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「とろとろに溶かしてあげる」特製シチューを作っていたら、私の味見をした旦那様(宰相)の理性が飛びました。~デザートは君だと言われて、朝まで濃厚に愛されすぎて、私の方が溶かされてしまいそうです~

作者: 文月ナオ
掲載日:2026/02/09

 

 コトコト、コトコト。


 静かなキッチンに、深鍋の中で具材が煮込まれる、優しくて温かい音が響いている。


 重たい蓋の隙間からは白い湯気が立ち上り、芳醇な赤ワインと、飴色になるまでじっくり炒めた玉ねぎの甘い香りが、部屋いっぱいに広がっていく。


「うん、いい感じ」


 私は木べらで鍋の中をゆっくり、底から返すようにかき混ぜながら、小さく味見をした。


 口の中に広がるのは、濃厚なデミグラスソースのようなコクと、ほろほろに崩れる牛肉の旨味。


 最後に隠し味として入れた、少量のチョコレートが

 味に深みを与えている。


 前世の記憶にある、洋食屋さんの「ビーフシチュー」の味だ。


「……美味しくできたかな。ロデリック、喜んでくれるといいけど」


 私の名前はルーシェ・ルブレス。


 この国の若き宰相を務める公爵、ロデリック・ルブレスの妻だ。


 そして、少しだけ事情が変わっているのは、私が異世界からの転生者だということ。


 私の前世は、しがないOLだった。


 仕事に追われ、上司に叱られ、帰宅するのはいつも日付が変わる頃。


 冷え切ったアパートの部屋で、コンビニで買ったお弁当を一人で食べる毎日。


「いただきます」と言っても、返事をしてくれる人はいない。


 料理は好きだったけど、自分のためだけに作る気力なんて残ってなくて、休日にまとめて作り置きをするのが精一杯の楽しみだった。


 誰かと温かい食卓を囲むなんて、夢のまた夢。


(……でも、今は違う)


 私は視線を上げて、広いキッチンを見渡した。


 ピカピカに磨かれた銅製の調理器具。


 使い込まれたオーク材の作業台。


 そして何より、この料理を「美味しい」と食べてくれる、愛する旦那様がいる。


 使用人たちは「奥様がお料理をされる時は、旦那様がお二人きりになりたがるので……」と気を利かせて、みんな席を外してくれている。


 つまり今、この広いキッチンには私一人。


 そして……そろそろ、彼が帰ってくる時間だ。


 カツ、カツ、カツ。


 廊下の向こうから、規則正しい足音が近づいてくるのが聞こえた。


 革靴が石床を叩く、硬質で、でもどこか急いているような足音。


 私は胸が高鳴るのを抑えながら、火加減をとろ火にした。


 コンコン。


「奥様、旦那様がお戻りになられました」


 侍女が扉を開き、ロデリックが立っている。


「旦那様、コートをお預かりいたしましょうか」


「いい。構うな。下がれ」


「失礼いたします」


 侍女が深々と頭を下げ、扉を閉める。


「全く……ここまでついてくることもないだろうに」


 ロデリックがネクタイを緩めながらため息をつく。


「彼女達はそれが仕事なのですよ」


「……俺は君に会うために帰ってきてるんだ。最初に会話をするのは君がいいというのに」


 ロデリックはそう言うと、私の髪を撫で、耳元で囁いた。


「……ただいま、ルーシェ」


「おかえりなさい。ロデリック」


 体に吸い付くようにフィットした仕立ての良い黒のスーツ。


 胸元には宰相の権威を示す銀の徽章が輝いている。


「完璧で隙のない宰相閣下」。


 ……外では、そう呼ばれているけれど。


「今日は早かったですね」


 私が振り返って微笑むと、彼の端正な顔が、ふわりと雪解けのように柔らかく崩れた。


「ああ。君に早く会いたくて、ろくでもない貴族たちの会議を早々に切り上げてきた」


 彼は迷いなく、真っ直ぐに私の方へと歩いてくる。


 その瞳には、私しか映っていない。


 熱い。


 宰相という役職や、さっきの侍女への冷たい態度からは想像もできないほど、ドロドロとした熱烈な色が宿っている。


「お疲れ様です。……お着替えは?」


「あとでいい。まずは……」


 ぎゅうぅぅぅ……。


 背後から、私を丸ごと包み込むように抱きしめた。


「……ああ、君だ……君がいる」


「あ、あの……ロデリック? まだお料理の途中です」


「知ってる。……いい匂いだ」


 彼は私の首筋に顔を埋め、深く私の匂いを確かめるように息を吸い込んだ。


 私を抱きしめる手は、お腹に回され、私のお腹を撫でるように上下に動いている。


 くすぐったい。


 彼の黒髪が敏感なうなじに触れて、背筋がゾクゾクする。


 背中から伝わってくる体温は、スーツ越しでも驚くほど高い。


「……シチュー、美味しくできましたよ。あなたの好きな赤ワイン煮込みです」


「シチュー? ……俺はルーシェ自身の匂いのことを言ってるんだが」


「もう……」


 さらりと言ってのける彼に、私は顔が熱くなるのを感じた。


 この人は、いつもこうだ。


 外では「歩く法律書」「笑顔を見せたら嵐が来る」なんて言われているのに、家に帰って私と二人きりになった途端、甘えん坊の大型肉食獣に変貌する。


「少し離れてください。かき混ぜないと焦げちゃいます」


「やーだ」


 即答だった。


 国を動かす宰相ともあろうお方が、幼児みたいなことを言う。


「今日はずっと、話の通じない貴族たちの相手をして疲れたんだ。……癒してくれ」


「癒しって……」


 彼は私のお腹の前で両手をガッチリと組み、さらに強く抱きしめてくる。


 完全にロックされた。


 これでは身動きが取れない。


 バックハグされ、前には熱い鍋。


 首筋には、旦那様の熱い唇が這う。


 そしてすぐに、耳に吐息がかけられ、愛を囁かれる。


「……わかりました。じゃあ、このまま続けますから、手を出さないでくださいね?」


「……わかった」


 絶対に邪魔する気だ、この間と、声は。


 私は彼を背負ったまま、木べらを動かし始めた。


 やりにくいことこの上ない。


 彼が私の耳元で熱い吐息を漏らすたびに、背筋が震えて手元が狂いそうになる。


 彼の手が、私の腰やお腹を無意識(?)に撫でてくるせいで、意識が料理に向かない。


「……ロデリック」


「ん?」


「手、じっとしててください。くすぐったいです」


「君のエプロンの紐が解けそうだったから、直そうとしただけだ」


「嘘ばっかり。さっき二重結びにしたばかりです」


「……えへ、バレたか」


 彼は喉の奥で低く笑うと、私の耳たぶを甘噛みした。


「ひゃっ!?」


「可愛い反応だ。……もちもちしてる」


「か、からかわないでくださいっ!」


 私は真っ赤になって抗議するけれど、彼は楽しそうにするばかりだ。


 悔しい。


 いつも私ばかり翻弄されている。


 たまには、妻としての威厳を見せないと。


「……味見! 味見してみますか?」


 私は話題を変えるために、鍋からシチューを少しすくった。


 とろりとした濃厚なスープ。


 ふうふう、と息を吹きかけて冷ます。


「はい、どうぞ。美味しいですよ?」


 私は体を少し捻って、後ろにいる彼にスプーンを差し出した。


 口に物が入れば、少しは大人しくなるはず。


 そう思ったのに。


「……ああ、いいね」


 ロデリックは、スプーンを見ようともしなかった。


 彼の瞳は、とろりとした熱を帯びて、じっと私の唇を見つめている。


「え……あの、スプーンはこっちで……」


「味見したいのはそっちじゃないよ」


「へっ?」


 彼の手が、スプーンを持つ私の手首を掴んだ。


 そして、もう片方の手が、私の顎をすくい上げる。


「ルーシェ」


 名前を呼ばれただけなのに、腰が抜けそうになるほど甘い響き。


 逃げようとする間もなかった。


 彼の顔が近づき、視界が彼の黒髪で埋め尽くされる。


 唇が重なった。


「んっ……」


 味見なんてレベルじゃない。


 深く、絡め取るような、とろけるようなキス。


 舌が絡まり、頭が真っ白になる。


 持っていたスプーンから、ポタリとシチューの雫が床に落ちた気がしたけれど、確認する余裕なんて今の私にはない。


 背中を支えられていないと、その場に崩れ落ちてしまいそうだから。


 長い、長い、呼吸すら奪われるようなキスの後。


 ようやく彼が唇を離した。


 私の顔といったら、もう真っ赤で。


「……はぁ……っ」


 息が切れて、肩が上下する。


 ロデリックは、捕食者のような目で満足そうに目を細めていた。


「……うん、美味い」


「~~~~っ!!」


「最高の味だ。甘くて、とろけそうだ」


「そ、それはシチューの感想じゃないですよね!? 私はシチューの味見をと言ったんですけど!?」


「シチュー? ……ああ、そういえばそうだったっけ」


 彼は悪びれる様子もなく、私の手首を引き寄せた。


 そして、スプーンを持つ私の指先に口付けをする。


「次は、指をもらおうか」


「だ、ダメです! シチューを!!」


「シチューなら、ここに少しついてるだろ?」


 彼は私の指先についた小さなシチューの跳ねを、舌でペロリと舐め取り、そのまま指を甘噛みしたあと口に含み、愛おしむように吸い上げた。


 その感触が、背筋を駆け上がる。


 色気がありすぎる。犯罪級だ。


 このまま、抱かれてしまうんじゃないかと思ったその時だった。


 ジュッ……ジュウウウゥ……。


 鍋の底から、不穏な焦げ付き音が聞こえてきたのは。


「――っ!?」


 私は我に返った。


 キスに夢中になっている間に、煮込みすぎて水分が飛んでしまった。


「ああっ! こ、焦げちゃう! ロデリック、離して! 早く!」


 私は慌てて彼の腕から抜け出そうと暴れた。


 せっかく作った特製シチューが台無しになってしまう!


 けれど、ロデリックは動じない。


 むしろ、さらに強く抱きしめてきた。


「焦がせばいい。君の作ったものならなんでも美味い」


「よくないです!!」


「鍋の一つや二つ、俺がいくらでも買い直す。……今は、鍋より君だ」


「何言ってるんですかバカ公爵ー!!」


 私は必死の思いで彼の腕をすり抜け(火事場の馬鹿力だ)、コンロの火を止めた。


 ふぅ……。


 間一髪。


 底の方は少し危なかったかもしれないけれど、全体的にはセーフだ。


「……もう。心臓に悪いです」


「……続きは?」


「ありません! もうご飯にしますから、着替えてきてください!」


「……わかった。だが、着替え終わったら、続きをたっぷりとお願いする」


「却下です!」


 ロデリックは不満そうにしながらも、私の頬に一度キスをしてから、ようやくキッチンを出て行った。


 残された私は、その場にへたり込んだ。


「……はぁ。疲れた……」


 でも、胸のドキドキは収まらない。


 前世の私が見たら、腰を抜かすな。


 一人ぼっちの食事をしていた私が、こんな風に誰かに求められて、幸せに満たされながら、てんやわんやしながら料理をしているなんて。


「……幸せすぎて、バチが当たりそう」


 私は小さく呟いて、鍋の中のシチューをそっとかき混ぜた。




 ◇◆◇




 その後。


 ダイニングルームでの夕食は、平和に……見える光景だった。


 着替えたロデリック(ラフな白シャツ姿も素敵だ)は、私が作ったシチューを一口食べて、目を見開いた。


「……これは、すごい……」


「お口に合いましたか?」


「素晴らしい……。肉が舌の上で解けるようだ。ソースの味も深みがあって……城の専属料理人が作るものより、遥かに美味い」


「ふふ、良かったです。あなたのために、三時間も煮込みましたから」


「俺のために、三時間……」


 その言葉がスイッチだったのか、彼の瞳がまた妖しく光った。


 食事中だというのに、彼の視線はずっと私に注がれている。


 食べる口元、スプーンを持つ手、水を飲む喉元。


 いちいち熱い視線で追われるので、私は食べた気がしない。


「あ、あの、ロデリック? そんなに見られると食べにくいんですが」


「すまない。食べている君があまりに可愛くて、目が離せないんだ。君に、魅了でもかけられたかな?」


「……っ」


 素で言うからタチが悪い。


 結局、私は顔を伏せて黙々とシチューを食べ、ロデリックはそれをオカズに(?)食事を楽しんだのだった。


「ごちそうさまでした。最高のシチューだった」


 ロデリックがナプキンで口元を拭う。


 お皿は綺麗に空っぽだ。


 私も、ちょうど食べ終わったところだった。


「……さて」


 彼は席を立つと、私の椅子のそばまで優雅に歩いてきた。


 そして、有無を言わさず私をひょいっと持ち上げた。


 お姫様抱っこだ。


「きゃっ! ロ、ロデリック!?」


「メインディッシュは堪能した。……素晴らしい味だったよ、ルーシェ」


 彼は私の耳元で、甘く低く、とろけるような声で囁く。


「だから次は、デザートが食べたくなった」


「デ、デザートって……果物はまだ剥いてませんけど」


「……またまた。俺が欲しい甘いデザートは、一つしかない。分かってるだろ?」


 彼の視線が、私の唇から鎖骨、そしてその下へと這うように動く。


 その意味を理解して、私は頭が沸騰しそうになった。


「ま、待ってください! まだお皿洗いが残ってます!」


「そんなもの、侍女にやらせればいい」


「ダメです! 今日は私がやるって言っちゃったんです!」


「なら、明日の朝やればいい」


「明日の朝って……っ」


 ロデリックは問答無用で歩き出した。


 向かう先は、二階の主寝室。


「今夜は逃がさない。……キッチンでのお預け分も合わせて、たっぷりと味わわせてもらうからな」


「ううぅ……お、お手柔らかにお願いします……」


「……どうかな」


 彼は楽しそうに笑って、私の額にキスをした。


 その瞳は、シチューを煮込んでいた鍋よりも、ずっと熱く燃えている。


「君はシチューを三時間煮込んだと言ったが……俺は君を、朝までじっくり、とろとろに溶かしてあげるつもりだから」


「~~~~っ!!」


 なんという宣言。


 私は彼の胸に顔を埋めた。もう、抵抗しても無駄だ。


 前世の私、見てますか?


 今の私は、ちょっと困るくらい愛されて、世界で一番幸せだよ。


 ……そうだ。


 明日の朝ごはんは、しょっぱいお漬物にしよう。


 今夜の私が、甘くなりすぎちゃうのは確定だから。




ここまでお読みいただきありがとうございました!


いつも変なのばかりなので、たまにはこういうなんの捻りもない、普通のシンプルな甘々が書きたくなりました。

ざまぁや重苦しい話もいいですが、日常の甘い話を書くのが一番好きで楽しいです。

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