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あさおんっ! ~本条七希の数奇な人生~  作者: 瀬戸悠一


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13/25

夏休みの策謀

 その日は、サウナのような息苦しさと暑さだった。

 熱を弾いたアスファルトの上では蜃気楼が浮かぶほどだ。

 そんな中、駅前公園の噴水広場のベンチにて、一際目立つワンピースと麦わら帽子姿の少女、本条七希が憂鬱そうに溜息をついていた。

 ちなみに服装は姉、一華の「夏の女子の定番と言えば、これっしょ?」という助言に従ったもので、本人の拘りではない。

 色々あってやさぐれてはいるが、根は素直な七希である。

 なお彼女の可憐な容姿と只者ではないオーラは一般人とは隔絶しており、通行人はカメラも無いのに何かの撮影かと遠慮気味にその場を後にしていた。

 実際は、ただ暇を持て余してボーっとしていただけで、じっとしていても汗が噴き出るべたつく熱気にうんざりしていたのだが。


 「あつい……世界、滅びろ」


 あまりの異常気象に、いつも冷静な本条七希は呪詛を呟いた。


 「それくらいで世界を滅ぼそうなんて修行が足りんぞ、ななちゃん!」


 ひやっと、七希の頬に缶ジュースが当てられる。

 呪詛を呟いた天罰じゃ、と。

 待ち人、ようやく来る。


 「ああ、すまない由紀。あと、ななちゃんは止めろ」

 「えへへ、どういたしました。あと、無理です」


 すとん、と七希の隣に当たり前のように収まったのは、幼馴染の藤間由紀。

 今の所、誰にも変わる事の無い指定席である。


 「ん~、このくそ暑い中で飲む安っぽい缶ジュースの味が癖になりますな~」


 したたる汗など気にもせず、果実系の炭酸飲料をごきゅごきゅ飲み下す由紀は天真爛漫な魅力あふれる少女である。

 七希も幼馴染のいつも通りを気にせず、貰ったジュースのプルタブを小指で開けてグイっと飲み下した。

 季節は廻り、夏休み。

 中間考査も期末考査もぶっちぎりの学年トップをひた走り、体育祭と球技大会では野太い声援と黄色い声援を独占し、事あるごとに並居る男子のリビドーをぶった切り、壊滅的な涼音の生活力(女子力)を叩き直す事にも余念が無かった七希にも、束の間の休みが訪れていた。


 「ところでカバも干からびそうなこんな日に、何の用だ由紀、暑いぞ」

 「うん、別に用は無いけどね? 暇だったし? 夏の日光浴びてみたかったし? ななちゃんは夏休み何してるの?」


 そういう話なら外でなくとも良いだろうと思ったが、確かにたまには陽の光を浴びるのも悪くないのかもしれない。

 ふむ、と七希は回想した。


 「いつも通りだな」

 「ほうほう、いつも通りとは?」


 うむ、と七希は腕を組んで頷いた。

 我儘な胸の双丘が寄せてあげられた。無意識に。


 「朝は5時に起きて10キロ走。帰ってから一通り筋トレを終わらせてから朝食の準備をして一姉を叩き起こす。嫌がるダメ社会人を会社に送り出してから掃除洗濯買い物が、だいたいいつもの午前中の流れだ」

 「ふむふむ、主婦の鑑のようなスケジュール……アスリート入ってるけど」


 由紀もいつもの幼馴染の日常をさらりと流した。


 「昼からは軽く勉強だな。たまに図書館に行くときもあるが、ほぼ自室で事足りる」

 「出かけるのに髪梳いたり着替えたりするの、面倒だもんね~」

 「そうか?」

 「違うの、ななちゃんは? わたし家でなんて、ぐて~ってなってるよ? ぐて~って。一日中パジャマだったり、シャツにパンツだけだったり? あと基本、髪は爆発してます」


 藤間由紀はオンとオフの使い分けが、しっかりしている。

 とは言っても涼音のように壊滅している訳ではない。

 ただリラックスしているだけだ。

 それは一華にも当てはまることだった。

 家でだらしなくしている事の多い一華だが、会社ではデキる女なのだという噂だ。

 あくまで噂だが。


 「ふむ、身だしなみのゆるみは気のゆるみ。道を志すものとしては、あり得ぬ事だ」

 「ふ~ん? 相変わらずななちゃんは恰好可愛いなぁ。結婚しよ?」


 3年前から不可能である。


 「馬鹿親のせいで公的機関に届けられている私の戸籍は『女』だがな」

 「愛があれば関係ないって!」


 割と良い笑顔で由紀はサムズアップした。


 「大丈夫、私は知ってるよ! ななちゃんの心が、たぶん男の子だって事!」

 「なんで、たぶんを付けた?」

 「ちょっと自信無くなってきちゃってるから、最近」

 「いいから、そこは自信をもっておけ、ずっとだ」

 「は~い」


 えい、と由紀は空き缶をゴミ籠に投げた。

 外したので急いで拾って入れ直していた。

 それを見ていた七希もひょい、と投げて見事にストライク。


 「ずるい、ななちゃん!」

 「なにがだ……」


 額に汗した由紀が怒っていた。

 

 「は~、やっぱななちゃんは凄いや。こうやって時々会ってないと、もう私の手の届く場所に居なくなっちゃう気がして不安なんだよ」


 えい、とこの暑い中、由紀は七希の肩に頭を預けて来た。


 「人の歩く道の差など、大した違いは無いと思うがな」

 「一般ピープルには、そう思えないんですぅ~」


 頭ぐりぐりされた。


 「それとも、やっぱりななちゃん、桐生くんと結婚する?」

 「今の流れからどう接続されたのか分からん内容だが……無いな。私は男だと言ったろう」

 「忘れてました」

 「早すぎる」

 「や~、無理ですって、この我儘な身体を見せつけられますと」


 後ろから抱きすくめられて、七希は胸を揉まれた。


 「どう?」

 「……いや、どうと言われてもな」

 「ブラ付けてるか心配だったけど、ちゃんと付けてるみたいで安心しました」

 「いや、分かってやって……まあ、いい」


 形ばかりの拳骨を入れて、由紀を引っぺがした。


 「う~ん、ななちゃんって男の子に胸を揉まれそうになると、どう思うの?」

 「生理的に、本気で悪寒がするから――仕留めるな」


 夜の公園で古武術の鍛錬をしていた七希に悪戯をしようとしたお兄さんたちが、この街ではよく捕まっていた。

 犯人たちは「おとり捜査は卑怯」と口を揃えていたそうだ。


 「じゃあ、桐生くんは?」

 「? あいつが私の胸なんかに興味あるのか? そんな不埒な奴には見えんがな」

 「わぁ~かってない! 相変わらず男の子が分かってない!」

 「……」


 七希はさすがに眉間に皺を寄せた。

 それはおかしい、と言いそうになったが由紀の剣幕に黙る。


 「男なんて一皮剥けば狼なんだからね! お願いだから、ななちゃんも無防備に男子を誘惑するのやめてね?」

 「あ、ああ」


 体育の時や、その他ふとした瞬間、どうしても七希は女子らしからぬ隙を見せる事があり、それは前から由紀が気にしていた所だった。

 もちろん、七希も好きでこう(女)なっている訳ではないので不可抗力である。


 「……それならそれで由紀が私と一緒の風呂に入ってくるのは道理に合わないと思うのだが」

 「も~、ななちゃんのえっち!」

 「分からん……」


 相変わらず、七希にとって女心は秋の空だった。


 「あぁそうそう、お喋りしてても楽しいんだけど、水着買いに行こうよ、ななちゃん!」

 「水着?」

 「うん、ほら、涼音ちゃんも海に行きたい~って期末考査の頃に唸ってたじゃない?」

 「あれは現実逃避してただけだと思ったが……」

 「でも涼音ちゃんも頑張ったし、ご褒美に海に誘うのも、アリなんじゃないかと」


 ご褒美?

 全教科際どく平均点を下回った涼音に、ご褒美をあげても良いのだろうか。

 七希は割と本気で悩んだ。


 「水着なら学園のがあるが……」

 「……ダメだよ、ななちゃん。それはダメ」


 急に真剣な顔で、由紀が首を振る。

 妙な迫力に七希も息をのんだ。


 「まだそれは、ななちゃんには上級過ぎると思う。ここは正統派で行こう。ね?」

 「まあ……いいが」


 なし崩し的に海にいく事には同意してしまった七希である。

 由紀は小さくガッツポーズした。


 「……涼音ちゃん、ミッションクリア。後はお願いね」


 その呟きは、七希の耳には入らなかった。




 ◇■◇■◇


 桐生誠也。

 その他大勢の男子と同じく屋上告白にて盛大に散った一人ではあるが、不思議な縁で今も七希と交流がある。


 「はぁ……七希さん」


 暇があれば七希の事を考える桐生は、相当重度な恋の病にかかっていた。

 100年経っても愛せると、彼は本気で思っている。


 「お兄ちゃん、邪魔~。今から涼音、ゲームするんだからどいてよ」


 リビングのソファで見るともなしにTVを見ていた桐生に、ぞんざいな声が掛かる。

 色々困った妹、涼音である。

 言いながら、手にしたスマホで既にゲームをしている。

 やっているのは最近流行りの乙女ゲーらしい。

 アイドルを目指す男の子を咲かせてあげるゲームだが、もちろん桐生は興味ない。


 「部屋でやればいいだろー」

 「ふん。リビングが落ち着くし、ちょっと寄ってお兄ちゃん」


 言いながら押しのけるようにソファに座ってくる涼音。

 兄をクッション代わりに体重を預けて人心地ついている。

 なんだかんだと、まだまだ甘え盛りの妹だった。


 「ねー、とーさんとかーさん、まだ帰ってこないんだっけ?」

 「出張の予定が、海外赴任に変わりそうだって、電話で言ってたけど」

 「ふーん。ま、いまや涼音も家事できるようになったし? 問題ないし」


 嘘ではないが、事実でも無い。

 泣く子も黙る指導によって涼音は確かに一通りの家事をこなせるようにはなったが、普段は面倒なので何もやらない。

 よってリビングやキッチンの片づけはもっぱら兄である桐生の仕事だ。

 もっとも、それだけでは荒れ果てるので――

 黙々とゲームをしていた涼音が、来客を告げる呼び鈴の音に飛び起きた。


 「うわっ」


 反応の良さに桐生ビビる。


 「涼音が出て来る!」


 待ち人来る、と言わんばかりに涼音はリビングを駆けて行った。

 涼音はせっかちにも応答すらせずに、一直線に玄関の戸を開けた。

 そこにはインターホンの前で返事を待つ七希が、相変わらず一部の隙も無く立っていた。

 買い物袋も持っている。


 「ん? 早いな、涼音」

 「いらっしゃい! ななねえ!」


 挨拶もそこそこに、涼音は七希の手を引っ張るように家に引き入れた。


 「まだ靴も脱いでない。やめろ、引っ張るな」

 「んぎぎ~、そんな事言ったって、ななねえ、ピクリとも動かないし!」

 「体幹を鍛えれば簡単だ。バランスだな」

 「んな訳ねーし!」


 無駄に意地を張って引っ張る涼音を軽くいなして、七希は桐生家にお邪魔した。

 週に1度は立ち寄るので、それほど荒れ果てることは無い。


 「掃除くらいはしているか?」

 「もちろん!」


 返事の元気だけ良いが廊下の隅には埃がたまっており、とても行き届いた管理ができているとは思えない。

 やれやれ、と七希は肩を竦めた。


 「まずは掃除からだ。夕食はその後で作ってやる」

 「え~~~」

 「あとゲームばかりするな。目も悪くなるし、没頭し過ぎて時間が勿体ない」

 「1時間くらいならいーでしょ?」

 「本当にそれで収まるならな」

 「もー、ななねえは厳しすぎるんだって! 面白いんだから、ななねえもやってみなよ! 乙女ゲー」

 「乙女ゲー……?」


 なんだそのジャンルは?

 ゲームすらあまりしない七希だが、初心者の触るものとしては敷居が高い気がした。

 涼音が押し付けて来るスマホには、色とりどりの男たちが涼し気な目でこちらに向かって微笑んでいた。


 「……これは、何をするゲームだ」

 「何って、このイケメン達を訓練して虜にしていくゲームに決まってるし」

 「訓練して、虜に……?」


 拷問か?

 そういえばレクリエーション大会前の訓練で、男たちが戦士に仕上がった気がしないでもない。

 その後妙に面倒臭くなったので、一切相手をしていないが。


 「また今度にしておく」

 「えー」


 唇を尖らせて、涼音がスマホを受け取った。

 リビングに入ると、いつ出ていこうかとタイミングを完全に逸していた桐生が直立不動で待ち構えていた。

 必要のない力の入れ具合に、実の妹はあちゃ~っと頭に手を置いた。


 「邪魔をするぞ、桐生」

 「あ、う、うん! いらっしゃい、七希さんっ! ゆっくりしていってよ!」

 「おにーちゃんはイケメンで高スペックだけど、ななねえの前で空回り過ぎだし……」


 それが密かに七希と桐生をくっつけて本当の家族になろうと画策している涼音の不満であった。


 「まあ適当に掃除して、夕食を作ったら帰る」

 「やだ! 泊まってってよななねえ! 今夏休みなんだから!」

 「とまっ!?」


 純な青少年の心臓が破裂しそうな提案を、目を光らせた涼音がする。

 既成事実もアリなのではないかと考える涼音の頭はお子様のようでアダルトでもあった。

 もっとも、既成事実が作れるほど桐生に度胸は無く、七希の隙も無いので結局は意味を為さないのだが。

 それも理解している涼音は、由紀と結託して開放的な時間を過ごす事に決めたのだ。

 お互いの利益の為に。


 「ねえ、ななねえ! 今度海連れてってくれるんでしょ?」

 「なんだお前……知ってたのか」

 「ふふん、涼音、なんでも知ってるんだから」

 「だったら、平均点くらい上回って欲しかったがな」

 「う……でも全教科満遍なく平均点! ……より少し届かなかったくらいだから、順位もクラスで真ん中! ……よりちょっとだけ後ろ、の無難な成績だったんだからね!」


 褒められたものでもないかもしれないが、この学園自体のレベルが高いことは事実であり、そう考えるとレベルの高い中での平均は悪い結果ではない……のかもしれない。

 少々甘い気もしたが、七希は苦笑して頭を撫でた。

 涼音が借りて来た猫のように、うにゃぁ~と蕩けていた。


 「よし、まあよく頑張った。海には連れて行ってやる」

 「やった! しし、これで……計画通り!」


 不穏な笑みを隠した涼音と、僕も参加しても良いのだろうかとソワソワしている桐生。

 落ち着きのない二人の兄妹を前に、やはり七希は肩を竦めるのであった。

 海にて厄介なイベントが待ち構えている事は、この時は知る由もなかった。

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