61話 上か下か、動かすか否か、葛藤中
微R15
「じゃあ、とりあえずカリストンは一度家に帰って、おうちの人にユラリス家にしばらく泊まることを説明して、荷物をまとめること」
「は~い!」
「ユラリスは鞄を置いてきてるよね、一度俺の……研究室に戻ってからカリストンと合流。今日はカリストンと一緒にいてあげてね」
危うく『俺の家』と言いそうになったが、セーフだ。ユアも、教師宅に毎日通っているという事実は、秘匿すべきだと分かっているのだろう。「はい」と、にこやかに返すだけに留めた。
「なぁ、ユアん家、俺もいってみたい」
そこでフレイルが好奇心丸出しで乗っかってきた。カリラの事を思うと、気を紛らわすためにも人数が多い方が良いだろうと、ユアもその案に賛成だった。
「いいわよ。特に面白いものは何もないけど」
「ユアの部屋で勝手に面白いもん見つけるから、お構いなく~」
「もー、フレイルは、すぐそういうことするんだから。変なとこ漁らないでよ?」
「あーい。じゃあ俺も途中の作業終わらせるから、カリラん家集合でいいよな?」
「わかった~♪」
「リグトはどうする?」
「行かない。ユラリス家なんて腐るほど行ってるしな。俺はバイトに行く」
「おっけー。パン渡すからちょっと待ってろ」
「感謝。恩に着る」
こんな仲良しの会話を聞いていた担任教師は、ニコニコと笑っていた。
―― えぇーーー……フライスも私室に入れるの?
実際は、何とも言えない感情を笑顔で隠していただけだった。
―― 仲良しなのは分かるけどさぁ、フライスは男なんですけど……
そこまで考えて、自分の心の狭さにハタと気付き、ぶんぶんと頭を振った。
―― 我ながら小さいっ! ちっぽけなことは気にしない気にしない!
「じゃあ、カリストン。転移で送っていくよ~。ユラリスもいこうか」
「はい」
そうして一旦カリラを家に帰し、ユアとロイズは海の上の白い家に戻った。ランチ途中で慌てて出てきた関係上、ダイニングテーブルの上にはランチがそのまま残っていた。
「あ、お昼忘れてた~」
「カリラもフレイルも時間がかかるでしょうし、ランチの続きをしても良いでしょうか?」
「もっちろん~」
絶妙な火魔法でほんわか温め直し、飲み物には氷魔法で氷を出して、それをカランコロンとコップに落とした。
「ふふ、ありがとうございます」
「この方が美味しいからね~。じゃあ、改めていただきまーす」
「いただきます」
しばらくパクパクもぐもぐ食べている中で、ロイズはこれからのことを考えていた。
「そうだ。しばらくは此処じゃなくて、学園の研究室でカリストンとフライスと一緒に実験をすることになると思う~。予約転移はキャンセルして、ユラリス家に迎えにいくね」
「分かりました。お手数おかけします」
「い~え」
そこで、ロイズはずっと言いたかったことを言わなければ、と思い至った。
「あ、あとさ」
ロイズは少し言いにくそうに、「昨日のことなんだけど」と続けた。
「変な魔法使いにさらわれたでしょ?」
「……はっ! そうでしたね、色々あって忘れていましたが」
マリーとの女子会の後、ユアは元師団長に攫われ、そしてロイズと魔力共有をしたのだ。てんやわんやであったが、それは昨日のことだ。
「あの魔法使い、ロイズ先生のお知り合いの方だったんですか?」
「昔、人間都市の魔力補充タンクが破壊された話をしたでしょ? あれを破壊したのが、昨日の魔法使い。まぁ、逆恨みだね」
「!? そうだったんですね。ということは、やはり師団長だったのね……はぁ」
ユアは悔しそうに、持っていたスプーンをぎゅっと握り締めた。
「……どうしたの?」
心配そうに窺うロイズに、ユアは気持ちを隠さずに吐露した。
「あの魔法使いに『ロイズ・ロビンの助手』と言われました。でも、手も足も出なくて……恥ずかしいです。私、悔しくて仕方ありません。もっと強くならなきゃ」
険しい顔で下唇を軽く噛んで、全力で悔しがるユアの姿を見て、ロイズは胸がキュッとした。
『そんなに頑張らなくていいよ、俺が守るから』と甘やかしたい気持ちと、見合うようになりたいと悔しがる彼女の可愛さと、もっと強くならなければと思える一生懸命な真っ直ぐさ。その全部が、ロイズの心拍数を上げた。夢中にさせた。
―― こんなの、魔力相性なんて関係ないじゃん
なんで今まで、魔力相性のせいだと思っていられたのだろうか。きっかけはそうだったかもしれない。でも、もうとっくにその範囲を越えている。
―― 好きだなぁ
そう思わずには、いられなかった。
「やっぱりユラリスは、いいね」
でも、そんな言葉を真っ正面から言うことなんて出来ないから、この言葉だけを伝えて、それを伝える。
ユアが少し俯いていた顔をあげてロイズを見ると、リンと鈴が鳴るように、二人の視線が合った。
夏の熱い日差し、寄せては引く波の音。ダイニングテーブルの上に置いてあるコップの中で、カラン、と氷の溶ける音がした。
「えっと、それでさ」
ロイズが慌てて目を逸らし、その氷が入ったコップを口に運ぶと、ユアも「は、はい」と何となく飲み物を飲んだりした。
「あまり話したことなかったんだけど、あんな風に時々、来るんだよね」
「来る?」
「なんというか、戦いを挑んでくる血気盛んな魔法使いが、時々、ごく偶に、忘れた頃に、僅かにやってくるわけです」
やたら頻度が少ないことを強調したのは、ユアが怖がってしまい、ロイズから離れるのではないかと不安だったからだ。あんなに血だらけで痛い思いをしたのだ、関わり合いたくないと思われる可能性もあるだろう。
「……あ! それで此処に住んでるんですね。侵入禁止の魔法が厳重なのも、そのため?」
「御明察です……黙っててごめん! 巻き込んじゃってごめんなさい!」
ロイズが頭を下げると、ユアは「先生のせいじゃありません!」と、慌てて頭を上げるように促した。
「それで、昨日はショートメッセージ魔法を送ってくれたから、どうにか助けに行けたわけですが、」
「はい」
「また昨日みたいなことがあったらイヤだなぁと思ってまして、」
「はい」
「何か対策を打ちたいと思います」
「対策、ですか?」
「例えば、ワンアクションで俺を呼び出せる魔法があったら良いかなぁ……と思うのですが、いかがでしょうか!?」
ロイズは、お蔵入りさせた『束縛がすぎる気持ち悪いストーカー魔法陣』を思い出して、少し居たたまれない気持ちになった。ロイズが常にユアの現在地を把握できて、ワンアクションで双方が転移呼び出しを出来る魔法だ。
「うーん、そうですね」
ユアは考えるように顎に指先を添えて、「それだと」と続けた。
「私が意識を失っていたり、手足を切られて何の魔法も発動できなかった場合を想定すると、活用できるのか心配ですね」
「……ものすごい状況を想定するね」
想定よりも想定がグロかった。
「リスクアセスメントは大切ですから。でも、実際のところショートメッセージ魔法陣を書いてる隙はなかったので、もっと簡単に連絡が取れると嬉しいですね」
「そうだよね~。音声で送り合うのはどうかな?」
「便利そうです! でも、どうせだったら、ロイズ先生が、常に私の居場所を把握できるような魔法を構築できれば便利ですね。追跡魔法でいけるかしら……?」
「!?」
「それにワンアクションの転移呼び出しも、双方が出来ると良いですね。ロイズ先生が、私を急に呼び出すときに便利ですし」
「!!?」
「なんて色々言ってみましたが、そんな難しい魔法陣、夢のまた夢ですけどね!」
クスクス笑うユアに、ロイズは気まずそうにしながらも、勇気を出して「あ、あります……」と伝えた。
「え?」
「えーっと、音声でメッセージを送り合えて、ユラリスの場所を俺が常に把握できて、ワンアクションで双方呼び出し転移ができる魔法陣が、あります」
「え!? 作れるんですか!?」
「作れるというか、すでにあります」
「で、でも、まだ転移魔法を上手く使えていないので、いくら魔法陣があっても発動は無理ですよね?」
「うーん、魔力相性が良いし、描いた魔法陣をユラリスに刻んで、俺がリモートで魔力を流し続けておけばOKだよ~」
「リモートで常時発動!? ものすごい魔力の消費になるのでは!?」
「あはは! それくらい全然平気だよ~」
「……」
思わず絶句するユア。魔法陣談義が楽しくなってしまった魔法バカのロイズは、ペラペラといらぬ事を喋っていた事にハッと気付いて、『うわぁ、引かれてる!?』と焦った。
「き、気持ち悪いよね。ごめん、聞かなかったことに……」
「ロイズ先生、すごいです!!」
「へ?」
「そんな魔法を作った人なんて過去にいません。しかも、リモートで常時魔力を流しても平気なんて……凄すぎます!」
「そうかな? 気持ち悪くない?」
「まさか! 全っ然! むしろ格好良いです」
「格好良い!?」
「はい、その才能に痺れます。是非とも魔法陣をこの身に刻んで頂きたいです。リモート発動を体感したいです!」
魔法バカが、此処にもいた。
「ユラリスがそういうなら……」
少し困惑しつつも、ロイズは了承した。
「今日できますか?」
「時間は10分も掛からないよ~」
「それなら、食べ終わったらすぐお願いします」
「あ、うん」
―― 本当にいいのかな……?
こんなストーカーが捗る魔法を、安易に刻んで大丈夫だろうかと不安になった。でも、イヤになったら消せば良い。ものは試しにやってみようと思い直した。
そして、やたら速い咀嚼でランチを平らげると、ユアはワクワクした様子で、ロイズが描く魔法陣を見ていた。
ロイズ・ロビンの魔法陣講座、特等席をご案内だ。
「えーっと、ここがこうなって。こっちはこれで~」
「ここが追跡魔法ですか?」
「お、よく分かるね~。ユラリスをイメージして、可愛いシグナルを出すようにしてみたんだ」
「~~~っ! ありがとうございます」
「で、この部分がワンアクションの転移ね。ワンアクションは、右手で指パッチンでもいい?」
「はい、そんな簡単なアクションで呼び出せるんですか?」
「出来るよ~。じゃあ指パッチンのところはこうやって描こう」
「な、なるほど。勉強になりますー!」
「それから、音声でのやりとりはこんな感じにしようかな」
「わぁ、こんなの思い付くんですか!? すっごい!」
「音声は、ここをピンクっぽい感じにして、こっちを青っぽい感じにして」
「ふむふむ」
「ここを結んで、繋げて、ひっくり返して、一度飛ばしてから包んで、広げる」
「はぁ、、、美しい」
「最後にちょっとオマケに振りかけて、出来上がり~♪」
「もはや芸術です」
完成した魔法陣に、ユアは惚れ惚れした。完璧な上にため息が出るほどの美しさだった。これを身体に刻めるのかと思うと、思わず身震いして胸がキュンとなり手先が甘く痺れた。魔法バカを通り越してもはや変態だ。
「で、これをユラリスの身体のどこかに刻めば、完成。どこがいいかな~?」
「あまり見られない方がいいですよね」
「そうだね。肩とか背中とかかなぁ~」
「駄目ですね。それだと水着を着たときにバレてしまいます」
「……へ?」
「水着で隠れる部分が良いかと」
「……」
―― 待て待て待て。水着が隠れる部分に手を当てて、この魔法陣を刻めと!?
「そうかなぁ? 見られても別にいいんじゃないかなぁ?」
「でも、カリラはおへその下に刻んでましたよ。普通は見られない場所に刻むものですよね」
かく言うロイズ自身も、『魔法が言語で発動できる魔法陣』は、誰かに見られないように腰骨付近に刻んでいるわけで。
「まぁそうだけど、、、えーーっと」
「そうしましょう」
生真面目なユアは、魔法陣が見られて誰かに消される可能性を考えて提案した。触って欲しいとか思ったわけではない。というか、そもそもに刻み方を知らなかった。
一方、ロイズは迷った。刻むか刻まないかを迷ったのではない。上に刻むか、下に刻むか、どちらが幸せなのか迷った。アウトだ。
「……ユラリスが指定したところに刻みます。ただ一つ言っておくと、俺が手を当てて刻むので、ご了承ご理解ご協力願います」
そして、白旗をあげた。
「手を当てて、ですか?」
「ソウデス」
それを聞いたユアの顔が真っ青になった。その青ざめる様子に、ロイズは不思議に思いつつ首を傾げた。
「もももも申し訳ございません! 女性が苦手な方に何たる仕打ちをっ!」
「へ?」
「知ったのは最近なのですが、ロイズ先生は女性が苦手なんですよね?」
「あー、うん、まぁ、どう……なのかなぁ?」
ロイズは口ごもった。別に女性恐怖症気味なことを隠してはいない。聞かれたら答えているし、あからさまに近付かないようにしていたり、嫌な顔をしてしまうため、自然と気付かれることが多い。
でも、ユアには知られたくなかった。理由を聞かれたところで、『女に半裸で襲われることが多くてさぁ』なんて、誤解されそうな答えを返すのはイヤだった。
何よりも、彼女に『近付かないようにしますね!』とか言われるのが一番イヤだった。絶対、言われたくなかった。
「安心してください。あまり近付かないようにしますね!」
言われた。
「あー……でも、ユラリスは大丈夫なんだよね。魔力相性が良いからだと思うけど、もう全然平気な感じで、全く問題ないから、本当に全然気にしなくて大丈夫だよ~」
「そうなんですね! 良かったです。でも気をつけますね!」
「あー、いやー、そんなに気にしなくても、本当に大丈夫っていうか」
「ふふ、分かってます。大・丈・夫、ですっ!」
ニッコリと自信満々の笑顔を振りまくユアに。
―― 全然、分かってなさそう……
と、大きく気落ちするロイズであった。
「とは言え、魔法陣を刻むために少し我慢して頂く必要がありますが、大丈夫ですか?」
「もちろん!! 全然全く何一つ嫌じゃないから大丈夫だよ!!!」
ちょっと眼力と言葉を強めてみた。
「ご迷惑おかけ致します」
全然伝わってなかった。
「デスヨネ」
「下の方は服を脱がなきゃいけないので……じゃあ、上の方にお願いします」
「ハイ」
そう言って、ユアがワンピースのボタンを一つ、二つ、外すと、それをガン見していたロイズとユアの目が合った。
「あの……ちょっと恥ずかしいので、後ろを向いても良いですか?」
顔を赤らめて言うものだから、ロイズは『可愛い』と思いながらも、噛み締めるように黙って頷いた。
「では、お願いします」
ユアの準備が整った様子を見て、ロイズは「はーい」と言いながら、描いたまま放置されていた魔法陣に魔力を込め、右の手のひらに魔法陣を移した。そして、後ろを向いているユアの背後に立ち、背中から手を回し、左側の鎖骨付近に軽く触れた。
―― うわ……これは、ちょっとマズいかも
触れた瞬間、顔に熱が集まるのが分かった。温かくて吸い付くような質感に、胸がドキドキした。その音が彼女に聞こえてしまうのではないかと思うと、もう逃げ出したいほど恥ずかしくて、もっと鼓動が速く走った。心臓が破裂しそうだった。
「ロイズ先生、もっと下の方です」
「……どこまで手を、下げて、良い、デスカ?」
「えっと、、、手を触っても良いですか?」
「えっと、良いですが」
ロイズが了承すると、ユアがロイズの手をそっと取ってスーッと下げた。下げた。まだ下げた。下げて中に入り込んだ。レース素材が指の背に触れて、くすぐったかった。
―― ちょ、ちょっと、下げすぎーー!
「ごめんなさい、あの、ここでお願いします」
「!?! ここここ!?」
「ここなら気をつければ誰からも見えないかと思います。イヤですよね、本当にごめんなさいっ!」
―― や、柔らか……これ、ほぼアレなのでは……うわぁ、なにこれ。凄く、良い。凄く、スゴい……
「先生?」
「ハ、ハイ。イマスグ刻ミマス」
ロイズは動かしたくなる手をグッと抑えて、『俺は教師』の呪文を唱えて、真面目に魔力を込めた。
「ん……。あ、変な声出ちゃ……ぁ……」
深く魔力を植え付けているせいだろう。ユアがまたもや甘い声を出すものだから、ロイズは頭が沸騰しそうだった。我慢を強いられている状況に、フリーな左手で頭を抱えた。
ちょっと動かせば、もっと甘い声を出してくれるだろうこの位置。動かしてみたい。いや、動かしたら負けだ。でも、指先くらいなら……いや、ダメだ、負けるな。……でも、俺は一体何と戦っているんだろう、別に負けても良いのでは。いやいや、教師としてそれはダメだろう。でも、彼女に出会えた今、そもそも教職にそんな固執する理由はないよなぁ……なんて、何とも下らない葛藤。相当、戦った。
―― 我慢、すごく、ツラい
そうして10秒ほど魔力を込めて、そっと手を離した。手を離した瞬間、安堵と残念な気持ちとが混ざって、小さく息を吐いた。彼は勝ったのだ、この下らなくも真剣な戦いに。うん、死闘だった。
「わ~、これが魔法陣の刻み方なんですね! 素敵!」
「喜んで貰えて良かったです(げっそり)」
「あ、いけない! もうこんな時間だわ」
「カリストン家に送ります(ぐったり)」
「お願いします、ありがとうございます」
こうして、束縛がすぎる魔法陣と共に、ユアはカリラとフレイルをピックアップして、ユラリス家に帰ったのだった。
その後、ロイズは勿論グッタリして、何も手に付かないように……ではなく、何も手に着かずに眠れぬ夜を過ごした。




