覚悟
翌日、仕事だと先任に連れてこられたのは軍の鍛錬場。
見回す限り、私と先任の姿しか無くまさに貸切状態である。
「あのー、ここで何をするんでしょうか?」
「鍛錬場でするのは鍛錬に決まっている」
言うだけ無駄だったようだ。
実に単純な答えが返ってくる。
「ですから、その、私の仕事は副官としての研修でして……」
「戦場に赴く准将閣下に付き従うのも副官の勤め。日頃の鍛錬の賜物だな」
取り付く島もない。
執務室に顔を出した途端、有無を言わさずここまで引っ張ってこられた。
准将は相変わらず『行ってらっしゃい』と書かれた黒板を振っていた。
「質問は以上か? ならば武器をとれ。稽古を付けてやる」
先任は相も変わらずせっかちで、その場で虚空に向かって拳を振るっている。
「武器は持たないんですか?」
「自分は拳闘士だからな。戦場ではいざしらず、鍛錬において武具は必要ない」
拳闘士とはその名の通り、己の拳を武器として戦う戦士のこと。
間合いの狭さとそのスピードは一対一の戦闘では驚異的で一方的に攻撃されてしまうことも多い。
ただし、その強さは弱さの裏返しでもある。
拳の間合いに入る前に武器の間合いで迎撃するだけで一方的に倒せる。
もちろん、相手との強さが開いていればその限りではない。
今の私のように。
「踏み込みが甘い! 盾で受け流して剣を振るえ。そんなことでは准将のお供など夢のまた夢。出直して来い」
当然のことながら、彼は実際に戦場を経験したことのある軍人。
私は士官学校で戦闘の真似事をしたに過ぎないのだと散々思い知らされることとなった。
シャロの剣なら拳闘士の間合いでも十分に対処できたかもしれないが、私の剣は届かない。
相手がすぐそこにいて、息が掛かるような距離にいるのに。
「……つっ! もう一度、お願いします!」
「時間の無駄だ。明日は休みにする。もう一度、自分を見つめ直して来い」
「で、その少尉さんに勝ちたいってわけね」
「うん! もう絶対、目にもの見せてやる!」
シャロに頼んで相手を務めてもらっているわけだがやはり何か物足りない気がする。
突きを受け流し、踏み込みつつ、シャロの左手の小剣が私の首元に突き付けられた。
明らかに私の負けであるにも関わらず、どこか腑に落ちない。
何度か繰り返しているうちに理由が分かってきた。
「ごめん、シャロ。もう一回」
「はいはい」
シャロの剣は見えない。
どこから来るのかが分からず、どれが本物の攻撃なのか分からないトリッキーな剣技。
先任の拳は見える。
あからさまにどこから攻撃が来るのかは見えていて、全てが本物の攻撃。
明らかに手を抜いていたのだろう。
あの時の私にはそれに気付くだけの冷静さすら欠けていた。
「行くよ、アイナ」
どこか浮かれていたのだろう。
どこか逃げていたのだろう。
私に足りなかったのは覚悟。
全てを貫く覚悟。
足りなかった一歩を踏み込む!
そこからは全てがゆっくりと見えていた。
シャロの突きを半身を捻るようにして躱し、右手の剣を突き出す。
小剣で受け流しつつ間合いを空けようとする彼女に向かってもう一歩踏み込み、盾を前にしての体当たり。
地面に倒れ込んだ彼女に剣を突き付けて終わりである。
「ありがと、シャロ。おかげで何か掴めた気がする」
「そう良かった、じゃあ起こしてくれる?」
彼女の手を掴んで引き起こすと、そのまま覆い被さるようにして押し倒された。
「ちょっと、シャロ?」
「あーあ、負けちゃった。今までアイナには負け無しだったのに」
よく頑張ったね、と抱き締められて頭を撫でられる。
ただそれだけで何故か涙が溢れてきて彼女の首元に顔を埋めた。
「先日と比べると顔が違うな。良い顔になった」
「……ありがとうございます」
それは一歩踏み出したおかげで寸止めが間に合わずに鼻血を流したことに対する皮肉でしょうか。
先日と変わらず先任にはボコボコにされ、一矢報いることは敵わず。
それでも、私の中では何かが変わったような気がするのだから現金なものだ。
「これからもご指導ご鞭撻をよろしくお願いします」
こうして研修四日目、休みを加えると五日目が終了したのであった。




