4話 抱えた秘密、抱えた不安
時は少しだけ遡る。
ロイズが食堂に転移する、少し前。ユアは学食に近い化粧室で、身嗜みを整えていた。
「あぁ、本当に制服が破けてる……うっかりね」
獣討伐実習。彼女は無事に切り抜けた。何かとお馬鹿さんっぽいユアであるが、その実、超優秀な出席番号1番だ。岩壁チャレンジさえなければ、怪我を負うことも、制服を破かれることもなかっただろう。
「でも、どういうわけか、ロイズ先生は来なかったのよね……」
これ幸いと、茂みに隠れて治癒魔法を掛けてごまかした。制服のジャケットが破れていることは、うっかり失念していたが。
ユアは、魔法陣を描いて『修復魔法』をジャケットに向けて発動。制服の破れは跡形もなく消えて、綺麗な制服に元通り。さすが優等生。
「よし、これでいいわね」
そして、焦げ茶色の髪をブラシでふわサラつやつやに、淡い色のリップをツイーッと塗って、仕上げに鏡に向かってニコリと笑って最終確認。
「あ、ネクタイが曲がってる」
一度、ネクタイを解いて、いつも制服の下に付けているネックレス――父親から貰った入学祝にそっと触れる。このネックレスに触れると、何となく心地が良いのだ。
ソワソワする気持ちとネックレスの位置を少し整えて、シャツのボタンを上までキチンと止める。シュルシュルとネクタイを結び直して、戦闘準備はバッチリ。制服のスカートと期待をフワリと膨らませて、ユアは学食に向かった。
―― なんか、意外とお腹減っていないかも。それより何より眠い……
獣討伐実習から帰ってすぐ、またムシャムシャとパンを食べたユア。当然、そんなにお腹は減っていない。サンドイッチの軽食セットを頼むことを心に決めて、学食の出入口の前でロイズを待った。
―― はぁ、すごくドキドキする
ユア・ユラリスは、魔法教師ロイズ・ロビンに憧れている。恋というには潔癖すぎる、推しというには少し近い、崇拝というには幾らか熱っぽい。そんな感情、まさに憧れの人である。
ユアは自分の胸に手を当てて、ドクンドクンと大きく鳴る心臓の音を感じ取る。さらに、目を瞑ってイメージトレーニングをした。
―― サンドイッチセットの食券を買ってもらったら、『一緒に食べませんか?』とサラリと言う。サラリと。サラリと、サンドイッチを、サラリと。
「もっと、近付きたいなぁ……」
そんな無意味なイメトレをしながら、願望をポツリと呟くと、目蓋の向こうが一瞬だけ淡く明るく光った。
―― 転移魔法?
ハッとして目を開けてみると、10cmの距離にロイズが立っていた。まさかのいきなり10cm。近付きたいとは言ったけど、近付きすぎだ。
「あれ? ごめんごめん~。急いで転移したから、距離感を間違えちゃったかなぁ」
ロイズは、10cmの距離のまま悪びれもなく軽く謝った。まずは離れるべきかと。
「いえ、大丈夫です」
―― 至近距離でも素敵……
ユアは、10cmの距離のままで目をカッと見開いてガン見した。目が強い。まずは離れるべきかと。
「ユラリスはメニュー決めた?」
ようやく適度な距離を取って、二人は食券を購入する列に並んだ。
「はい、サラリイッチでお願いします」
「サラリイッチ?」
「いえ、サンドイッチです」
―― イメトレのせいで言い間違えた! 恥ずかしい!
本当に無意味なイメトレであった。
「サンドイッチだけ? 遠慮しなくていいよ~?」
「あまりお腹が減っていないんです」
そう言うと、ロイズは飴色の瞳をキラキラとさせて、ユアを凝視した。
「岩壁チャレンジであんな強烈な魔法を使って、その後に獣討伐までしたのに、お腹が減ってないの?」
ユアは一瞬迷った。ここで肯定をしてしまうと、彼に『魔力量おばけ』だと認定されてしまう。残りの学園生活は、きっとエブリデイ魔力切れパーリーになってしまうだろう。フレイルのパンだって、毎日からっぽになってしまう。
でも、残念なことに、ユアはロイズに憧れすぎていた。
「はい、あれくらいでは、お腹なんて空きません」
―― やーん! 嘘ついちゃったぁ!
見栄っ張りな悪いところが出てしまった。悪手であった。
それを信じたロイズは、心底面白そうな顔をして「へぇ~!」と言いながら、ユアを上から下、さらに下から上まで往復して眺めた。そして、ユアの青紫色の瞳をじっと見ること、五秒。笑顔とサムズアップで「いいね!」と言った。
―― やーん! 嘘ついて良かったぁ!
憧れの人に『いいねボタン』を押されたユアは、残りの学園生活がエブリデイ魔力切れパーリーになる覚悟をした。見栄を張るのに命を灯しすぎである。
ロイズは食券箱に教員証をかざして、サンドイッチのベルとA定食のベルをチリンと鳴らした。ベルを鳴らすと、食券が出てくる魔法が掛けられているのだ。
「ロイズ先生は(いつも)A定食なんですね」
「なんか迷うのも面倒でさ~、A定って決めてるんだ」
―― 知ってる! 四年間、ずっとA定食だものね!
憧れすぎてストーカー予備軍であった。
「はい、食券どーぞ」
ユアは、こっそりと身構えた。このときが来たのだ。さぁ、いざ! サラリと!
「ありがとうございます、ご馳走さまです。あの、ロイズ先生と一緒に食べてもいいですか?」
ユアが血走った目でサラリと言うと、ロイズはきょとんとした。
「俺と?」
「はい、ぜひ!」
「……まぁいいけど……友達と食べた方が、楽しいんじゃない?」
「いいえ、そんなことないです。尊敬する先生ですから」
「!? そんけいするせんせい!? 初めて言われた!」
「尊敬していない生徒なんていませんよ」
「割といるんだよ~。ユラリスはいい子だぁ。よし、一緒に食べよう! 可愛い教え子とランチなんて、教師冥利に尽きるなぁ」
A定食の食券をヒラヒラさせながら、ロイズは何でもない風にそう言った。その攻撃は、後ろを歩いていたユアにクリティカルヒットしていた。
―― 『教え子』のところを削除して脳内録音した。生きてて良かったぁ。神様ありがとう!
憧れの人に『可愛い(削除済み)』と言われたら、そりゃあ誰だって神様に感謝するだろう。
「天気がいいからテラス席でいい~?」
ユアが神に感謝している隙に、ロイズは食堂のおばちゃんから受け取ったA定食とサンドイッチセットを、空中にフワフワと浮かべていた。ユアは息をのんだ。
―― 物体浮遊の魔法……コントロールが難しいのに、スープの一滴もこぼさないなんて……
美しく正確な魔法。それを魔法陣なしで自在に扱う。こんな魔法使いは、他に見たことがない。同じ魔法使いとして、彼に憧れないでいられようか。
私もこの人みたいになりたい。そう願わずにはいられない。願い続けて、四年間。やっと彼の下で学ぶ機会が訪れたのだ。
「先生、ありがとうございます」
「いえいえ。じゃあ、いただきま~す」
大きな口でパクパクもぐもぐとA定食を食べるロイズ。そんな彼を時々見ては、またドキドキとユアの胸は高鳴っていた。
◇◇◇
一方、ロイズは、もぐもぐとA定食を食べながら考え事をしていた。
先ほど学食前に転移したとき。実は、ロイズはかなり驚いていた。
本来は、5mほど間隔を空けて転移される設定だったのに、10cmの距離にユアがいたからだ。転移位置のズレが起きたのだ。
何度も言うが、ロイズは天才だ。だから、こんなミスは初めてだった。
―― 転移した瞬間、なんか引っ張られる感覚がした……。魔力相性が異常に良いと、こうなるのかなぁ、うーん
やたらゆっくりとサンドイッチを食べるユアを見ながら、ロイズはそんなことを考えていたのだ。
こんなに残念なことがあるだろうか。ユアは、この瞬間にもドキドキとしているというのに、それに気付くわけもなく、魔法のことしか考えていない。魔法研究脳だ。
そう。ロイズ・ロビンは、かなりの魔法バカであった。
天才型の魔法使いは怠け者も多いが、彼は努力も出来る天才だ。そして研究に心血を注ぎすぎて、大抵の出来事は魔法思考に流れて彼の中に滞留している。ドキドキとか皆無。
―― それにしても、四年間で魔力量おばけになるなんてすごいなぁ
先ほどのユアの嘘。ロイズは疑うこともせずに、彼女のことを魔力量おばけだと信じきっていた。エブリデイ魔力切れパーリーの開催決定。
ちなみに、魔法使いの相性が分かるロイズであっても、魔力量を感じ取ることは出来ない。下級の魔法使いであればなんとなーくは分かるが、上級学園にいるような優秀な魔法使いとなると難しい。
魔力量は深い井戸みたいなものだ。井戸の直径は見て分かるものの、井戸を覗いたところで底は見えない。対して、魔力の質は井戸の水質。例えるなら、そんな感じだ。
そこでロイズは『あ!』と思い付いて、小声で話し掛けた。
「ねぇねぇ、聞いてもいい~?」
「は、はい。なんでもどうぞ!」
「ユラリスって、入試のときは、ほとんど魔力量がなかったって本当?」
ロイズの明け透けな質問に、ユアは気分を害することもなく、軽く笑って「そうなんです」と返した。ロイズは、『気持ちの良い子だな~』と思った。
「いつから魔力量が増えたの?」
「一学年の入学式後から少しずつ増えてきて、二学年のときには出席番号10番に入っていました」
「一年間で!? すごいな~! 子供のときから魔力量は少なかった? 親御さんの魔力量は? どうやって増やした? どんなトレーニング?」
ロイズが根掘り葉掘り聞くと、ユアは周囲を気にする素振りを見せた。ロイズは『おや?』と思って、さっきよりも声のボリュームを下げた。
「なになに? 秘密の話?」
悪戯に笑いながら放たれたロイズの質問に、ユアは少し恥ずかしそうに小さく笑っただけで、答えを返してはくれなかった。
それを見た瞬間、爪先から好奇心が沸き立ち、脳まで一気に突き抜ける心地がした。飴色の瞳の輝きは増し増しの、満面の笑みトッピング追加でドンだ。
―― ユラリスの秘密、知りたい!
教師になって丸三年、こんな生徒は見たことがない。好奇心という欲を抱えたロイズは、もう一歩踏み込んだ。
「ユラリスの秘密って……獣討伐実習場の転移システムをかいくぐった事と、関係あったりする?」
「え? かいくぐった……?」
「そう。あの森はね、青紫色の血が一滴でも流れたら、教師が自動転移される。キビシーイ判定システムが施されてるんだよ~」
ロイズが、アジフライ的なものをサクサク食べながら呑気に言うと、ユアは顔を強ばらせて、沈むように下を向いてしまった。それが答えだった。
ロイズの敏感な天才的センサーが、『彼女を深く知るべきだ』と強く点滅する。
―― なんだろう。きっと重く沈んでるものが、あるんだろうなぁ
微動だにしない彼女を見て、ロイズは「大丈夫だよ」と軽く伝えた。グイッと引っ張り上げるような、ぷかぷかと浮いてしまいそうな、ふわりとした温かい空気が流れた。
「ユラリス、大丈夫」
ユアはおずおずといった様子ではあるが、しっかりと顔を上げてくれた。
「絶対、大丈夫。ユラリスを傷つけるようなことはしないよ。どんなときでも、味方でいることを約束する。君のことが知りたいだけだから、ね?」
彼女は、静かに頷く。魔法バカの口説き文句。これはなかなか効き目がある。
ランチを食べ終わったロイズは、二人分の食器を浮かべて片付け、学食前でユアに向き直った。
「じゃあ、今日の放課後、俺の部屋に来てね。詳しい話はそこで聞かせてね。待ってるから、絶対に来てね、絶対に!」
念押しの押しが強い。
「は、はい。絶対に行きます」
「あ、そうだ。予約しておこう。16時でいい?」
「予約? はい、大丈夫ですけど……?」
ロイズは一つ頷いて「ユア・ユラリス、研究室、16時転移予約」と呟くと、東側校舎三階の端付近がピカッと光った。
「今のは何ですか?」
「16時になったら、ユラリスが俺の部屋に転移されるように設定したんだよ」
「ぇえ! そんなことも出来るんですか!? 教本には載ってませんよね?」
ユアが楽しそうに瞬きをして驚くと、ロイズは「ははっ!」と楽しそうに笑って返した。
「さすが合うだけのことはあるね~、その気持ち分かる分かる! その質問に対する答えは、『君も出来るようになる』だね。魔法陣の書き方、今後の講義で教えるから待っててね」
「~~~っ! 楽しみにしています!」
秘密の共有。そんな二人の距離が縮まる予感を携えて、時は放課後になるのだった。




