97話 いつもここで笑ってた
「これ誰の教本!? 部屋に二冊あるんだけどー!」
「ちょっと、私のワンピース、誰が持ってるのー!? 返してー!」
「ごめん、私、借りっぱなしだったかも」
「私も借りっぱなしー! すぐ持ってくるね」
「今日中にお願いね。朝イチで物質転移されちゃうから」
ちらほら舞っていた雪が消え、温かさが芽吹く頃。毎年恒例、ドタバタの時期がやってきた。
ここは、学生寮の五階。埃が立ち込める中、全員が片付けをしていた。そう、五学年の生徒たちがせっせと荷造りをしているのだ。
五年間、苦楽を共にしてきた仲間。学年が上がるごとに、景色が変わる窓の外。毎日のように笑い声が聞こえる談話室。寮を潜り抜けると広がる中庭。その青々と茂る中庭の真ん中にある、大食堂。
その大食堂で、明日、卒業式が行われる。寮にいられるのは明日の朝まで。明日の朝イチには、部屋にあるものは全て物質転移され、綺麗サッパリ空っぽになるのだ。
「ユアぁ~! これ借りてた本と化粧品と服とアクセと石鹸とシャンプーと……それから、えっとー」
「借りすぎじゃない?」
「だってぇ、五年分だもん~」
カリラが山のように荷物を持ってくると、ユアは懐かしむように、それを一つ一つ受け取って、荷物に追加した。
「なんか、寂しいね」
ユアがぽつりと呟くと、カリラは決まって「寂しいよぉ~」と抱き付くのだ。
魔法省で行われた事情聴取から早一か月と少し。毎日のように寂しがっては抱き付いて、抱き付いては寂しがる。これを繰り返している親友二人であった。
「そうだったわ。今日の夜、談話室集合ね」
「おっけ~♪」
「フレイルとリグトには声掛けたから」
「パジャマdeお菓子パーティーだね♪」
そして、夜。
上級魔法学園で過ごす、最後の夜だ。時間より早く談話室に行くと、フレイルがのんべんダラリとソファに寝転んでいた。実家がパン屋のため早寝早起きなのだ。
「まさか、最後の夜まで寝てるとはね……パン屋、凄すぎるわ」
「さすがに寝てねぇわ」
フレイルは閉じていた瞳をパッと開いた。
「寝てなくて良かったわ。貸してた魔法陣の本、返して? 宝物なんだから、絶対返して貰わないと!」
宝物の魔法陣の本。それはロイズから貰った誕生日プレゼントである。先週、レア本を持っていることがフレイルにうっかりとバレてしまい、貸して欲しいとごり押しされたのだ。
「ほらよ、ありがとなー」
フレイルが本を返すと、ユアはそれを大事そうに抱き締めて「ありがと」と言った。彼女の恋する横顔は、ある種のスイッチ。フレイルは少し距離をつめる。
「……なぁ、最後にキスくらいしてもいい?」
「は? ダメに決まってるじゃない。馬鹿なの? 仮に、ここで私が『良いわよ』と言ったとして、そんな女にキスして満足なのかしら? 甚だ疑問ね」
「ド正論で返すんじゃねぇよ。ったく、ホント可愛くねぇ女ー。引くわー」
「っていうか、まだ諦めてないの? さすがに引くわよ?」
「お前に言われたくねぇわ。……あ、じゃあネクタイ交換は? それくらい良いんじゃね」
「却下」
魔法学園の制服は下級から上級まで統一されたデザインだ。着るとピッタリサイズになる不思議なジャケットは男女共通。ネクタイが色違いになっており、紫色に青のラインが男子。紫色に赤のラインが女子だ。
そして、卒業式のときに、男女でネクタイを交換していると『売約済み』とされる。即ち『恋人アリ』ということになる。
ちなみに、交換がされていなかった場合は、ネクタイ争奪戦が起こるのだ。特に、成績上位者のネクタイは御利益があるとかで、モテるモテないに関わらず、物凄い人気である。
「ネクタイ交換すら却下かよ。……小せぇ男だな」
「別に、誰かに言われたわけじゃないわよ?」
「言う言わない、は関係ねぇよ。そういう空気を出してるってことだろ。どっちだって同じ。はー、やだやだ」
フレイルがつまらなそうに言うものだから、ユアも少しくらいは絆される。最後の夜だ、謝辞くらいは述べておくかと、何となく話をし始めた。何せ、五年の付き合いだからね。
「夏頃にヘイトリーの父親……元第三魔法師団長にさらわれたことがあったの」
「!? 急にヘビーな話が始まってるけど?」
「まあ、聞きなさいよ。それで、北の荒野に連れていかれて。悔しいことに、手も足も出なかった。死ぬかと思った」
「そりゃあ、何つーか、よくぞご無事で?」
「……フレイルの作ったショートメッセージ魔法をロイズ先生に送ったのよ。その後、フレイルが水魔法の実技試験で見せた『水の爆発魔法』をぶっ放して、ロイズ先生が場所を特定してくれた」
ユアの言いたいことが分かったのだろう。フレイルは珍しく茶々を入れずに、金色の瞳をキラキラと輝かせて、続く言葉を待っていた。
「毎日、灯し続けてくれた魔法練習場の灯りもそう。フレイルの魔法がなかったら、私はここにはいなかった」
フレイルの方を真っ直ぐ見て、ニコッと笑った。
「ありがとう」
フレイルは小さく笑って、ユアの頭をグシャグシャにしながら無理矢理に横を向かせた。彼が恋した横顔に、やっぱりどうしても胸がキュッとする。
「何すんのよ……首、痛いんだけど」
「なぁ、ユアってさ。もし、ロイズ・ロビンがいなかったら……俺のこと好きになってた?」
フレイルは儚げに目を伏せる。ユアは柔らかく微笑んで「じゃあ、本音を言うね」と言った。フレイルは、ちょっとドキマギした。
「ロイズ先生がいなかったら、私は人間のままだったし、赤紫色のコンプレックスもなかった。全然違う人生を歩んでいたわ。そうなると、フレイルには出会っていないから、好きにはならない。仮に、出会っていたとしても、私は全く違う人格になっていたから、フレイルは私のことを好きにはならなかった。よって、その質問は無意味ね。証明終了」
ユアはスンとした真顔であった。さっきの微笑みは何だったんだ。フレイルはガチで引いた。
「……おまえ、マジで、そういうとこだぞ?」
「証明終了よ」
「マジで、な?」
そんな雑談をツラツラしていると、時間通りにカリラが、そして少し遅れてリグトがやってきた。
「おせぇよー」
「悪い、捕まってた」
リグトはげんなりとした様子でソファに身を預けた。
「なに? また告白かよ? ラッシュだなー」
「モテ男は罪だねぇ~♪」
「はぁ。金を持ってないのに、何故愛の告白をするのか……解せない」
リグトの中では、金=愛であった。うん、簡潔な式だ。
「っつーか、魔法省の内定貰ってるんだろ? もう金の心配しなくていんじゃね?」
「それはそれ。これはこれだ」
なんと、リグトは魔法省の内定を貰っていた! 総会議室での事情聴取の後、正式に魔法省人事からハンティングされたのだ。やってて良かった、襲撃阻止!!
「そもそもに、金の匂いがしないと全く使い物にならないから、エロいことも一切出来ないしな」
「相変わらず、下品で最低ね」
「そう言うな、死活問題だ」
「いっそ心地良い~♪」
カリラがポリポリとお菓子を食べ始めると、フレイルが「そういや」と言って、進路の話をし始めた。
「俺も、四月から魔法省で働くことになった」
「ぇえ!?」
三人は寝耳に水。驚きだ。
「いつの間にそんなことに!?」
「ほう、魔法省でも同期か。悪くないな」
「魔法省でなにするのぉ~?」
カリラの質問に、フレイルは人差し指をピンと立てて「これだよ」と言った。
「魔法陣の開発をやる」
「魔法陣の開発……なるほどね。だから、私が持ってたレア本を借りたかったのね」
「そゆこと。夏にさ、カリラの魔力枯渇症の対策で魔法陣の開発してたら、何かハマっちゃってさー。魔法省の人に声かけられたから、やれるだけやってみよっかなって」
なんと、フレイルもハンティングされていたという事実! あの総会議室での事情聴取は、間違いなく就活のステージだったのだ。
魔法省側も、次世代の優秀な人員確保にホクホクであった。
「カリラは、何らかの家業の跡取りだもんね」
「結局、カリストン家とは何だったのか……」
「それな。魔法省の総会議室で見た、大臣と副大臣の意味深な目配せ。いっそ恐怖……」
「えへへ~、ナイショだよーん♪ 結局、ユアはどーするのぉ?」
今日。この卒業式の前日に、ユアが仲良しメンバーを集めたのは、これを報告するためであった。
「私はね、ロイズ先生の専属助手になるわ」
「先生の専属助手!?」
「しーー!! 三人とも声が大きいわよ!」
「ユア、すごぉおい! リスペクトぉ~」
「みんなには内緒よ? 卒業しても、しばらくは内緒にしておくつもりだから」
「んー、でもぉ、ユアの進路、みんなすっごく気になってるみたいだったよー?」
「未定で押し通すわ!」
教師と生徒。いくら助手と言えども、専属助手だ。二人の関係を怪しまれ、有らぬ誤解……ではなく、紛うことなき真実が明るみに出るのもマズい。
「っつーか、専属助手って何だ? 学園に残るってことか?」
「学園には残らないわ。ロイズ先生はね、家でも色々と研究をしてるのよ。そっちの助手ってこと」
「げ。家でも研究してんのかよ。頭イかれてんな」
フレイルはロイズの研究室を思い出していた。あれだけ広い研究室で、ゴチャゴチャと毎日実験をしているにも関わらず、家でも研究とは。本当にイかれた魔法バカなのだ。
「え、え、え! じゃあ~、毎日、先生のお家に通うのぉ? 通い妻的な? なんかときめくぅ♪」
「通い妻っていうかぁ、その、あのね、」
ユアは頬を染めてニヨニヨし始める。
「気持ちわりぃな。なんだよ、その笑い……」
「ふふふ、実はね。住み込みなの」
「住み込み」
「そう、住み込み。明日の朝イチ、私の荷物は実家に送られて、そのまま先生のお家に物質転送される予定よ。明後日から、先生のお家で暮らすの」
「待て待て待て。それは、するってぇと、あれだよな?」
「あれだよねぇ~?」
「あれだな」
「同棲……」
同棲というワードが、三人分重なって談話室に響く。清潔でほんわかした可愛らしい談話室に、なんとも似つかわしくない言葉だ。
「同棲っていうかぁ……まあ、そんな感じかしらね」
このユアの反応で、カリラとリグトは確信した。いつの間にやら、二人はそんな感じの間柄になっていたらしい。意外と鈍いリグトは衝撃を受けていた。イケメンの絶句だ。絶句していても、顔が良い。
ちなみに、フレイルだけは何となく察していたわけだが、さすがに同棲とは思っていなかった。
「ユアぁああ~!! おめでとうぅ~!!」
「まじか。本当にロイズ・ロビンを落としたのか。すごいな、見直した」
「ふっふっふ、そういうことになるわね」
ユアは調子ノリノリであった。いっそウザい。
「はぁ、なんだよー。卒業したら、先生とは切れるから、こっちに分がアリって思ってたのに」
「フレイル、まだそんなこと考えてるの?」
「まあ、もはやネタ化してるけどな。っつーか、そのまま結婚とかすんの?」
「そこまでは、分かんないけど……いつかは、たぶん」
「っかー! やっぱ稼ぎが良い大人は展開早ぇなー!」
「ふふっ。こんなことになるなんて、入学したときは思ってもなかったけどね」
ユアの含み笑いを見て、フレイルは少し揺すぶってやろうと思ったのだろう。ニヤニヤ顔でまたもやぶっ込んできた。
「そういやさー、先生って、研究室に女連れ込んでヤりまくってるって話あったよな。大丈夫かよ? ユアも遊ばれてんじゃね?」
「それ! フレイルの嘘でしょ!? ロイズ先生、全然そんな感じじゃなかったわよ! そのせいで、私は悔やんでも悔やみきれない過ちを……くっ!!」
女性恐怖症気味のロイズを『誰とでもそういうことをする男』だと勘違いして、セクシーを決めまくっていた自分を省みて、軽く切腹したくなる。
「嘘じゃねぇよ。見たんだよ」
「え、本当に見たの……?」
「あぁ。あれは、確かに口紅だった」
「……?? 口紅、とは?」
「だーかーらー、先生の白衣に口紅が付いてたのを見たんだっつーの。研究室の近くだったし、指摘したら先生も動揺してたから、黒。絶対、黒」
その瞬間、ユアは思い出した。初めてロイズの研究室に転移したとき、寝ている彼の上にベッタリと乗っかる形で転移してしまい、心音を聞いたりベタベタ触りまくったりした上に、白衣に口紅をベッタリと付けてしまったことを。ほら、あのベタな展開だったやつ。
そして、胸中叫んだ、『その口紅、私じゃぁああん!』って。さすがガリ勉脳。素晴らしい記憶力だ。
「まあ、そうね、あれよね。うん、過去のことは忘れて今を生きましょう! Have a nice life!」
まさに身から出た錆、因果応報である。
だが、しかし。ロイズがチャラ男であるという誤解がなければ、気軽に抱き付くことも、胸を出すことも、露出の激しい水着で迫ることもなかったのだ。羅列すると、とんだアバズレだ。
でも、それで良かったのだ。ターゲットは、ずっと少年期を過ごしてきた女嫌いの魔法バカ。そんな男のこめかみに、ゼロ距離で恋愛を叩き入れる。それは並みのやり方では無理だっただろう。
もしもユアがアバズレ……いやいや、セクシーを決めていなければ、女として意識されることもなく、全力魔法バカ同士の仲良し師弟関係で終わっていたかもしれない。
毎日、ゼロ距離で恋愛を叩き入れた甲斐があったというものだ。
真面目で清楚な優等生というベースに、荒療治としてセクシー作戦のトッピング。極めて有効だった。
だって、カリラ・カリストンが言っていた。ロイズは「清楚な感じが好き」で「セクシーな感じでもいける」って。
こうして、約一年越しの下らない誤解が解けたのだった。




