58話 ロイズ・ロビンは、ぎゅっと君を抱き締める
その頃、ユアは泣きながら海の上を飛んでいた。
「うぅ……ぐず……あんなはっきり拒絶されるなんて。私なんて、脈ナシどころか害でしかないわ」
海の上で泣くのは良い。流した涙は海に落ちて消えてなくなるし、海風が強くて涙の跡もすぐ乾く。泣くなら海の上が一番ね、なんて自虐的なことを考える。
泣くのに都合の良い海の上であっても、飛ぶのはかなり難しい。秒ごとに風の方向が変わって、陸地よりも強い風に煽られる。落ちそうになったり、真っ直ぐに飛べなかったり、思うようには進まない。
それでも、ユアは上級魔法学園の出席番号1番だ。ナイスコントロールで、ゆっくりではあるものの確実に陸地に近付いていた。
しかし、陸地に辿り着くことはなかった。しばらく飛び続け、どれくらい飛んだかなぁと振り返ったとき、後ろから猛スピードで追い掛けてくる飴色の魔法使いが見えたからだ。
「ぎゃっ! バレた!」
ここまで飛んでくるのに15分くらい掛かったユアであったが、ロイズはその距離を1分ほどで巻き返していた。超スピードだった。浮遊というか、もはや飛行。さすが天才魔法使いロイズ・ロビン、海の上であっても無関係。
「は、はやすぎ……」
段違いの速度を目視確認し、逃げ切ることなど出来るわけもないと早々に進むのを諦める。賢い選択だ。それよりは、と思って、彼が到着するまでの間に必死に涙を止めて乾かした。
「ユラリスー! はぁ、よかった~」
ホッとした顔をしながらも、ユアと陸地の間に割って入るロイズ。これ以上は進ませないという意思表示が伝わる。ユアは視線を落として黙った。
「採血の後に浮遊なんてしたら、海に落ちちゃうよ!」
珍しく怒っているロイズ。思わず「あ……ごめんなさい」と、小さな声で答える。風の音でかき消されるくらいの声だったから、たぶんロイズには聞こえていないだろう。それでも、『怒ってないよ、もうしないでね』と、その笑顔だけで伝えてくる彼に、またキュンと胸が高鳴った。
「ユラリス。あのさ、ちゃんと話がしたいから、俺の家に戻ろう?」
先ほどまでのシドロモドロのあたふたロイズではない。力強さを感じさせる飴色の瞳が、ユアを突き刺す。
「い、いやです!」
「え」
思わず全力で拒否してしまう。助手解雇の話だと決め付けているユアは、話を聞いたら助手を辞めなければならないと思っていた。
「もう二度と抱きついたりしません。ロイズ先生に触れないことを、約束します。だから、助手解雇だけはしないで頂けませんか!?」
「へ?」
「防御壁も常に発動して頂いて構いません! 何なら半径2m以内には近付きません」
「半径2m!?」
ロイズの訝しげな表情を見て、『半径2mでも無理ってこと!?』とショックを受ける。それでもしがみつくしかないと思い、震える手で指を三本ピンと立てた。
「わ、分かりました。半径3mでいかがでしょうか」
「うわぁ、何も分かってないよ! 増えてるよ! ユラリス、ちょっとストップ。落ち着こう!?」
ロイズはそう言いながら、スーッと距離を詰めてきた。ところがどういうことだろうか。近付くに連れて、その表情は険しくなっていく。
「泣いてたの……?」
もうほとんど距離がなくなって、呟くようなロイズの問い掛けが降ってきた。涙が乾いても、目の赤さは誤魔化せない。ユアは「あ!」と思わず声を出しながら俯いて、泣いてませんと否定した。
「ユラリス、顔あげて」
頬に優しく触れられ、上を向くようにそっとうながされる。顔を上げると、とても悲しそうな飴色の瞳があった。
「泣かせてごめん」
頬に触れていた手から温もりが伝わる。魔法なんて一つも使っていないのに、彼から触れられたというその事実だけで、ユアの心はキレイサッパリと治癒してしまった。ユアがニコッと笑って「泣いてませんよ」と言うと、ロイズは視線を彷徨わせて「あのさ、」と言って続けた。
「なぐさめたい、です……」
「え?」
「えーっと、もっと甘えて欲しい、です。一人で泣かないで……頂けたら、嬉しいです」
何とも格好の付かない言い回し。ロイズは自分のスキルの無さにホトホト嫌気が差した。きっと、ザッカスだったら『俺の胸で泣け』とか言うのかなぁと思ってみる。そして、残念なことに、ザッカスはそんなダっサいことは言わない。
それでも、ユアの顔がパァと輝く笑顔に変わったから、『こんな言葉でもいいんだ』と少しだけ自信がつく。
ユアは少し視線を逸らしながら、おずおずといった様子で気持ちを吐露し始める。素直な彼女らしい一面だ。
「少しだけ、悲しかったです」
「……ごめんね」
「防御壁を出したのは、私に触られたくないからだと思いました」
「違うよ! それは違うよ、全然、本当に!」
ロイズは全力で否定した。彼女に誤解されたままなんて、絶対絶対、嫌だった。口下手とか恋愛下手とか言ってられない。誤解を解くために、とにかく口を動かした。
「あの、俺、キ、キスしたのとか初めてで! なんか、うわーってなって焦って、ユラリスに何かしちゃったらダメだと思って、うっかりと防御壁を出してしまいました。……ごめんなさい」
口を動かしてみたら、こんなに格好悪い言い訳……というか真実を告げることになってしまい、とても恥ずかしいロイズであった。でも、ユアが嬉しそうに微笑んでくれたから、『もう格好悪くてもいいや』と微笑んで返す。
「ロイズ先生でも焦ることがあるんですね」
「……(ユラリスのことになると)焦ってばかりだよ」
「ふふ、知りませんでした」
「悲しいのは治った?」
「……ぎゅってしてくれたら、悲しいのも治る気がします」
とっくのとうに治っているユアであったが、そこはちょっと悪い子。女性恐怖症のロイズに対して、断られる前提でワガママを言ってみた。どこまで触れて貰えるか、確かめたくなった。
「うん、わかった」
ところが思いの外、ロイズは拒否をしなかった。そして、ほとんどなかった二人の距離をそっと寄せて、ユアを包むように抱き締めてくれる。焦げ茶色のユアの髪に彼が顔を埋めたから、ユアは彼の肩口に頭の重みを預ける。
ロイズの腕の中で思った。もう彼から離れられない。離れたくない。助手だろうが何だろうが、立場は何でも良い。この先ずっと、彼のそばに居続けられるなら何だっていい。どうか出来るだけ長く、一緒に。そう願うように目を瞑った。
海の上でふわりと浮かぶ魔法使いの二人。ドキドキと高鳴る二つの心音は、重なり合って強め合って、そして波の音と風の音にそっと隠された。
恋なのか、相性なのか。
運命なのか、必然なのか。
魔法都市生まれの元人間と、人間都市生まれの魔法使い。
特別な二人の、その距離。ピタリと、ゼロ。
【第三章 魔法使いと人間の距離】終
おまけ
「ユラリス」
ロイズは彼女をぎゅっとしたまま、視線だけでユアの様子を確認した。
―― 目を、瞑っている!!?
ロイズのぼんやりとした乏しい知識によると、キスをするときは目を瞑ると聞く。
―― え、え、え、キスして欲しいってこと!!?
ロイズは焦った。自分は教師だ。一度手を出してはいるものの、あれはほぼ無意識の行動であって、アウト寄りのギリセーフだ。セーフ判定が激甘だが、幸運な事故みたいなものだ。ソフトラッキースケベ体質の事故だ。
だがしかし、ここで手を出してしまうのは些か話が違う。アウト寄りのガッツリアウトだ。
―― で、でも、ちょっと触れるくらいのキスならセーフ?
アウトだ。
―― 挨拶みたいなものだし、軽いやつならセーフだよね?
ロイズは誰向けか分からない言い訳と問い掛けをした。昨日、やっとこさファーストキスをした奥手男が『キスは挨拶みたいなもの』とか言い始めているわけだ。アウトを通り越して戯言だ。
ロイズは少し強めに彼女を抱き締めた。
「ユラリス……」
そう言いながら身体を少し離して、顔を近付けると、ガクッと彼女の身体が滑り落ちた。「うわっ」と驚きながら慌てて支えると。
「(ぐーすかぴー)」
「はい、寝てますよね。ですよねー」
お決まりのパターンであった。
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はい、第三章終了です。
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さて、次から第四章になります。
引き続き、よろしくお願いいたします。




