74話 その2年に、意味を与える 【五学年の過去編】
【3年前 / 二学年】
「うげ! ユアが10番になってんじゃん!!」
「わぁ~、ユアすっごーい♪」
「お、今年は俺が1番か。フレイル、残念だったな」
「2番かー、まぁ別に何番でもいいけど」
「カリラはまた40番だな。中級落ちしなかったのが奇跡だな」
「いえーい♪」
始業式の日。一学年から五学年の出席番号、即ち成績が中庭に大きく貼り出されると、生徒たちは戦々恐々としながら確認をするのが恒例であった。
「あれ? ユアはどこ行ったのぉ~?」
三人でキョロキョロしていると、ざわつく五学年の掲示板付近から、ユアが物凄い勢いで走り寄ってきた。泣きながら走ってくるものだから、フレイルは結構引いた。
「うっうぅ……掲示板、掲示板……ぐずっ」
「どうしたガリ勉。奇跡の10番に嬉し泣きか?」
「ぐず……っ、五学年、掲示板!!」
「何だよ?」
フレイルたちが五学年の掲示板を覗くと。
「担任……ロイズ・ロビン!? まじか!」
「へー、魔法省に行かずに教師になったのか。いきなり五学年の担任……さすがだな」
「え~!! やったね、ユア~♪」
「うっう……嘘みたい、夢じゃないわよね? ロイズ先輩と、ぐずっ、また会える……この奇跡、神様ありがとうぅ」
「ロイズ・ロビンの卒業式、ユアがめちゃくちゃ泣いてたの、全く意味なかったなー。うけるわ」
ユアは涙をゴシゴシと拭って、五学年の掲示板を拝んだ。
「流した涙も、良き思い出。これからはロイズ先輩じゃなくて、ロイズ先生って呼ばなきゃいけないのね……良き響き」
「本人に向かって『ロイズ先輩』なんて呼んだことねぇ癖に、なに言ってんだ」
「ユアはぁ、ウブでピュアなところが可愛いの~」
「愚鈍で単純、な」
そんな悪態も、有頂天のユアの耳には入ることもなく、素通りしていくだけであった。
「そういや、29人抜きの10番なんてすげぇじゃん。魔力量、相当上がった?」
「あ、掲示板見てくれた? 理由は分からないけど、入学してからグイグイの天井知らずよ、ふふふ」
理由は勿論、ゼア・ユラリスからの入学祝であるロイズの魔力入りネックレスを毎日身につけているから、である。それが判明するのは3年後であるが。
こうして順調に魔力量も成績も伸ばし続けていたユアであったが、この時期から徐々にフレイルの意識が変化していく。
始業式の夜、実技試験前でもない日の19時頃。いつも通りフレイルが寝支度しようとすると、窓の外の少し遠いところを、ユアがフワリと飛んでいく姿が見えた。
「げ。あいつ出席番号10番になっても毎日練習かよ」
一学年のときは、それこそ39番だったものだから毎日練習は妥当だとフレイルも理解していた。だがしかし、出席番号10番になった初日の今日ですら練習場へ足を運ぶ。
フレイルには理解が遠くて不可思議であったし、逆に興味を引かれた。後を追うように魔法練習場に行ってみると。
「暗っ!」
またもや暗かった。魔力量は上がったはずなのに、なんで暗いまま練習してるんだろうと不思議に思いながら、一年ぶりに練習場の魔法灯に魔力を込めて灯した。深みのある艶っぽい橙色の光が、彼女の横顔を照らした。
「あら、フレイル? どうしたの、珍しいわね」
「まあな。なんで魔法灯点けねぇの?」
フレイルが開口一番に疑問を投げ掛けると、ユアは「勿体ないから」と答えた。
「魔力量が増えたと言っても、まだ平均には届かないくらいだもの。魔法灯じゃなくて練習に使いたいじゃない」
「はぁ? それで真っ暗な中、練習してんの? 教本見えねぇじゃん」
「教本は丸暗記してるから、見なくても平気なのよ」
「丸暗記!? やべぇガリ勉女だな……」
フレイルの理解を超えた頑張り具合に、もう首を傾げるしかなかった。
入学から一年、あんまり茶々を入れると怒られるのが分かってきた頃合いだ。しばらくは何も言わずに、ぼんやりとユアの練習を見ていたフレイルであるが、見ているとものすっごい苛々してくる。
どうにもポイントが少しズレている感じがするのだ。天才型にしか分からない『そこじゃない感』である。
「ユアさぁ。そこはもっと、なんていうか、まろやかな感じで魔力を流した方がいいんじゃね?」
思わず口を出すと、存外にも、ユアは「まろやか?」と聞く耳を持った。
「風魔法は流体が基本だから、流れるようなイメージでまろやか~な感じだろ」
「なにそれ、初めて聞いたけど。教本のどこに載ってたっけ?」
「ばーか。教本に載ってるかよ」
フレイルが笑いながら言うと、ユアは衝撃を受けた顔をして「憎らしい……!」と呟いた。
「お前、ホント可愛げのねぇ女だよなぁ」
「魔法に可愛げなんて不要よ。でも、まろやか……なるほどね」
そう言いながら、ユアはまろやかに風魔法を発動した。
「!? なんか違う気がするー!」
「おー、まだまだ硬いけど、さっきよりいい感じじゃん」
「なるほど、魔法はイメージが一番大事だものね。ふむふむ」
そう言いながら、彼女は教本にカリカリと書き加えていた。
―― また教本かよ
フレイルはそこで飽きてしまい、「じゃあな」と言って帰ろうとした。
「あ、待って!」
「なに?」
「教えてくれてありがとね、フレイル」
目を合わせてニコッと笑ってお礼を言う姿は、『可愛げがなくはない』と思わせるくらいの効果はあった。
そこから毎日練習を見て上げることになった……なんてことはあるわけもなく、フレイルは時々気まぐれにユアの練習を見ては、テキトーなアドバイスをしていた。1ヶ月訪れないこともあったし、3日連続で行くときもあった。
それでも、彼女がフレイルに質問してくることはなく、苛々したフレイルが気まぐれに助言するだけだった。
でも、ただ一つだけ。二学年の始業式から変わったことが、一つだけあった。夕食後に部屋に戻る前、魔法練習場の魔法灯を一カ所だけ点けておくのが、フレイルの日課になったのだ。艶っぽい橙色の光を、一カ所だけ、ぽつりと。
小さいけれど、蓄積すると大きくなる。まるで恋する気持ちを溜めておくみたいに、毎日毎日、一カ所だけ魔法灯を点けておいた。ユアのためとかそういうわけじゃなく、ただ本当になんとなく。
それが二学年の4月の時点での二人の距離であった。
そうして二学年がもうすぐ終わる3月の最終試験で、フレイルは完膚無きまでにぶち抜かれることとなる。色んな意味で。
「なんだよ、あの同時発動……」
二学年の生徒も担任教師も、誰もが唖然として口を開いたままだった。ユアの最終実技試験、いきなりぶちかましたのが『六個同時発動』であったからだ。
次から次へとポンポン発動する魔法の数々。魔法自体は魔力量が少なくても発動可能なものが多かったが、その数も多かった。
ユアの練習をちょこちょこ見に行っていたフレイルであるが、彼女がこんな技術を身に付けていることなど、全く知らなかった。
―― 速い……なのに、一個、一個、めっちゃ綺麗な魔法陣描くじゃん
ユアが真剣に魔法陣を描いて発動していく姿を見て、フレイルは悔しいような寂しいような、何とも言い難い感情を持った。
―― なんで、こんなに頑張れるんだろ
一年間、彼女の頑張る姿を見ていても、やっぱりフレイルには分からなかった。
魔力量がないのに上級魔法学園に入って、毎日真っ暗な中で死ぬほど練習をして、こんな六個同時発動だなんて類を見ない技術まで身に付けて、何かと戦うように、何かを守るように突き進む彼女が、全く一つも理解できなかった。
ただ一つ理解できたのは、頑張っている彼女は、最高に可愛くないってことだけ。
「ユアすご~い!」
「いつの間に……」
担任教師は驚愕の顔を浮かべながらも、目を回してひぃひぃ言いながら採点をしていたが、途中で「ユア・ユラリス、そこまでで大丈夫だ」とギブアップした。
「ユラリス、すげーじゃん」
「さすがガリ勉の星!」
「ひゅーー! テンションあがるぜ!」
「ユアー! かっこいいー!!」
五学年の生徒は拍手喝采。この瞬間、次年度の出席番号1番が決定したと、誰もが思った。これにはリグトも拍手を送らざるを得なかった。有言実行、38人ぶち抜きの下剋上、達成だ。
拍手を合図に、ユアは息を切らして深く頭を下げ、フラフラしながら席に戻った。ユアが座る瞬間、フラッと倒れそうになるものだから、たまたま隣に座っていたフレイルは、ユアを支えるように彼女の肩と腕に触れた。思っていたよりも華奢で、軽くて柔らかかった。
―― ちゃんと女だなぁ
「ごめんね。ありがとう、フレイル」
「……お前、いつの間に六個同時発動なんて出来るようになってたんだよ。言えよなぁ」
フレイルが不満そうに言ってやると、ユアはクスッと笑った。
「フレイルをビックリさせたかったのよ。いつものお礼、みたいな?」
「ぁあ? お礼ってなに」
ユアは、魔法練習場の入口付近にある魔法灯を小さく指差した。まるで皆には内緒みたいに、二人だけの秘密みたいに。
「いつも、ありがとね」
そう言って、深みのある艶っぽい橙色の魔法灯を見ながらニコッと笑う、その横顔に。
―― ぶち抜かれたわ
恋をした。
でも、それからも、二人の関係は大きく変わることはなかった。だって、フレイルはフレイルだから。
一番仲良しの男友達は自分だと自負があったし、残念なガリ勉女はモテないし。焦る必要もなければ、無理してフレイルの方を向かせなくても良かったのだ。
だって、フレイルが恋をした彼女は、こっちを見ることは一切ない女の子だったから。
教本ばっかり見ていて、いつも綺麗な姿勢でカリカリとペンを走らせ、驚くほど正確な魔法陣を描く、頑張り屋の可愛くない女の子だったから。
無理にフレイルの方を向かせたら、彼女が変わってしまうような気がして、踏み込みたくなかった。安全地帯に、居てほしかったのだ。
そう、いつだって、彼女はそうなのだ。魔法のことばっかりで、頑張ることばっかりで。カリカリと姿勢よくペンを走らせる姿は、いつだって――――
ーーーーーーーーー
【現在、五学年 / マリーのピザ屋にて】
そして、時は現在に戻る。
「フレイルは異常値のペア、どうするつもりだ?」
リグトの呼びかけに、フレイルは返事をせずに目を合わせるだけにした。
そして、カリカリとペンを走らせるユアの隣に座って、綺麗に並んでいく文字を見てから、彼女の横顔を見た。
「なぁ、お前がすっげぇガリ勉女になったのって、赤紫色だったから?」
フレイルが何でもない風に聞くと、ユアはピタリと手を止めて、フレイルを見た。目が合った。
ユアはふわっと微笑んで、小さく頷いた。そして、服の上からネックレスの形を探るようにして、ぎゅっとそれを掴んだ。
「……自分だけならね、もっと早く諦めてたと思うけど。私のお父さん、魔法省勤めで、」
「うん」
「もしバレたら、色々言われるでしょ? なんで赤紫色なんてイレギュラーな存在を黙ってたんだって」
「まぁ、そうだろうな」
「でも、もし、私が優秀な魔法使いだったら『赤紫色でも、ちゃんとした魔法使いですよ』って、胸を張って言えるじゃない。それでも叱責されたり、懲戒処分も有り得るのかもしれないけど、でも、やっぱり違うでしょ」
「……うん、そうだろうな」
ユアは、苦笑いで教えてくれた。フレイルには全然理解できなかった『頑張る理由』が、4年かけてやっと理解できたのだ。
「それに、やっぱり……」
ユアは、そう言いながらロイズを見た。熱っぽい瞳を揺らした横顔に、フレイルの胸は少しきゅっと音を立てた。
「またそれかよ。よく飽きねぇな」
「一番の理由は、それだから。仕方ないでしょ! 毎日毎日、魔法練習場に通って、ずーっと目標にしてたんだから」
ユアがそう言うものだから、フレイルもつられて ロイズをチラッと見ると、飴色の髪と瞳が店内の魔法灯に照らされていた。どこかで見たような色に、フレイルは導かれるように飴色をじっと見た。じっと。
その瞬間、フレイルは分かってしまった。
―― あ、、、毎日って、そういうこと
魔法練習場の魔法灯の『深みのある艶っぽい橙色』と、ロイズの飴色が殆ど同じ色であることに、フレイルは気付いてしまったのだ。
二学年から五学年になるまでの三年間。フレイルが毎日毎日、なんとなく点けていた魔法灯。ユアはそれを見る度にロイズを思い出していたのだろう。魔力がなくて歯痒い思いをした日も、魔法を失敗して流れた赤紫色に心が冷えて泣いた日も、六個同時発動を死ぬほど練習した日も。毎日毎日、彼女が頑張れたのはフレイルが点けた『飴色の光』があったからなのだと。
小さいけれど、蓄積すると大きくなる。まるで恋する気持ちを溜めておくみたいに、毎日毎日、それを見ていたのだと。フレイルは、ストンと理解した。
「ぶはっ! なんだよ、墓穴じゃん!」
そして、あまりの間抜け具合に思わず吹き出して笑ってしまった。自虐的な笑いのツボであった。
「なに笑ってんのよ」
突然笑い出したフレイルに、ユアは怪訝そうにした。
「いやー、もう自分の馬鹿さ加減に驚くしかねぇわ」
「意味が分からないわ」
「意味……そうだよなぁ」
フレイルは思った。この恋に勝ち目はもうない。恋をした瞬間から勝ち目がなかった。だって、彼女はこっちを見なかったんじゃなくて、あっちを見続けていて、そんな彼女に恋をしたのだと分かってしまったから。
でも、一つだけ救いがあった。ユアに恋をした2年間に『とびっきりの特別な意味』を持たせることが出来るのだから。
「ロイズ先生」
フレイルはユアの隣に座ったまま、ロイズに向き直った。
「なーにー?」
「異常値のペア探しの件、俺もやる」
「……えっと、デメリットの件は大丈夫?」
ロイズが心配そうにするものだから、フレイルは小馬鹿にして小さく笑ってやった。
―― 『異常値のペア』じゃ、絶対に提供できねぇもの、俺なら提供できるって思い知れ、この変態教師が!
フレイルは脚を組み直して、頭を軽く振って金色の髪を少し揺らした。そして、ロイズを真っ直ぐと見据えて言ってやった。
「俺、ユアのことが好きだから、良いサンプルになるかなって思ってんだけど」
「へ……?」
いつもニコニコしているロイズ・ロビンから表情が抜け落ちるのを見て、フレイルはちょっと愉悦を感じた。
カリラとマリーは「きゃーー!!」と騒いでいたし、リグトはフレイルの恋心に全く気付いていなかったらしく、心底驚きつつ『コイツのどこが良いんだ!?』と、ユアを凝視していた。失礼すぎた。
それでも、色々と気にしなくなったフレイルは、構わずに続けた。
「もう2年以上好きなんだけどさ。元々持っていたユアが好きって気持ちが、異常値のペアと会った後に変化するかどうか。良い研究になるだろ、なぁ?」
そこでフレイルがユアを見ると、驚くほど顔が真っ赤であった。
「……え、顔真っ赤じゃん」
「え!」
ユアは、思わず両手で顔を隠した。
―― ぇえ? なにこの女、ちょろ!
フレイルは思わず楽しくなってしまって、ユアに向き直って顔を近付けた。
「ユア」
フレイルが呼ぶと、「なによ!?」とやたら強気の言い方で返事をし、指の隙間から青紫色の瞳だけを覗かせた。それに、態とらしく金色の瞳をぶつけてやった。
「ずっと好きだった」
耳まで赤くなる、見たこともない姿。初めて見る彼女のそんな姿を弄らないでいられるほど、フレイルは大人ではなかった。
「うわ、耳まで赤いけど。お前、ちょろくね?」
「だって! こここ告白とか、生まれて初めてされたし! これは生理現象よ、仕方ないでしょ!?」
非モテを暴露しつつ、一生懸命に言い訳をしてくる姿も可愛げがあって、まるでフレイルにもチャンスがあるのかな、なんてフラグが立ちそうだった。
「そんなに赤くなるってことは、俺にもチャンスあり?」
「あ、ごめんなさい。それは絶対無いわ」
スンとした真顔でフラグは折られた。南無阿弥陀仏。世は無情。
とは言え、フレイルとしても、この告白でユアとどうこうなろうとしたわけではないから、乾いた笑いを出すだけで折られたフラグを水流して見送った。
「ははは、ホントお前って可愛くねぇ女だよな。まぁ、いいや。というわけだから、異常値のペア探しよろしくお願いしまーす……」
そう言いながら、フレイルがロイズに視線を向けると、ユアの反応とは対照的に、ロイズの顔は真っ青だった。目が死んでいた。
「おーい、先生ー?」
「あ、うん、ぜんぜんへいき、わかりました、はい」
心此処にあらず、と言った調子で返事をされた。
―― ふーん? ロイズ・ロビンに、一撃食らわせたかな
ついうっかり、ガッツポーズでニヤニヤしてしまうフレイル・フライスであった。
頑張り屋の彼女の心に『飴色の光』を灯し続けてきた、その片恋の距離。
大きな意味を持つ、2年。
おまけ
【ロイズの卒業式】
「ずーーーーん」
「ユア、気落ちしすぎじゃね? 顔が死んでっぞー」
「仕方ないよぉ、だって今日は卒業式~♪」
そう、今日は五学年の先輩が学園を去る日。厳かな大講堂の一番後ろ、入場口に近い席。そこで、ユアはボロボロに涙を流していた。
「うっうう……ぐすっ……うっ」
「お前は五学年の保護者か?」
「保護者ですら誰も泣いてねぇけどな」
「あ、先輩たち入場するよぉ~♪」
「さて、誰が出席番号1番か」
ぱんぱぱぱーん~♪ ちゃららりっちゃら~♪
大きな拍手と場違いな気の抜けた音楽が鳴り響き、大扉がギーィと音を立てて開かれた。開かれた扉の先に見えたのは、飴色の髪の魔法使いであった。
「やっぱりロイズ・ロビンか」
『やっぱり』という声が拍手に混ざって、そこかしこで聞こえる。卒業式の入場は、出席番号昇順だ。即ち、一番初めに入場するのが、その学年の王者である。
皆が出席番号を気にする中で、ユアだけはボロボロと泣きながら「ぐず……ネクタイが青だわ、ぐずっ」と言っていた。
「……あ、ホントだ」
「ということは~、まだ未売約~♪」
魔法学園の制服は下級学園から上級学園まで同一のデザインだ。紫色に青いラインのネクタイが男子用、紫色に赤いラインのネクタイが女子用となっている。
卒業式にそのネクタイを男女で交換していたりすると『売約済』と言われるし、未売約の場合は後輩たちによるネクタイ争奪戦となるのだ。
特に成績上位者のネクタイは、本人の魅力とは関係なく、御利益があるからと後輩たちに大人気だったりする。
「え~! ユア、参戦しちゃいなヨ!」
「ぇえ!?」
「結局、会話の一つもしてないんだろ? 無益な一年間が多少は報われるだろ」
「やったれやったれ~」
ユアは想像した。卒業式が終わった後、ダッシュでロイズを捕まえて『ネクタイ下さい!』という自分を。そして、きょとん顔で『君、誰?』というロイズを。涙が引っ込んだ。
「無理無理無理! ロイズ先輩からしたら、お前誰だよって感じだもん」
「今日で最後だ。恥は掻き捨てろ」
「今日で最後……うっ、ぐずっ……」
「ユア可愛い~♪ きっとまた会えるよぉ~!」
「ぐずぐず、うるせぇなー」
そうしてユアは、ずっと泣いていた。ロイズのテキトーな答辞の間は、全神経を聴覚と視覚に注いで涙を引っ込めたが、後はずっと泣いていた。
卒業式終了後。中庭にぞろぞろと出た生徒たちの間をすり抜けるように、ユアは悪ノリ3人組に背中をグイグイ押されていた。
「無理無理無理!」
「安心しろ、かなり面白いから!」
「骨は拾う、当たって砕けろ」
「え~? 大丈夫、上手くいくと思うよぉ~♪」
そうしてドンっと思いっきり背中を押されたユアは、おっとっと……とロイズの背中にぶつかりそうになったところを、根性で急ブレーキをかけた。その距離30cm。
―― うわぁ、こんな近いの初めて……
ドキドキと高鳴る胸。ユアは息もできなくて、ただただ憧れの飴色の髪を見ているだけだった。声をかけることも、立ち去ることもできなくて、じっと見ているだけ。
すると、ロイズも後ろの気配に気付いたのだろう。後ろを振り向きかけた、その瞬間。
「ロイズ先輩ー!」
と、前方から駆け寄る後輩の声に、前に向き直った。
「なーにー?」
「あ! ネクタイもう無い!」
「あはは! 残念でした~。もうないよ」
「えー! 御利益欲しかったのに。誰がゲットしたんですか?」
「んー? 誰だったかな~、わかんない」
―― あ……もう、無くなっちゃったのね
ユアはもの凄く、もの凄く、ガッカリした。こんなにガッカリするくらいなら、無理とか言っていないで、なりふり構わずにダッシュでいけば良かったと思った。
でも、ネクタイが無くたって『卒業おめでとうございます』の一言くらいは言えるはずなのに、結局ネクタイが無いことを理由にして声をかけることも出来ない、そんな憧憬的な恋心。
情けなくて、恥ずかしくて、ユアはそっと後ずさるようにして距離を取った。それでも、一分一秒でも長く同じ空間に居たくて、ロイズがいなくなるまでずっと彼を見ていた。
彼が魔法教師になったことを知るのは、この一ヶ月後。そして、彼と『出会う』のは三年後。二人の恋の始まりまで、片恋は続く。




