新調
『一週間くらいですので武具と着替えと、あと私服や財布も用意して下さい。他に必要な物は軍が出しますので』
小さな黒板に所狭しと並ぶ文章。
少々判り難いがだいたいこんなことが書かれていると思われる。
なんだってこんな馬鹿丁寧に書かれているのか。
部下が相手だと分かっているんだろうか。
「私服?」
疑問の声を上げると、即座に机の陰に引っ込む黒板。
私の攻撃の僅かな切れ間に実に素早い動きで机の裏まで逃げおおせたのである。
まるで台所のアレを連想させる動きで。
『砦の外、商人街まで行きますので。これ見よがしな軍人さんは敬遠されます』
准将の真っ黒鎧は大丈夫なんだろうか?
まさに軍人の塊だと思うんだが。
まさか、これが私服で戦場ではまた別の真っ黒鎧に着替えるなんてことは……無いとも言えない。
『今日はこれで上がっていいので、準備をお願いします』
「はっ! それでは失礼します」
敬礼する私に対して准将は隠れたまま。
間の抜けた構図になっていると思しき状態に私の心中は穏やかではないのだが。
『明日の朝二番の鐘が鳴る頃に王都の北門に来てください。馬はこちらで用意します』
あくまでも事務的に接しようとする准将の様子に、悪いことをしたような気分でいっぱいになる。
いくらセクハラ上司でも不可抗力というものはあるのだと、こう考えてしまう私はやっぱり甘いのだろう。
『下着は白でお願いします』
やっぱり自覚あるんじゃないかと訝しみながら、机を向こう側に向かって押す。
ガチャガチャと音を立てながら慌てふためく准将の姿にいつしか笑みが溢れるのだった。
「私服っていっても、持ってないんだよね」
そう言うとルームメイトが呆れた顔を見せてくれる。
軍服は予備に一着、下着は……白を中心に。
別に准将に配慮しているわけではない。たまたま私がそんな気分なだけである。
……絶対そうに決まっている。
「私の服貸してあげるよ?」
シャロが広げてみせたのは丈の長いシンプルな白のワンピース。
これは、何というか、色々と人を選ぶデザインではないだろうか?
スタイルのいい彼女が着るのならともかく、私が着ても似合わないような気がする。
「アイナにはこういうのがピッタリだと思うんだよね」
そもそも着飾るのは面倒臭いんでしょ、とは長年を共に過ごしてきた友人の言葉。
実に分かってらっしゃる。
他の選択肢があるわけでもないし、使うとも限らないし借りていくことにする。
靴とかカバンとか小物に力を入れるのが着こなし術だとか力説されたけどそこは遠慮した。
荷物が嵩張るし。
「洗濯はしなくていいから。帰ってきたらそのまま返してね」
やっぱり高価なだけあって洗濯方法も特殊だったりするんだろうか?
下着も一緒でいい? ついでだから?
続けざまに言われた言葉に首を傾げながら了承したのだった。
『おはようございます』
翌朝、北門に行くと既に准将は準備万端だった。
漆黒の鎧に身を包み、剣を携え、馬に乗る姿は凛々しい。
朝日に照らされたその姿はまるで彫像のようで、まさに英雄の出で立ちである。
……両手で掲げた小さな黒板さえなければ。
「外では普通に話して下さい」
『えっいいの?』
「ぜひ、お願いします」
周りにいる兵士が驚いてるじゃないですか。
北門は王都の最終防衛線。
王都守備隊の管轄下で当然のことながら大勢の兵士達が行き来している。
その中で英雄が黒板を持って待ち構えているのだ。
いったい何の罰ゲームだろうか。
「その鎧、似合ってるね(性的な意味で)」
周りに聞こえないように耳元で囁く准将。
分かっている、分かってはいるんだが、やっぱり慣れない。
だがしかし、受け入れようと決めた翌日である。
理性を総動員して抑える。
「ありがとうございます。友人が任官のプレゼントだってくれたんですよ」
今身に着けている軽鎧、実は昨日シャロがくれた物。
初日に軍の支給品を申請しようと思っていたところ、ちょっと待って欲しいと言われてようやく受け取った代物だったりする。
首元と胸部と背部の装甲、それに右手用の小手とすね当てがセットになっていた。
左手には盾を持つだろうからとまさに私専用に誂えてあった。
鏡面仕上げの銀色というのが派手派手しくて勘弁して欲しかったが、そこまで言うのは贅沢というものだろう。
鏡面といえば、研修最終日にもらった私の剣。
紋章が刻み込まれている面ばかり目が行って気が付かなかったが、裏側は見事な鏡面仕上げ。
顔の細部まで映すほどの鏡面と裏腹に刻み込まれた紋章術式に不思議なチグハグさを覚えたのを思い出す。
「スカートじゃないんだ(性的な意味で)」
……当然である。
タイトスカートで馬に乗れというのか。
鎧に隠れていない部分は軍支給の防刃服で固めてある。
肌を露出した軽鎧なんてのは物語の世界だけにしてもらいたい。
「准将は……いつも通りですね」
さすがに鎧を着替えたりはしないだろう。
いくら准将でもそれは無かったか。
「いや、この際だから鎧下を新調してみたんだ(性的な意味で)」
「いえ、見えませんから」
鎧下とはその名の通り、鎧の下に着る服のこと。
私は軽鎧なので下着の上に薄い服を羽織り、その上に防刃服、さらにその上に鎧を付けている。
防刃服には金属繊維が縫い合わせてあるので金属と肌が直接擦れると痛いし錆びたり手入れが大変だという理由で服の上に着るのが常識になっている。
准将の全身鎧ならなおさら手入れには気を使うだろう。
何しろ四六時中着っぱなし、脱いでいる所を見たことがないのだ。
「むしろ脱げたんですね、その鎧。皮膚の一部なのかと思ってました」
「脱げるよ! でも、恥ずかしいから今度部屋で二人きりの時にでも……(性的な意味で)」
「それ、完っ全に、セクハラですから」
項垂れる准将と共に意気揚々と初めての戦場へと赴く私の姿がそこにあった。
朝日を浴びながら馬に乗り、北の砦へと向かう。
そこに何が待ち受けているのか、私には計り知れないことだった。




