65話 人間と魔法使いが手を繋いで共有するもの
「ロイズ先生!!」
「なーにー?」
「採血サンプル、来ました!」
「え!?」
リグトからの送付書類の中に、魔力枯渇症患者の採血サンプルが入っていたのを見て、ユアは声を上げた。ロイズもすぐさま作業を止めて採血サンプルを見る。
それは、誰の目にも明らかなほど異常であった。
「キラキラ成分が、青く濁ってる……」
ユアは届いた調査書類を確認し、患者の情報を読み上げた。
「28歳の男性、2ヶ月前に発症、現在の残量は35%だそうです。この1ヶ月間は魔力使用無しで、15%減。減少率は平均値ですね」
「35%……? これ、キラキラ成分の量は減ってないんじゃないかな、35%にしては多すぎる。色だけが青く濁っているとなると、キラキラ成分の色を戻す必要があるってことかぁ」
そこで遊んでいたカリラが、ひょこっと顔を出した。
「なになにぃ~?」
「カリラ……辛かったら見ない方がいいわよ」
「大丈夫だよ~♪ 人間都市が楽しかったことを思い出したら、そこで生活するのも悪くないかもぉって、思えてきたから~!」
底抜けにのんきなカリラはニカッと笑って、ピースサインをくれる。その笑顔に、ユアはいつも救われるのだ。
「ばーか。まだ諦めるには早いって。先生、キラキラ成分って、結局何なんすか?」
「キラキラ成分っていうのは、魔力の源と言われているよ。魔力切れを起こした魔法使いなんか、キラキラ成分が殆ど残ってないんだよね~」
「色が変わることなんてあるんすか?」
フレイルの質問にロイズは首を振った。そして、採血サンプルを魔法灯に翳すようにして観察しながら答えた。
「色が変わるなんて、聞いたことも見たこともない。大体、みんな白い輝きのはずなんだけど……ん?」
何かに気づいた様子で、ロイズは採血サンプルに鋭い視線を向ける。
「あれ、今、青い濁りが白く戻った。……あ、また青くなった」
「え~、見せて~♪」
そう言いながら、カリラがロイズに顔を近付けると、彼は瞬時に一歩下がって眉間に皺を寄せた。カリラを睨むわけではなく、視線は反対側の壁を見ながら、それでも一瞬だけ嫌そうな顔をした。
「見たいなら、はいどーぞ。気をつけて触ってね~」
それはすぐに笑顔に変わり、実験テーブルに枯渇症患者の採血サンプルを置いていた。
そのロイズの様子に、フレイルは少し不思議そうな顔をしたが、何も気にしていないカリラが「見てみよ~」というものだから、採血サンプルに注意を向けた。
一方、運悪く壁側に立っていたユアは、その一瞬をバッチリと見てしまっていた。
―― ロイズ先生が、眉間に、皺を!? これって女性恐怖症の、例のアレよね!? こんな感じになるの!?!
衝撃であった。普段ロイズはニコニコと笑っている。基本的に常に穏やかだ。生徒を叱るように怒ることもあるが、それもパフォーマンスに近い。イライラしているところすら見たことがない。本気の嫌悪感を出しているロイズを見るのは初めてだったのだ。
ちなみに、ロイズも女性と言えども生徒に対しては極力嫌悪感を出さないように気をつけてはいる。
しかし、どうにも鳥肌は立ってしまうし、不意打ち的な場面ではうっかりと表情に出てしまうこともある。こればかりは、生理現象みたいなものだから仕方がない。
―― ひぇ……! こ、これは、絶対に近付いたらいけないやつだわ!
ロイズに好かれていると確信していたが、勘違いだったらどうしよう。
この前の『(キスしたことをどう思ったか)先生としてはナイショです。卒業したらね』の件も、『本当はものすごく嫌だったけど、生徒に対して言えねぇだろ。卒業したら覚えとけや、このアバズレが』みたいな意味だったのだろうか。
ユアの妄想の中にいるロイズが過激派すぎる。
―― でも、ぎゅっとしてくれたり、胸を触ってくれたり(大きな語弊)、髪を撫でてくれたりしたじゃない!
ロイズだって、魔力相性が良いから大丈夫って言っていたじゃないか。そう繰り返し、どうにか平静を保つ。
そこで、カリラの血液サンプルを見ていたロイズが「うーん」と唸った。ユアはハッと意識を戻して真面目モード全開、「どうですか?」と問いかけた。
「カリストンのは見ても分かんないなぁ。まだ魔力残量も8割くらいあるから、キラキラ成分も濁りが少ないしね~」
「それならさ、キラキラ成分だけ抽出して色の数値化できないんすかね?」
「残念ながら、抽出はできないのよ」
そこで、これまでの実験結果の一部を説明する。
「キラキラ成分は、透き通るような青紫色の中でしか存在できないの。そこから出すと消失しちゃう。とても繊細な成分で、安定性が低いものなのよ」
「だから、青紫色はキラキラ成分の保護の役目をしているんじゃないかなーって思って……」
そこでロイズが言葉を途切れさせた。そして、手のひらをじっと見つめながら、グーパーグーパー閉じたり開いたりを繰り返している。
「ロイズ先生?」
ユアが心配そうに小さく呼び掛けると、ロイズは「あ、ごめんね」と言ってニコッと笑う。そこで突然。
ジャジャーーン♪ジャンジャンジャーン♪
と謎の大きな音が部屋に鳴り響いた。なにをそんなにジャンジャンしたいのか。
「あ、もうすぐ17時だ。カリストン、秘密の魔法陣に魔力を流してね」
「あいあいさ~♪」
カリラは敬礼をして良いお返事をしてから、おへその下あたりに手を当てて魔力を込めた。ユアが時計を見ながら終了の合図を送る。
「17:01。今日もクリアね」
「ありがと~」
このジャンジャンチャイムは、カリラが身体に刻まれた魔法陣に魔力を込めて、父親に通報がいかないようにするためのタイマーだ。
「じゃあ、今日はここまでにして、片付けて解散にしよう~」
なんと驚きの17時解散! 早い、早すぎる!
カリラとフレイルが研究に参加するようになり、ブラック勤務の9時~22時の研究助手業が改善されてしまい、9時~17時のホワイト勤務になってしまったのだ。
ユアは、ロイズとの夕食タイムが無くなってしまったことを苦々しく思っていたものの、カリラをユラリス家に泊めている関係上、親友と夕食を共にしてあげたいとも思っていた。
「あと、明日は研究お休みの日にするから、各自ゆっくり休んでね~」
「は!? 休みぃ? そんな悠長で大丈夫なんすか?」
食ってかかるフレイル。ロイズは可笑しく思ったのだろう、あははと笑う。
「フライスからそんな言葉が出るとは思わなかったよ~。大丈夫大丈夫、休まないと良い仕事は出来ないからね!」
「呑気すぎねぇ? 時間がないってのに……」
そこで、カリラが「いいこと思い付いた~♪」と、にんまり顔を見せてきた。
「なんだよ?」
「フレイル、明日は人間都市にいってリグトのお手伝いしてきなよぉ~」
「リグトの? ……まぁそれもいいか。治癒に聞き込みに大変だろうから、様子見がてら手伝ってやるか」
「やった~♪」
「何を喜んでんだ……あ、何か企んでんだろ?」
気まぐれカリラに慣れっこのフレイルは、それでもげんなりとした顔をする。カリラはやたら瞳をキラキラ輝かせながら「お願いがあってぇ」と両手を組んでいた。
「マリーさんのピザが、食べたいっ! 明日、一緒に行こ~♪」
「ピザぁ!? 歩き回って平気なのかよ?」
「大丈夫、大丈夫~! ね、先生。少しくらい平気だよねぇ~?」
ロイズは「魔力を使わないようにね! あと、トラブルには首突っ込まないようにね!」と、いくつか注意をしながらも頷いた。
「やったぁ~♪ 明日のランチ、何にするか迷ってたんだけどぉ、さっき突然ピザの胃袋になったんだよねぇ。楽しみぃ」
「呑気すぎるだろ……ったく、仕方ねぇな。リグトに連絡しとくか。ユアも行くだろ?」
当然行くだろうと言うフレイルの視線。しかし、ユアはごめんねと首を振る。
「用事があるから行けないの。マリーさんによろしくね」
「そっか。りょーかい」
「じゃあ、お土産でピザ買って帰るねぇ~」
「ありがとう、楽しみにしてる」
その日は解散。
夜、ユアは寝支度を整えた後に、カリラにおやすみと言って私室に戻った。部屋に鍵をかけてから、部屋の奥に足早に移動する。
時間は21:30。まだロイズも起きているはずだと思い、胸に刻んだロイズの魔法陣に意識を向けて、メッセージをつらつらと呟いた。便利なボイスメッセージ魔法である。
「えーっと、『こんばんは。ユアです。先ほど、研究室で何か重要なことに気付かれていた様子でしたよね? 気になってます』」
―― 送信っと
すると、少し間を置いてロイズからの返答があった。
『こんばんは。ロイズです。やっぱり気付いちゃったよね~。ユラリスにも見てもらいたいなと思ってるよ』
ロイズの声が耳元で囁かれる。まるで抱き締められているかのような感覚に、耳から鎖骨まで甘く痺れる。
―― この魔法、良き!!
めっちゃ滾った。……コホン、それはそれとして、見てもらいたいものというのが気になって仕方がない。このままだと気になりすぎて、眠れないこと必至だ。
「とても気になるわ……21:32。少しだけお邪魔しても良いかしら」
しかし、すでにお風呂に入った後のパジャマ姿。さすがにこのままロイズの前に出るのも恥ずかしく思い、薄手のカーディガンをさっと羽織ってからメッセージを送った。
「えっと、『今から少しだけお邪魔しても良いですか?』……送信」
『いいよ~。呼ぶね!』
「『お願いします』……送信」
ドキドキと待つこと、ちょうど10秒後。
ふわり、ストン。
「こんばんは、ロイズ先生」
―― あら? 距離が2mもある。ドキドキが少なかったのかしら……?
久しぶりに抱きつけると思っていたのに、ゼロ距離転移ではなかったことを少し残念に思う。
しかし、そこでロイズの女性恐怖症を思い出して、大きく胸を撫で下ろした。抱きついていたら眉間に皺を寄せられていたかもしれない。そう思ったら、生きた心地がしなかった。
「……こんばんは。えっと、呼んで大丈夫だった?」
なにやら挙動不審なロイズ。ユアは不思議に思ったが、このパジャマ姿を気にしているのだろうと思い至る。
「あ、ごめんなさい。こんな格好でお邪魔してしまって」
「全然! それはむしろ良いんだけど!」
「先生は白衣のままってことは、さては何か実験してたんですねぇ?」
少し目を細めて問い質すと、ロイズは苦笑いで「ごめんね」と言う。
「実験というか、採血をしてたんだ~」
「採血?」
指を差されたテーブルには、採血サンプルのガラスの容器が置いてあった。
「先生の青紫色? え? ……これ、濃くなってますよね!?」
透き通る青紫色には変わりないが、確実に濃くなっているロイズの色。ユアは目を見開く。
ロイズはニヤ~と笑って、ユアの青紫色の採血サンプルを横に並べる。そして、まるで乾杯でもするように、二つのガラス容器を軽くカツンと音を立ててぶつけてみせながら、「魔力共有の効果だね」と言った。
「ユラリスの血液が青紫色に変わったと同時に、俺の青紫色も濃くなったんだと思う。ユラリスの青紫色がやたら濃い色だねって話してたけどさ、それは元人間だからではなくて魔力共有の効果なんじゃないかなぁ。並べてみると、俺も同じくらいの濃さだ」
「……もしかして、先生が言っていた『得体の知れない安定感』というのは、青紫色が濃くなったということですか?」
「うん。そして、青紫色はキラキラ成分を保護する『保護液』の役目を果たしているということを考えると?」
「!? 青紫色が濃くなることで、キラキラ成分の安定性が増した!?」
「たぶん。さて、検証してみようか」
そう言って、ロイズはまた違うガラス容器を取り出した。
「それは何ですか?」
「俺と魔力相性が低い魔法使いの人工血液でーす」
「あ、三学年のカサンガ先生ですね」
「……よく覚えてるね、忘れてね」
「ふふっ。はーい、忘れました」
「はい、よろしい。じゃあ、これと混合してみよう」
「前回は、試験管四分の一程度の量で、キラキラ成分は消失していましたよね」
「そうだね。さーて、どうなるか……」
ロイズの濃くなった青紫色に、カサンガの人工血液を混合した。
「わぁ、キラキラ成分が消失しませんね!」
「すごいっ! やっぱりキラキラ成分が強く守られてるんだ。よーし、量を増やしてみよ~」
ロイズは人工血液を加えていく。試験管1本、2本、3本分を入れてもキラキラ成分は輝きを失わない。トクトクと注ぎ入れること試験管5本目。
「これで5本っ!!」
「あ! キラキラ成分がなくなりました」
「ということは~、魔力を共有する前の20倍の安定性を得たということだ! すごいね、ユラリスとの魔力共有によって、俺のキラキラ成分は爆発的に安定性を向上させた」
「安定性の向上。……ロイズ先生、もしかして、これが?」
彼女青紫色の瞳を向けられる。ロイズはグッと喉に力を入れて、しっかりと頷いた。
「魔力枯渇症を治す『解』だと思う!」
「ロイズ先生~~っ!」
「ユラリス~~っ!」
二人はハイタッチをして、そのままきゅっと両手を繋いでクルクルと回った。繋いだ手で、魔力ではなく喜びを共有した。
ロイズの魔法なのだろう。ふわりと身体が浮いて、床から足が離れていく。
真っ白な研究部屋の高い天井。窓から月が覗く夜。波の音をかき消すような笑い声をあげ、二人の魔法使いがくるりくるり、くるくるり。
徐々に速くなっていく回転。ユアが「速いです~!」と笑うと、ロイズは笑い声を返しながら緩やかに回転を弱めていく。
最後、ふわりと彼女を包むような優しい風が名残惜しく漂って、回転が止まった。
「本当に解があるなんて……。私、今とてもホッとしています」
カリラのことをずっと心配していたユアは、少し涙目になりながら、張り詰めた心に一時の安堵を注いだ。
ロイズもそれが分かっているのだろう。繋ぎっぱなしだった手は柔らかく解かれ、そのままユアの焦げ茶色の髪をそっと撫でる。安心していいよと、その手が言っていた。
その先生らしからぬ仕草にユアはドキッとして、少し目を伏せる。
「フライスがさ、『このまま魔力枯渇症が広がっていったら、魔法使いがいなくなる』みたいなことを言ってたんだよ。そこで思ったんだよね、そんなわけはないって。だって、魔法使いがいなくなったら、人は死に絶えるから」
「魔法の他にエネルギー源がないですもんね」
「そう。だから、魔力枯渇症の解は必ずあるって思ってたよ!」
無理難題に立ち向かい、解決するんだと言い切り、そして本当に解を手繰り寄せる。こんなに格好良い人がいるだろうかと、ユアの心がキュンと鳴る。
「解は、血液の相性が良く心臓の挙動が同一である『異常値のペア』が魔力共有をすること」
「そして、人間は魔法使いになり」
「魔法使いは、魔力の安定化を得る」
そうなのだ。魔力相性が異常値を叩き出すペアで魔力共有を行うことで、人間は安定的な魔力を得て、魔法使いとしてエネルギーを使う術を得られる。
一方、魔法使いも魔力の安定化を得て、根深く解明されてこなかった魔力枯渇症を根治できる。
むしろ、これまで魔力を不安定な状態でずっと放置してきたのが、現在の不摂生な魔法使いだと言えるだろう。
魔力の共有をしっかりと行い、その魔力を安定化させて蓋をすることで、健康的な本来の魔法使いとなる。
人間だけにメリットがあるのではなく、魔法使いにもメリットがある。双方が得られる利益があるからこそ、平等と共生は成り立つのだ。
魔力相性の研究から始まり、人間が魔法使いに変化する謎を解き明かし、そして、それらは魔力枯渇症の解に結び付いた。やってきたことの全てが集約されて、無関係だと思われたものが一つの線で結ばれた。
この解は、彼と彼女が互いを手繰り寄せるように引き合った結果だ。生まれたときから決まっていた必然なのだろう。それでも悩んだり、苦しんだり、もがきながらも頑張って、ここまで辿り着いた結果なのだ。
人間と魔法使いの距離をゼロにする。
彼の大望が叶うまで、あと少し。
その距離、現在急激に接近中。




