52話 届くのに触れられない
「ただいま~」
ロイズがそう言いながら玄関のドアを開けると、早速研究部屋に向かう二人。
「採血してみましょうか」
ユアが張り切って左手を出すと、ロイズはその手を取ろうとしてピタリと止まった。
「先生?」
「あのさ、えーっと、ごめん!」
「え?」
「……あのさ、なんでザッカスのこと好きじゃないって、俺に言えなかったのかな、と思って。ユラリスのこと、困らせてた……よね? もしかして圧が強かった!?」
「ち、違うんです!!」
ユアは、またもやシドロモドロであった。でも、申し訳なさそうにショボくれるロイズを目の当たりにして、また嘘をつくのも憚られた。
さらに、ザッカスに『可愛くないところを見せる』という、謎の方法を提案されていたことも思い出し、ここで正直に言わなければならないと、自分を奮い立たせた。
ユアはスッと立ち上がって、思いっきり頭を下げた。キレイな直角だ。『せんせぇ、ごめんなさぁい』とか可愛く言えないのが、ユアであった。
「ロイズ先生の助手になりたくて、ザッカスさんのことを否定しませんでした! 嘘をつきました、ごめんなさい!!」
「俺の助手になりたくて? それはどういう……?」
ユアは顔を上げて、それでも直立で理由を述べた。理由というか、懺悔であった。
「助手にならないかと声をかけて頂いたときに、ロイズ先生が『女の子に助手を頼むのも気が引けるけど、好きな人がいるなら心配ないね、良かった』と、仰っていたので……好きな人がいなければ、助手にはなれないんだと思って、嘘をつきました」
それを聞いたロイズは絶句した。そんなことを言った覚えしかなかったからだ。これじゃあ『君と恋愛関係になる気はないからね』と、釘を刺しているようなものではないか。グッサリと、釘を。
それがどうだろうか。魔力相性の良さが理由であったとしても、今や恋愛らしき事をしちゃってるのは自分の方なのだ。
―― ぐはっ! 特大ブーメランっ!
お帰りなさいのブーメランに、ザシュッとやられたロイズであった。
「そうでした。そんな事を言ったのは僕でした。すみませんでした……」
「いえ、否定しなかった私がいけないんです。あの……やっぱり助手はクビでしょうか!?」
「へ?」
「ザッカスさんではありませんが、すすすす好きな男性なら、その、い、い、います!! 助手継続お願いします!」
―― (まっしろ)
ロイズは真っ白になった。真っ白な研究部屋で真っ白になった。
一方で、ユアは真っ赤になっていた。本人に向かって好きな男性はいると伝えるだなんて、ユアの中では告白に近い恥ずかしさがあった。
もう少し言えば、助手の条件は『ロイズ以外で、好きな男がいること』なのだから、微妙に嘘を付いていることになる。微妙に悪い。その自覚があって、心拍数は少し上がった。
顔色は二人合わせて紅白であったが、目出度くも何ともない空気が漂っていた。
「先生……?」
「ごめん、ちょっと待ってて」
―― 好きな男性が、いる……? 好きな男性が。ユラリスに、好きな男が、いる
ザッカスへの好意は誤解だったと知ったとき、ロイズは結構喜んだ。結構というか、スーパー激烈万歳三唱でテンションが上がった。
ユアとどうこうなろうだなんて、そんなことは露ほども、紙切れほども、これっぽっちも思っていないロイズであったが、それでもついつい喜んでしまった。
それがどうだろうか。まさかのぬか喜び。しかも、ザッカスに向けていたクールな雰囲気とは様子が異なり、顔を真っ赤にしながら好きな男がいると言う、この可愛らしい姿。間違いなく、ガチの大本命であろう。
―― こ、これは、、、抉られる
ロイズにとっては本物の恋ではなかったとしても、これは初恋みたいなものだった。ここまで他人に入れ込んだのは初めてだったし、こんなにも心の柔らかいところを抉られたのは初めてのことで、割と結構ヤバかった。
―― 落ち着け。これは魔力相性が原因だ。俺の感情とは別物だ。よし、大丈夫! がんばれ俺!
ロイズは顔をあげてニコッと笑った。23年間、色々あって学んできた、なけなしの処世術を全開にして笑った。
「大丈夫! ユラリスに好きな人がいようがいまいが、関係ないよ。助手はずっとお願いしたいと思ってるよ!」
「本当ですか?」
「本当。前も言ったけど、ユラリスがどんなユラリスでも大丈夫。安心してね」
「~~~っ!! 先生~!」
ユアはホッとして、少し涙目にながら思わずロイズに抱き付いた。これまでずっと引っかかっていた『ザッカス問題』と言う名の大骨が、やっと喉から取れたのだ。安堵と抱擁のハッピーセットだ。
―― うわぁ、なぜここで抱き付く!?
一方、ロイズは戸惑った。戸惑いつつも、結構嬉しかった。いや、かなり嬉しかった。漂ってくる美味しそうな香りと柔らかさに、思わず欲と手が出てしまい抱き締めそうになった、その瞬間。
「あ! ごごごめんなさい。うっかり!」
パッと離れて恥ずかしそうにするユア。行き場のないロイズの手。
ユアはこう考えていた。ロイズは女性が苦手なのだから、抱きついたりするのは悪手。かなり寂しいが、ザッカスの一件によって失われただろう彼の信頼を回復するまでは、暫く封印しなければと。
一方、ロイズは持て余した欲と手に戸惑いつつ、思わず抱き締めそうになった自分に驚いていた。そして、彼女に触れたくて仕方がない自分に、危うさを感じた。研究パートナーとして、そして教師として、これはもう危険であると。全力で逃げたかった。
逃げ道と言えば、これしかない。
「さ、採血をしよう!! 今すぐに!」
「そうですね! 採血を、今すぐに!」
二人は真面目を取り戻して採血を行った。そして結果は勿論、色の変化なし。
「やっぱりザッカスの治癒魔法だと、血液の色は変化なしだね~」
「予想通りでしたね」
「これで、ようやく解が見えたね」
「はい!」
ロイズはユアの赤紫色をじっと見つめながら、その解を確かめるように言葉にした。
「血液の質の相性が良く、且つ、心臓の挙動が一致するような『魔力相性が異常値を示すペア』であれば、人間を魔法使いに変化させることができる」
ユアも頷いた。
「後は、ロイズ先生と私が魔力共有をして、最終確認ですね」
ロイズも頷いた。
「今日は、もう眠いでしょ? 魔力の共有は明日に……あ、明日は研究は休みの日だった。明後日にしよ~」
「すみません、お休み頂いちゃって。でも、明日は、なんと! マリーさんとカリラと魔法都市で女子会なんです」
「あ~、あの約束ね。明日なんだぁ、楽しんでね! 俺は何して過ごそうかな~……ずっと寝てるだけかも」
「予定はないんですか?」
「大体いつも予定はありませーん」
ロイズが笑って答えると、ユアは少し考えるように時計を見た。そして、ザッカスが言っていた『甘える』というのを実践に移そうと、また少しだけ勇気を出した。
「あの、夕方には女子会は終わると思うので」
「うん?」
「少しだけ、ここに寄っても良いですか……?」
『先生に会いたいから』という言葉を飲み込んで、ワガママだけを吐露した。
「も、もちろん! 研究が休みの日だって、いつだって来ていいよ、大歓迎!」
嬉しくなってしまったロイズが、立場も忘れて思いっきり了承してしまうと、ユアは笑顔を輝かせて「嬉しいです」と言った。
休日に会う。それが特別で嬉しいことだと感じてしまうのが、彼と彼女の距離なのだ。
「でも何時に来れるか分かんないんだよね? それだと予約転移は出来ないし、どうしようかなぁ」
ロイズは普段から、自由にユアと連絡が取れないことを不便に思っていた。通信魔法は彼女には難しすぎるし、かと言って魔法紙のやり取りだとタイムラグが大きすぎる。
「あ、フライスが作ったショートメッセージ魔法は使える?」
「どうかしら……やってみます」
ユアが魔法陣を描いて「えーっと、『ロイズ先生へ、ユアです』」と、呟きながらメッセージを書いて魔力を込めた。しかし、発動せずにシュワッと消えてしまった。
「あぁ、失敗。うーん、これって相手の魔力のイメージを捉えるんですよね?」
「そうだね~」
「ふぁ……ロイズ先生の魔力のイメージ……色はピカピカのオレンジ色でぇ、優しくて、強くて、大好きで、世界一格好良くてぇ……ふぁ」
採血後の眠気が急激に押し寄せてきたのだろう、ユアは欠伸をしながら、もう一度魔法陣とメッセージを書いてロイズ宛てに送った。すると、ロイズの前に、ふわりと青紫色の魔法陣が現れた。
「あ、せいこう」
「よくできました◎ もう眠いよね。家まで送っていくよ」
「ありがとうございます。ふぁ……眠いです。支度しますー」
ユアはそう言ってリビングに荷物を取りに行った。バタンとドアが閉まると同時に、真っ白な研究部屋で、ロイズは真っ赤になって実験テーブルに顔を突っ伏した。
―― 優しくて、強くて、大好きで、世界一格好良くて、って言ってた。大好きって言ってた! なにこれ。嬉しさ半端ないっ!!
顔の熱は冷めないし、ニヤニヤも止まらないし、思っていたよりも重症であった。
「お、落ち着こう。大好きなのは、俺の魔力のこと。魔力相性、魔力相性。気にするな! ……よし」
そこで、荷物を取りに行ったユアがなかなか戻って来ないことに気付いて、リビングにいってみると。
「ユラリス~? あ、寝てる」
ユアはリビングの小さなソファで寝ていた。採血後に魔法を使ったため、急速に眠くなったのだろう。
「ユラリス~、起きて。帰るよー」
何度か声をかけても全く起きる気配のないユア。時刻を見るとまだ18時。
「少し寝かせてあげようかな」
21時頃までに帰れば問題ないだろう。ロイズはそう判断して、浮遊魔法でユアをベッドに運ぼうと思ったが、やめた。先ほど抱き締め損なって、持て余した手を思い出したからだ。
「……運ぶだけだから、セーフだよね?」
誰に問いかけているやら、ロイズは魔法は使わずに、そっとユアを抱き上げた。普段、食事ですら浮遊させて運ぶ癖に、「浮遊魔法で起きちゃったら可哀想だしね」とか言い訳をしながら抱き上げた。だって、理由がないと触れてはならないから。
残念なことに、そこは運動不足のロイズ。『ちょっと重い~』なんて失礼なことを思って、ほんの少し浮遊魔法に頼ったりしながら、ロイズの寝室まで運んでそっと寝かせた。
―― 可愛い
男性教師にあるまじきことだが、しばらく彼女の寝顔を堪能した。彼女が目を覚ましたら『先生のベッドを使ってしまってごめんなさい!』なんて、また直角で謝るのかな、とか想像した。
―― あー、好きだなぁ
自覚してしまうと、もう戻れない。魔力相性が理由だとしても、難しい。
いっそのこと魔力相性が悪ければ良かったのに、なんて、ロイズは不条理なことを思ったりもした。そうすれば、これが真に恋心だと簡単に証明できるのに。
届くのに触れられない。愛おしそうに見ることだけしか出来ない。
もどかしい、この距離35cm。
おまけ
ユアはパチッと目を覚ました。まだ眠かったけれど、目に移った部屋が見知らぬ部屋だったものだから、一気に目が覚めてしまった。
「……え!?」
ガバッと起き上がって、キョロキョロと見渡すが、全く知らない部屋。記憶を辿ると。
「そうだったわ、先生の家で寝ちゃった……ということは、ここは」
『ロイズ先生の寝室!?』と、結論付けたユアはもう一気に大興奮!
ロイズの家に通うようになって約三ヶ月。採血の後に『ベッドを使っていいよ』とロイズは言ってくれるものの、さすがに気が引ける。ユアは基本的に学園の研究室まで送ってもらい、仮眠ベッドで寝ていた。
採血後に寝落ちするのは初めてのことで、ロイズの完全プライベートな寝室に入るのは、実は初めてだったのだ。
いけないと思いつつ、部屋を明るくする。好奇心をそのままに部屋を見てみると。
「な、何もない……」
他の部屋と同様に真っ白な部屋に、ベッドがポンと置いてあり、ベッド横に小さなサイドテーブルがあるだけだった。
備え付けのクローゼットがあったので、ここで着替えなどをしているのだろう。それ以外は本当に何もなかった。クローゼットも驚くほど小さい。本の一冊もなければ、観葉植物や置物すらない。プライベートらしいプライベートはどこにもなかった。
「ロイズ先生って感じの寝室ね」
他人が出入りする研究室の応接室なんかは、エンターテイメント性を持たせて空っぽく改装したりする癖に、完全に自分しか使わない部屋――例えば仮眠室なんかは殺風景。勿論、この寝室もベッドシーツも真っ白で、もはや囚人の部屋なのかなと思うくらいにシンプルだ。ロイズらしさが満載であった。
ユアはもう一度ベッドにゴロンと寝転がって、彼がいつも見ているだろう天井を見た後に、うつ伏せになって枕に顔を埋めた。
「……浄化されてる」
キレイさっぱり何の匂いもしなかった。ロイズは、起きたらすぐに浄化する習慣があるからだ。研究室の仮眠ベッドもそう。使ったら何でも浄化する癖があるのだ。
ユアは心中、大きく舌打ちをしながら、それでも枕をぎゅっと抱き締めて、『ロイズ先生がここで毎日寝ている』と妄想からの恋煩い。
トントントン。
捗る妄想にストップをかけるように、ドアをノックする音が。
「ユラリス~、起きる時間だよー」
ロイズの声にガバッと起き上がるユア。
「は、はい!」
「起きてた? 入っていい~?」
「大丈夫です!」
前髪とスカートの裾をパパっと手早く直して、待たせてはいけないと真面目精神で大丈夫と答えた。
ガチャ。
「!? お、おはよう」
ロイズはちょっと面食らった。ベッドの上で自分の枕をぎゅっと抱き締めているユアの姿に、何とも言えない愛欲を感じたからだ。
「おはようございます。あの、ベッドをお借りしてしまい、申し訳ございません!!」
ユアはベッドに座って枕を抱いたまま、正座で深々とお辞儀をした。
「……採血の後は眠くなるからね! いつでも使っていいよ」
「ありがとうございます」
「もうそろそろ21時になるから、支度できたら帰ろう~」
「じゃあベッドの浄化を……」
「あ! 待って!」
「え?」
「いや、あの、えーっと、後でやっておくからいいよ。そのままで。すぐに帰ろう。急いで。さあ、今すぐに!」
「は、はい」
勿論であるが、ロイズはベッドを浄化しなかった。驚くほどいい夢を見た。




