第二十五話 光里の未来(後編)
新宿駅から出た後、光里は人の波に逆らわず普段通り地下道に行き、丸の内線の改札まで歩いていく。オリンピックのおかげかJRに中央通路ができて人の流れが分散し、以前よりも歩きやすい。
そういえば、オリンピックも無事に終わった。光里の会社でも孫請け仕事を受けたが、中抜きが酷くて赤字だ。でも後の仕事を取るためにも、社長は無理して頑張ったと聞く。
母の死因になったコロナは、未だ終息していない。20代とはいえワクチン未接種の光里は、何が起こるとも分からない不安がある。ただ生前の母はオリンピックを楽しみにしていたので、感情は複雑だ。それよりも関連記事を読むたび、自分達が見えない大きな何かに振り回されているような感じがした。
週刊誌の記事によれば、開会式の演目は予定したクリエイター達を追い出して、元総理や都知事やIOCの意向を全て汲んだそうだ。災害は他でもあるからと、復興五輪のコンセプトはIOCが止めたらしい。元総理のお気に入り俳優や音楽家は辞めさせられた人達と同じくらい問題発言があったけれど、不問にされた。まあどこのオリンピックも、似たりよったりの可能性はある。
会社員としてクライアントの希望を叶えるのが、出世の王道。ただその結果として日本が世界からどう見られるのかを、省みた様子はない。閉会式でOXクイズなんて昭和のノリを本当にやったら、流石に恥に思う。ニューヨークなんか行きたくない。
それよりも開会式の数日前に偶々会社帰りで見た、夜空に浮かぶ大きなピクトグラムのアニメーションが印象的だった。後でドローンと知ったけれど、大空一面のピクトグラムがアニメーションで素早く切り替わる様子は感動的で、未来のオリンピックが始まるワクワク感を体現していた。でも本番では地球儀しか出てこず、期待が大きかった分ガッカリしてしまった。
ああいう昭和の人達が令和の今を動かす現実を、変えるのは難しい。
光里の会社に派遣で来ている日菜本さんによれば、こんなドタバタにも関わらず現場は一生懸命頑張ったそうだ。日菜本さんの友達がボランティアをやっていて、ランチの時に色んな話をしてくれた。
街で見かけるボランティアの服を着た人達も、満員電車のサラリーマンみたいに嫌々で行く人はいない。一生懸命ワクチンの摂取をしてくれる医療従事者の方々も含め、現場が優秀であるのはこの国の長所でもあり不幸かも知れない。
将来、このオリンピックはどう伝わるのだろうか。競技自体は滞りなく開催されたけど、周辺で騒いだ無関係な人達が感染を広げて日本を破滅に追い込みましたなんて、歴史に良くある笑い話の一つになったら嫌だ。でも現実の迷走がどう着地するのか、今は誰にも予測できない。
特に何事もなく、地下の丸の内線のホームにたどり着く。
荻窪行きは混まないから、数分だけど座れる。
『西新宿〜西新宿〜……』
(流星くんかあ……)
光里は、あの時を思い出していた。
お別れをしたのは母とブチだけじゃない、のかも知れない。
けれども彼とは、既にお別れをしていたはずだ。
あの時は、何が起きたのか覚えてないほど混乱していた。
今にして思えば、ブチを想って必死なあまり幻覚を見ていただけにも感じる。
でも彼は、『流くん』という呼び名に当然の如く反応してくれた。
それにあの膝枕の感触は本物で、思い出して人知れず赤面することもあった。
何が真実だったのか、光里は未だに分からない。
ただし、流星との記憶は美しい思い出だった。
(懐かしいな……)
保育園の頃から引っ込み思案だった光里に、流星は何かと世話してくれた。容姿のせいで女の子から嫌われる事が多い光里にとって、流星の明るい笑顔は貴重な癒しで、保育園や小学校に行くのが楽しみだった。年長組のお遊戯会で夫婦役をして、周りから冷やかされたのも甘酸っぱい思い出だ。
だから高校で偶然同じクラスだった時、ドキッとした。少女漫画のヒロインみたいに運命を感じたと言ってもいい。中学校から素行不良になったと聞いていたけど、相変わらずの笑顔で「よ、光里! お前何してんの?」と気安く呼びかけてくれた時は、内心とっても嬉しかった。
でも現実の光里は緊張してしまい、「あ、うん……」としか言えずに終わる。本当は喋りたい事が一杯あったのに、怖くて言葉にできなかった。
流星は光里の反応で気を使ったのか、それ以上は光里にからんでこなかった。やがて一年の途中で中退してしまい、それきりだ。
ヒロインになりそこねた。
光里の人生で後悔している事の一つである。
その後しばらくは忘れていたが、人伝えに亡くなったと聞いて、彼の通夜と葬式に行った。お母さん一人で飲んだくれていたけれど、光里を覚えていてくれて昔話に花が咲いた。母とも仲良しだったから、「今度は一緒に来てね」と言われ、その後二人で訪れた時もある。
「バカ息子だったけどね。あれでもいなくなると寂しいもんね……」
三人で食事した時は本音が出て、流星のお母さんは号泣してしまった。散々手を焼かせたけど、流星のお母さんは流星くんを嫌いじゃなかった。なぐさめて寝付くのを待ち、二人は家に帰った。
あの流くんが本物だったら、お母さんのことを伝えれば良かった。
これも少し、後悔している。
今だったら冷静に考えられるけど、あの時は自分の妄想が具現化されたみたいに感じて、申し訳ないけど気持ち悪かった。死んだ時と同じ二十歳前の姿だったから、余計にそう思えた。
(あの時、流くんと一緒に帰ったら……)
今なら自分の気持ちが良く分かる。
好きだったのだ。
けれども時間は戻らない。
一度終わった事は、取り返しがつかない。
(あ〜ダメだ……)
後悔ばかりの人生を思い出すたび、光里は自己嫌悪に陥る。
今日も頭の中をグルグル回る独り言を、光里は断ち切ろうとした。
特に最近、よく昔を思い出す。きっと今に不満があるからだろう。
とは言っても不満が解消できる手段を、光里は持ち合わせていなかった。
『次は中野坂上〜中野坂上〜……』
目的の駅につき、山手通り沿いにある光里の会社に向かう。小さい規模だから貸ビル三階の二部屋分しかない。勤めて七年経つが、給料の未配もなく少しずつでも昇給しているので、景気は良いようだ。
「おはようございます」
「おはよう」
「おはようございます」
いつもの通り、みんながいる。あと十分もすれば社長も来て今日の訓示と会議が始まるから、光里も席に座って準備を始めた。職場にいる時の光里は冷静で、職務に集中している。
「みんな、おはよう」
既に全員が席に座って会議の資料ファイルに目を通し始めている中、時間通り社長がやってきた。普段と違って、社長の後ろに見慣れぬ男性が一人いる。
「今日から中途採用で入社する新人だ。よろしく頼む」
「熊沢武星です。京王大学を出ました。よろしくお願いします!」
そこそこの大学卒で体育会系を思わせるハキハキした声は、社長が好みそうなタイプだ。どうせ営業だろうと、関係ない人間と思った光里は彼を見ようともせずパソコンと睨めっこしている。
やがて訓示や会議が始まった。いつも通り滞りなく進みそろそろ終わる頃合いで、「ちょっと良いかな」と、社長が発言を求めた。このタイミングは珍しいので、みな注目する。
「彼の教育係なんだが、清河くんはどうかな?」
「はぃ?」
名指しされて、光里は思わず素っ頓狂な声を出した。
「ほら、年も近いし君が手掛けた業務も沢山あるからさ、ちょうど良いと思ってね。清河くんは我が社の業務を手広くカバーしているから、学ぶのに最適だと思うんだよ」
「は、はぁ……」
そう言われては、拒否する事もできない。
経歴から推測すると、二つぐらい年下か。
「良いと思います」
「特に問題ありません」
「大丈夫だと思います」
他の社員も、口々に同意した。
光里は顔を上げ、やっと社長の横にいる彼の顔を見る。
前からの知り合いのように、彼は光里の方を向いて挨拶した。
「清河先輩、よろしくお願いします!」
「はい、こ、こちらこそ」
(え?!)
ブチみたいな愛嬌で流星そっくりなイケメンの笑顔に、光里の胸はキュンとなった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました!
最後に出てきた武星くんは、皆様が思った通りの人です。
このお話は、ひとまずこれにて完結します。
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