20話 ロイズ先生の社会科講義
「ユラリスは、人間地区と呼ばれる場所のことを、どれくらい知ってる?」
あまり重くなってはならないと、ロイズはやわらかく投げかける。それでも、彼女は少しだけ眉を下げた。
「普通の魔法使いよりは、知っていると思います。私の母も、母方の祖父母も人間です。祖父母が生きていた頃――6歳頃までは、よく人間都市に遊びに行ってました」
この言い回しに、彼女の優しさがあふれている。
「人間地区のことを、人間都市って言ってくれる魔法使い、俺は好きだよ」
人間地区というのは、人間が住むための居住区のことだ。
人間と魔法使いの人口は、ほぼ同数であるにも関わらず、人間の居住区は国の面積の約四分の一。しかも、居住には厳しい北側が割り当てられている。
もちろん、ユアやユアの母親のように、人間地区以外に住むことも可能だ。しかし、様々な理由により、魔法都市に人間が住むことは、あまり推奨されていない。
「じゃあ、人間の暮らしも知ってる?」
「はい。人間は魔力を持ちません。でも、魔法に代わるエネルギー源は、未だに確認されていません。火を使うにも、部屋を明るくするのにも、寒い冬を越えるためにも、人間は魔法使いが補充した魔力に頼る他ありません」
ロイズは軽く頷いて、補足する。
「だから、魔法使いは定期的に人間都市に赴いて、魔力補充という作業をする必要がある。俺もよく行ってるよ」
「え? それは魔法省の魔力管理課の管轄じゃないんですか?」
―― へー! よく知ってるな
まさか管轄まで知っているとは思わなかったロイズは、「うーん」と唸った。
「管轄はそうなんだけど、ここ数年は魔法学園に協力依頼が来るんだよ」
「……何故ですか? ボランティアで魔力補充の魔法使いを募ることはありますが、学園に協力依頼というのは怠惰な気がしますが」
「魔法省も忙しいんじゃないかなぁ」
ロイズがテキトーに答えると、ユアは首を傾げて不満そうにした。納得がいっていないのだろう。よく物を知っている子だなと、また感心する。
魔法学園に魔力補充の協力依頼が来る理由は、魔法学園にロイズがいるからだ。
『人間都市の魔力補充』と『ロイズ・ロビン』の名前は、切っても切り離せない関係がある。天才魔法使いロイズ・ロビンの名前を魔法界のお偉方に轟かせたのは、この魔力補充が起点だからだ。
ロイズが、十三歳から十五歳までの二年間。人間都市の全人間が暮らすための魔力補充は、ロイズ・ロビン唯一人がこっそりと行っていたのだ。この事実に魔法省が気付いたとき、激震が走った。
これが、どれくらい凄いことであるか。通常、四人の魔法使いが、魔力切れギリギリまで魔力補充をしてやっと、人間都市の一日分の魔力が溜まる。それを、まだ少年であったロイズが、たったの一人で、しかも二年間も魔法省に気付かれずに軽々と行っていたのだ。激震が走るのも無理はない。
もちろん、ロイズと魔法省の間には、結構な擦った揉んだがあった。しかし、ロイズが、魔法学園に入学及び就職したことで、その後は良好な関係を築いている、一応。
そのため、毎日四人の魔法使いを使い回しするよりも、月に一、二度ほど、ロイズが魔力補充に赴いた方が効率的だと、魔法学園に打診をする形で、魔法省からお願いをされているというわけだ。
見方を変えれば、ユアの言うとおり、魔法省の怠惰とも言えるだろう。ただ、ロイズとしても、魔力補充は出来る限り自分でやりたいと思っていた。
ロイズは少しだけ俯いて、また一つユアに質問を投げかける。
「じゃあ、次の質問ね。その魔力補充をしてもらうために、過去に人間がどういう思いをしてきたか知ってる?」
頷きとも取れる深さで目を伏せた彼女。その哀傷を含んだ仕草を見て、ロイズは引きずられるように胸がズキンと痛くなった。
「はい、ほぼ知っていると思います。私は、魔法使いに囲まれて生活をする、元人間ですから。……自分が抱えるリスクを知っておくべきだと」
ロイズは思わず下唇を少し噛んでしまい、それを柔らかく直してから質問を続けた。
「公にされていないことも知っているんだね?」
「はい。派遣されてくる魔法使いの幾らかが、水面下で、人間に金品を要求していたと聞きます。特に十数年前頃からは……加害をすることもあった、と。最低です」
「……うん、そうだね」
「祖父母が生きていた頃はそういうこともなく、幸運なことに何も知らずに人間都市に遊びに行っていました。そのまま、祖父母が亡くなって、人間都市から疎遠になり……。守秘義務違反ではありますが、八年前の一件で加害の事実を知った父から、ほぼ全て聞かされました」
「え?」
ロイズが視線を上げると、ユアの青紫色の瞳がこちらを向いていた。そこには美しい感情だけが詰め込まれていて、そんな視線を向けられたことのなかったロイズは少し戸惑った。
ユアは、視線を揺らさずに続ける。
「人間が魔力補充のために迫害されることがなくなったのは、八年前からですよね。それが、ロイズ先生のおかげであることを、私は知っています」
ロイズは「え!?」と大きな声を出し、ガタンと狼狽の音を立てながら、椅子から立ち上がる。
「なんで知ってんの!? うわぁ、はずい! 魔法省にも口止めして内緒にしてたのに!」
ユアは小さく笑った。
「そうですよね。普通の魔法使いは、ロイズ先生のことを『強い魔法使い』としか思ってませんよね。でも、母は人間。そして、父は魔法省に勤めてます。我が家で『ロイズ・ロビン』は、人間を救った英雄ですよ」
「うそ!? うわ、やめてー! 恥ずかしすぎる!」
ロイズは頭を抱えて屈み込み、恥を逃がすようにジタバタとしてみる。
それでも彼女は気にせず、しゃがみこむロイズの横にちょこんと屈んでくる。そして、追い討ちをかけるように話し出す。
「だから、私、上級魔法学園にどうしても入りたかったんです」
「え?」
「もし上級魔法学園に入学できたら『ロイズ・ロビン』が五学年にいると聞いて、どうしても入学したくて……同じ学び舎で、魔法と向き合いたかったから。魔力がほとんど無かったので、筆記で頑張るしかなくて、もう本当に……死ぬほど勉強しました」
「ぇえ!?」
「だから、先生のことを『尊敬しています』と言ったことも、『人生で今が一番幸せです』と言ったことも、全部本心です」
―― うわぁ、わー、うわぁ、なんだこれ
心臓付近から温かいものが湧き上がり、血流に乗って全身に広がる。それが指先からつま先まで震えるように伝わって、身体中が不思議なくらいにぽかぽかと温まった。その広がりが目蓋にまで届いてしまい、ロイズは少しだけ泣きそうになった。
彼が無我夢中で掛けてきた数々の魔法が、どこかで誰かの心を動かして、色んなところで混ざり合って時の流れに乗っかって、そして今日という日に、こんな形で返ってきたのだ。嬉しくないわけはなかった。
ロイズは赤くなった顔を隠しながら、ユアをチラリと見る。目が合うと、彼女はやわらかく微笑んでくれた。
「あの、ありがとう、ユラリス。えーっと、すごく、嬉しいです」
指の隙間からこぼすように喜びを伝えると、ユアは「先生が嬉しいと、私も嬉しいです」と返してくれた。
海の真ん中、白い家、広い部屋でしゃがみ込む二人。その距離、40cm。




