マリーさん
「では改めて、殴ってごめんなさい」
「本当に悪いと思ってる?」
床に座ってお辞儀をする私に掛けられる疑問の声。
私はすぐに答えを返す。
「いえ、全然」
「だよねー」
すかさず叩かれる私の後頭部。
相手も同意してるんだからいいじゃない、と思うのだが背後の圧力がそれを許してくれない。
「すみません、ごめんなさい、もうしません、許してください」
謝罪の言葉をいくつも並べてみたけれど、我ながら白々しいと思う。
准将は少なくともこんな浮ついた気持ちで謝罪はしてなかっただろう。
黒板に書かれた文字を思い出す。
そうか、文字か。
謝罪の手紙を送れば、気持ちはどうあれ相手には届く。
あ、でも返って来ないから謝罪じゃないと言われたらおしまいだし。
「もういいよ。……多分、謝らなきゃいけないのは私の方だから」
顔を上げると、私と同じように床に座るマリーさんの姿。
深々と頭を下げられてこちらが慌ててしまう。
「ごめんなさい。私、すごく酷いこと言ってた。知らないなんて何の言い訳にもならない」
よくよく聞いてみると、部屋にこもってたのは謝り方が分からなかったからだそう。
友達がいなかったから、喧嘩なんてしたことなかったから。
最初から怒ってたわけではなくて、顔を合わせられないくらい反省していたということだそうだ。
「あのね、こんなお願いするのもおかしいとは思うけど、お願いがあるの」
どこか切羽詰まった表情に首を傾げる。
シャロも何事かと私の横に座り込む。
「あの、サイオンさんって知ってる?」
「先に……サイオン中尉のこと? 前任者だから知ってるけど」
予想外の所で出てきた名前にちょっと驚いたが、中将の副官だったから面識があってもおかしくないと気付く。
「そのね、私があなたにそういうこと言ったってサイオンさんには言わないでほしいの」
聞くと、どうやら中将の副官時代に家庭教師のような関係だったらしい。
こんな所にも被害者がいたかと同情を禁じ得ない。
しかし、そこはそれ、私も立場は同じである。
「言うわけないじゃない。同級生を感情に任せて殴り付けたなんて知ったらどうなることやら」
感情に引っ張られないように鍛錬48時間休憩無し、思考よりも先に行動しろとか言いかねない人にわざわざ報告する義務はない。
というか、准将もやらされてると思うよ絶対。
「そうなの?」
「そうなの」
意気投合した私達はとても話が盛り上がった。
主に先任に対する話題で。
そうなると仲間はずれが一人。
「今の話全部、そのサイオン中尉に伝えてもいいかな?」
不貞腐れたシャロに私とマリーさんは誠心誠意を込めて謝罪するのだった。
「改めて、私はアイナ=シューストー。アイナでいいから」
「そう、よろしくアイナ。私はマリーネリア=ルクセン。出来ればネリって呼んでほしいな」
マリーさん改めネリと握手。間違えてマリーさんと呼ばないようにしよう。
シャロとも握手を交わすネリ。金髪美人と黒髪美人。実に絵になる光景だ。
こうなるとネリの頬の膏薬と腫れが痛々しい。
私がやったことではあるが実に申し訳ない気持ちになる。
「ねえ、ネリ? インクとペンとメモに使える紙ってある?」
用意してもらったインクを少しだけ小さな受け皿に移し替えてもらう。
左手の親指を少し抜いた剣の刃に当てる。
この剣の切れ味を思い出すにここで力加減を誤ると指が落ちそうな気がする。
慎重に皮一枚だけを切るように気を付けて、うんちょっと切れすぎた気もするけど血がほしいだけだからまあいいや。
シャロが悲鳴を上げて替えの包帯を巻いてくれた。
うん、ちょっとどころじゃなく切れすぎたかも。
インクに血と術力を混ぜてかき混ぜると黒色のインクが赤に変化してまた元の黒色に戻る。
眼前で起きる不思議な光景を二人は食い入るように見つめていた。
私もどうしてこうなるかはさっぱり分からないんだけどね。
右手の包帯にペンを差し込んで、何とか紋章を書ける体勢に持っていく。
書く紋章術式は『治癒』。
少しずつ少しずつ、紋章が崩れないように長い時間を掛けて線を引いていく。
ちょっと不恰好だけど、いつもと比べるとちょっと大きめだけど何とか書けた。
血の滲んだ包帯を解いてもらうと、未だ血が止まらない親指のキズ。
ちょっとどころでは無かった様子のキズ口に今さっき書いたばかりの『治癒』を押し付けて術力を込める。
少しクラっとしたが術力が消費されたせいであって血が流れたせいでは無いと思いたい。
紙を取り去ると綺麗サッパリ。
血がこびり付いてはいるがキズ口そのものは完全に消えていた。
「えっ? あれ? 手品?」
ネリは驚きを隠せない様子。
シャロには製造工程以外は見せたことがあるからか、インクには驚いていたものの、結果にはそれほど驚いてはいないようだ。
「手品じゃないよ、紋章術式」
言いながら私はネリの頬の膏薬を剥がして『治癒』を押し付ける。
私の血で汚れているのに気付いたが、まあいいか乾いてるし。
何をされるのかとギュッと目をつぶる彼女は小動物のようでどこか可愛い。
術力を込めると、紋章がほのかに赤く光るのが指の隙間から見えた。
「んん……熱い……」
呆けたように呟く彼女に終わったと告げる。
『治癒』を取り去ると、そこには健康的な肌。
腫れた痕も少し内出血を起こしていた様子も見受けられない。
「すごい! すごいすごい! あなた、ひょっとして魔法使い?!」
鏡で自分の顔を見たネリがはしゃぐ。
初めて紋章術式を刻むことに成功した時の私のように。
「紋章術式だよ。でも、これ内緒ね。使ったってバレたら准将に怒られるから」
個人的には怒るより先に泣きそうな気もするけど。
泣きながら怒られる、の方が正しいかもしれないがわざわざ威厳を下げる必要はないだろう。
「それ使えばアイナの怪我もすぐに治るんじゃないの?」
「そうでもないみたい。あまり無理するとどんな影響があるか分からないから、緊急時以外は使うなって言われた」
なにしろ『治癒』の術式は私しか作れない。
しかも最初にお披露目したのは商人街に行く道中での瀕死の重傷者に対して。
そこで昏倒してしまったものだから慎重にならざるをえないのだそうだ。
それに加えて、それで治った重傷者の経過観察がまだ終わってない部分もある。
まだまだ未知の分野だから中将に報告するまでは基本的に秘密にしておこうと准将と決めたばかり。
まあ、色んな所で使ってるから今さらって気もするけど。
「いいの? 私なんかに使って」
「いいの。私が決めたから」
こうして私は新たな友人を一人手に入れたのだった。




