33話 赤紫色の娘と、その父親
ユアの両親の言葉を受けて、ロイズは淡々と質問を投げかけた。
「ユアさんが生まれたときに人間だったというのは、血液を確認したんですか?」
ユアの父親が簡潔に答える。
「はい、見た目ではわかりませんから、生後すぐに血液を確認しました。確実に赤色でした」
人間と魔法使いの見た目は、全く変わらない。ロイズは魔力の質が分かるため、魔力がない『人間』なのか魔力がある『魔法使い』なのかを、見ただけで判断することが出来る。しかし、普通の魔法使いはそんなこと出来ない。触って魔力を共有しないと、相手に魔力があるのかないのかわからないのだ。
だが、魔力相性が悪い場合を考えると、赤子とはいえ安易に共有もできやしない。よって、生まれた赤子が魔法使いであるかどうかを確実に判断するためには、血液を見る他ない。
「なるほど。魔力があることに気付いたのは、四歳でしたっけ?」
「はい。ある日、ユアが転んで怪我をしたときに治癒魔法を掛けようとしたら、血液が赤紫色になっているのに気付きました。それが四歳のときです」
母親は、思い出すように頬に手を当てる。
「あら、そうそう~。夏休みにおじいちゃんの家に遊びに行って、家に帰ってきたところで玄関前で思いっきり転んだのよね~、懐かしいわぁ」
「最後に、血液が赤色であると確認したのは、いつだったか覚えてますか?」
「いつだったかしらぁ……」
うーんと悩む母親に対し、父親が「覚えている」とハッキリ言った。
「七月四日だ。妹のヒズの誕生日に、プレゼントを作ると言ってハサミを使い、手を切ったんです。私が治癒しました。あのときは赤だった」
「では、七月四日から夏休みの……」
「八月十五日です。赤紫色を見て、心臓が止まるほど驚きましたからね。覚えています。その日の内に、試しに子供が使う魔法陣を教えたら発動しましたから、確実に魔法使いになっていました」
さすが、魔法省勤めのエリート。日付もバッチリと覚えている。一方、ユアの母親は「忘れちゃったわ~」とか言いながら、紅茶を飲んでいた。すでに戦力外だ。
「ねぇ、お父さん。その間に何か特別なことはなかったの?」
ユアの問い掛けに、父親も「うーん」と唸った。
「残念ながら、思い当たらない。夏休み中は人間都市に行っていたけれど、後は家とか公園とかで遊んでいただけで、例えば何かいつもと違う物を飲んだとか、病気になったとか、体調の変化は一切なかった」
本当に分からないのだろう、父親はため息交じりにそう言って少し俯く。
「ユアさんの赤紫色は、四歳から十九歳までずっと同じ色でしたか?」
唐突なロイズの質問に、父親は少し不思議そうにしながら「ええ」と答えた。
「学園に入学後は、怪我をしたところを見ていないのでわかりませんが、入学前の十五歳の時点では同じ赤紫色でしたよ。入試直前に手を軽く怪我をして、それを治癒したので覚えています」
ロイズはユアに軽く目配せをして同意を得て、鞄からガラス容器を取り出した。
「これが今のユアさんの血液です」
「……あれ? これがユアの、ですか? もっと赤が強かったはずですが……」
「そうです、ほんの少しだけ青くなっているんです。さすがです、よく分かりましたね~」
「いや、ほんの少しではなく、かなり青くなっています。間違いありません」
「……へぇ! なるほどなるほど、そうですか」
「色が変わるだなんて、何があったんですか?」
父親の問い掛けに、ロイズもユアも首を横に振る。
「今のところ、何とも分からなくて。通常、魔法使いは青紫色の血液をしていますが、実はその色は個々で違いがあります。他人の血液を見る機会はあまりないかもしれませんが、僕が見た限り、個性というか……ちょっと濃いめの青紫色の人もいれば、薄めの人もいるんです。でも、こんな風に色が変化していくなんて聞いたことがない」
透き通るような青紫色の血液という共通点はあるものの、その色味にも個性はある。採決忌避の魔法使い相手に、いつどのように目視したのか気になるところだが、怖いので気にしないでおこう。
ちなみに僕は割と濃いめなんですけどね~、なんてゆるい雑談を交えながらロイズは続けた。
「でも、色は変わっていても質は変わっていないんです。血液の質が変わるということは、魔力の質が変わるということですからね。僕は見ただけで魔力の質が分かるんですけど、質が変わった魔法使いを見たことがないから確実です」
すると、父親は目玉が出るほど驚いた。
「え!? 見て分かるんですか!?」
「はい、分かりますよ~。魔力相性も分かります。例えば……あ! 魔法省のお偉方の、なんだっけかなぁ、名前。あのやたら髭が長い人」
「もしかしてダムソン副大臣ですか?」
「あ、それそれ! お父様は、その髭モジャ副大臣と相性が悪いです。苦手だったりしません?」
「し、します。ものすごーく苦手です。すごい……やはり本物のロイズ・ロビンだ」
「あはは! どうもロイズ・ロビンです」
「あとでサイン下さい」
父親のサイン発言を受け、母親はいそいそとサイン色紙を用意し始める。生まれてこの方、サインなんて書いたことのないロイズは、咳払いでごまかしておいた。
「ええっと話を戻すと、ユアさんも魔力の質は一切変わっていないんです。なのに色だけが変わった。今のところ、色は血液の質に無関係ということしか分かっていません。うん、謎だぁ~」
ロイズは「まぁ、というわけで」と仕切り直す。
「引き続き、ユアさんにご協力を頂けたらと思っています。かなり時間を拘束してしまって恐縮ですが、本当に助かっています。彼女はとても優秀な魔法使いです、感謝しています」
ロイズが謝辞を伝えると、両親は謙遜するように「いやぁ」なんて言いながらも、ちょっと誇らしそうに顔を綻ばせる。
ちゃんと愛されているのだと思うと、ロイズも少しほんわかする。その気持ちのまま、やわらかく微笑んだ。
「……きっと大事に守ってこられたんでしょう、ユアさんを見ていればそれがよく分かります。これからは僕も守ります。大丈夫、彼女の未来は明るくありますよ。……ね、ユラリス?」
「~~~っ! はい、先生」
そんな二人のやり取りを目の当たりにして、父親は嬉しかったのだろう。少し震える指先を、ぎゅっと折りたたんで膝の上で握り締めた。そして、深々と頭を下げる。
「どうか……ユアを、よろしくお願いいたします」
元人間の魔法使いだなんて、心配してもしきれない。
きっと父親は、彼女の赤紫色を誰にも見られないように、ずっとずっと治癒魔法を掛け続けてきたのだろう。転ぶ度に、傷をつける度に、守るように手を当て続けてきたのだ。
それがどうだろうか。娘が怪我をしたときに、優しく手を当ててくれる人が増えたのだと思ったら、頭を下げずにはいられなかった。
親なんて、所詮は子供の心配をすることしか出来ない。危惧しようが煩慮しようが、子供はどんどん育っていく。
小さくて転んでばかりだった娘は、魔力もほとんどないのに上級魔法学園に入りたいと言い出して、どうにか入学したと思ったら、いつの間にか出席番号1番になっていて、そして今ではあのロイズ・ロビンの助手になっている。
目立たずに、静かに、安全なところでぬくぬくと過ごして欲しいだなんて願いは、心配に取って代わって親の胸の中にしまわれるだけだ。
娘に治癒魔法を掛けることは、いつの間にか無くなっていた。だけれど、膝の上でぎゅっと握られた父親の手は、ずっと、この先も、ユアがどんなに大きくなっても、変わらない。
大事に守ってきた娘と、その親が歩んできた道。
その距離、19年。




