勇気
「そんな……どうして?」
石壁に残るまだ新しい血の痕。
包帯に包まれた右手でそれをなぞると赤黒い血の塊がぼろぼろと削げ落ちる。
「部下が見つけた時には虫の息でした。最後の言葉は『嬢ちゃんにごめんなと伝えてくれ』です」
やはり、あの時に私は残るべきだったのだ。
ミラ少尉の見立てでは私が出会った時には既に致命傷を負っていたということらしい。
「私が治してあげれば……」
「その時は死体が三つ出来上がっていただけです。彼の判断を私も支持します」
術式で治せば私はほぼ間違いなく昏倒する。
治せたとしてもすぐには動けるようにはならない。
意識のない私と戦う力のない子供を庇うことは到底出来なかっただろう。
理屈では分かっている。
だけど、それでも、何か方法があったかもしれないと思ってしまう。
「戦場において『もしも』はありません。思い上がるのもいいかげんにしなさい」
それは何よりも静かで心に響く叱責だった。
今の私に出来るのは彼の勇気を讃えて弔うことだけだろう。
ミラ少尉は毅然とした表情を崩さず、血痕に向かって敬礼する。
私もそれに倣って敬礼。
立ち去る時にもう一度振り返る。
零れそうな涙を必死で抑えた。
「共に戦った勇者に敬礼!」
亡くなった住人たちの葬儀が行われる中、彼の葬儀はしめやかに執り行われた。
犠牲になった住民は十四人、駐屯兵は三人、そして我が部隊はただ一人。
重傷を負った一人を除いた部隊全員が馬車に積まれる彼の棺を見送った。
あの男の子には彼の死は伝えていない。
それはきっと彼は望まないだろうと思ったからだ。
遺体はすぐに王都へと送られ、家族の元へと返される。
もちろん今回は遺体があったから准将の名のもとに最大限の便宜が図られただけのこと。
魔物との戦闘においては遺体が残らないことも多い。
その時は通知だけが遺族の元に帰ることになるという。
「大丈夫?(性的な意味で)」
いつもの黒い鎧に身を包んだ准将が耳元で囁いてくる。
いやらしい響きも今では何だか懐かしい。
「大丈夫です。私も……軍人の端くれですから」
わずかな護衛を連れた馬車が街から遠ざかっていく。
知らせを聞いた砦では今頃応援部隊が結成されていることだろう。
その部隊がこちらに着いたら入れ替わりのように私達がこの街を去ることになる。
それまでは警戒しつつ、身体を休めることと厳命されている。
四の鐘が鳴る音が街に響いた。
そろそろ昼食の時間、そして屈辱の時間の始まりだった。
「はい、あーん(性的な意味で)」
フォークに刺した肉を口元に持って来られ、仕方なく口を開ける。
そっと押し込まれた肉は口の中でほろりと崩れ、旨みがじゅわっと広がっていく。
「どうして准将が世話係なんですか」
「ミラ少尉が仕事が出来たから代わってくれって言ったから(性的な意味で)」
野菜と肉の煮込み料理をフォークで突きながら答える准将。
部隊長だから事後処理が多いとは聞いていたし、別の人に代わるとも聞いてはいたが、何故よりにもよって准将を指名するのか。
両腕を包帯で巻かれているおかげで軍服を着るのさえ容易に出来ない。
さすがに同性がミラ少尉しかいなかったために必然的に彼女のお世話になっていたわけだが。
そして、食事においてはナイフもフォークも持つことが出来ないという。
ある程度まで治したらあとは自然治癒に任せるという准将の方針によって、しばらくはこの状態が続きそうなのが非常に口惜しい。
「次はおいもが良いです」
「はいはい(性的な意味で)」
仕方がないので准将を顎でこき使う栄誉に浸っていよう。
時間があってもこの手では本を読むことさえままならない。
王都に戻るまでにはもう一度あの古本屋に行きたいな。
私達が帰途についたのはそれから三日後のことだった。
手綱が握れないからと准将と一緒に乗る羽目になったのは言うまでもないだろう。




