69話 赤紫色であるということ
時を遡ること、30分前。時刻は、9時。
ショートメッセージ魔法陣を送信し終えたユアは、路地裏からひょこっと顔を出しながら「ロイズ先生」と言ったが。
「あら? いない」
キョロキョロと探しても見つからない。ふと見ると、ピザ屋のドアが少し開いている。店の中にいるのだろうと覗いてみるが、誰もいない。
「先生~? マリーさん?」
二人の名前を呼んでみるが、全く気配がしない。
「どこに行っちゃったのかしら……?」
きっと何かトラブルがあって転移でどこかに行ったのだろうと、すぐに思い至った。ロイズのことだから、そのうち指を鳴らして呼び出すだろうと思い、優等生のユアはそれを待つべきだと判断をした。
「お店のドアが開けっ放しだから、ここにいないとまずいわよね」
呼び出されるまでの間、治療医院に帰りたかったが、そもそもに財布もなければ移動魔導具もない。魔法を使ってトラブルになったら面倒だ。マリーのお店を放っておくこともできず、かと言って店主がいないのに、勝手に中に入るのも気が引ける。
ユアは店のドアをしっかりと閉めて、ドアの前に立った。待つこと15分。
「全然呼び出されない……暑い~」
一体何があったというのか。時刻は9:15。じりじりと上がっていく太陽が眩しくて、日影のない店の前でただ立っているのは、かなりしんどかった。焦げ茶色の髪がもっと焦げてしまいそうで、日影を求めて少し移動しようと一歩踏み出した。
すると、二軒隣のフレッシュジュースのお店から「嘘だろ!?」と声が聞こえてきた。暇を持て余したユアは何事かなと、少し近寄ると。
「氷冷魔導具を壊した!?」
「すみませんー!!」
「どうすんだよ、今日!?」
「周りのお店から氷を分けて貰えるように頼んできますーー!」
「今日は定休日の店が多いよ。間に合わないだろ……」
と、こんな会話が聞こえてくる。
―― 氷がなくて困ってるのね
ユアがテイクアウトカウンターからこっそりと覗き込むと、謝り倒す若い女性と青ざめている若い男性がいた。見る限り、善良な市民といった雰囲気だった。ユアは真面目な優等生、上級魔法学園の生徒として人助けは責務。意を決して、カウンター越しに声をかけた。
「あの……氷がなくてお困りですか?」
「!? あ、いらっしゃいませ。すみません、まだ開店前でして」
「いえ、お困りのご様子だったので。氷なら用意できますが」
「本当ですか!?」
「はい」
「お願いします、分けて頂けると助かりますー!」
女性店員がやたら深く頭を下げるものだから、ユアは少し笑いながら店の中にお邪魔した。
「えっと、魔法を使っても良いですか?」
「え……魔法使いの方なんですか!?」
「はい。ユアと申します。怖かったらすぐに魔法を止めますので、遠慮なく仰ってくださいね」
ニコッと笑うと、二人は少し戸惑うようにしながら、身を守るように三歩ほど下がった。ユアはそれを見て微笑んで頷いた。『怖がるのは当たり前ですよ』と、無言のメッセージを添えて。
そして、氷の魔法陣を描いて、入れ物いっぱいに氷を出してみせた。
ガラガラと、涼しげな音を立てながら溜まっていく氷。初めこそ身体をビクッとさせて怖がっていた二人であったが、氷が溜まっていくにつれて「すごい」「これが魔法!?」と目をキラキラさせて一歩、二歩、三歩、と少しずつ近付いた。最終的にはユアの隣に立って楽しそうに魔法を見る二人の姿に、ユアは心が踊った。
魔法は共通言語なのだ。人と人とを結び付ける、確かなツールだ。魔法を楽しむ心は、魔力のない人間だって持っているのだと思ったら、心が騒いだ。
「これくらいで大丈夫ですか?」
「はい! もう十分です、ありがとうございます!!」
「あ、お礼を……」
そう言って、店のレジからお金を出そうとする男性を慌てて止めて、ユアは「いりません」と固辞した。
「ですが、これだけ氷を出して頂いたのに……。じゃあ、せめてフレッシュジュースだけでも飲んで下さい」
暑い中待ちぼうけ。喉がカラカラだったユアは、有り難く頂戴することにした。
「じゃあ、遠慮なく」
「はい、是非!」
そう言って、二人はやたら豪華なフレッシュジュースを作ってくれた。マリーのお店が気になったユアは、ピザ屋が見えるようにカウンターの外に立ってジュース作りを見ていた。手際よく切られていくフルーツたちの香りと瑞々しさに、夏の暑さが少し和らいだ。
時刻は9:32。そのとき、マリーの店の前にロイズが転移で現れた。少し距離があったせいか、ユアに引っ張られずに転移をしてきたロイズは、キョロキョロとユアの姿を探していた。
「ロイズ先生~!」
カウンターの前からユアが手を振ると、それを見つけたロイズが超ダッシュで駆け寄ってきて「ごめん!!!」と謝られた。
「ふふ、そんな慌てなくても。何かトラブルですか?」
「トラブルというわけではなく、その、何と言っていいやら」
「?? マリーさんは今どちらに?」
「家に置いてきたよ」
「先生の家に?」
「うん、家に」
「……そうですか」
―― マリーさんを学園には連れて行けないし、家しかないものね。そうよね、判断は妥当よね
それでも。
―― 私だけじゃないんだ
ユアは、ショックであった。あの海の真ん中にある白い家に招かれる人物は、彼にとって特別な存在なのだと思っていたからだ。事実、ザッカスだってロイズの家には行ったことはないと言っていた。
自分はユア・ユラリスだから助手になれたわけでもなければ、ユア・ユラリスとして招かれたわけでもない、と思った。赤紫色だったから彼の助手になれたのだし、家に出入り出来ていたのだろう、と。
―― で、でも! 今は青紫色でもロイズ先生は大事にしてくれるし、たぶん、私のこと好いてくれてると思うし!
少し俯くユアの目の前に、彩り豊かなフレッシュジュースがトンと置かれた。フルーツにとろりと掛けられていた飴色の艶々シロップに、視界が開いた心地がした。
「わぁ、キレイ!」
「待って下さいね、今ストロー出しますから。ところで、マリーってピザ屋のマリーですか? ユアちゃんは、マリーの友達なのかな?」
フレッシュジュースを作っていた男性店員が、ストローを差しながらユアに訪ねた。
「はい。マリーさんと仲良くして頂いてます」
「そうなんだ。じゃあピザ屋に寄った際には、またぜひ来てね!」
「お待ちしてまーす!」
「ふふっ、ありがとうございます」
ユアはジュースを受け取って、ジュース屋の二人に挨拶をしてから、「ロイズ先生、行きましょうか」と言ってピザ屋の前に戻った。
「ユラリスは、ジュース屋さんと知り合い……なの?」
「いえ、お困りだったので氷を出しただけです。楽しそうに魔法を見て貰えて、良かったです」
「へー、ふーん、そう……。(ユアちゃんって呼ばれるくらいに)仲良さそうだったね」
「はい、ジュースも美味しいです。ロイズ先生も飲みます?」
「へ!? いや、いらないです!」
ストローのまま差し出されるフレッシュなジュース。ついうっかり勢いよく断ってしまうほどに、ピュアオブピュアな23歳であった。
「お店のドアが開けっ放しなので、戸締まりした方が良いですよね」
「そうだね、じゃあ内鍵を閉めてから行こうか」
ガチャリ。ふわり、ストン。ザッパーン!
「……」
ロイズの家のリビングに入ったユアは絶句した。リビングには、見たこともない牢屋のような何かがあったからだ。やたら狭いリビングスペースに大きな牢屋がドーンと鎮座している様は、アブノーマル感が強くて、かなり異様であった。
「あ! ユアちゃーん! 助けてよ、この牢屋みたいなのビクともしなくて! バカロイズが閉じ込めたのよ、まじ最低だわー」
「マリーさん! 大丈夫ですか?」
「ごめんね~、『囲い解除』」
ロイズは大して悪びれもせずに軽く謝って、牢屋を消し去った。天才魔法使いの煽り体質、失礼がすぎる。
「なんで牢屋に閉じ込められてたんですか?」
ユアが慌ててマリーに駆け寄ると、マリーは大きく舌打ちをした。
「家を勝手にウロウロされたくないからって、突然の牢屋よ。全く信じられないほどに失礼な男ね」
「だって、マリーって平気で家探ししそう~。昔、家中の引き出しを勝手に開けられたの、まだ覚えてるからね」
「ぐっ……! 子供のときの話でしょーよ!?」
「俺は子供のときでもやったことないし。根は変わらないよ~」
「アンタねぇ」
そこでマリーはチラッとユアを見て、ニヤリと笑った。
「はっは~ん? さては家探しされたら困るものでも置いてるんでしょー?」
「そりゃ、困るものばかりだけど」
「例えばぁ、エッチな本とかね」
「!!? そんなのあるわけないじゃん!」
思わぬ反撃にロイズは慌てた。
「どこに隠してるのかしらぁ? やっぱり寝室~ぅ?」
「ホントやめて? そんなの持ってないってば!」
そこでロイズはハッとして、横目でチラッとユアの状態を確認した。ユアは色々と想像してしまった為、顔が真っ赤で目がウロウロと泳いでいた。エッチな本がどこかにあるんだ、と信じている顔であった。ロイズはめっちゃくちゃ慌てた。
「わぁ! ちょっと待って、ユラリス、本当だから。信じて、そんなのないから!!」
「え、あ、はい!」
「ぇえー? 23歳の男がエロ本の一冊も持ってないなんて、逆に心配になるわー」
マリーのえげつない言葉に、ユアはハッとした。
―― 確かに。先生って性欲とか皆無な感じよね。魔力共有のときは『男』って感じだったけど、普段はクリーンでサッパリ爽やかだし……
待て待て。普段から性欲丸出しの男などそうそういない。もう少し言えば、確かにロイズは性欲皆無の草食男子ではあるが、それ以前に教師だ。教え子の前で性欲丸出しなわけはないだろうに。ユアはそこらへんのことが良く分かっていなかった。
窺うような目でロイズを見ると、ロイズは「マリー?」と、低い声を出してやんちゃなマリーを睨んでいた。
―― 先生が割と本気で怒ってる、レアだわ! ほほう、これはこれで良き……
ユアは尊みを感じていた。
「ユラリスの前で変なこと言わないで。もう黙ってて」
「あら、センセーが怒っちゃった。はいはーい。で、採血とやらをやるんでしょ?」
「あ、そうだった。ユラリス、採血お願いしていい?」
「はい、もちろんです」
そうしてゴタゴタしながらも、やっとこさマリーの採血に漕ぎ着けた。ユアがマリーの手を取って、魔導具を取り付けること、三拍後。
「ああああかむらさきぃ!!?」
マリーは、めっちゃくちゃ驚いていた。自分の血液に慄いていた。
「わぁ。本当に赤紫色ですね。何か……とても感動します……」
「でも、やっぱり(ユラリスのより)青みがかなり少ないね」
「ということは、やっぱり(先生の魔力入りネックレスによって)青みが増していたんですね」
「立証されたね~」
「されましたね」
「良かったね~」
「良かったですね」
きゃっきゃっうふふ、と何やら楽しそうにしている魔法バカの二人。マリーは困惑した。全く付いていけないと、混乱した。
「いやいやいや、なに人の血液をネタにイチャついてんのよ。これって大丈夫なの? 赤紫色なんて聞いたこともないんだけど!? 私、どうなっちゃってるわけ!?」
「マリーさん……」
混乱しているマリーの気持ちが分かるユアは、痛ましそうにマリーの肩にそっと触れた。
「大丈夫大丈夫~。ちゃんと説明するね」
ロイズとユアが順を追って説明すると、混乱していたマリーは少し落ち着きを取り戻しながら、ふむふむと聞いてくれた。時折、質問をしながら、現状に理解を示したようだった。
「赤紫色は、人間から魔法使いに変化する途中段階だと考えてるよ」
「赤紫色でも魔法は使えるのよね?」
「うん、使える」
「で、『異常値のペア』であるカリラちゃんと魔力共有とやらをすれば、私は完全な魔法使いになれるってわけね」
落ち着きを取り戻したマリーは強かった。すんなりと理解をしてしまうマリーに、ユアは心底驚いて怖ず怖ずと疑問を投げかけた。
「あの……怖いなとか、思いませんか?」
「そうねぇ、不思議なもんで、今のところ怖さはないわね。赤紫色の理由も教えてくれたし、ユアちゃんとロイズがいるからかな。普通だったらこんな落ち着いてられないと思うけど」
―― なんで、そんな普通でいられるの?
マリーが怖くはないとサラリと答えるのを見て、ユアは何かのスイッチが入ったような感覚がした。心の奥底に沈んでいたスイッチが、カチッと音を立てた。
その瞬間、色んな感情が血液に乗っかって身体中を駆け回った。嬉しいような、憎らしいような。寂しい気持ちもあったし、安心する気持ちもあった。
スイッチが入ったまま口を開いたら、あまり良くないことを言ってしまいそうだった。でも、聞かずにはいられなかった。込み上げる気持ちが抑えられなかった。
ユアは少し震える指先と口の端をそのままにして、「マリーさん」と初めて出来た仲間の名前を呼んだ。
「ごめんなさい、とても失礼なことを聞いても大丈夫ですか?」
ユアの表情のない真剣な顔付きに、マリーは何か思うところがあったのだろう。柔らかく微笑んで「いいわよ」と答えた。
ユアは震える手をグッと握り締めた。力を込めすぎて、震えが喉まで伝わった。
「じ、自分が、、、得体の知れないものになったような気がしませんか? 人間でも、魔法使いでもなくて、世界中で一人ぼっちで、誰とも違う存在で、誰かと一緒にいても一緒にいないような、」
言葉が詰まって、上手く出てこなかった。
「……あ、あの赤紫色を見て、心が、冷えていく感じはありませんか? 頑張っても頑張っても、崩れていくような不安な気持ちは、ありま……せんか? 愛されていても、その人ごと崩されてしまう、みたいな、そんな感じが……」
ユアはそれ以上、話すことが出来なかった。
「ユラリス」
ロイズはユアの言葉を優しく遮って、その手を引っ張って思いっきりぎゅっと抱き締めた。ユアは、ボロボロと泣いていた。15年間、ずっと抱えていたものを全部吐き出しながら、涙を流した。
今はもう青紫色になったけれど、赤紫色だった頃の自分がいなくなったわけではない。ロイズが愛おしそうに赤紫色を見つめる度に、それが愛しくなる自分もいた。だから、器用に区切って捨てられるわけではない。
でも、苦しかった記憶が多すぎて、全てを大切に包んで取っておけるわけでもない。『青紫色になったんだから関係ないわ』と消し去ることも、『赤紫色だったから今の自分がいるんだ』と受け入れることも出来ない不器用さが、涙になって流れた。
「先生、ごめんな、さい……」
「いいよ、ユラリス」
ロイズは、彼女の涙で肩が濡れていく感覚が愛おしくて、もう一度抱き締め直した。
「何度でも言うよ、血液の色なんて関係ないよ。魔力の質だって、どうだっていい。どんなユラリスでもいいんだよ。何度でも言う、何回だって言う。どんなユラリスだっていい」
『何回でも言うから、何回でも泣いていいよ』という気持ちを添えて、彼女に伝えた。
彼女の震える肩には、異質な赤紫色がずっと重くのし掛かっていたのだろう。その肩に乗っているものを少しでも分けて欲しくて、ロイズは彼女の肩を包むように抱き締めた。
「そう……そういうことだったのね」
マリーは泣きじゃくるユアを見て、全てを察した。顔を埋めたまま泣いている彼女の代わりに、ロイズは視線だけでそれを肯定をした。
それを受け取って、マリーは何度か小さく頷いてから少しだけ息を吐いた。
「ユアちゃん。さっきの答え、少し訂正するわ。赤紫色の魔法使いになっても、怖くはなかったのは確か。……ユアちゃんがいるから怖くなかったんだと思う」
ユアは、マリーの言葉を聞いて、少し顔を上げた。柔らかく微笑むマリーと目が合った。
「ずっと悩んで苦しんで逃げずに頑張ってきた先輩がいるなんて、最高に心強いことでしょ? 私から見たユアちゃんが、今を素敵に生きているから、私は安心して赤紫色を受け入れられるわ」
「マリーさん……」
「それに一人じゃないし、ね!」
ニカッと笑うマリーの笑顔を見て、ユアはストンと心が定まった。ボロボロ泣きながら、マリーに「ごめんなさい」と「ありがとう」を何回も伝えた。その度にマリーは何度も何度も頷いてくれた。
「ロイズ先生、私、皆に伝えます。元々は人間だったことを伝えます。今までの研究結果も全部、伝えたいと思っています。皆の気持ちを考えたらその方が良いかなって」
「大丈夫? ……と聞こうと思ったけど、大丈夫そうだね」
「はい! 大爆発で大号泣したら、全部どうでもよくなっちゃいました」
「あはは! ユラリスはやっぱりいいね~」
赤紫色を失って、初めて赤紫色を受け入れた。今後、近い将来に訪れるだろう『人間が魔法使いになるのが当たり前の世界』で、ユアが存在する意味はとても大きい。賢い彼女は、この日、それを深く理解したのだ。
赤紫色だったから、今の自分がいる。全部必要なことだった。
怪我をする度に隠れて必死に治癒をしていた時間も、眠る前に突然訪れる恐怖も、頑張ることでしか安堵を得られなかった日々も、この人生を生きるために全部必要なことだった。
始めから青紫色じゃなかったから、今の自分は満たされているのだと、ユアは心から思った。
頑張り屋の魔法使いが、赤紫色と向き合い続けてきた道。その距離、15年。




