68話 異常値のペア
翌日、朝8時。早速人間都市に転移をしたロイズたちは、治療医院の一室を借りて防音魔法を施し、話し合いをしていた。
「まだ内密の話だけど、魔力枯渇症の治療方法が見つかったよ」
ロイズが何でもない風に告げると、ユア以外の三人が「えぇ!?」と大きな声をあげた。
「まじすか」
「すごーい! りすぺくとぉ~」
「本当に、この短期間で見つけたってことかよ」
「うーん、でもね~、難しいのはここからなんだよね」
ロイズが腕を組みながら唸ると、カリラが「何が難しいの~?」と、毎朝食べているキャンディーを口の中で転がしながら、呑気丸出しで訊ねた。
すると、ロイズはニコッと笑った。
「申し訳ないんだけど、以降は一切の質問を受け付けませーん。理由も説明しませーん。ただ、ロイズ先生の言うとおりに作業してもらうことを、みんなに求めます。無理な人は、残念無念、ここでさよならでーす」
突然降ってきたものすごい言い分に、案の定フレイルが噛みついた。
「なにそれ? ここまでかなり貢献してると思うんですけど」
「そうだね、みんなありがとう。みんなのことは信頼してるけど、それとこれとは話が別です」
ニコッと笑って、お礼を言うだけのロイズ。フレイルは、あからさまにロイズを睨んでいた。
これは勿論、ユアが元人間であることが露呈することを危惧しているからだ。ロイズは、一切詳細を話さずに突き進むつもりであった。
ユアはそれが分かっているのだろう。みんなに対する罪悪感と、ロイズに泥を被せている状況が苦しくて、それでもここで『私は元人間です』なんて告白する勇気もなくて、情けない自分が恥ずかしかった。
ユアが俯いているのを見たロイズは、すごく小さな声で「風」と呟いた。誰にも気付かれないように、彼女の焦げ茶色の髪を柔らかい風で撫でると、彼女はハッとしたように顔をあげた。
カチッと音を立てるように、二人の目が合った。ロイズがニコッと微笑むと、ユアは昨日の会話を思い出すようにして、一つ頷いた。勇気がない自分を恥じることは、この選択を推し進めたロイズを責めることになる。ユアは真っ直ぐ前を向いて立った。
「なんか分かんないけどぉ、私はやるよ~! だって自分のことだし。それにどーせ聞いてもよく分かんないし~」
「お前、今までも一切なんも理解してねぇもんな」
「いえーい♪」
カリラが了承すると、リグトはそれを見てわざとらしくため息をついた。
「ロイズ先生、具体的には何をさせるつもりですか?」
「人間の心臓波形のデータを取りまくる。それだけだよ~」
「心臓波形を取るだけ? それでカリラが助かるんですか?」
リグトが訝しげにするものだから、ロイズは笑顔を消してみせた。飴色の瞳をキラリと光らせて好戦的に返事をする。
「約束する、絶対に助けてみせる」
天才魔法使いがここまで言い切るのであれば、納得するしかない。リグトとフレイルは、目を合わせて頷いた。
「分かりました。やります」
「俺も。どのみちカリラを助けるためには、やるしかねぇしな」
「ありがとう~。じゃあ、今日はこの治療医院に来たお客さんの心臓波形を取ってね。明日からのことは、魔法省の人と相談が必要だから待ってて~」
「はーい」
4人が良いお返事をしたところで、準備開始。ロイズは魔導具の使い方を教えたり、同意書やサインの貰い方を伝えたりした。
粗方準備が終わったところで、フレイルが「先生、ちょっといいっすか?」と声をかけてきた。ロイズが頷くと、フレイルは無言で部屋を出て行った。ロイズは、『はて?』と首を傾げながらも付いていった。
治療医院の、まだ誰もいない待合室。二人の天才型の魔法使いが、面と向かって立っていた。
「フライス、どうしたの?」
「あの、少し気になってることがあるんすけど」
「うん?」
「ピザ屋のマリーさんって……」
フレイルは、そこで言葉を詰まらせて、考え込むように顎に手を当てた。
「マリーがどうかした?」
「いや……相当変なこと言ってもいい?」
「あはは! なにそれ。いーよー!」
ロイズがニコッと答えると、フレイルは少し息を吐いてから、その疑問を投げかけた。
「マリーさんって人間? 魔法使い? どっち?」
ロイズは息を呑んだ。この質問が、もし他の誰かから投げかけられたものであれば、『人間だよ』と告げて終わりだ。だが、相手がフレイルだと質問の意味が全く変わってくる。だって、彼は天才型の中でも他と一線を画す天才だ。こんな質問を投げかけてくるということは、そういうことなのであろう。
ロイズは「防音」と魔法を掛けてから、更にフレイルに少し近づいた。
「マリーには昨日会ったんだよね?」
ロイズが真剣な顔で聞くものだから、フレイルも何となく事態の重さを察したのだろう。いつになく従順に深く頷いた。
「何か変だった?」
「変だった。見るからに……なんて言うか、雰囲気が全然違くて。前に会ったときと別人っていうか。でも、リグトとカリラに聞いても分かんねぇって言うし」
「別人級に変わってたんだ?」
「ちょっと怖いくらいでさぁ。得体の知れない何者かと入れ替わってんじゃねぇかってレベルで、全くの別人だった。もう俺、気になっちゃって」
「分かった。ありがとう、フライス。ものすっごいグッジョブです!」
「これ、グッジョブなのか? ってか、信じんの? こんな不可解な話」
「信じるよ、全面的に信頼してる!」
ロイズは防音魔法を解いて足早に部屋に戻ると、「ユラリス!」と作業中のユアを呼んだ。
「どうしました?」
「ちょっと助手業お願いしていい? 出掛けるよ」
「は、はい!」
「他のみんなは作業進めて、患者さんが来たら心臓波形のデータ取りよろしくね!」
そう言うと、すぐさま転移でピザ屋に向かった。
ふわり、ストン。
「マリーさんのピザ屋、ですか?」
「うん、フライスが大発見をしたかもしれなくて、すぐさま確かめたかったんだ~」
「はぁ、でも開店前ですね。何時からかしら?」
ユアが店の看板に書いてある開店時間を確認していると、空気を読まない天才魔法使いは迷うことなく店のドアをドンドンと叩き、「マリー? いるー?」と声をかけ始めた。
「ロイズでーす。いたら返事してくださーい」
「あ、先生。今日は定休日ですって」
「えー、定休日かぁ。マリーの家ってどこだっけかなぁ」
ガチャ。カチャン、キィ。
そのとき、店のドアが開いた。まるで運命の扉が開かれたかのように、ゆっくりと、やたら厳かな音を立てて開いた。
「ロイズぅ? 何よ、まだ9時前じゃない。一体何の用よ?」
怪訝そうなマリーがドアから出てくると、ロイズの表情が抜け落ちた。
「……ユラリス、見つけた」
「え?」
「カリストンの、『異常値のペア』だ」
ロイズの言葉に、ユアも驚愕の表情を浮かべてマリーを凝視した。信じられない奇跡が目の前で起きていることに、二人とも鳥肌が止まらなかった。
だから、カリラ・カリストンは持っているのだ。
それはもう随分前から始まっていた。魔法使いとして、カリストン家の跡取りとして、カリラが生き残るための『正解』を選び取ってきた結果が、今結びついたのだ。
「……ロイズ先生。心臓波形のデータ取りは一旦ストップだと皆に連絡します。カリラには何か伝えますか?」
「いや、まずはマリーの方から話をした方が良いと思う」
ロイズの答えを聞いて、ユアは深く頷いてショートメッセージ魔法陣を描くために、人目のない路地裏に入った。
「ちょっと何だってのよ? 今日は定休日だからデートなんだけど」
「それって何時から? 悪いけど、デートなんかより、こっちの案件の方がものすっっっごい重要だと思う~」
ロイズの失礼に失礼を重ねた言い方に、マリーは若干イラッとした。
「待ち合わせは12時! でも、これから家帰って化粧したり着替えたりするから、もう時間はありませーん」
「12時なら採血くらい出来るね。マリー、頼むから採血させて! この目で確かめないと!」
「はぁ? 採血ぅ??」
「そう、採血! 今すぐ! えーっと、学園の研究室は~、部外者だから入れないか。俺の家に行くしかないかぁ。かなり嫌だけど、背に腹だね」
「アンタねぇ……採血なんて了承してもないし、なんか色々と失礼だし、訳分かんないんですけど?」
「後で説明するよ~」
「お断りでーす、行きませーん!」
マリーが勢いよくドアを閉めようとするものだから、慌てたロイズは超早口で「マリー・マリオンとロイズ・ロビン、家、転移!」と言って、ふわり、ストン。
ザッパーーン!!
「きゃっ! びっくりしたぁ。なにここ?」
「俺の家~」
「はぁ? 普通に拉致じゃない!! っていうか、なんで海? アンタ本当に頭いかれてるわよね……」
「酷っ! まあ、とりあえず事情だけでも聞いてよ。カリストンのために!」
「カリラちゃん……?」
カリラの名前を出した途端、マリーが大人しくなるものだから、ロイズは『やっぱり異常値のペアは、お互いを大事にし合うように刻まれてるのかなぁ』なんて思ったりしていた。
「とりあえず、入って~」
「仕方ないわね、11時までには家に帰してよ?」
「はいはーい」
現在の時刻は9時。ロイズはマリーを家に招き入れ、足早にリビングに通した。
「座って待ってて」
そう言うと、研究部屋から採血魔導具を持ってきた。さすがに機密情報の多い研究部屋にマリーを入れたくなかったので、採血はリビングでやることにした。
「採血の前に。単刀直入に言うね」
「なによ」
「マリーは今、魔法使いになっています」
「はぁ?」
ロイズは、これまでの経緯を話した。ユアのことは伏せて、人間が魔法使いになる可能性があるということ。そして、カリラが魔力枯渇症になっていること、それを治すためにはマリーとの魔力共有が必要だということ。
全てを聞いたマリーは、自分の手をじっと見て「私が魔法使い?」と不思議そうにした。
「間違いなく、魔法使いだと思うよ。でも、それをちゃんと確かめるために採血をしたいんだよね~」
「……分かったわ。カリラちゃんのためなら、採血だろうと魔力共有だろうと、どんとこいよ!」
マリーがカラッとした笑顔を見せると、ロイズは「助かる~」と言いながら、採血魔導具をマリーに取り付けようとした。が、そこで鳥肌が立った。
「うわぁ……無理だ。ごめん、ユラリス。採血してもらっていい?」
と言ってから「あっ!!!」と叫んで立ち上がった。
「ユラリス、忘れてきた……」
時計を見ると既に9:30。ユアを置き去りにしたまま30分以上も経っていた。血の気が引いた。
「あ、そうなの? さっきから気になってたのよね。ユアちゃんはいいのかなーって」
「良くない! 全然、一つも、良くない!! 最悪だよ!」
いくらユアが人間都市に慣れているとは言え、財布も移動魔導具も持たないままだ。優秀な魔法使いと言えども、少し治安が悪化気味の人間都市に、女の子一人。
それよりも何よりも、ユアを忘れていた自分が信じられなくて、ロイズは自分を殴り飛ばして火炙りの刑に処したくなった。
ロイズが「現在地」と呟くと、頭にパッと地図が浮かび上がる。どうやらピザ屋の二店舗程先にいるようだった。
「今すぐユラリスを呼ばないと!」
そう言って、指を鳴らそうと思ったら、マリーが「嘘でしょ?」と言った。
「呼び出す気? 普通は迎えに行くでしょ。信じらんなーい。ありえなーい」
「え、そうなの……?」
どっちでも同じことじゃないかと、ロイズは心底思った。恋愛ぽんこつ馬鹿は健在であった。
「っかー!! これだからロイズはロイズなのよ!」
「ロイズはロイズですけど、なにか!?」
割とよく言われるこの『ロイズは本当にロイズだ』という台詞。人は人我は我、ロイズはロイズなのだから仕方ない。
「ロイズってさぁ、ユアちゃんのこと女として好きなんでしょ?」
「は!? え!!」
「あ、やっぱり。前に店に来たときから思ってたのよねぇ、チラチラとユアちゃんのこと見てたし、ロイズが女の子に優しくしてるとこ初めて見たし」
「そんなに分かりやすかった!?」
ロイズは、冷や汗タラタラであった。もし周囲にバレていたら、一発アウトの無職ホールインワンである。
「ふふん、私の目は誤魔化されないわ。そして、今思ったけど、アンタ……ユアちゃんの気持ちに気付いてるわよね?」
「ぎくっ!!」
「やはりね。その上で、こんな風にユアちゃんを置き去りにしてくるだなんて、呆れたわ。ロイズってもしかして」
「な、なに?」
「彼女は自分のものだからって、油断してんじゃない? 離れていくわけはない、とでも思ってるんでしょ。あー、やだやだ。いるわよね、こういう男」
「ぎくり!」
割と図星であった。ロイズは、マリーの心理眼に恐怖した。同い年でありながらも、恋愛における経験値の差が大きすぎる。容赦なく天才魔法使いを抉ってくるではないか。
ロイズは一瞬だけ、『こっちだってザッカスという切り札があるんだぞ』と思ったが、他人の衣どころか他人そのものだと気付いて、捨て置いた。
「別に油断はしてない、と思う……けど、俺とユラリスは魔力の相性がいいから、ちょっとやそっとじゃ離れられないと思ってるのは事実だけど……ごにょごにょ」
「魔力の相性ってなに?」
「魔法使いには、そういうのが明確にあるんだよ。人間よりも、もっと確かな相性が。俺には、その魔力相性が見てわかるの!」
「へ~。それってユアちゃんも見て分かるの?」
ロイズがきょとん顔で首を横に振ると、マリーはまたもや信じられないという顔で、悩ましげに頭を振った。
「それじゃあ、離れられないのはロイズだけで、ユアちゃんはロイズから離れ放題じゃない。だって、相性とか分かんないんでしょ?」
「え」
―― そうなの? え、どういうこと? みんな、魔力相性を気にしてないってこと? いやいや、周りを見ても相性が良いもの同士は、一度友達になったら、ずっと仲の良いままだし。恋人になったら、そのまま結婚することも多い。……で、でも、ユラリスが相性を感じ取れないのは確か……ぇえーー?
ロイズは焦った。焦ったが、焦ったところでやることは決まっている。
「と、とにかく! ユラリスを連れてくるから待ってて。『囲い』」
ロイズがそう言ってマリーに向かって魔法を放つと、マリーが牢屋のようなもので囲われた。
「なにこれ!?」
「勝手に家をウロウロされたくないから、ごめんね! 留守番よろしく~。『人間都市のマリーの店の前、転移』」
「ちょ、ちょっとロイズ!?」
ふわり、ストン。




