宮下真奈美の推理
現場である工場付近は現場検証や集まって来た野次馬などでまだごった返していたが、本社ビルには数名の警察官が出入りしてはいるものの、比較的静かであった。
宮下真奈美は制服の警察官をつかまえて山科警部を呼び出してもらった。
「なんだ宮下君、病院に行かなかったのか」
山科が怒鳴りつけるように言った。
「それどころじゃありません。私、犯人がわかったんです。今すぐ三階に関係者を集めてください。犯人を取り逃がさないように、警察官の方にも何人か来てもらって」
こうして真奈美の指示どおりに、三階に花城由紀恵、松下真一、それと探偵・金田耕一郎が集められた。出入り口には制服の警察官が六名ほど待機している。腕を組んでにやにやとした笑みを浮かべている金田が言った。
「宮下君、犯人がわかったって?また例の超能力を使ったのかね。面白いじゃないか。聞かせてもらう、事件の解明を」
金田の耳には例によって般若心経の流れるイヤホンが装着されている。
真奈美はいつもかけている黒縁の眼鏡を外して胸ポケットにしまった。これは伊達メガネなので視力には影響ない。そしてゆっくりと一同を見回してから話はじめる。
「では、私の考えをお話しします。順を追ってお話しましょう。まずは、花城幸助社長の転落死から」
一同は宮下の言葉に耳を澄ました。
「あれは、事故です」
・・・・・・?
「なに・・事故だと?」
山科警部が拍子抜けしたように言った。
「はい、事故です。あの時点で犯人はまだインビジブルスーツを手に入れてはいませんでした。だから井土弘明さん、花城由紀恵さんに目撃されることなく三階に上るのは不可能です。私はシンプルに考えることにしたのです。不可能なことは起こらないと。つまりあれは不幸な事故です」
「しかしそれなら三上の証言はどうなる?花城社長が何者かに抵抗しているように見えたって」
「その証言は私たちが直接三上さんから聞いたものではないですよね」
「ああ、あれは金田探偵からの聞き取りで・・・あ!まさか」
宮下真奈美は口をきつく結んで、鋭い視線を向けて金田探偵を指さした。そして言った。
「そうです。井土弘明さん、三上信夫さんのふたりを殺したのは、探偵・金田耕一郎」
一瞬、あたりは水を打ったように静まり返った。やがてその静寂を破ったのは、犯人と名指しされた金田だった。
「あはは・・面白いことを言うなあ。私が犯人だって?なるほど確かにこれは意外な結末だ。つづきを聞かせてもらおう」
金田はたいへん落ち着いて見えた。余裕なのか、それとも虚勢を張っているのか。
宮下真奈美は話をつづける。
「そもそも今回の事件の捜査は通常ではありませんでした。所轄の刑事によって、この転落死は事故として処理されていましたし・・これは正しかったわけですが・・殺人事件としての捜査は行われていなかったのです。なので井土弘明さん転落事件までの初動捜査はすべて、金田探偵からの聞き取り捜査に基づく供述書によるものです。その聞き取り捜査も通常捜査ではなく、ある筋からの要請で山科警部が非公式に行ったものです。そのため通常の捜査が行われないまま、私たちは金田探偵の供述書を基に、事件を考えていたわけです。金田探偵の供述書は、驚くほど細部に渡る記述があり、ずいぶんと参考になったのは事実です。供述書というのは通常、取り調べの警察官が聞き取りを基に文書を作成し、逐一聞き取り対象にそれを見せながら修正を加えます。つまり捜査官と聞き取り対象の共同執筆なんですね。金田探偵はかなり細かく指示を出したのでしょう」
「指示を出したどころじゃないよ。山科警部のタイピングがあまりにとろかったので、私が文書を作成して、警部に確認を取りながら書き上げたんだ。なかなかの名文だったろう」
そう金田は言った。真奈美は話をつづける。
「ええ私、正直に言って感心しましたよ。たとえば社長の個人研究室の様子なんか、とても細かく書き込まれていますし、ただ屋上に上るだけの記述に、階段が狭くて急であることや、小さな階段室の形状まで書かれていますからね。しかし、なぜか屋上に上ったシーンでは記述がひどく大雑把になります。あなたの性格ならば、鉄柵の形状とか錆による腐食の程度などにも言及しそうなものなのに、あっさりと流しています」
「まあそれは実際に見ればわかることだし、さほど重要とは考えなかったからだね」
「そうでしょうか?私は金田探偵が屋上を見て回ったときに、あるアイデアが浮かんだので無意識にそれを隠したのだと思っています。金田探偵の調査は二日に渡っていますがその初日。屋上に上る前に井土さんと三階でふたりきりになっていますよね。つまり、この部分の記述に嘘があったとしても、井土さん亡き今となってはわからないことなのです。私はこう考えています。金田探偵が井土さんに見せられたものは、供述書に書かれていたようなミラースーツなどではなく、ほとんど完成品であったインビジブルスーツの試作品だったのではないかと」
真奈美はここで金田の顔を見たが、金田は特に反論するでもなく、相変わらずのにやにや笑いを浮かべていた。真奈美はそのまま話をつづける。
「井土さんが社内の人間にもその存在を隠していたインビジブルスーツを金田さんに見せたのは、金田さんの探偵としての名声を信用したからでしょう。しかしインビジブルスーツの実物を見た金田さんは、それを自分の物にしたくなった。功名心が異常に強い金田探偵にとって、誰の目にも留まらずに探偵活動が可能なアイテムというのは魅力的ですからね。だから盗んだ。この会社全体に言えることですが、社屋の出入り口にはちゃんとセキュリティーがあるのですが、一度社内に入るとまったく無防備なんですよね。社員は家族であり、家長である花城社長が決めた規律に誰もが従うという社風のせいでしょうか。社員を疑うことがないというのは美しい社風かもしれませんが、ひとたび悪意ある外部の人間が入れば、セキュリティーは無いも同然なのです。保管場所を見せられた金田探偵が、インビジブルスーツを盗み出すのは容易だったでしょう」
「うん、なかなか面白い推理だ。頑張っているね。さあ、つづけて」
金田がまるで探偵術を講義している講師のように言った。その揺るぎない態度に、真奈美の自信が逆に揺らぎそうになる。
(いいえ、これは虚勢よ。その気取った名探偵の仮面を剥がしてやるんだから)
真奈美は気力を振り絞った。
「二日目、金田探偵はまず二階で花城由紀恵さんに話しかけたことになっていますが、実際にはその前に三階に居る井土さんに会っていたのです。井土さんはインビジブルスーツが無くなっていたことで慌てていたでしょう。当然ですが、金田探偵を疑ってもいたと思います。しかし、ここで金田探偵は井土さんにこう言ったのです。犯人が何者であるかはまだわからないが、インビジブルスーツの隠し場所は見当がつく。それは屋上だ・・と。大切なインビジブルスーツの消失に焦っていた井土さんは、金田探偵の言葉の根拠を考えることもなく階段を駆け上がりました。その間に、金田探偵は二階に行き花城由紀恵さんに話しかけます。ここからの二階での出来事は供述どおりです。一方の井土さんは、屋上を懸命に探し回ります。そして見つけたのです。インビジブルスーツは屋上の鉄柵の外側・・・20~30cmほどのスペースに置かれていました。この場所に置かれているスーツを取るためには、柵を乗り越えて向こう側に行くか、あるいは柵から身を乗り出して手を伸ばすしかありません。いずれにせよ、柵に体重をかけることになります。前日、金田探偵は鉄柵の最も錆による腐食が進んだ場所を見つけていました。インビジブルスーツはそこに置かれていたのです。鉄柵に体重をかけた井土さんは、インビジブルスーツを手に転落しました。井土さんの転落に気づいた金田探偵は、誰よりも先に現場に向かって駆け下りています。その理由は井土さんが掴み取ったインビジブルスーツを回収し隠すためです。こうして、金田探偵は井土さん以外、誰も存在を知らないインビジブルスーツを手に入れました。後は適当な事件の解明でお茶を濁して退場すれば終了です」
ここまでの真奈美の推理を聞いた金田が言った。
「終了ではあるまい。つづきがあるんだろう?まだ三上信夫さんの事件が残っているからね。まさか彼も事故死なのかね」
「いいえ、三上さんの死はもちろん殺人です。なぜ彼が殺されることになったのか?それはおそらく、彼はインビジブルスーツを持ち去ったのは金田探偵ではないかと疑ったからです。三上さんは社員の中でも一番の花城社長の信奉者でした。それだけに花城社長からの信頼も篤かったはずです。だから彼は三階に上る資格を与えられていない一般社員の中で、唯一インビジブルスーツの試作品の存在を知っていたのではないでしょうか。逆に言うと社長が亡くなった後、それを知っていたのは彼以外では井土さんだけだったのですが、その井土さんも亡くなった。インビジブルスーツを持ち去ったのは失踪した山口肇さんや、松下真一さんではないはずなのです。なぜならば彼らはそもそもそれの存在を知らなかったからです。おそらく三上さんは金田探偵に電話で問い質したのでしょう。ここからは言うまでもありませんね、インビジブルスーツを着用した金田探偵は三上さんが掃除中の工場に侵入し、焼却炉にガソリンの入ったポリ容器を仕掛けた。車に戻って服を着替えると、あの爆発を待って颯爽と飛び出し、私たちの目の前で三上さんを救おうとする振りをしたのです」
「おいおい、君は忘れたのかね。あの後、君が見えない何者かに襲われたのを、私が助けたじゃないか」
「あれは金田探偵のひとり芝居です。あなたがインビジブルスーツを着て三階に潜み、私の首を絞め落とした。その後また服を着替えて、今度は介抱したのです。金田探偵は私がある特殊技術を持っていることを知っていました。それは彼にとっては邪魔な技術であったため、私をこの事件現場から排除するための小芝居だったのです。これが今回の事件の全貌です」
真奈美の推理による事件の解明が終わると、山科警部が声を上げた。
「おい、金田耕一郎。何か言うことはあるか」
「えっ?・・ぷふっ・・・ぷははは・・・」
金田は堪えきれないといった風に笑った。
「はは・・・ああ失礼。あまりに突飛な推理だったものでつい。宮下君、前半の推理は間違ってはいるものの、それなりに光るものがあったけどね、後半部分はいただけないな。それは推理になっていない。単なる空想だし典型的な確証バイアスだ。すべて結論ありきのこじつけだ」
(確証バイアス?以前の事件でも同じことを御影さんに言われた。今回も?まさか)
「どこから突っ込んで良いのかわからないくらいだが、まず井土さん転落のトリックだね。面白いよ、少年マンガの推理トリックなら十分使えるだろう。しかし、そんな体重をかけたら簡単に転落死するような場所に、私はどうやってそのインビジブルスーツを置いたのだろうね?幅30cmも無いところに、そんなに上手く落とせるものだろうか?」
(・・・あっ。。。)
「まあ偶然にも運良くもその狭いスペースにきれいに置くことができたとしよう。それから私は三階に居る井土さんに屋上を探すよう吹き込んで、その足で二階事務所に行って、花城由紀恵さんと話をして、犯人はインビジブルスーツを着た透明人間で、その正体は失踪している社員の山口肇であるという泣きたくなるほどつまらない事件の解明をしたあたりで、屋上から井土さんが転落する。大慌てで走っていって、井土さんが手に握りしめていたインビジブルスーツをいち早く奪い取って隠した・・・どこへ?インビジブルスーツってどのくらいの嵩があるものなんだい?掌に隠せたり、スーツの内ポケットに仕舞える程度の物なのかね。ここは絶海の孤島でも山奥の一軒家でもない、工業団地で人だってたくさん居る。転落死している人物から物を奪い取ろうとしている人間が目立たないと思うかい?」
宮下真奈美は得意になって珍推理を披露していた自分が恥ずかしくなってきた。まったくもって金田探偵の言うとおりである。
「三上さん殺しについては、なにしろ宮下君の想像のみで証拠も論理も何も無いから、別に弁明する必要もないのだがね。インビジブルスーツを着た私がガソリン入りポリ容器を焼却炉に仕込んだって?それなら空中を飛ぶポリ容器が防犯カメラに映っているだろうね」
もはやぐうの音も出ない。真奈美は穴があったら入りたかった。
「そもそも探偵すなわち犯人なんて、ノックス十戒に反すること私がするわけないじゃないか。いや、宮下君。そんなに恥じることは無いさ、君はまだ若いし経験が浅い。これからだよ。・・さて皆さん。前座はここまでだ。これより私、金田耕一郎がこの忌まわしい透明人間による連続殺人事件の真相をお話いたします」
名探偵・金田耕一郎がそう言って一同を見回したその時。
「ちょっと待った!」
どこからともなく男の声が響いた。
・・・誰だ?どこに居る?
「ここですよ、ここ」
皆が声のする方向を見ると、壁面にある森のセットの木々が蠢いていた。
よく見ると、それは軍用のカモフラージュ・スーツにマスクまで着けた男であった。
その男はマスクを勢いよく脱ぎ捨てて言った。
「名探偵・金田耕一郎さん、あなたにこの事件の解明をする資格は無い。なぜならあなたは無罪ではないからだ」
「そういう君は、何者かね?」と金田耕一郎が問う。
男はゆっくりと、この場の中心に歩いて来た。そして言った。
「僕は御影純一。あなたと同業の探偵ですよ」




