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青い封筒と菜の花  作者: 木蓮


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10/10

【完】青い封筒が運ぶ想い

小湊鉄道は今年で開業100周年を迎える。

五井駅から上総中野駅まで、穏やかに走るローカル列車。

春には菜の花、秋には黄金色の稲穂が風に揺れ、訪れる人々を優しく包み込む。


窓の外に広がる菜の花畑をみると、

春子とリュカが交わした手紙の時間を、まざまざと思い浮かべる。


当時はまだ、スマホもSNSもなかった。

遠くの誰かと心を通わせる唯一の手段は、封筒に託す「手紙」だった。

言葉も文化も違う。大陸と海が隔てる距離は、簡単に越えられるものではなかった。


それでも――文字は想いを運んだ。

風の香りや季節の色までも一緒に連れて、相手の心にそっと届いていった。

それは、電話にもメールにも真似できない、静かで確かな奇跡だった。


封筒は数カ月に一度だけ届く。

返事を待つ時間は長く、不安になることもある。


けれど、その長い時間こそが、相手を思う尊い時間だった。

便箋に向かうとき、人は言葉を丁寧に選ぶ。


急がず、飾らず、嘘もつけない。

一文字一文字が、その人の人柄とぬくもりを映し出す。


手紙は形として残る。

震える文字、インクのにじみ、押し花のかすかな香り――

そのすべてが、「たしかに相手がそこにいた」という証になる。


だからこそ、手紙は時を超えて生き続けるのだ。


もし、誰かを想う気持ちがあるのなら――

どうか、その想いを手紙に託してほしい。


短くてもいい、不器用でもいい。

あなたが誰かを想った証は、いつかきっと誰かの心を温める。


小湊鉄道の車窓に映る春の光と菜の花の景色のように、

文通はゆっくりと、でも確かに、人の心をつないでいく。



_________________________


リュカさんへ


お元気ですか。

あなたと手紙を交わしはじめて、もう三年が経ちました。

届かなくなってから、一年が経とうとします。


青い封筒がポストに届くたび、私は季節よりも先に、あなたのぬくもりが遠くからやって来るのを感じていました。


けれど、この手紙を最後にしようと思います。


春の風が菜の花畑を揺らすたび、あなたを想います。

あなたの笑顔も、声も、私は知りません。


それでも、あなたがどんな人かはわかります。

数枚の便箋にこめられた言葉の温もりが、それを教えてくれました。


私たちはこの先も会うことはないでしょう。

それでも、心は届くと信じています。


あなたが遠い国で同じ空を見上げていると思うだけで、不思議と勇気が湧くのです。


どうか、あなたがこれからも幸せでありますように。


封筒を通して、

あなたに出会えたこと。

あなたという人の存在を知れたこと。

それが、私の人生の宝物です。


大好きでした。

本当に、ありがとう。


春子より


__________________


春子さんへ


お元気ですか?


きっとこの手紙も読むことはないのかもしれません。

それでも春子さんに書かずにいることの方が、耐えられなかった。


でも、これで最後の手紙にします。


いつからでしょう。

春子さんの手紙を待つ時間が、私の一日の一部になっていったのは。


朝、ポストを開けるときの静かな期待。

見慣れた青い封筒があるだけで、世界が少し優しく見えたのです。


互いに会ったことがなく、ただ文字だけで心を交わしてきました。

けれど私は知っています。


春子さんがどんな花を好きで、どんな景色に心を留める人なのか。

誰かを想うとき、すぐに言葉にしないで、ゆっくり大事に温めてから伝える人だということも。


いつか春子さんが教えてくれた、黄色の菜の花を必ず見に行くよ。

その時、隣にいてくれたら嬉しいけれど…きっとそれは叶わないだろうな。


どうか、あなたが穏やかでありますように。

遠い国にいる私の願いなど、風に溶けて消えてしまうかもしれません。


けれど祈らずにはいられないのです。

あなたが誰かに優しくされ、愛される人生でありますように。



春子さん。

あなたに出会えてよかった。

言葉を信じることを、あなたが教えてくれました。


心から愛していました。

本当にありがとう。


リュカ

__________________



終わり。

リュカはその後、生涯独身を貫きながらも一冊の本を書き上げました。

タイトルは――『青い封筒』。

著者名は リュカ・ローラン。


それは、遠い日本に生きた一人の女性へと宛てられた、決して届くことのない恋文の記録でした。


ページを開くたびに、彼の言葉は静かに春子を探しています。

会えなかったふたりの物語は終わりではなく、読む人の胸の中でそっと続いていくのかもしれません。


――いつかこの世界のどこかで、

リュカが書いた春子への純愛小説を手に取る日が来ることを、私は願っています。


最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。

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