99話 ロイズが刻んだ魔法陣
R15
卒業式の翌日、お昼過ぎ。
案の定、ロイズはソワソワとしていた。今日は、ユアが引っ越しをしてくる日だ。待ち焦がれて、待ちに待って切望していた、待望の今日という日。そう、住み込み……いや、同棲開始日だ。
「やっとだよ、やっと! ほんっとーに、よく頑張った、俺~」
ロイズは自分を称えていた。
「毎日のように抱きつかれたり、魔力共有のエロさに耐えたり、よく頑張ったな…」
ユアとの思い出が脳内を駆け巡る。初めて彼女を認識したのは、初講義の岩壁チャレンジのときだったなとか、魔力相性の謎を彼女が解明してみせたときには漲ったなとか。
―― 思い起こせば、スカートをめくったり(うっかり)、胸の開いた服を見たり(ガン見)、露出の高い水着姿を見たり(ガン見)、それどころか後ろ姿を全部見ちゃったり(うっかり)、胸に魔法陣を刻んだり(堪能)、ちょいちょい色々あったな……
真面目な回想はどこへやら。ロイズは、掘り起こしてはならない忘却の墓から、いそいそと記憶を掘り返した。誰も墓参りにも来れないような墓地なのに、墓荒らしも甚だしい。
そして、『紐とかエロいな』とか『90オーバーなのかな』とか『腰からのラインが』とか『あの柔らかさ』とか、いらんことを思い出していた。
ユアが身を削って仕掛けたセクシー作戦が功を奏して、人生ずっと少年期のロイズは跡形もなく消えてしまった。24歳男性は、思春期くらいに成長を遂げる。いっそタチが悪い。
「……ハッ! ダメダメ! 一緒に住むからって、すぐに手を出しちゃならない。ユラリスだってハジメテのはずだしね! こういうのは、徐々に、ゆっくりと、お互いに納得しながら進めるべきだ、うん」
そんなベタな前フリをしつつ、チラッと時計を見ると、そろそろ約束の時間だ。
「ボイスメッセージ送ってみよ~」
◇◇◇
『ユラリス、どんな感じ?』
私室で準備を終えたところで、ユアの耳元でロイズの声が囁かれる。
『ロイズ先生、準備できました』
準備はサクサク終わった。元々、この五年間は寮生活だ。実家の私室に置いてある荷物はほとんどないため、寮の荷物をそのままロイズの家に転送するだけで準備完了。
あとは、ちょこちょこした物を鞄に詰め込んで、鞄と一緒にふわりストンと呼び出して貰えば、お引っ越しは完了だ。
『……あのさ、やっぱり、ユラリス家に迎えにいった方が良くない?』
『先生、昨日も言いましたけど、ロイズ先生がいらっしゃったら最後。二泊は帰して貰えませんよ?』
ロイズとしては、ユアの両親に最後の挨拶をしてから、引っ越しするべきだと思っていた。それをユアが突っぱねたのだ。
一か月前に、ロイズが住み込み助手の承諾を貰いにユラリス家に来たときなんて、両親――特にロイズ推しの母親が、はしゃぎまくってしまってハチャメチャに大変だった。『ユラリス、やっぱりやめよう……』とか言われたらどうしてくれるんだと、ユアは内心、戦々恐々としていた。
と言うわけで、ユアとしてはサラリと出発してしまいたかった。すでに実家を出て五年だ。見送りと言っても、今更。転移で帰省もラクラクだし。
『というわけで、このまま呼び出してください』
『いいのかなぁ。大切な娘さんを頂くわけだし……』
「やーん! 頂く!? 預かるじゃなくて!? 私、頂かれるのね!? 全力で召し上がれ!」
テンション爆上がりのユアであった。もちろん、ボイスメッセージにはしなかった。温度差が激しい。
『コホン。挨拶は済んでますし、大丈夫です。それに父は仕事でいないですし、母もリグトのママとお茶会だとかで、準備に忙しそうですし』
『そっかぁ、それなら仕方ないね。まぁ、そのうちまた挨拶に行くだろうしね』
「ぎゃーん! そのうち挨拶に来るの!? それって何の挨拶!? わかってます、私を頂くわけですね、キュン!」
テンションが振り切っていた。ボイスメッセージで送れるわけもない。今にも空を飛べそうなほどにハイだった。もう胸はドキドキ。
『じゃあ呼ぶね』
『はい!』
ふわり、ストン。
◇◇◇
転移先は、海の真ん中の白い家。そのリビングスペースであった。
「距離測定中……記録5m」
二人の距離は、5m。ロイズは相変わらず測定し続けていた。ユアと出会ってから測定を欠かさないのだから、やはり魔法バカは健在だ。
ユアはぽっかり空いたその距離を見て『こんなにドキドキしてるのに、なんでゼロ距離じゃないのかしら?』と、不満顔を見せる。ゼロ距離にならない、このもどかしさ。
でも、今日からは違う。心拍数なんて考えなくても、彼に抱きつけるのだから。もう幸せいっぱいの笑顔で「ロイズ先生」と呼びかける。
その幸せそうな笑顔に呼応するように、ロイズもニコリと返す。
―― あぁ、今日も可愛いな
「ユラリス、いらっしゃい。……じゃなくて、『お帰りなさい』だね~」
「(破壊力)」
お帰りなさいの一言だけで、ユアはキュン死した。
「……ただいま、(大好きな)ロイズ先生」
「(破壊力)」
ロイズもキュン死した。
「えっと、ユラリスの荷物は、とりあえずそのまま置いてあるよ~。後で、荷物を置く部屋を作ろうね」
「ありがとうございます」
「でも、荷物少なくない? 全部持ってきても良いよ? 気は使わないでね~」
「いえ、そんなに荷物もないですし。もし必要なものがあったら、これから揃えていきます」
実際のところ、寮の部屋は割と狭かった。元々荷物は少ないのだ。だが、気を使ったのもまた事実。
ロイズの家は、研究部屋が広すぎて他の部屋は異常に狭い。ユアの荷物を置くスペースはあまり無いだろうと、勝手に思っていた。
「荷物はどこにありますか?」
「研究部屋に置いてあるよ~」
「わかりました」
勝手知ったるロイズの家だ。ユアはスタスタと移動して、研究部屋のドアを開けようとする。ロイズは慌てて、それを止める。
「ユラリス、待って」
「?? どうかしました? ロイズ先生」
ユアが不思議そうに振り向いて、その距離10cm。その近さで、ロイズは少し熱っぽい飴色の瞳を向ける。
「研究部屋に入る前にさ、あの、えーっと」
「はい」
「卒業おめでとう!」
突然の祝辞。
「ありがとうございます」
「卒業、したよね?」
「はい。昨日、卒業しました」
「じゃあ、もう生徒じゃないよね?」
「ふふっ、そうなります。……制服も着てません」
飴色の熱が幾らか移ったのだろう。ユアも少し熱を帯びた青紫色の瞳で見つめてくる。それは恋人の温度。
「じゃあ、あの、少しだけ抱き締めても良い、ですか?」
―― いきなり過ぎたかな!? でも、少しくらい、良いよね!?
恐る恐るユアの表情を見てみると、ぽっと頬をピンクに染めていた。そして、浅く頷いてから、辿々しくロイズの腕の中に収まってくれる。
―― うわぁ、可愛い……
ユアの背中に腕を回して少し引き寄せ、ぎゅっとしてみる。柔らかくて、壊れてしまいそうで、もっと大切にしたくなった。
彼女の焦げ茶色の髪に顔を埋めると、その香りに頭が痺れる。目眩が起きそうなほどの欲が、ロイズを惑わせる。
「……昨日の、卒業パーティーは楽しかった?」
ユアを抱き締めながら、ロイズはお喋りをする。だって、離れがたくて、放したくなかったから。
「楽しかったです。レストランを貸切にして、みんなで乾杯しました」
肩口でユアが喋ると、その声に心臓がドクンと跳ね上がる。耳の奥まで血が巡るような心地がする。
―― 可愛い声。キスしたい……
「先生も、来れば良かったのに」
「教師がいたら楽しめないでしょ~」
小さく笑いながら、焦げ茶色の髪に軽くキスを落とした。そして、少し身体を離して、ユアの顔を覗き込む。さっきよりも赤い頬があった。
―― もっと、赤くしたい。もっと
「……少しだけ、キスしていい……?」
我慢できないロイズが聞くと、ユアも「はい」と小さく答えてくれる。その答え方すら可愛くて、チュッと軽く触れるだけのキスをする。
「お酒は飲んだ?」
「えっと、はい、少しだけ」
ユアの答えを待ってから、顔の角度を変えて、またキスをする。
「大丈夫だった? あんまり強いお酒は……」
「はい、飲んでないです。誕生日以来、封印してます」
「あはは! それは良かった、安心した」
今度はついばむように、何回かキスをする。彼女の艶っぽい唇に、密度がまた一つ上がった。
「ユラリスも、少しはお酒に慣れたかな?」
「ん……少し。でも、三杯までの約束、ちゃんと守って、ます」
偉いねと言いながら、ユアの唇を軽く舐めた。
「甘い」
それが合図かのように、彼女の唇が柔らかく開く。もっと美味しいところを味わいたくて、そこに入り込んで絡める。その美味しさに、口の中まで痺れた。
「何時……くらいまで、飲んでた?」
「ん……はぁ、じゅう、に、じ」
「意外と、早かったね」
「は……ぃ」
何でもない浅い雑談をしながら深くなるキス。昨日までの明確な関係が少しずつ曖昧になっていく。
必死に引いてきた境界線と、どうにか空けてきた距離が、ドロリと溶けてなくなった。
キスをする度に、変わっていく。魔力相性も関係なくて、特別でも何でもなくって、どこにでもいるような。ただ恋をしただけの、二人の距離になっていく。
「……ユラリスの進路、」
「は、い」
「皆に……聞かれなかった?」
焦げ茶色の髪にくしゃりと指を滑り入れ、押さえるように深くする。もっと、欲しくて堪らない。
「ん……聞かれ、ました」
「ナイショに、……できた?」
溺れるようなキスに、もう答えることが出来ない様子。ユアは途切れる吐息と一緒に小さく頷いた。
絡める度に、頭の後ろから背中までがジリジリと痺れる。彼女に触れて、愛しさを素直に伝えることができる快楽に、身体も意識も溺れてしまう。
窓の外で繰り返し聞こえる波の音の合間に、愛を交換し合うような深く求め合う音が聞こえて、瞼の裏まで甘い香り――彼女の魔力が届いた。
「皆には、もう少しだけナイショに……ししてね」
絡め取って、それを軽く吸って、そのまま這うように首筋にキスをする。
「ユラリス」
彼女の名前を愛しく呼んで、心の何かを解いて引き寄せる。
―― 淡桃色のワンピース、可愛い
淡く朱に染まった首元で、綺麗に結ばれた紐の先がゆらりと揺れる。その柔らかい紐を指先でスルリと解くと、綺麗な鎖骨が露わになった。
その線に添うように、肩先までキスを落とす。いつもは見えない、華奢な肩。
「……もう少し、」
解けた首元に指先を滑らせて、鎖骨の下にある小さなボタンを一つだけ外す。
「半年経ったら、」
胸のところの二つ目のボタン。
「内緒にしなくて良いから、」
三つ。
「それまでは……我慢してね」
四つ。
レース素材のそれを少しだけ下げて、そこにキスをする。
「……ん、」
彼女がビクッと軽く身震いする度に、その香りがゆらりと濃くなる。
彼女の香りは、いつだってロイズを狂わせる。その美味しい香りに、心臓がドクドクと早まって、青紫色が身体中を駆け巡る。
開いたワンピースの隙間から、彼女の背中に手を滑り込ませ、そのラインをツーっと横になぞる。留め具の部分に指が引っ掛かると、トントンと指で軽く叩いて「これ、外していい?」と耳元で小さく聞いた。
彼女はこくんと頷いて、耳を真っ赤に染めた。
―― 耳、赤い。もっと見たい
耳から首筋にキスをしながら、それを外す。柔らかい肌に沿うように、スルリと肩紐が落ちた。
そこには、飴色の魔法陣が刻まれていた。
「この魔法陣……」
「ん……先生が刻んでくれた、魔法陣です」
彼女の柔らかな肌に刻まれた、ロイズの魔法陣。
その魔法陣にキスをすると、飴色の魔力がふわりと漂う。彼女の全ては、自分のものだと思わせるような、その印。独占欲が満たされると同時に、他の欲が深くなる。
腰骨に刻んであるロイズの魔法陣まで、甘い痺れが伝わった。二つの魔法陣が引き合って、二つの心音がまた速くなる。
「ユラリス、我慢できない。手を出していい……?」
堪えるように呟く問い掛けに、ユアはロイズの白衣をきゅっと掴んで、「はい」と答えてくれた。
引いては寄せていく波の音が、強まった。
殺風景な寝室で、真っ白なシーツに包まれた狭いベッドの上で。他の誰でもない、他のどこにもいない、たった一人の特別な君と。
刻まれた二つの魔法陣が溶け合って、心が触れ合って、魔力が深く繋がった。
もう離れることは出来ない。その距離、0cm。




