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魔法教師ロイズ・ロビンは、その距離測定中  作者: 糸のいと
第四章 人と治癒の距離

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69話 赤紫色であるということ



 時を遡ること、30分前。時刻は、9時。


 ショートメッセージ魔法陣を送信し終えたユアは、路地裏からひょこっと顔を出しながら「ロイズ先生」と言ったが。


「あら? いない」


 キョロキョロと探しても見つからない。ふと見ると、ピザ屋のドアが少し開いている。店の中にいるのだろうと覗いてみるが、誰もいない。


「先生~? マリーさん?」


 二人の名前を呼んでみるが、全く気配がしない。


「どこに行っちゃったのかしら……?」


 きっと何かトラブルがあって転移でどこかに行ったのだろうと、すぐに思い至った。ロイズのことだから、そのうち指を鳴らして呼び出すだろうと思い、優等生のユアはそれを待つべきだと判断をした。


「お店のドアが開けっ放しだから、ここにいないとまずいわよね」


 呼び出されるまでの間、治療医院に帰りたかったが、そもそもに財布もなければ移動魔導具もない。魔法を使ってトラブルになったら面倒だ。マリーのお店を放っておくこともできず、かと言って店主がいないのに、勝手に中に入るのも気が引ける。

 ユアは店のドアをしっかりと閉めて、ドアの前に立った。待つこと15分。


「全然呼び出されない……暑い~」


 一体何があったというのか。時刻は9:15。じりじりと上がっていく太陽が眩しくて、日影のない店の前でただ立っているのは、かなりしんどかった。焦げ茶色の髪がもっと焦げてしまいそうで、日影を求めて少し移動しようと一歩踏み出した。


 すると、二軒隣のフレッシュジュースのお店から「嘘だろ!?」と声が聞こえてきた。暇を持て余したユアは何事かなと、少し近寄ると。


「氷冷魔導具を壊した!?」

「すみませんー!!」

「どうすんだよ、今日!?」

「周りのお店から氷を分けて貰えるように頼んできますーー!」

「今日は定休日の店が多いよ。間に合わないだろ……」


 と、こんな会話が聞こえてくる。


 ―― 氷がなくて困ってるのね


 ユアがテイクアウトカウンターからこっそりと覗き込むと、謝り倒す若い女性と青ざめている若い男性がいた。見る限り、善良な市民といった雰囲気だった。ユアは真面目な優等生、上級魔法学園の生徒として人助けは責務。意を決して、カウンター越しに声をかけた。


「あの……氷がなくてお困りですか?」

「!? あ、いらっしゃいませ。すみません、まだ開店前でして」

「いえ、お困りのご様子だったので。氷なら用意できますが」

「本当ですか!?」

「はい」

「お願いします、分けて頂けると助かりますー!」


 女性店員がやたら深く頭を下げるものだから、ユアは少し笑いながら店の中にお邪魔した。


「えっと、魔法を使っても良いですか?」

「え……魔法使いの方なんですか!?」

「はい。ユアと申します。怖かったらすぐに魔法を止めますので、遠慮なく仰ってくださいね」


 ニコッと笑うと、二人は少し戸惑うようにしながら、身を守るように三歩ほど下がった。ユアはそれを見て微笑んで頷いた。『怖がるのは当たり前ですよ』と、無言のメッセージを添えて。

 そして、氷の魔法陣を描いて、入れ物いっぱいに氷を出してみせた。


 ガラガラと、涼しげな音を立てながら溜まっていく氷。初めこそ身体をビクッとさせて怖がっていた二人であったが、氷が溜まっていくにつれて「すごい」「これが魔法!?」と目をキラキラさせて一歩、二歩、三歩、と少しずつ近付いた。最終的にはユアの隣に立って楽しそうに魔法を見る二人の姿に、ユアは心が踊った。


 魔法は共通言語なのだ。人と人とを結び付ける、確かなツールだ。魔法を楽しむ心は、魔力のない人間だって持っているのだと思ったら、心が騒いだ。


「これくらいで大丈夫ですか?」

「はい! もう十分です、ありがとうございます!!」

「あ、お礼を……」


 そう言って、店のレジからお金を出そうとする男性を慌てて止めて、ユアは「いりません」と固辞した。


「ですが、これだけ氷を出して頂いたのに……。じゃあ、せめてフレッシュジュースだけでも飲んで下さい」


 暑い中待ちぼうけ。喉がカラカラだったユアは、有り難く頂戴することにした。


「じゃあ、遠慮なく」

「はい、是非!」


 そう言って、二人はやたら豪華なフレッシュジュースを作ってくれた。マリーのお店が気になったユアは、ピザ屋が見えるようにカウンターの外に立ってジュース作りを見ていた。手際よく切られていくフルーツたちの香りと瑞々しさに、夏の暑さが少し和らいだ。


 時刻は9:32。そのとき、マリーの店の前にロイズが転移で現れた。少し距離があったせいか、ユアに引っ張られずに転移をしてきたロイズは、キョロキョロとユアの姿を探していた。


「ロイズ先生~!」


 カウンターの前からユアが手を振ると、それを見つけたロイズが超ダッシュで駆け寄ってきて「ごめん!!!」と謝られた。


「ふふ、そんな慌てなくても。何かトラブルですか?」

「トラブルというわけではなく、その、何と言っていいやら」

「?? マリーさんは今どちらに?」

「家に置いてきたよ」

「先生の家に?」

「うん、家に」

「……そうですか」

 

 ―― マリーさんを学園には連れて行けないし、家しかないものね。そうよね、判断は妥当よね


 それでも。


 ―― 私だけじゃないんだ


 ユアは、ショックであった。あの海の真ん中にある白い家に招かれる人物は、彼にとって特別な存在なのだと思っていたからだ。事実、ザッカスだってロイズの家には行ったことはないと言っていた。


 自分はユア・ユラリスだから助手になれたわけでもなければ、ユア・ユラリスとして招かれたわけでもない、と思った。赤紫色だったから彼の助手になれたのだし、家に出入り出来ていたのだろう、と。


 ―― で、でも! 今は青紫色でもロイズ先生は大事にしてくれるし、たぶん、私のこと好いてくれてると思うし!


 少し俯くユアの目の前に、彩り豊かなフレッシュジュースがトンと置かれた。フルーツにとろりと掛けられていた飴色の艶々シロップに、視界が開いた心地がした。


「わぁ、キレイ!」

「待って下さいね、今ストロー出しますから。ところで、マリーってピザ屋のマリーですか? ユアちゃんは、マリーの友達なのかな?」


 フレッシュジュースを作っていた男性店員が、ストローを差しながらユアに訪ねた。


「はい。マリーさんと仲良くして頂いてます」

「そうなんだ。じゃあピザ屋に寄った際には、またぜひ来てね!」

「お待ちしてまーす!」

「ふふっ、ありがとうございます」


 ユアはジュースを受け取って、ジュース屋の二人に挨拶をしてから、「ロイズ先生、行きましょうか」と言ってピザ屋の前に戻った。


「ユラリスは、ジュース屋さんと知り合い……なの?」

「いえ、お困りだったので氷を出しただけです。楽しそうに魔法を見て貰えて、良かったです」

「へー、ふーん、そう……。(ユアちゃんって呼ばれるくらいに)仲良さそうだったね」

「はい、ジュースも美味しいです。ロイズ先生も飲みます?」

「へ!? いや、いらないです!」


 ストローのまま差し出されるフレッシュなジュース。ついうっかり勢いよく断ってしまうほどに、ピュアオブピュアな23歳であった。


「お店のドアが開けっ放しなので、戸締まりした方が良いですよね」

「そうだね、じゃあ内鍵を閉めてから行こうか」



 ガチャリ。ふわり、ストン。ザッパーン!



「……」


 ロイズの家のリビングに入ったユアは絶句した。リビングには、見たこともない牢屋のような何かがあったからだ。やたら狭いリビングスペースに大きな牢屋がドーンと鎮座している様は、アブノーマル感が強くて、かなり異様であった。


「あ! ユアちゃーん! 助けてよ、この牢屋みたいなのビクともしなくて! バカロイズが閉じ込めたのよ、まじ最低だわー」

「マリーさん! 大丈夫ですか?」

「ごめんね~、『囲い解除』」


 ロイズは大して悪びれもせずに軽く謝って、牢屋を消し去った。天才魔法使いの煽り体質、失礼がすぎる。


「なんで牢屋に閉じ込められてたんですか?」


 ユアが慌ててマリーに駆け寄ると、マリーは大きく舌打ちをした。


「家を勝手にウロウロされたくないからって、突然の牢屋よ。全く信じられないほどに失礼な男ね」

「だって、マリーって平気で家探ししそう~。昔、家中の引き出しを勝手に開けられたの、まだ覚えてるからね」

「ぐっ……! 子供のときの話でしょーよ!?」

「俺は子供のときでもやったことないし。根は変わらないよ~」

「アンタねぇ」


 そこでマリーはチラッとユアを見て、ニヤリと笑った。


「はっは~ん? さては家探しされたら困るものでも置いてるんでしょー?」

「そりゃ、困るものばかりだけど」

「例えばぁ、エッチな本とかね」

「!!? そんなのあるわけないじゃん!」


 思わぬ反撃にロイズは慌てた。


「どこに隠してるのかしらぁ? やっぱり寝室~ぅ?」

「ホントやめて? そんなの持ってないってば!」


 そこでロイズはハッとして、横目でチラッとユアの状態を確認した。ユアは色々と想像してしまった為、顔が真っ赤で目がウロウロと泳いでいた。エッチな本がどこかにあるんだ、と信じている顔であった。ロイズはめっちゃくちゃ慌てた。


「わぁ! ちょっと待って、ユラリス、本当だから。信じて、そんなのないから!!」

「え、あ、はい!」

「ぇえー? 23歳の男がエロ本の一冊も持ってないなんて、逆に心配になるわー」


 マリーのえげつない言葉に、ユアはハッとした。


 ―― 確かに。先生って性欲とか皆無な感じよね。魔力共有のときは『男』って感じだったけど、普段はクリーンでサッパリ爽やかだし……


 待て待て。普段から性欲丸出しの男などそうそういない。もう少し言えば、確かにロイズは性欲皆無の草食男子ではあるが、それ以前に教師だ。教え子の前で性欲丸出しなわけはないだろうに。ユアはそこらへんのことが良く分かっていなかった。

 (うかが)うような目でロイズを見ると、ロイズは「マリー?」と、低い声を出してやんちゃなマリーを睨んでいた。


 ―― 先生が割と本気で怒ってる、レアだわ! ほほう、これはこれで良き……


 ユアは尊みを感じていた。


「ユラリスの前で変なこと言わないで。もう黙ってて」

「あら、センセーが怒っちゃった。はいはーい。で、採血とやらをやるんでしょ?」

「あ、そうだった。ユラリス、採血お願いしていい?」

「はい、もちろんです」


 そうしてゴタゴタしながらも、やっとこさマリーの採血に漕ぎ着けた。ユアがマリーの手を取って、魔導具を取り付けること、三拍後。


「ああああかむらさきぃ!!?」


 マリーは、めっちゃくちゃ驚いていた。自分の血液に(おのの)いていた。


「わぁ。本当に赤紫色ですね。何か……とても感動します……」

「でも、やっぱり(ユラリスのより)青みがかなり少ないね」

「ということは、やっぱり(先生の魔力入りネックレスによって)青みが増していたんですね」

「立証されたね~」

「されましたね」

「良かったね~」

「良かったですね」


 きゃっきゃっうふふ、と何やら楽しそうにしている魔法バカの二人。マリーは困惑した。全く付いていけないと、混乱した。


「いやいやいや、なに人の血液をネタにイチャついてんのよ。これって大丈夫なの? 赤紫色なんて聞いたこともないんだけど!? 私、どうなっちゃってるわけ!?」

「マリーさん……」


 混乱しているマリーの気持ちが分かるユアは、痛ましそうにマリーの肩にそっと触れた。 


「大丈夫大丈夫~。ちゃんと説明するね」


 ロイズとユアが順を追って説明すると、混乱していたマリーは少し落ち着きを取り戻しながら、ふむふむと聞いてくれた。時折、質問をしながら、現状に理解を示したようだった。


「赤紫色は、人間から魔法使いに変化する途中段階だと考えてるよ」

「赤紫色でも魔法は使えるのよね?」

「うん、使える」

「で、『異常値のペア』であるカリラちゃんと魔力共有とやらをすれば、私は完全な魔法使いになれるってわけね」


 落ち着きを取り戻したマリーは強かった。すんなりと理解をしてしまうマリーに、ユアは心底驚いて怖ず怖ずと疑問を投げかけた。


「あの……怖いなとか、思いませんか?」

「そうねぇ、不思議なもんで、今のところ怖さはないわね。赤紫色の理由も教えてくれたし、ユアちゃんとロイズがいるからかな。普通だったらこんな落ち着いてられないと思うけど」


 ―― なんで、そんな普通でいられるの?


 マリーが怖くはないとサラリと答えるのを見て、ユアは何かのスイッチが入ったような感覚がした。心の奥底に沈んでいたスイッチが、カチッと音を立てた。

 その瞬間、色んな感情が血液に乗っかって身体中を駆け回った。嬉しいような、憎らしいような。寂しい気持ちもあったし、安心する気持ちもあった。

 スイッチが入ったまま口を開いたら、あまり良くないことを言ってしまいそうだった。でも、聞かずにはいられなかった。込み上げる気持ちが抑えられなかった。


 ユアは少し震える指先と口の端をそのままにして、「マリーさん」と初めて出来た()()の名前を呼んだ。


「ごめんなさい、とても失礼なことを聞いても大丈夫ですか?」


 ユアの表情のない真剣な顔付きに、マリーは何か思うところがあったのだろう。柔らかく微笑んで「いいわよ」と答えた。


 ユアは震える手をグッと握り締めた。力を込めすぎて、震えが喉まで伝わった。


「じ、自分が、、、得体の知れないものになったような気がしませんか? 人間でも、魔法使いでもなくて、世界中で一人ぼっちで、誰とも違う存在で、誰かと一緒にいても一緒にいないような、」


 言葉が詰まって、上手く出てこなかった。


「……あ、あの赤紫色を見て、心が、冷えていく感じはありませんか? 頑張っても頑張っても、崩れていくような不安な気持ちは、ありま……せんか? 愛されていても、その人ごと崩されてしまう、みたいな、そんな感じが……」


 ユアはそれ以上、話すことが出来なかった。


「ユラリス」


 ロイズはユアの言葉を優しく遮って、その手を引っ張って思いっきりぎゅっと抱き締めた。ユアは、ボロボロと泣いていた。15年間、ずっと抱えていたものを全部吐き出しながら、涙を流した。


 今はもう青紫色になったけれど、赤紫色だった頃の自分がいなくなったわけではない。ロイズが愛おしそうに赤紫色を見つめる度に、それが愛しくなる自分もいた。だから、器用に区切って捨てられるわけではない。

 でも、苦しかった記憶が多すぎて、全てを大切に包んで取っておけるわけでもない。『青紫色になったんだから関係ないわ』と消し去ることも、『赤紫色だったから今の自分がいるんだ』と受け入れることも出来ない不器用さが、涙になって流れた。


「先生、ごめんな、さい……」

「いいよ、ユラリス」


 ロイズは、彼女の涙で肩が濡れていく感覚が愛おしくて、もう一度抱き締め直した。


「何度でも言うよ、血液の色なんて関係ないよ。魔力の質だって、どうだっていい。どんなユラリスでもいいんだよ。何度でも言う、何回だって言う。どんなユラリスだっていい」


 『何回でも言うから、何回でも泣いていいよ』という気持ちを添えて、彼女に伝えた。

 彼女の震える肩には、異質な赤紫色がずっと重くのし掛かっていたのだろう。その肩に乗っているものを少しでも分けて欲しくて、ロイズは彼女の肩を包むように抱き締めた。



「そう……そういうことだったのね」


 マリーは泣きじゃくるユアを見て、全てを察した。顔を埋めたまま泣いている彼女の代わりに、ロイズは視線だけでそれを肯定をした。

 それを受け取って、マリーは何度か小さく頷いてから少しだけ息を吐いた。


「ユアちゃん。さっきの答え、少し訂正するわ。赤紫色の魔法使いになっても、怖くはなかったのは確か。……ユアちゃんがいるから怖くなかったんだと思う」


 ユアは、マリーの言葉を聞いて、少し顔を上げた。柔らかく微笑むマリーと目が合った。


「ずっと悩んで苦しんで逃げずに頑張ってきた()()がいるなんて、最高に心強いことでしょ? 私から見たユアちゃんが、今を素敵に生きているから、私は安心して赤紫色を受け入れられるわ」

「マリーさん……」

「それに一人じゃないし、ね!」


 ニカッと笑うマリー(仲間)の笑顔を見て、ユアはストンと心が定まった。ボロボロ泣きながら、マリーに「ごめんなさい」と「ありがとう」を何回も伝えた。その度にマリーは何度も何度も頷いてくれた。



「ロイズ先生、私、皆に伝えます。元々は人間だったことを伝えます。今までの研究結果も全部、伝えたいと思っています。皆の気持ちを考えたらその方が良いかなって」

「大丈夫? ……と聞こうと思ったけど、大丈夫そうだね」

「はい! 大爆発で大号泣したら、全部どうでもよくなっちゃいました」

「あはは! ユラリスはやっぱりいいね~」



 赤紫色を失って、初めて赤紫色を受け入れた。今後、近い将来に訪れるだろう『人間が魔法使いになるのが当たり前の世界』で、ユアが存在する意味はとても大きい。賢い彼女は、この日、それを深く理解したのだ。


 赤紫色だったから、今の自分がいる。全部必要なことだった。


 怪我をする度に隠れて必死に治癒をしていた時間も、眠る前に突然訪れる恐怖も、頑張ることでしか安堵を得られなかった日々も、この人生を生きるために全部必要なことだった。

 始めから青紫色じゃなかったから、今の自分は満たされているのだと、ユアは心から思った。


 頑張り屋の魔法使いが、赤紫色と向き合い続けてきた道。その距離、15年。





 

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