45話 ピザ屋の旧友
翌朝、朝食を食べ終わってチェックアウトした面々は、ホテル前で集合していた。
ユアは、万が一の艶やかな夜のために買っておいた新しい下着が無駄になったことを嘆きつつも、昨日の『二人きりのときにぎゅっとしてもらう約束』を思い出してはニヤニヤとしていた。
悪いことがあれば良いこともあるものね、なんて思いながら、朝日を浴びて晴れやかな気持ちで立っていた。
「おはよう、昨日はよく眠れたかな~?」
「はーい!」
「ロイズ先生は体調大丈夫ですか?」
ユアの気遣いに、ロイズはギクッとした。何故ならば、昨日は『ぎゅっとしてほしい』がグルグルと頭の中を駆け回って、目を回すようにバタンと倒れて寝たからだ。魔力補充をしていなければ眠ることなど出来なかったかもしれないというほどに、ふとした瞬間に『ぎゅっとしてほしい』が思い出されていた。
「お、おかげさまで、体調バッチリ~◎」
バリバリ空元気というほどに、やたら元気いっぱいで答えると、フレイルがジトリとした目でロイズを見てきた。
「俺、まだ少しフラフラするんですけど……バケモノっすね」
「フライスは、回復力トレーニングが必要だね~。来週から魔力量講義のときにメニューを追加しようね!」
「げ、鬼ロイズ……」
そこでカリラが待ちきれない様子で、「早くいこーよぉー!」と言い始めた。
「そうだね、早速人間都市観光にいこうか~」
「わーい♪」
「昨日も言ったけど、はぐれないように! 明日は月曜日だから夕方には帰るからね~」
「はい」
「じゃあ出発~」
ロイズの出発の合図で、カリラとフレイルが魔法陣を描き始めて浮遊をすると、ロイズが「あ、ダメダメ。浮遊はやめて~」と止めた。
二人は不思議そうにしながらも、すぐに浮遊を解除して着地すると、周りの人々が「魔法陣描いたぞ」「魔法使いだ」と、コソコソ話しながら遠巻きにしているのに気付いた。
「?? この雰囲気は?」
「人間都市では、なるべく魔法を使わない方がいいわ。みんな怖がるから」
ユアが声を落として説明をすると、二人はきょとんとして目を合わせた。
「俺らが怖い? まじで?」
「私たち何もしないよ~!」
慌てる二人に、ロイズは小さく笑って「ごめんね」と言って窘めた。
「簡単に言えば、少し前まで人間は魔法使いに虐められてたんだよ~。だから魔法使いってだけで皆怖がるんだよね。それに、郷に入っては郷に従え。人間都市の魔導具文化に触れてみよ~」
そう言いながらロイズが指差した先には『移動魔導具販売』の看板を掲げた店が。いってみようやってみようの精神で、5人は移動魔導具に乗ることになった。
お店に入り、各々好きな移動魔導具を選ぶと、なんとそれら全部の代金をロイズが支払った! さすが上級魔法学園のエリート教師!
苦学生であるリグトは、やたら深々と頭を下げていたし、ユアは『初めてロイズからプレゼントを貰った』と、明後日の方向の乙女思考で喜びを噛み締めていた。この場合、プレゼントではなく、ただの奢りである。
ちなみに、魔導具だけでなく、ホテル代や食事代など、この一泊にかかる費用の全てをロイズが「払うよ~」と、パカパカ支払っていた。財布の紐が緩すぎる。
「うわ~、空飛ぶ靴とか逆に怖ぇんだけど」
「なんで箒の形してるんだろ~、おもしろーい♪」
「リグトは絨毯にしたのね」
「一番高かったからな」
「ガメツいが過ぎるぅ~♪」
4人がそれぞれ楽しそうに魔導具を試している姿を、ロイズはニコニコと笑って見ていた。まさか魔法使いを4人も連れて人間都市を見て回ることになるなんて、人生分からないものだなぁとか思っていた。
「ユラリスは羽にしたんだね~」
「昔、人間都市では羽を使ってたんです。もう随分前に壊れてしまったので、何だか懐かしくて」
少し小声でそう言いながら、背中に小さな白い羽の魔導具をくっつけると、それがパタパタと動き出す。ユアは、風に乗るようにふわりと浮いた。
白いワンピースに真っ白な羽。焦げ茶色の柔らかい髪がふわりと緩くそよぐ。たんぽぽの綿毛のように軽やかに宙に浮く姿は、まるで。
―― 天使みたいだ……
愛助手が天使のような姿で飛び回っているものだから、ここは天国かな、なんて思ったりもした。
そんな有り難い光景をぼんやりと眺めていると、天使が「ロイズ先生は何にしたんですか?」と訊ねてくるものだから、一瞬拝みそうになりながら、ハッとして現世に意識を戻した。
「えっと、俺も昔からコレなんだ~」
「空飛ぶスケートボード?」
「軽くて持ち運びもラクだし、着脱無しで乗り降りもすぐだし、子供のときからコレ一択なんだよね~」
「ふふっ、ロイズ先生らしい理由ですね」
「?? そうかな?」
「せんせー! 練習ばっちりおっけーでーす♪」
上空を飛び回りながら、カリラが手を振ったのを合図に、魔法使いの人間都市観光が始まった。
五学年の生徒たちは、ロイズのふんわりのんびりとした案内で人間都市を見て回った。高いビルの隙間を縫うように空を飛び回る人間たちの姿は、まるで魔法使いみたいだ。本物の魔法使いたちは驚くばかりであった。
「みんな魔法使いみたい~♪」
「あぁ、人間も魔法使いも区別がつかない」
「それにしても、どれも建物が高いっすねー」
「全部、居住用なんですか?」
「ううん~、例えば、あのビルなんかは『畑ビル』だし、あっちは『酪農ビル』だよ」
「畑? 酪農??」
人間都市では魔導具作りを中心産業としていたが、他にも農業酪農などが盛んに行われていた。
土地面積は少なく、さらに、国の北側を割り当てられている人間都市では、太陽の光や雨なんて自然なものに頼っていては立ちゆかない。そこは知恵を絞るのだ。
例えば、ビル群の一棟は野菜を育てるビルであったり、家畜を育てるビルであったり、建物の中で全てが完結するように設計されているのだ。
便利な魔導具を使い、超スピードで成長する野菜たちを見ると、生徒たちはかなり驚いていた。自分たちが食べている作物や食品がこのように作られているとは、彼らも知らなかったのだ。
魔法使いが補充した魔力で人間たちが生活をし、人間たちが魔法使いの魔力の源となる食料を生産する。まさに、共生である。
なーんて、真面目に社会科のお勉強もしつつ、そろそろお昼ご飯を食べようかとロイズが思ったところで。
「せんせー!」
「なに? カリストンどうかした?」
「あれって何ですか~?」
カリラが指差した先は、街のど真ん中の広場。花壇に植えられた花々が密になって、空から見ると小さな花束のように見えた。
「あれは昔、魔力補充タンクが置かれていた場所だよ。色々あって、昨日の地下にお引っ越ししたんだよ~。見てみたい?」
ロイズがカリラに問い掛けると、カリラは少し迷うように「うーん」と言ってから、
「見てみたい~♪」
と答えた。ロイズは、4人に目配せで降りることを伝えて、地上に降り立った。しかし、花が咲き乱れる広場に行こうとしたところで、近くで騒ぎが起きているのに気付いた。
「あら、何かしら?」
「すげぇ怒鳴り声」
少し離れたところから怒鳴り声の方向を見てみると、中年男性と若い女性が言い争いをしていた。
「人間風情が! 魔法使いに楯突こうなど、恥を知れ!!」
「なによアンタ。やってること普通に食い逃げだからね? 魔法使いとか関係ないから」
「なんだその口の効き方は。誰のおかげでこうやって生活が出来てると思ってるんだ!?」
「はぁ? あんたのおかげじゃないって事だけは分かってる。魔力枯渇した魔法使いが偉そうに」
「なんだと!?!」
「なによ!!?」
どうやら魔力が枯渇した魔法使いの中年男性と人間の若い女性とが、金銭のやり取りでトラブルになっている様子。
「な、なんかこわいねぇ~」
「金のトラブルか。痛ましいことだ……」
「身につまされてる場合か」
「よーし、ここは魔法使いの介入が必要な場面ね。私に任せて!」
根が真面目で心根がお馬鹿なユアが、腕まくりで乗り込もうとすると、「ユラリス、ダメダメ!」と慌ててロイズが止めた。
「俺が行くから、皆はここを動かないよーに! 怪我でもしたら親御さんに申し訳が立たないよ~」
「うける。先生が教師っぽいこと言ってる」
「あのねぇ、俺は正真正銘の教師だからね!」
フレイルの発言に、ロイズが不服そうにしながらもトラブルの輪に入り込もうとすると、目を細めて「あれ、マリー?」と言った。金銭トラブルでガチ切れ中の若い女性はロイズの知り合いであった。
「やっぱりマリーだ。久しぶり~」
「ぁあ!? 関係ない奴はすっこんで……あれ、ロイズじゃない、おひさー!」
「なんかトラブル~?」
女性であるマリーと距離を取りつつも、ロイズが間に入ると、魔力枯渇の男性は「なんだお前は?」と当たり散らすようにロイズに食って掛かった。
「わぁ、怖い。まぁまぁ落ち着いて、ね? 魔力が枯渇しちゃって大変なのは分かりますけど、八つ当たりしても魔力が戻るわけじゃないでしょ~」
「な、なんだと!?」
「魔力が無いことなんて気にしちゃダメですよ~。一応魔法使いなんですし、誇り高く心穏やかに余生を過ごしましょ~」
遠巻きに聞いていた生徒たちは「おいおい、火に油じゃねぇか」とロイズの手腕の無さに頭を抱えた。考えてみれば当たり前だ、ロイズに仲裁なんて器用なマネが出来るわけもなかった。天才魔法使いの煽り体質が激しく強い。
「この野郎!!」
『一応』なんて謎の枕詞を付けられ、トクトクと油を注がれた中年男性はブチ切れた。
おもむろに人差し指をピンと立てて魔法陣を描こうとしたが、自分に魔力がないことをハッと思い出したのだろう。悔しそうに人差し指を拳にしまい込み、それを振り上げて殴りかかろうとした! が、そこで、マリーという若い女性が待ったをかけた。
「待たれぃ! この飴色頭の失礼な男の名を何と心得る!?」
「知るか!」
「聞いて驚け、ロイズ・ロビンよ!!」
マリーがやたらドヤ顔で親指一本クイッと立て、ロイズを紹介するように指した。ロイズは「うわぁ、やめてよ……」と、心底嫌そうな顔でマリーを見ていた。
一方、魔力枯渇の中年男性は「は?」と、まさに鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした後に、ロイズを下から上まで見た。そして、何かを思い出すように――きっとロイズ・ロビンの容姿を噂で聞いたことがあるのだろう、顔を青くして後ずさった。最後に、投げ捨てるように金を地面に叩きつけ、「失礼する!」と言って去っていった。
「一昨日きやがれぃ!! はーっはっはっ!」
マリーはロイズを指差していた親指をクルリと下に向けて、中年男性に『地獄に落ちろ』をお見舞いしてやった。
仲裁に入ったはずのロイズは結局何も出来ないまま、中年男性の背中を労るように見るだけ。そして、マリーのえげつなさに、だいぶ引いていた。
「マリー……相変わらずだね」
「あんたも相変わらずねぇ、いつも言ってんじゃない。下手に喋らずに自己紹介しておけば丸く収まるって!」
「ぇえー、絶対イヤなんだけど~」
仲良さそうに言い合う二人に、生徒たち4人はソロソロと近付いて「先生の友達?」と窺うように聞いた。
「先生……? あらあらあら? もしかしてロイズの生徒さん?」
「そうです~♪」
「わお、黒髪イケメンに煌めくゴールデンボーイ! 眼福だわ~。可愛い女子生徒も一緒なんてニクいわねぇ。私はマリー、よろしくぅ!」
マリーはそう言いながら握手の代わりにサムズアップとウインクで挨拶をした。先程から忙しい親指である。
「ユアと申します! あ、あの、ロイズ先生とは、どどどういったご関係でしょうか!?」
ユアが血走った目でずずいと前に出ながら聞くと、ロイズが「昔からの友達だよ~」と答えた。
「幼なじみみたいなものね!」
次いで、マリーが溌剌と答えると、ユアは「幼なじみ……」と呟きながら、スーッと後ろに下がった。
その様子を面白がってしまったフレイルが、ユアにそっと近付いて「初体験の相手だったりして」と最低なことを囁くと、ユアは真っ青な顔をしてプルプルと震えた。
ロイズとマリーは、見るからに甘い関係ではないだろう。察しの良いフレイルは分かっていたが、好きな子をイジメるのが楽しくて仕方ないのだ。若さだ。
「マリーさん、はじめまして。カリラです~♪」
「はじめまして、カリラちゃん」
「何かいい香りがする! 食べ物屋さんしてるのぉ??」
カリラがニコッと笑ってマリーに近付くと、マリーもニコッと返して「そうなの、ピザ屋」と答えた。カリラが少し迷うように、お腹に手を当てること5秒。
「お腹がピザの気分になってきたぁ~。せんせー、お昼はマリーさんのお店にしましょー!」
「いいよ~。みんなもいい? ……って、ユラリスどうしたの、顔色悪いよ!? 大丈夫!?」
「大丈夫です、お構いなく」
ユアが焦げ茶色の髪を耳にかけながら、何でもない風を装ってサラリと答えると、隣にいたフレイルが「ぶふっ」と吹き出して笑った。ユアが慌てて「フレイルっ」と小声で窘めると、フレイルはユアの頭をぽんぽんとしながら「はいはい」と意地悪に笑った。
そんな生徒同士のやり取りを見たロイズは。
―― な、な、な、仲が良い! ユラリスの頭を当然のように撫でている!!
またもや衝撃を受けていた。女に近付くだけで鳥肌が立つ女性恐怖症気味の男としては、異性間でのボディタッチに対するハードルは非常に高い。フレイルとユアのやり取りは、目眩がするほどの衝撃であった。
―― で、でも、俺だってユラリスの頭なら撫でたことあるし! 何なら毎日のようにぎゅっとされて……
そこまで考えて、またもやユアの『ぎゅっとしてほしい』が脳内を通過した為、思考の全てを投げ捨てて「ピザを食べよう!!」と、声を大にしてマリーのお店に入った。




