ななねえ
女子と一緒にお風呂に入る。
これは七希の中学時代の苦い経験を思い起こさせた。
語るも涙の中学時代の一幕である。
地元の中学に進学した七希は当然小学生時代からの知り合いがおり、その変化は驚きをもって迎えられた。
「七希は本条流古武術の後継者として男として育てたが、それにも限界が来たのでここに真の性を告白する次第である!」
「なんて言ってますが主人が~、うっかり届けを間違えてしまいまして~」
「か、かーさん!? 俺は別に――ひぃっ!?」
「うふふ~、なにか? 団十郎さん?」
「いや待て団十郎、六花、その前に私は本当におと――」
「それは~、気のせいですよ~、七希さん?」
「き、気のせ……? 笑顔が怖いぞ六花……」
などという行政含む諸々の些事は父、団十郎と主に母、六花によって事なきを得た。
そんな訳で女子として中学生活を送ることになった七希だが、ちょうどこの頃、男どもも盛りの付く年頃である。
まして、もともと男だと思われていた美少女は最高の標的となった。
おふざけを隠れ蓑にしたスケベ心で過剰なスキンシップを求めてくる男子などざらである。
男だった女だからに関係なく、ベタベタ触られるのを嫌う七希がそんな隙を見せるはずもなく、ことごとくが血祭りに上がった訳だが。
昔の事情も斟酌し、この頃七希は『セーラー服を着たダンディライオン』という異名を拝借していた。
もちろん、発起人は星になった。
また修学旅行の旅館などは最悪であった。
お風呂をどうするかという問題だ。
本人の希望とは別に、この頃には七希は女子として周囲に受け入れられていた。
身体的な特徴を見れば一目瞭然という事実もある。
しかしそうは言っても七希の側からすれば、女子の裸を盗み見てしまうようで後ろめたいことこの上ない。
昔から続く道場の息子として生まれた七希は、心の中では立派な日本男児なのである。
女子とは一緒に入れない男子と入る、と言い出した七希の言葉に男どもは狂喜乱舞の有様だったが、何故か女子から断固反対を食らって断念していた。
男子は意気消沈していた。
結局七希は男子とも女子とも別にわずかな入浴時間を特別に設けてもらい、そこで由紀と一緒に入浴していた。
由紀がさりげなく一緒に入っていたのは今でも謎である。
余談だが、その2人の入浴を覗こうと侵入してきた男子は待ち構えていた有志の女子たちの手で帰らぬ人となった。
◇■◇■◇
「――ということがあってだな」
「話長いのよ、なな姉」
引っ張り込まれた脱衣所で延々と語って聞かせていた七希が珍しく切って捨てられた。
涼音はだから何なのと頬を膨らませている。
どうやら七希の苦い経験は理解されなかったらしい、とくに男がどうとかいうところ。
それはともかく――
「なな姉……?」
「な、なによー、悪い?」
トレードマークのツインテールをおろしながら、涼音は照れたように唇を尖らせた。
この涼音、一度懐を開けば駄犬ならぬ忠犬に早変わりである。
「別に良いが、新鮮だな」
七希は姉しか居ないので、下の兄妹というものに憧れのようなものを持っていた。
別に偉ぶりたい訳ではなく、これで人の教育指導に熱心な七希は弟なり妹なりを教化してあげたいと思っていたりする。
もちろん七希自身も一華を含め先達から薫陶を受けることに嫌はない。
「涼音、しっかり教育してやる」
「ちょ、ぐりぐりしないでよぉ、なな姉! 恥ずいんだから……」
頭なでなですると、涼音はますます赤くなってそっぽを向いた。
「ではそういうことで」
「逃げんなし!」
がっちりと半脱ぎ状態の涼音に腰タックルを食らってしまった七希は溜息をついた。
さすがに兄と違って投げ飛ばす訳にもいくまい。
「分かった。涼音の顔に泥を塗るのも野暮だろう。入るとするか」
七希は無駄に騒いだり往生際が悪かったりしない潔さを持っている。
だがとりあえず心の中では先に謝っておく。すまない。
そうと決まれば、じろじろ涼音の着替え姿を見るのも気の毒である。
七希は手早く制服を脱いだ。
何気なく下着姿を披露した七希に、涼音の目が釘付けになる。
同性でも息をのむ美貌とスタイルなのだが、黒というのも扇情的過ぎた。
「なな姉、大人……」
桐生涼音13歳、大人に憧れるお年頃である。
「お、お兄ちゃんが好きになるのも、無理ないかも……」
いやそれは無理であってほしいが、と思うがさすがに七希も口にはしなかった。
「あ、なな姉制服ハンガーにかけててよ、お風呂から出たらドライヤーと部屋の扇風機で乾かすから」
「ああ、ありがとう」
言いながら、もう七希は涼音に引っ張られるようにバスルームに入っていた。
我慢の効かない奴だと苦笑する。
ちなみに涼音はとても子供らしい、よく言えば可愛らしい体型をしていた。
そのせいかタオルで隠すこともなく、羞恥心などとは無縁のようだ。
それは七希も同じだったが。
「どうやったらなな姉みたいになれるの?」
「まずは朝の10キロ走からだな」
「無理だし、そういうこと聞いてるんじゃないし、身体鍛えようと思ってるわけじゃないし」
かけ湯をしながらも相変わらずよく動く口である。
とりあえず七希は髪をまとめてタオルで巻いた。
「髪も洗えばいいのに」
「それは家でやる、今は面倒だ」
本当に面倒だ。
しみじみ七希は思う。
ロングヘアーをバッサリ切ろうかと思ったこともあったが、一華と由紀に止められて断念している。
「泊まってけばいいんじゃない?」
「こんな遅くに由紀だけ家に帰す訳にはいかない」
「じゃあ、二人とも泊まれば?」
「着替えがない、そしていろいろ準備できてないので面倒だ」
「ま、そうかも。じゃあ今度からいつでも泊まれるように着替えとか諸々ストックしておいたらいいのよ!」
桐生が停学になるのだろうか、自分だろうかと七希はちょっと考えた。
まあ両方だろうが、その時はその時で揉み消せばいい。
生徒会役員の裏の顔である。
「まあ涼音の様子を時々は見ておきたいしな、寄らせてもらうこともあるかもしれん」
「ほんと!? やった!」
いつ両親が帰ってくるのか知らないが、妹分となった涼音の普段の生活力が乏しすぎて心配なのである。
桐生は部活で忙しいだろうし、これで涼音は結構寂しい思いをしているのかもしれない。
パッと見そんな感じには思えないが。
「なな姉、身体洗ってあげるっ」
「よせ」
「なんでよー!」
「人に触られるとくすぐったい」
借りたボディタオルで手早く身体を洗い流す。
そもそも長湯するつもりもない。
涼音は頬を膨らませていたが。
「じゃあ涼音の髪洗ってよー」
「……お前、一時間前と同一人物か?」
保健室からファミレス、先ほどの料理の騒動までを思い返す七希である。
「まあいい、シャンプーハットはいるか?」
「涼音そんな子供じゃねーし!」
「…………そうだな」
「なによその間は!?」
騒ぎながらもそれなりに楽しい入浴時間を過ごしていた。
一華、由紀以外でここまで気兼ねせず裸の付き合いができるのは涼音が初めてである。
それは涼音の分け隔てない態度と、意外と竹を割ったようなさっぱりした性格のおがけだ。
七希はちょっと感動していた。
そうして湯船に浸かると、その七希の上に涼音も甘えて浸かってきた。
七希も苦笑しながら好きにさせてやる。
「ん、なな姉はさ、お兄ちゃんのこと好きなの?」
「嫌いではない。だが特別な感情も持ち合わせていない」
「えー、んー」
少し前なら、ふざけんじゃねーわよ、お兄ちゃんは絶対渡さない! 泥棒猫! と騒いでいた人間の変わりようである。
「涼音、なな姉に……えと、その……本当にお姉ちゃんになってほしい、かも」
「別にそういうことに拘らなくても、私は今でも涼音の姉で構わないがな」
「それは嬉しいけど、んー」
思春期の乙女の思考回路は謎である。
というより涼音が、ということかもしれないが。
湯煙漂う居心地の良いバスルームで、二人はのんびりと湯船に浸かる。
至福のひと時だった。
◇■◇■◇
「な、ななな、七希、さん……っ!?」
お風呂から上がると、桐生が金魚みたいに口をぱくぱくさせていた。
むろん、七希の湯上りの出で立ちを見てである。
七希は涼音が用意してくれていた着替えにとりあえず袖を通したが、それは何を隠そう桐生のYシャツだった。
下は着ていない。
かなりの際どさだったので無理もない。
「涼音ちゃんっ!」
由紀が涼音に声を張り上げて――親指をぐっと天に立てた。
「ぐっじょぶ!」
「ふふん、そーでしょそーでしょっ」
そして涼音のドヤ顔である。
ちなみに玲奈はもう今日は泊まる気らしく、「次お風呂借りるから」と入れ違いに浴室に向かっている。
騒動とは無縁の冷静さである。
七希は密かに感心した。
「おい涼音、着替えがこれしかないということはないだろう?」
「我が家では湯上りは男物のYシャツって決まってんのよ、文句ある?」
ではそのピンクの可愛らしい寝間着は何なのかと。
「いや、男物のYシャツというのは凄く心に落ちてくるものがあるが」
男として、だ。
しかし桐生はそれを別の意味に捉えて赤くなる、無理もない。
「お、俺のYシャツで良ければ、いつでも貸すから!」
「いやいつもは要らないが」
サイズが大きい。
七希は自分の華奢さを再確認して、それなりに落ち込んでいた。
「ふん、まあいい。制服が乾くまで手持無沙汰だな、瞑想でもするか」
「やめてななちゃん、その恰好で瞑想は危ないよ、主に桐生君が」
現時点で桐生は眠れぬ夜を過ごすほど興奮していたが、座禅して瞑想はまずいと思われた。
Yシャツで。
「なら仕方ない、涼音の勉強でも見るか」
「え゛?」
「案内しろ涼音、部屋に行くぞ」
「いやちょっと、今涼音調子悪いっていうか、アラビア数字を見ると頭痛くなるっていうか」
「とりあえず数学から軽くやってみるか、行くぞ」
「ぃやだぁ~っ!!」
抵抗は無意味。
首筋を猫のようにひょいと掴まれて、涼音は2階に連行された。
「ふふ、賑やかだね~、涼音ちゃん」
「あ、ああ、うん。本当に、甘えん坊なところはあるけど、あいつのおかげで家が明るくって助かるよ」
桐生家のリビングは現在台風の目に突入しており、ようやくの静けさが戻ってきた。
会話内容までは分からずとも、お風呂での騒動も伝わってきていたので本当に久しぶりの落ち着きである。
「本条さんは凄いね、涼音にあんなに懐かれてる人はそうは居ないよ」
「ん~、実際のところはななちゃん、友達少ないんだけど……」
その大部分は他人に関心を示さない七希に原因があったが、事情が事情なのである程度仕方ないかと由紀も思っていた。
ただ男時代の七希の性格が今と違ったかというと、そうでもないような……
気苦労の絶えない幼馴染である。
「藤間さんは、本条さんの幼馴染なんだよね?」
「あ、あたしの事知ってるの、桐生君?」
「そりゃあ……こう言ったらなんだけど、二人ともすごく有名だから」
「ななちゃんの傍にいるとどうしてもね~」
あははと笑う由紀だが、桐生が言いたいのはそうではなくて由紀自身も七希と関係なく注目を集める人間だということだ。
自己評価が低いのは悪いところだ、と実は七希に指摘される部分でもある。
ただし由紀はそれを悪いとも思っておらず、むしろ元々一歩控えたい性格なので影に隠れる自分こそがしっくりくるのである。
「……」
桐生が居心地悪そうにしている。視線も落ち着かない。
どうやら女子が苦手らしいと由紀はすぐに気が付いた。
七希は気が付かないし気にしないし、そもそも桐生は七希と一緒にいると幸せオーラを放つのだが、他の女子となるとそうもいかない。
そして一途で誠実そうでもある。
ななちゃんはこんな男の子に好かれてるんだなぁ~と由紀は感心した。
「桐生君、良かったね!」
「え、え? 何が……?」
「ふふ、だって涼音ちゃんがななちゃんにぞっこん、だからね? きっとななちゃんも、涼音ちゃんの様子を見にここに寄るようになるよ?」
その通りだった。
相変わらず由紀の読みは深い。
「そう、なのかな……? それは、えっと……嬉しい」
「くす」
本当に正直で清々しい、由紀も好印象を持った。
由紀も浮いた話はないが、それはある意味本条七希を昔から知っているという不幸なのかもしれない。
普通が分からなくなっていると心の中で苦笑する。
「でもま、あたしも結局ななちゃんが好きだからかー」
「?」
その後しばらくして、制服に着替えた七希と虚ろな目をした涼音が下に降りてきた。
ななちゃんは優しいけど甘くはないよ涼音ちゃん、がんばれ!
そんな風に心の中で応援するのであった。
「……今度絶対なな姉に仕返しする、ミスコンにエントリーしといてやる」
と、涼音が呟いたことは誰の耳にも入らなかった。




