93話 師団長の娘
「……あなたがロイズ・ロビンの、異常値のペアですって?」
うまく理解ができない様子で、ヘイトリーは呟く。
「え……嘘よね? あなた、魔法使いでしょ? 上級学園の五学年でしょ? ありえないわ」
「……十六年前、子供の頃に魔法使いに変わったの。私は元人間。あなたが探してるロイズ先生のペアは、私! こんな馬鹿なことをして、人々を傷付けて、絶対に許さない!」
「十六年前……!?」
ヘイトリーは、そこで理解したのだろう。なぜ、ロイズの助手がユアだけなのか。ロイズとユアの間にある特別な関係。ユアに四六時中まとわりついている、ロイズの魔力。
そして、九年という歳月を費やし、ロイズを完全に弾く条件を設定したはずの侵入禁止魔法。それを解除されてしまった事実。ユアが通過したことで、条件に矛盾が生じた理由。
それは、ユアがロイズの異常値のペア――彼の魔力の源であるという確かな証拠。
ヘイトリーは「嘘、やだ、嘘でしょ?」と焦るように声をこぼす。浅い呼吸を繰り返し、青白い顔で震えていた。
「あんなに一生懸命探したっていうのに、もうロビンは魔力共有済みってこと!? 枯渇症にならないってこと!? 信じらんない! 最悪じゃない!」
「……そう、俺の魔力はなくならない。もう終わりにしなよ」
ヘイトリーの目的は、達成不可能だ。ユアを始末したところで、ロイズの魔力の安定性は揺るがない。意味がない。彼女は定まらない視線でロイズを睨んでくる。苦しそうに黒い外套を握り、生気のない唇を噛み締める。
そして、小さく首を振る。そこに何も意味がなくても、意味を見出すのが人という生き物なのだ。
「いやよ、終わらせない。あんたを消すまで、私は終われないのよ」
ヘイトリーは起爆魔法陣に魔力を込めようとする。迷わずに手を伸ばす。
「もう、終わりだよ」
無慈悲なロイズは『拘束』と呟いて、ヘイトリーの動きを止めた。伸ばしていた彼女の手は空を切り、魔法の鎖に抗えずに縛られる。浮いていた彼女の身体は、ズスズと重みを吸い込むように、少しずつ落ちていく。
落ちていくのは、ロイズの魔法のせいではない。
「……青白い顔、震える手、うつろな目。魔力切れだね。ずいぶんと魔力切れになるのが早いけど……もしかして、魔力枯渇症?」
魔力が枯れるごとに、ゆっくりと落ちていく。落ちながらも、彼女は笑顔を絶やさなかった。嘲るような、見下す笑いを続けていた。
「そうよ。枯渇症になったのは数日前だけどね。魔力が尽きる前に、あんたのペアを消したかった。本当……最悪ね」
「異常値のペアと魔力共有すれば治るけど?」
「するわけないじゃない」
それは執着的な誇り。魔法使いであることを誇っている彼女が、魔力がなくなってもいいと言い切る、その歪み。
ロイズはそれを見て、思い出すようにぽつりと呟く。その呟きは、特別ヘイトリーに伝えたかったとかそういう類のものではなく、単純にただ思い出しただけ。
「まぁ、分からなくはないかも。……俺も、九年前は魔法使いなんて全員いなくなればいいのにって思ってた。でも……思っていたよりも、魔法使いには色んなやつがいて……そういうのを知ったから――」
だから、今がある。そう言いながら、隣にいるユアの手を取る。
「……異常値のペアに会って、魔力共有をしてみればいい。それでもどうしても人間を全滅させたいって思うなら、また魔法で俺と戦えば? 負けないけど」
ヘイトリーは「ふふ」と小さく笑う。
「御免だわ」
彼女は、もうほとんど機能していない浮遊魔法を解除した。黒い外套を大きくはためかせ落下していく。
「ヘイトリーさん!?」
ユアは急いで浮遊魔法を発動させようとした。しかし、その前にヘイトリーの身体はふわりと浮遊する。ロイズが助けるわけもなく、この場で一番ヘイトリーを死なせるわけにはいかない人物。第一魔法師団が彼女を浮遊させていた。
「ヘイトリー・ヘイス。人間都市襲撃の主犯として連行する」
ゼア・ユラリスは部下に目配せをし、ヘイトリーを拘束させた。彼女を助けなかったロイズに向き直り、頭を下げる。
「捕縛協力、感謝いたします。彼女の処罰に関してはこちらに任せて頂ければと」
「わざわざ捕まえなくても良かったような気もしますけどね」
相当ご立腹な天才魔法使いは無慈悲なことを言う。ゼアは苦笑いをしていた。
「そうですね……ですが、我々の仕事は裁くことではなく、捕まえることですから。どんな相手であっても滞りなく身柄を拘束する。そのために魔法師団は切磋琢磨しているんです」
「どんな相手であっても?」
「ええ。例え、ロイズさんが相手であっても、拘束するだけならできますよ。真正面からやりあったら完敗でしょうけどね」
「へ~!」
ロイズは「くぅ~~!!」と言って、みなぎっていた。久々のみなぎりロイズである。
「一度、手合わせ願いたいですね~」
「(未来の義理の息子ですから、)大歓迎です」
義息子とは、これまた気が早すぎる。
そして、ザッカスが危惧していた、『ロイズ・ロビンとゼア・ユラリスの魔法大戦争』の予定が立ってしまったではないか。
そんなやり取りを見せられた娘は、うっかりと「ちょっとやめてよ、お父さん!」と、止めに入ってしまった。
当たり前だが、場が騒然となった。
「「「おおおおお父さん!!?!」」」
行く末を見守っていた第一魔法師団のメンバーと、拘束されているヘイトリーは同時に驚いた。ヘイトリーなんて、寝起きの顔に水をぶっ掛けられて、目玉が飛び出て、天地が逆さになるくらい驚いていた。驚きすぎだ。
部下である第一魔法師団のメンバーもザワザワしている。
「え、え、ユラリス師団長の娘?」
「まじ!?」
「溺愛してると噂の娘!?」
「言われてみれば似てる……こりゃあ娘で間違いない!」
「上級魔法学園の五学年って言ってたよな、娘も優秀なんだなぁ」
「家ではどんなパパしてんのか、聞いてみたいなぁ」
「溺愛だからウザがられてんじゃね?」
「あはは!」
和やかすぎる第一魔法師団であった。だが、彼らはまぎれもなく魔法省の筆頭メンバーだ。その事実をスルーするわけもない。気付くのは当たり前だ。
「待て待て待て、それよりも、元人間って言ってなかったか!?」
「16年前に魔法使いになったって言ってたような」
「言ってた」
「えー、じゃあユラリス師団長、ずっと隠してたってことー?」
「なんだよ、水くさいなぁ」
「そういう問題じゃなくね? もっとヘビーな問題じゃね?」
「うん、割とヘビーだよな」
「まぁ、何とかなるだろ」
「っつーか、そんなことより、ユラリス師団長の娘とロイズ・ロビンが異常値のペア? すごい奇跡だよな?」
「それな! 共闘されたら敵わないなぁ」
「共闘されなくても敵わなくね?」
「あはは!!」
うん、和やかであった。長年、娘が元人間であった事実をひた隠しにしてきたというのに、『そんなことより』の一言で片付いてしまった。真に優秀な魔法使いとは、こういう事なのだろう。
でも、ヘイトリーは和やかでいられなかった。
「ユアさん、ユラリス師団長の娘なの……?」
「は、はい、そうです」
ユアは、おずおずと認めた。内心、やっちまったと思っていた。第一魔法師団メンバーの反応を見て、幾らか緩んではいたものの、父親は確実に職を失うだろう。家族まとめて路頭に迷うことになるかも、と。
「そう……あなたも師団長の、娘……」
「ヘイトリーさん?」
「私たち、随分と違うわね」
ヘイトリーは、自分が着ている汚れた黒い外套を見つめて、諦めたように呟く。上級魔法学園の出席番号1番。師団長の娘。そして角度は違えどもずっと見てきた飴色。
「違いますね、私とは」
ヘイトリーの言いたいことが分かったのだろう。ユアは真剣な瞳を向ける。
「ヘイトリーさんは生まれたときから魔法使いですよね。元第三魔法師団のメンバーで、ロイズ先生でも手こずるような侵入禁止魔法を使えて、強くて……」
二人の間、その距離5m。強く冷たい風が、ひゅーっと通り抜ける。
「人間都市襲撃なんて、無謀で危険で馬鹿みたいなことなのに、ヘイトリーさんには50人以上の味方がいて。その魔法使いたちは、貴女に命を預けていたんですよね。貴女に、その価値があると信じていたから」
ヘイトリーは何かを探すように下を向いた。ユアもその視線を追う。黒い魔法使いたちは、応援で駆け付けた魔法省の魔法使いに治癒魔法を施されているようだった。
ヘイトリーは下を向いたまま顔を上げなかった。仲間を見ているのか、人間都市を見下しているのか、ユアには分からない。
「ヘイトリーさん。私は貴女を許さない。だから、その手にあった大事なものを……零れ落ちていった大事なものを想って後悔して生きて下さい」
ヘイトリーは何も答えてくれなかった。俯いたまま、小さく笑うだけ。ユアを笑ったのか、過去を笑ったのか、それとも先の人生を笑ったのか。
そして、そのまま転移で連行されていった。
「とりあえず一件落着だ。ユア、リグト、無事で良かった……」
「ゼアさん」
ヘイトリーを部下に任せたゼアは、師団長の顔をしまい込んで父親の表情を見せる。ユアの頭を右手で、リグトの頭を左手でポンポンと軽く撫でる。ゼアからすれば、どちらも等しく愛する子供なのだ。
「お父さん……ごめんなさい。赤紫色の秘密をバラしちゃった」
ユアが目に涙を溜めながら謝ると、ゼアは優しく微笑んだ。
「ユア、すまなかった。謝らなきゃならないのは父さんの方だ。赤紫色を秘密にさせて、ずっと苦しい思いをさせてきた。ユアが啖呵を切って大暴露したとき、すごく嬉しかったよ」
「でも……お父さん……無職になるのよね? ただのオジサンになるのよね??」
「……言い方、考えような? まぁ、なるようになるさ。いざとなったら天下りでもするかな」
ゼアは「ははは!」と、大きく笑った。そして、足下に広がる巨大な水の盾を見てからリグトに向き直った。
「水の盾はリグトか?」
リグトが頷くと、ゼアは軽く撫でていた手の力を少し強くして、リグトの黒髪をグシャグシャにした。
「うわ、なにすんだよ……」
「リグト、ありがとう。奴らの攻撃を盾で防ぐとは驚いた。防御壁レベルの盾だ、凄いな。本当に良くやった」
「俺だけじゃない。フレイルが攻撃が来る前にいち早く気付いた。だから盾を張れた」
そう言いながらも、リグトはハチャメチャに嬉しそうな顔をしていた。憧れのゼアに手放しで誉められ、お礼を言われたのだ。嬉しさ大爆発だ。意外と可愛いところもあったりする。
「ほう……フレイル君が攻撃前に気付いたのか?」
ユラリス家にお泊まりしたことがあるフレイルは、ゼアと面識があった。軽く会釈してそれを肯定する。
「そうか……ありがとう、驚くべき感性だな。この襲撃事件について、君たちから事情聴取をすることになると思う。ロイズさん。申し訳ないが、その時には協力をお願いしたい」
担任の先生であるロイズは「もちろんです~」と呑気に答える。
フレイルは、雷をぶっ放していた魔王ロイズを思い出して『この間延びした語尾が平和の象徴なんだ』と思ったりした。
だが、そんな間延びした平和が木っ端みじんに砕かれるほどの、どえらい事態が起こるのだった。
「ユアぁ~~! みんなぁ~」
「カリラ!」
「マリーさんとせっせと盾を補修してたら、いつの間にか悪い魔法使いがいなくなってたよぉ~。戦いは終わったの~?」
「うん、捕縛されたわ」
「そうなのー!? 良かったよぉ~♪」
ユアの一言は、カリラの気を大きく緩ませた。ホッとしたついでにフラフラしてみる。さ迷うように、お空の上をフラフラ、フラフラ、ふーらふら……。
「ふらふら、おっとっとー。ん?? なにこの魔法陣~」
魔法陣だ。
カリラの目の前に、なんかの魔法陣があった。ぽつんと、魔法陣があった。
彼女は「うーん」と少し悩むような素振りを見せて、「ホイッとな」と言いながら、放置されていた謎の魔法陣に魔力を込めた。
魔力を、込めてしまった。
「カリラ。今日は帰っていいって。また明日、朝イチに事情聴取だっ……!?! カカカカカカリラぁああああああああ゛!?」
ユアの咆哮みたいな声に、一同はカリラに注目した。そして、声を揃える。
「「「「ききききばくすいっちぃいいい!!」」」」




