82話 君との距離を、ゼロにしたい
ユアの誕生日当日。時刻は16:52。17:00の予約転移まで、あと8分。ロイズは色々と準備を終えて、リビングにぽつんと置かれたソファに座っていた。
「うわぁ、心臓バクバク。早死にしそう~」
彼女の誕生日は何かしらお祝いをしたいなー、なんて思いながら、あれやこれやと考えを巡らせていたものの、うっかりと本人を誘うのを忘れていたぽんこつロイズ。
誕生日当日のユアの予定が何もないと聞いて、この奇跡に感謝しつつ、勇気を出して誘ってみた結果が、今日だ。頑張った。
「今日は、ユラリスにいっぱい喜んで貰って、たくさん幸せになってもらおう……!!」
ロイズが握り拳で固く決意をしたところで、時刻は16:56。まだ転移されて来ない事実とドキドキ早くなる自分の心拍数に、もうニヤニヤが止まらない。
―― こんなのさー、だってさー、そういうことじゃんかぁ!
転移前の、この待ち時間。ロイズからすれば、
『ユラリス、好きだよ』
『私も先生が大好きです』
『俺の方が好きだけどね』
『私だって負けません』
『……二人とも、同じくらいドキドキしてるね』
なんて言い合っていると言っても、過言ではない。事実、過言ではないのだ。
物理的な距離など無関係、会っているときよりもイチャイチャしているということだ。
言葉では伝えられない二人の関係にとって、彼女の愛を確かめることが出来るこの時間。嬉しくて幸せで、ロイズはデロデロに溶けてしまいそうであった。
ドキドキ、16:57、ドキドキ、16:58。
全く転移されないこの状態に、段々と恥ずかしくなってくるロイズ。思わず両手で顔を隠してしまうくらいに、熱が集まっているのが分かる。
―― あーもー、好きすぎる!
なーんて叫びたくなった、その瞬間。身体の中心が引っ張られる感覚がした。センス溢れる天才魔法使いだけが分かる、異常値のペアが来る瞬間だ。
目の前が淡く光ったかと思うと、5m先にふわりストンとユアが降り立った。白い膝丈のワンピースの裾がふわっと軽く翻り、焦げ茶色の髪がサラリと動く。その髪を撫でたくなるが、ここは我慢。
「『距離測定中……記録、16:59、5m』。ユラリス、いらっしゃい~」
「お邪魔します……?」
ユアは5mの距離を訝しげに見ながら、ぺこりと挨拶をしつつ、不思議そうに首を傾げていた。
―― あ、そうか。ユラリスはまだ気付いてないのか
ロイズの心拍数がどえらいことになっているという事実に、ユアはまだ気付いていなかった。気付かれたら恥ずかしすぎると思い、賢い彼女が思考を巡らす前に、ロイズは「さあさあ」とダイニングに促した。
ドアを空けると、ダイニングスペースにはふわふわと美味しそうな料理が浮かんでいた。
「わぁ、すごーい!」
普段は何もない小さなダイニングテーブルに、赤紫色の可愛い花束がちょこんと飾られている。そして、青紫色のグラスが二つ。キッチンには色んなお酒が並べられていた。
「あはは! 置いておくスペースがなくて、料理は浮かべるしかなかった~。ごめんね」
「……逆にすごいです、凄すぎます」
物体浮遊のコントロールは難しい。まさかドアを挟んだ別室で、食事を浮遊させているなんて。ユアは驚きであった。
「あれ、これって……もしかしてマリーさんのピザですか?」
「うん、さっき買ってきたんだ~。好きだったでしょ?」
「はい、(そんな先生が)好きです~~っ!」
「あとね、ケーキもあるんだよ」
「これは、実家の近くのケーキ屋さんの……!?」
「そうだよ~、買ってきたんだ。好きでしょ?」
「(そんな先生が)大好きです~~っ!! はぁ、幸せ……」
―― ユラリスが幸せを噛みしめている! 好きなものを覚えておいて良かった~。はぁ、幸せ……
二人で幸せを噛みしめた。
「まだ早い時間だけど、乾杯しよっか」
ロイズがキッチンのお酒スペースに促すと、ズラーッと並ばれたお酒を目の前に、ユアは物珍しそうな顔をした。
「これ全部、先生のお家にあったお酒ですか?」
「あはは! 違うよ~。ここらへんは、俺が良く飲むやつ。そっちは、ユラリスが好きかなぁと思って買っちゃったやつ。甘いやつね」
「(きゅーーん!)嬉しいです!」
「初めは何がいいかなぁ。うーん、炭酸は飲める?」
「はい、好きです」
ユアが頷くと、ロイズはニコッと笑って、アプリコットブランデー、レモン果汁、砂糖をふわふわと浮かばせて、風魔法でかき集めた。材料が集まって一つのボールみたいに宙に浮かんでいる。
「これ、どうするんですか?」
「混ぜる」
そのまま絶妙なコントロールで、シャカシャカと空中で混ぜ合わせると、艶のあるアプリコットの色に変わった。
「わぁ、綺麗な色……」
「気に入った?」
「はい、とても!」
彼女の笑顔が可愛くて、ついつい笑みを零してしまいながら、ロイズは氷魔法を発動させて青紫色のグラスに氷をカランと入れる。そして、氷の上にアプリコットの小さなボールをそっと入れた。
次に火魔法、風魔法、水魔法を合わせ、シュワシュワと音を立てる炭酸水を作ると、青紫色のグラスに注ぎ入れ、最後に風魔法でクルリとかき混ぜれば、出来上がり。ロイズはそれをユアに差し出した。
「アプリコットフィズ。弱めにしたから、ジュースみたいに飲めると思うよ~」
「わぁ、ありがとうございます。すごい、手慣れてますね」
「お酒を飲むのも好きだけど、作るのも好きなんだよね~。魔法以外だと唯一の趣味かも」
「先生は何を飲むんですか?」
「そうだな~。ユラリスがカクテルだから、俺もそうしようかな」
ロイズはそう言って、グラスにジンとライムを絞り入れて、風魔法でクルリとかき混ぜた。
「爽やかな香りですね」
「ジンライムだよ」
『青紫色になっても、ね』と心の中で付け加えてみたりしながら、ものすっごく恥ずかしくなってしまい、うっかりと俯いてしまう。一人で悶えるピュアな23歳だ。
そうして、小さなダイニングテーブルに向かい合わせで座った。グラスを片手に視線を合わせてニコッと微笑み合う。
「誕生日おめでとう、ユラリス」
「ありがとうございます」
真っ白な家の小さなダイニングに、カツンと良い音が響く。グラスが合わさる音に呼応するように、窓の外で波の音がザザーっと大きく合わさった。
「それでは、いざ! いただきますっ」
ユアは恐る恐ると言った様子でグラスに口を付け、こくんと一口。
「わぁ、美味しいです!」
「良かった~」
「本当にジュースみたい……これがお酒……?」
不思議そうにグラスを見つめるユアが可愛くて、『4歳も年下なんだな』と思わずにいられない。普段しっかりしている分、こういうところで年相応な部分が垣間見れると、少し心が踊るロイズであった。
「弱いお酒だからね。ユラリスがお酒に強いのか分からないから。少しずつ慣らしていこうね」
「ふふ、ありがとうございます」
もう一口こくりと飲んで、にこりと微笑む彼女の姿に、ロイズは『次はジン&ビターズでも飲もうかな』なんて思ったりもする。
「料理も食べよっか。ユラリスの誕生日だって言ったら、マリーが気合い入れて作ってくれたよ~」
「わぁ、美味しそうです! 頂きます」
そうやって、二人で途切れない会話を交わしながら、お酒を作ったり作って貰ったり、飲んだり食べたりしていると、お酒に強いロイズだって少しほわわんとした気持ちになる。
ほわわんとした気持ち。良い具合に緊張がほぐれ、気持ちと言葉に勢いが増す、あの感じである。
ユアは現在、弱いお酒を三杯ほど飲んでいた。顔色を見ると、少し頬が赤いがしっかりと意識はある。壊滅的にお酒に弱いということは無さそうだ。
―― よし、今言おう。素面で言えなくてごめんなさいっ!
もう12月、来週あたりには最終の進路希望調査が行われることを知っている魔法教師は、実はひっそりと焦っていた。助手継続の件を、打診出来ていなかったからだ。
言おうとすると、何故だかとても緊張してしまい、なかなか上手く言えない。お酒の力を借りるのはお恥ずかしいが、切羽詰まっているのも事実であった。
「あのさ、ユラリス」
「はい、なんですか?」
「卒業後の進路のことなんだけど……!」
「は、はぁ」
ユアは不思議そうに首を傾げた。プライベートな空間で、進路の話が出てくるとは思ってなかったのだろう。
ロイズはグッと手のひらを握り締めて、言葉を続けた。今日は言える気がした。今日なら言えると思った。
「もし、嫌じゃなければ、このままずっと俺の助手でいてくれませんか……?」
「……え!?」
「卒業後も、一緒に研究がしたい、です」
「え、え、それ本気ですか?」
「うん、本気だよ。ずっと考えてた。ユラリスは優秀だし、もう青紫色になったし、それこそ魔法省でも働けちゃうけど……。ちゃんと給与も出すし、嫌になったら辞めていいから、どうかな?」
ユアは期待するような瞳を向けて、「それって、いつまでですか?」と問い掛けた。
「ずっと。ユラリスが辞めたいって思わなければ、生涯」
「生涯」
「この際、全部言っちゃうと、出来れば住み込みで!!」
「住み込み」
「ユラリスと明け暮れ常々、朝から晩まで一緒に研究できたら、すっっっごく嬉しい」
「朝から晩まで」
ロイズは、胸の仕えが取れたような心地がした。言い切った安堵でふーっと小さく息を吐いて、返事はどうだろうかと彼女を見てみると、赤い顔で困惑していた。
―― 顔が、真っ赤だ
『可愛い!』と思う一方で、なんでこんなに真っ赤なんだろう、と不思議に思った。困惑顔なのは分かる。そりゃあ、急に進路の選択肢が増えたのだから、困惑はするだろう。
―― でも、顔が赤くなる要素がどこに……?
そこまで考えて、次の瞬間、ロイズは自分の顔がバーッと赤くなったのが分かった。たぶんユアより赤かった。やっと分かったのだ。ユアの真っ赤な顔を見て、やっと理解した。
何故、助手継続を打診するだけで、こんなに緊張していたのか。何故なかなか言い出せなかったのか。何故、彼女の顔が赤くなっているのか。
―― これ、プロポーズと同じなんだ。『一生、ずっと一緒にいたい。同じ家で暮らしたい』だなんて、そんなの、そういうことじゃん……!!
ロイズは、自分のぽんこつ具合にほとほと嫌気が差した。恋愛感情に鈍すぎて、大事なことを言った後に自分の真意に気付くなんて、間抜けが過ぎる。
ザッカスに言われた卒業後の予約匂わせなんてレベルをすっ飛ばして、がっつりプロポーズになっている事態。ロイズはプチパニックになった。
―― ど、どうしよ。これ、プロポーズってことになっちゃってる!? ぇえー! どうしよう、取り下げる!? でも、助手継続はお願いしたい。ずっと一緒にいたい。今から言い方を変えればいい!? 今更感!? あーー、わかんない!!
内心パニックになったロイズは、どうにも耐えきれず、俯くように青紫色のグラスに視線を落とした。すると、グラスに映った自分と目が合った。ゼロ距離のときに映る、彼女の青紫色の瞳の中にいる自分がいた。
―― あ……でも、そういうことだ
そう、そういうことだ。
生涯を共にしたい。ずっと一緒にいたい。誰にも取られたくない。自分だけの彼女でいてほしいし、彼女だけの自分になりたい。自分の手で彼女を守りたい。一番近くで守りたい。一つも悲しい気持ちになって欲しくない。悲しいことがあったなら寄り添って抱き締めたい。そして、その後は笑顔が見たい。ずっと、隣で見ていたい。
彼女との距離を、ゼロにしたい。
ユアと出会ってからずっと、ふわりと漂っていた気持ちがストンと定まった。
「ユラリス」
「は、はい!!」
ロイズは、彼女をじっと見つめた。飴色の瞳に熱を灯して、恋を焦がすように。焦がれた恋が、愛に色を変えるように。
「生涯、研究パートナーでいて欲しいって思ってる。赤紫色だったことも、青紫色の今も、丸ごと全部大切にする。だから、卒業後も……一緒にいませんか……?」
心臓がバクバクと音を立てて、もう心も頭も何もかもが張り裂けそうだった。でも、目は逸らさなかった。だって、余所見して欲しくなかったから。
ぶつかる視線が、溶け合う視線に変わった。窓からふわりと入り込んできた柔らかい風が、ダイニングテーブルの真ん中に置いてある赤紫色の小さな花に触れて、揺れた。ユアの恋の色が、変わった気がした。
「はい。ロイズ先生だけの、助手にして下さい」
恥じらいながらも、真っ直ぐと目を見て答えてくれた。
「いいの……? 本当に? 他のことに未練ない!?」
「はい、無いです。先生と研究するのが一番好きです。嬉しいです。本当に夢みたい。嬉しいっ!!」
少し瞳を潤ませながら何度も頷くものだから、本当に嬉しいと思ってくれているのが伝わってくる。そうすると、ロイズも嬉しくなる。
向かい合わせでニコッと笑って「嬉しい」「良かった」「頑張ろうね」と言い合う二人は、まるでと言うか恋人そのもの。予約、完了である。
しかし、調子に乗っちゃった恋愛初心者のロイズは、ここでぶっ込んでしまう男であった。ギブソンを飲み干しながら「じゃあ、」と言って続けた。
「余所見はしちゃダメだよ?」
「余所見?」
ロイズは少し好戦的な目でユアをじっと見ながら、「火」と呟いて指先に金色の火を灯す。それにふっと息を吹きかけて、すぐに消した。
聡いユアは、一瞬で意味が分かったのだろう。顔を真っ赤にして口元を手で覆った。
「余所見、しないでね?」
「~~~っ!! は、はい、絶対しません!」
「それなら良かった、安心だね! あ、そうだ。誕生日プレゼントを渡してなかった~」
そう言って、「ちょっと取ってくる~」とリビングから研究部屋に移動して、ついでにそこで仕掛けていた実験の様子をチラチラと見た。
「あ、いい感じの結果になりそう。条件追加しとこーっと」
こんなときまで実験を仕掛けているとは、さすが魔法バカである。そうして、うっかりと10分ほど経って、誕生日プレゼントと共にリビングに戻ると、お約束の展開が待ち受けていた。
「あ~、せんせぇだぁ。もー、おっそいぞ♪」
「……!?」
―― ユラリスが、ベロベロに酔っているーー!?
お読み頂き、ありがとうございます!
【カクテル言葉補足】
アプリコットフィズ→『振り向いて下さい』
すでにユアは振り向いているため、この場合は『もっと夢中になって』という意味で、ロイズは出してます。勿論、飴色のお酒を選んだのもワザとですね。




