87話 人間都市の噂話
ロイズ・ロビンの研究報告から数日。魔法省の各部署に通達が下りて、人間の魔法使い化や魔力枯渇症の治療方法が周知された。
魔法省に入省できるのは、魔法使いの中でも極わずか。とびきり優秀な魔法使いだけだ。上級魔法学園の五学年出席番号1番には引き抜きの話が来るが、それ以外は厳しい入省試験をクリアした者だけが働く権利を与えられる。
そんな魔法省の優秀な魔法使いたちは、ロイズの研究報告に度肝を抜かれた。人間が魔法使いになるだなんて、御伽噺みたいな事実。インテリ集団、吃驚仰天だ。
それでも、彼らは優秀だった。すぐに研究内容を理解し、各部署の通常業務を滞らせることもなく、異常値のペア探しからの魔力枯渇症予防・治療に尽力する。
研究報告からわずか一週間。魔法省主導で心臓波形データ取りが実施されるまでに至った。
事件が起きたのは、そんな忙しい最中のことであった。
いつの時代も、どこの世界でも、その激流の狭間で暗躍する者は現れる。恨みを晴らすなら、慌ただしい今の状況は絶好の機会だといえるだろう。
魔法省の地下倉庫。何やら魔法使いたちが穏やかではない話をしている様子。
「またとない絶好の機会」
「と、言うと?」
「異常値のペア……これが見つからなかった魔法使いが辿る道は?」
「魔力が枯渇するんですよね」
「その通り。アイツの異常値のペアは、まだ見つかっていないと先日の研究報告の場で本人が話していたらしい」
「へぇ、なかなか見つからないもんなんですね」
「普段の行いじゃん?」
「言えてる。それで? まだヤツのペアが見つかってないとして、何するんすか?」
仲間のうち一人がそう言うと、リーダー格と思わしき魔法使いはニヤリと笑って一枚の紙を取り出した。
「これは……心臓波形データですよね?」
「誰の心臓波形だと思う?」
首を傾げる仲間を一瞥し、声を潜めて名を告げる。
「ロイズ・ロビン」
「え!?」
まさかのビックネームに、目を丸くする仲間たち。
「どうやって手に入れたんですか?」
「大部分の心臓波形データはどこかで厳重に保管されているようだけど、研究している本人のデータは、とてもじゃないけど厳重とは言えなかった。人間都市の治療医院に、簡単な侵入禁止魔法が掛けられているだけ」
「まさか、そこから盗んだ?」
「そゆこと♪ これでも、九年前は第三魔法師団の最前線にいたエリート魔法使いだからね」
「さすが天才型、すげぇな」
リーダー格は「ふふん」と得意気にする。そして、もう一つ魔導具を取り出した。
「これは?」
「心臓波形のデータを取るための魔導具」
「こんなのまで揃えて、一体何をするっていうんすか?」
「分かってるでしょう? ロイズ・ロビンの異常値のペアを始末する」
暗く湿っぽい倉庫に、その言葉がやたら重く響いた。
「それで、やつが魔力枯渇症になるのを待つのか」
「恨みはちゃんと晴らさないとならないでしょう? 本当は魔力だけじゃなくて、記憶もなくしてもらいたいところだけど」
「記憶抹消の魔法は禁忌だもんなぁ」
「禁忌であってもやっちゃう人もいるけどねぇ。ルール無用、ということよ。魔力を取り上げられた天才魔法使いをいたぶるのが楽しみ」
そう言って、リーダー格の魔法使いは長い髪をサラリとかきあげた。
「さぁて、楽しいかくれんぼの始まりね。ふふっ!」
◇◇◇
そして、数週間後。魔法学園の善き魔法使いたちは、平和なときを過ごしていた。
ぴろぴろりん♪ ぴろぴろりん♪ ぴろ♪
「はい、じゃあ今日の講義はここまで~」
講義終了の終鈴が耳元で鳴り響き、五学年の生徒たちは伸びをしたり、机に突っ伏して気を抜いていた。だらしがないわけではない、調子外れの終鈴がそうさせるのだ。
ユアが帰り支度をしていると、一つ挟んで後ろの席のフレイルに話しかけられる。席に座ったまま後ろを向くと、金色の瞳が三日月に形を変えていた。なにやら楽しそうだ。
「なぁ、人間都市の噂、知ってる?」
人間都市と聞いて、二人にサンドイッチされていたリグトが「あー、あれな」と、話に乗っかってきた。
「なに? 知らないわ」
フレイルは、ニヤリと笑って話をし始める。
「真夜中、家で寝ていると、何やら突然胸の辺りが重く苦しくなった……」
「え、なに? これ怖い話? 突然始まった?」
ユアの慌て様に気を良くしたのだろう。悪ふざけのフレイルに合わせて、リグトが「ひゅーどろどろー」とか謎の効果音を口ずさみ出した。割と悪い。
「うなされるように胸の辺りを掻きむしると、低く冷たい声で『やめろ……』と囁かれる」
「(ドキドキ、ドキドキ)」
ゴクリと唾を飲み込みながら、聞き入る。
「バッと起き上がって、慌てて見回すが……どうしてだか誰もいない。夢だったのかと安堵した、そのとき! 何やら後ろに気配を感じた。『なんだ? 誰か、いる?』……そう思って、ゆっくりと後ろを振り向くと……」
「ふ、振り向くと……?」
後ろに気配を感じて、身体が硬直する。
「お前も違うのかぁあああ!」
「ギョぁああーーー!!」
後ろから突然抱き付かれたユアは、思いっきり叫んでしまった。可愛くもない叫び声だった。
ちょうど講義室から出ようとしていたロイズが、その叫び声に驚いて「うわっ!」とか声をあげている。
「へへへ~♪ びっくりしたぁ~?」
「カ、カリラぁ……」
タイミング良く抱き付いたのは、カリラであった。結構、悪い。
「ど、どうしたの、ユラリス?」
先ほどの雄叫びみたいな叫び声をロイズに聞かれたのかと思うと、ちょっと恥ずかしい。「きゃっ、ごめんなさい!」とか取り繕ってみた。いまさら感。
「先生は知ってるぅ~? 人間都市の噂っ!」
「噂?」
世間の色々なことに疎いロイズは、噂話など当然知らない。発端であるフレイルが話をし出す。
「なんでも、真夜中に誰かが部屋に現れて『お前も違うのか』って言われるんだって。で、後ろが光ったかと思って振り向いても、だーれもいない」
「よくある怪談話だろ」
リグトが興味なさそうに言うと、カリラが「え~?」と反論した。
「でもぉ、色んな人が、その『おばけ体験』してるって話だよぉ~??」
「眉唾」
「リグトはそういうの信じないもんなぁ」
すると、そこでロイズが「へぇ~!」と感嘆の声をあげながら、何やら嬉しそうに笑った。
「なに嬉しそうに笑ってるんすか? まさかの怪談好き?」
「あはは! 違うよ~。人間都市の噂話が、魔法都市で聞けるようになったんだなぁって思っただけ」
「私はマリーさんに聞いたよぉ~」
「俺はサラから聞いた」
ロイズはピクッと反応する。
「……フライス、異常値のペアの子と連絡とってるんだ?」
「サラの親父さんの会社から、うちの店の材料を仕入れることになったんだよ。ペアのよしみで、特別価格にしてくれるってオイシイ話があってさぁ」
「へぇ~」
「もちろん、恋愛感情はゼロだけどな」
ロイズの心を見透かしたような挑戦的な物言い。魔法教師は視線をさまよわせ、下手な咳払いをしながら「人間と関わるのは良いことだね」なんて、それっぽいことを言うのだった。
すると、ユアも頷いてニコッと笑った。
「以前より、人間と魔法使いの距離が近くなった気がしますね」
「本当にね~」
リグトは治療医院のアルバイトを続けているが、フレイルやカリラはご無沙汰だ。それにも関わらず、人間都市の話が雑談として出てくるのは、そういうことなのだろう。異常値のペアにはこんな効果もあるのだ。
「ロイズ先生は、今日も魔法省ですか?」
「そう~」
ここ最近、ロイズはものすごく忙しかった。
魔法省が主になって心臓波形データ取りが実施されることになり、生徒四人はお役御免。その代わり、見ただけで魔力相性が分かる唯一無二の天才魔法使いロイズ・ロビンだけが、多忙を極めていた。
心臓波形のシンクロ率が98%になった者同士を魔法省に呼び寄せ、採血に応じて貰えなかった場合にロイズが直に判断する。ものすごくアナログだ。
何故こんなに忙しいかと言えば、ロイズの予想が外れて、人間も採血を嫌がる人が増えてしまったのだ。どうやら異常値のペアである魔法使いに『採血なんてやるの!?』と大層驚かれて、人間も固辞する事態に陥ってるらしい。余計な仕事を増やされていまい、ロイズは不満爆発であった。
というわけで、元々の仕事である教師業に加え、魔力相性の判断をする仕事をしなければならない。
更に、魔力相性を判断する魔導具の開発も行う必要がある。さすがに、これを生徒であるユアに丸投げするわけにも行かず、魔法を使ってオートマチックで実験を進めておき、時間が出来たときにユアと二人で結果をまとめて議論し、試行錯誤するというサイクルになっていた。
「今週は放課後ずっと魔法省だから、ユラリスはゆっくり休んだり遊んだりしててね」
「はい、何かお手伝いできることがあったら言ってくださいね」
「ありがとう、ユラリス~っ! じゃね!」
そういうと、ロイズはスタスタと歩いて講義室から出て行ってしまった。
「忙しそうだな、先生」
「そうなのよね」
ユアは、少し……いや、ものすっごく寂しかった。それもそのはず。五学年になって、ほぼ毎日朝から晩まで一緒に過ごしていたのだ。
それが今やどうだろうか。突然の研究報告から一か月。講義で平日は会えるものの、そびえ立つ教壇の前に、気軽に話しかけることもできない。二人きりになれるのは週に一回あるかないか。しかも、数時間程度。そりゃ寂しくもなるものだ。
「っつーか、それってユアは暇ってことだよな?」
「不服ながら、そうなるわね。私がもっと優秀だったら、魔導具の開発だって一人で出来たのに!!」
「出た、ガリ勉」
「ガリ勉がすぎる~♪」
相変わらずガリ勉ネタでイジられるユアであった。そんなガリ勉イジりが出来るのも、残り二か月。卒業も間近に迫っている。
「なぁなぁ、暇ならさ、ちょっと一枚噛まないか? リグトとカリラも、な?」
フレイルのニヤニヤ顔を見て、三人は訝しげにする。
「何をやらせるつもりだ」
「さっきの噂話の真偽を確かめてほしいって依頼が、サラの友達から来ててさー」
「断る」
「早っ」
「治療医院の仕事がとにかく儲かるからな。それにもうすぐ卒業だ。魔法省の入省対策で忙しい」
「っち。ユアとカリラは?」
カリラは「おばけ退治ぃ」と呟いて、少し迷う素振りを見せてから首を横に振る。
「やめとく~♪」
「ノリわる」
「おばけ怖いもん」
カリラが断ったのを見て、ユアも首を横に振った。
「カリラがやらないなら(フレイルと二人になるもの。余所見しないってロイズ先生と約束したし)、私もやめとくわ」
ユアはロイズのヤキモチを思い出して、によによしながら答えた。
「なんだよその気持ち悪い笑いは。なんだよー、参加者ゼロかよー。つまんねぇの」
「もうすぐ卒業だもの。フレイルも遊んでられないんじゃない?」
「真面目かよ。逆に、卒業まで全力で遊びたいだろが!」
「わかる~ぅ♪ というわけで、街に繰り出そ~!」
そんなこんなでお流れになったおばけ退治であるが、そう簡単に流れるわけもなかった。
この翌週、とうとう『明確な事件』が起こってしまったのだ。おばけなんて生易しいものではない。人為的な、集団誘拐事件が。




