13話 二つの紫、二人の魔法使い
翌日、土曜日。朝早くから、ロイズは研究室にいた。
別に昨日のレースだとかそういうことが気になって、眠れなかったからではない。彼は、二十三歳の立派な男性なのだから、それくらいで眠れないとかあるわけない。
朝早いのは、今日こそロイズの採血を行って、ユアの血液と併せて実験をするからだ。そのために朝早く研究室に来て、自分の採血をしていたのだ。
―― ユラリスの転移予約は一時間後か。早めに来るかもしれないから、五十分後に目覚ましかけとこ
魔法使いは採血をすると眠くなる。魔力量おばけの天才魔法使いロイズ・ロビンが仮眠室を使うのは、この採血後がメインであった。
そうして仮眠室のベッドに倒れ込むように寝転がると、ふわりと美味しそうな香りがした。意識はもうすでに半分夢の中。甘く柔らかい香りに包まれながら、幸せってこういう香りなのかなぁなんて思いつつ、夢に浸かった。
ジャジャーーン♪ジャンジャンジャーン♪
仮眠室に鳴り響く目覚まし時計の音に、ロイズはパチリと目を覚まして「んーー!」と伸びをした。子供みたいに寝起きが良い。
「ユラリスは……いないか」
ロイズは、少しホッとしてベッドを降りる。軽くベッドと服を整えて、浄化の魔法をかけた。
そして、仮眠室に置いてある小さなテーブルセットに座って珈琲を一口飲みつつ、今日の実験内容を魔法紙にサラサラと書き出す。
そこで、何かに引っ張られるような感覚がする。ほんのわずかではあるが、確かに身体の中心あたりが、ぐいっと引っ張られたのだ。
―― なんだ? 変な感じ……あ、来る!
センサーが過敏な天才魔法使いは、一瞬でそれを検知して、瞬時に椅子を引いて避けようとした。目の前が淡く光ったかと思うと、避けられないこの現実に直面した。
「きゃ!」
彼女は、ロイズの膝の上にストンと現れた。お膝の上である。しかも、跨がって向き合う形でピッタリと。
―― うわ、ゼロ距離っ!
「ごごごめんなさい!?」
「こここちらこそ!?」
さすがのユアも焦りに焦って膝から降りようとしている。しかし、まだ距離の測定記録を取っていないことを思い出したようで、グッと堪えて測定を待っていた。
「……(放心)」
「……せ、せんせ? 測定は?」
「ハッ! 『距離測定中……記録0cm』。はい! 終わりました!」
記録と共に、光の速さで二人は離れる。ロイズは顔に集まった熱を逃がすように、無意味に座り直してみたりした。
―― これは色々と良くない! 大変よろしくない! 早急にどうにかせねば!
膝の上でたっぷりと感じた、そこかしこの柔らかさが……大変よろし……くない。ぇえーい、と気合いを入れ、かき消すように考えを巡らせる。
―― えーっと、あの一瞬引っ張られる感じ。ユラリスに向かって転移するときも、少し引っ張られてる感覚がある。俺だけ?
「ユラリス、おはよう。あのさ、俺が転移してくるとき、引っ張られる感じってあった? 身体の中心あたりがぐいーっと持って行かれるような」
「おはようございます。うーん、よく分からないです」
「そうか……うーん。まぁいいや、今日は朝からガッツリ実験をやろう~」
「はい!」
白衣を着て準備万端な二人は、ワクワクキラキラの瞳で、研究室に場所を移した。魔法が大好きだ。
「わぁ、もしかしてこれ、ロイズ先生の?」
「ん? あぁ、そう。青紫色のやつね。今朝、採血したんだ~」
「キラキラがすごいです、眩し過ぎます! キレイ……」
血液中に含まれるキラキラ成分。これが魔力の源であり、魔力量が分かると言われている。この成分が多いと、魔力量は多い。
ただし、キラキラ成分だけで魔力量を判断するのは早計である。身体に流れる血液の量や、魔力量の使用効率なども関わるからだ。
成分が多くても、身体に流れる血液の量が少なければ、その魔法使いの魔力量は少ないと言える。そして、成分も血液の量も多かったとしても、魔法を使う際の魔力量使用効率が悪ければ、実質的な魔力量は少ないとも言える。様々な要因が絡むのだ。
青紫色のそれを見ているユアを眺めながら、ロイズは「どんな感覚?」と聞いた。
「不思議な感じがします。なんて言うんだろう……ずっと前から知っていたような……。迷子になって、大泣きして、やっと会えて嬉しい、みたいな。懐かしくて温かくて、ちょっと切ないです」
「分かる。昨日、俺も同じ感覚だったよ」
ロイズがニコリと微笑んでそう言うと、ユアはちょっと頬を染めながら「そうですか」と言う。
「さて、実験計画に則って、二種類の血液を色々な量で混ぜてみよう。人工血液もあるから、比較実験もしようか」
「はい」
ロイズは、メスピペットに魔法をかけて、作業をしてもらった。ピペットがシャーレやビーカーにせっせと液体を運び入れる姿は、健気で働き者だ。
「わぁ、先生と私のを混ぜたビーカーは、キラキラ成分が増えている感じがしますね」
「魔力相性が高いもの同士を混ぜ合わせると、成分が増えるっていう実験結果が出てるよ。でも、俺とユラリスのは、増え方が速いというか多いというか」
「うーん、でも色は変わりませんね。あわよくば、赤紫色が青紫色に変わらないかな~と、期待していたんですが」
「うーん、確かに」
ロイズとユアが着目したのは、大量のユアの赤紫色に、少量のロイズの青紫色を滴下したビーカーだ。二つの色が混ざり合った結果、元の赤紫色のままであった。ユアは肩を落とす。
「血液を混ぜるだけで青紫色になるのなら簡単なのに……」
「うーん、そう簡単にはいかないみたいだね。それにしても、他の人工血液との組み合わせと比べると、成分の増え方が異常だなぁ。面白い~」
しばらく時間が経つと、他の人工血液とロイズの血液を混合したビーカーは、キラキラ成分の量が減っていく。
「あれ……? このビーカー、さっきより減ってきていませんか? 成分の量が、元の量に戻っているような」
「正解~。そうなんだよね。通常は、一度増えるけど、しばらくすると元の量に戻っちゃうんだ。だから、輸血したところで魔力量が増えるわけじゃないってことだね」
「でも、私と先生の混合ビーカーは、減っている感じがしませんね」
「お~、本当だね! 成分が減らないほどに、魔力相性が良いってことかなー。これは追加で検証が必要だなぁ」
楽しそうなロイズの隣で、ユアが「ロイズ先生」と疑問を投げかける。
「逆に、魔力相性が悪い者同士を混ぜ合わせたら、キラキラ成分は無くなるんですか?」
「見たいよね、気になるでしょ~? よし、見てみようか」
ロイズは人工血液の一つを取り出して、ロイズの青紫色と混ぜ合わせるよう、働き者のピペットに魔法を掛けた。
「この人工血液は、ロイズ先生とは魔力相性が悪いものなんですね」
「そう。人工血液に三学年の先生に魔力を込めて貰ったやつ~」
「え、カサンガ先生と相性悪いんですか?」
「……内緒だけど……超苦手」
心底嫌そうな顔をしているロイズを見て、ユアはクスクスと笑った。ロイズは「内緒だからね? 妹さんに言ったらダメだからね?」と念押しする。ユアは頷きながら、また笑う。
「いつまでも笑ってないで、ほら混ぜるよ~」
「はい、ごめんなさい、ふふ。……あ、成分が減りました」
「こんな風に、激減する」
「でも、減ったとしても、時間が立てば戻るんですよね? さっき増えたときは、戻りましたし……」
「ううん、戻らない。成分が無くなるまで、破壊し合うんだ」
「じゃあ……」
「うん。輸血はもちろん、魔力共有を安易にしてはいけないって言われているのは、こういうことなんだ」
魔法使いは、直接肌に触れ合って魔力を流すことで、魔力の共有をすることができる。しかし、それは危険視されているため、ほとんど行われない。
もしそれが、魔力相性が悪い者同士であった場合に、魔力量が激減したり、下手をすると魔力がなくなることもありえるからだ。
「これ、とても怖いですね。捨て身の相打ち覚悟で、相手の魔法使いに魔力の共有をされてしまった場合に……」
「そうだよ~。だから魔法使い同士は、なるべく触れ合わない方がいいんだよね。特に、見知らぬ信用できない魔法使いとはね。ユラリスも気を付けて」
ロイズは、少し冷たい目でそう言った。彼には数え切れない程あったからだ。自身の魔力の質を把握していない魔法使いに、自爆的な魔力の共有をされそうになったことが、数え切れない程に。
ユアのように、ロイズを尊敬してくれている魔法使いも存在する。しかし、彼に対する世間の評価は、羨望や尊敬よりも、嫉妬という醜い感情の方が断然多い。
「なるほど……肝に銘じておきます。ちなみに人間の血液と魔法使いの血液を混ぜたらどうなるんでしょうか? 魔法使いになれたりするのかしら」
「……気になる?」
「はい」
「残念ながら、ここには人間の血液はないんだ。禁止されているからね」
「そうなんですか。……私、昔から思っていたんですけど」
「うん?」
「人間が魔法を使えるようになったら、この国はもっと良い国になるのになぁ……って」
「うん……」
ロイズは、少し目を見開いて驚きつつも、ユアの言葉の続きを待った。心臓が少しだけ早く鼓動する。幾らか渇いた喉が、ごくりと音を鳴らす。
「もちろん、人間の中には、魔法使いになりたくない人もいるかもしれません。でも、魔法使いが偉いと信じて疑わない慣習的なヒエラルキー、嫌いなんです。私みたいに、魔法使いに変化することも選択肢として、彼らが選べるならば、ヒエラルキーは無くなるのかなぁって」
ロイズは、胸がドクンと鳴る。血が沸き立つように、そして、何かが込み上げるように、ギューッと心臓を掴まれたような心地がした。何故だか泣きそうにもなったし、心が軽くなった気もした。
同じだったからだ。ロイズがずっとずっと、寝ても覚めても願わずにはいられない、その願いと全く一緒のことを、彼女が何でもない風に言ったからだ。
―― こんな奇跡みたいな出会いが、あるんだ
ロイズは、少し震える手で、ユアの手を掴んだ。
「ロイズ先生……?」
「今、わかった。俺には、君が必要なんだ」
ロイズ・ロビンには大望がある。幼い頃からずっと掲げてきた、強く大きな望みだ。
「ユラリス、君に会えて良かった」
二人の触れ合った手に呼応するように、青と赤の二つの紫色が混ざり合って、ガラスビーカーが輝きを増していた。




