないが、ここは田舎でもあり、独特の世界を形成しているのは確かだ。
それに一華は都会暮らしが性に合っており継ぐ気はなく、また武道の心得もない。
ならば少なからず七希が期待されていたのではなかったか?
だが今はこの姿。まさかの事態である。
両親の願いなぞ聞いたこともないし、子供に何かを強要するタイプでもないのだが、割と生真面目に考えてしまう七希ではあった。
――しかし。
「――は? 妊娠?」
居間に戻った七希は、六花から突然の爆弾発言を聞かされた。
「そお、もう~一華さんも七希さんも居なくて、寂しくて寂しくて~」
子離れしろ。
「え~~~! すっご~い! あたしの義妹できるの!?」
お前のじゃないだろ。
「へへ、だから家の事は心配しなくていいんだぜっ、七希!」
無駄に真っ白な歯をちらつかせた団十郎にイラァっとする七希である。
「今度こそ俺より弱く、かつ一般人よりは強い手ごろな男を鍛えて見せるっ!」
「最低だな」
思ったより深刻な父のプライド状況だった。
「……あ~、まあ、なんていうか、おめでとう六花」
「うんうん~ありがと~七希さんっ」
こういう時、どうしていいのか分からないのが経験不足の純情少年である。
意味もなくあたふたしている桐生に向かって、なぜか団十郎が真剣な顔をした。
親の仇の如く鬼の形相である。
「言っておくが……ナマはやめぶぎゃるふぉがっ!」
神速で踏み込んだ七希の発頸を食らって団十郎は宙に舞うのだった。
スルースキルもカンストとは言え、世の中には超えて良いラインとそうでないものがある。
「ん~? 七希さんがわざわざボーイフレンドを連れてくるから~、そういう話かと思ったんだけど~、違う?」
ぴくぴくと気持ち悪い虫のように痙攣する旦那の隣で、六花が首を傾げるのだった。
あまりにも気ままな更新ですみません。
気が向いたら読み直してみてください。




