子の叫び
「ぐあ!!」
自分の左腕を浅く切り裂かれる。深くはないのだが、そんなことよりも。
「ジジイ! なんで......」
まだ息はあるが、酷い量の流血だ。このまま止血しなければ間違いなく——。
(いや、最悪の想定はナシだ! 今は早くこの変なところから抜けないと!)
自分の腕を軽く切られたことで、敵がいると認識できたマイルス。
混乱しているのは確かだが、状況は前よりも飲み込めるようになり、辺りに誰かいるのか。何か罠が仕掛けられているかを中心に、暗闇の世界の様子を目を張り隈なく伺った。
しかし金属の反射はおろか、光の一筋も見えない。完全な暗闇の世界だ。
あり得ない。気づいたらここにいて、そしてロウが死にかけている。
再び頭が回らなくなり、冷や汗が止まらず、銃を握る右手が手汗で湿っていく。
「......これ、は。く、空間......魔術......」
「はっ! ジジイ、しゃべるな!」
うつ伏せで地面に伏したまま、掠れた声でそう話すロウ。
しかしマイルスの制止を聞き入れず、ある頼みをしてきた。
「銃......。ワシに......、お、起こせ......」
「っ......。分かった!」
ロウの銃を手に持たせ、一体何が変わるのか予想がつかないまま指示通りに動く。
血を流し続ける彼の体を起こし、腕を回して支える。
かなり出血していたはずだが、顔色を伺うとまだなんとかなりそうだ。苦痛で歪んではいるものの、はっきりと「獲物を狩る目」で周りの敵を探している。
ロウが右手で銃を構える。震えているが、ゆっくりと回し始め敵を探り始めた。
そしてついにその時がきた。
「ぐぅぅ!」
「ジジイ! またか、隠れてこそこそと!」
今度はロウの足を貫き、バランスを崩そうとする。
マイルスの目では攻撃の一瞬が見えなかった。
ロウが貫かれた感じからして、刃物でやられたのではない。
何か見えないもので切り裂かれたといった感じだ。
敵は暗殺に長けている。そして動けるアンナがいなくなり、疲労困憊の二人を狙ってきた。
恨みを買った覚えはないが、間違いなくロウかマイルス。もしくは二人を狙っている。
「はぁ、はぁ......」
「ジジイ、止血しねえと......それに今の状態で魔術はもう!」
「次じゃ......。次で、殺る......」
初めて見るロウの殺意が宿った目。いつもの彼を見ているからこそ、その違いにマイルスですらビクッと一瞬怖気ついた。
歴戦の猛者が放つ眼光に影響されたせいか、次の敵の攻撃がロウの脇腹を少しかすめた。
「うぐっ......」
一歩も動いていないのに、止まっている的を狙うことができなかった敵。それが奴の敗因だった。
「そこか!」
——バンッ。
ロウが血反吐を吐きながら叫び、確実な一撃を撃ち込んだ。
彼の残存魔力で作られた、とても小さな弾丸が暗闇の中に飛んでいく。
唾を飲み込み弾丸の行方を目で追っていると、突然弾丸が消えた。
「うがああ!!」
そして弾丸が消えた先で何かが飛び散って、誰かの悲鳴が響き渡り、それと同時に何かを落とす音が聞こえた。
「っ! 空間が!」
カランカランと何かが地面に転がる音が聞こえたと思えば、暗闇の世界から解放され、元いた世界に戻された。
これで終わったのだろうか。ひとまず安心し、ほっと一息つこうと思っていると。
「はぁ、はぁ......ごほっ!」
マイルスの方に身を預け、なんとか踏ん張って立ち上がっていたロウが息を荒くし、血反吐を何度も吐いた。
次第に肩から滑り落ちて、地面にバタッと倒れてしまう。
「じ、ジジイ!」
ロウを支えていたマイルスも疲労で限界だった。
地面に倒れてしまったロウの傷をすぐに確認し、ありとあらゆる携帯品の中から医療道具を探し当て、治療を試みる。
謎の暗殺者には勝った。おそらく深傷も負わせた。
勝ったのだ。誇っていい。何もできない、殺されるだけだったはずの状況から抜け出したのだから。
「死ぬなっ、ジジイ!」
だというのに、これっぽっちも嬉しくない。
マイルスの心を、徐々に恐怖が覆っていく。
最愛の家族が、徐々に目に宿る光を失い始め、力尽きようとしている。
「マイルス!? 大丈夫——」
「あ、アンナ! 助けてくれ! ジジイが!」
いつからいたのだろうか。アンナが帰ってきて、そして血を流して倒れるロウと彼の手を握りしめて涙を流すマイルスを見て、口を開き絶句している。
「そ、そんな......。一体......」
信じられない。そんな目でロウを見て、絶望に覆われた表情でふらふらとこちらに歩み寄り、力なく地面に膝をつくアンナ。
何かできることはあるか。そんな考えを抱きながら、震える手でロウの傷口あたりを漁り始めた。
「こ、こんなのじゃもう.......」
医学に精通していないアンナでも、一度死んだ経験と何度も死にかけた経験から即座に理解した。
——ロウはもう助からない。
彼の傷口は深く、血が恐るべき勢いで流れている。
服を巻き込むように腹が溶けていて、不気味な体液や血がドバドバと漏れ出しているのだ。その病気的な症状は今も進行し続け、酸に溶かされたように彼の腹を溶かし続けている。
そしてロウの顔。顔面蒼白で、視点の焦点があっておらず、徐々にまぶたが閉じていこうとしている。
呼吸も同じだ。荒く、激しい呼吸。不規則に息を吸って吐いて、とても無事に思えるような呼吸を取れていない。
見ただけで思い出す。自分が死んだ時の記憶。ゆっくりと死んでいくあの冷たい感覚。何度呼吸しても、肺に空気が入ってこない感覚。
そして思い出す。自分の隣で死んだ人間の顔色。生気を失い、数分後には真っ青の肌になる生々しい人間の死体。
最後の最後まで、目が飛び出るような勢いでこちらを見つめ、助けを求めてくるあの姿。
「うっ......。うぐっ!」
あの時の記憶が鮮明に思い出され、すぐにロウたちから顔をそらし、吐きそうになる口を必死に抑えた。
(今、苦しいのはロウとマイルスだろ! 何勝手に思い出してんだ!!)
呼吸を整えて自分の顔をはたき、恐る恐る彼らに向き直って、そして冷静にマイルスに伝えた。
「......彼はもう無理だ」
「い、嫌だ......。言ってただろジジイ、なあ! もっと、オレに教えて、そんでもってもっと......」
「......マ、マイル、ス」
ロウが最後の力を振り絞って、耳を済ませないと聞こえないほど小さな声で、最愛の息子マイルスの名前を読んだ。
「ジジイ!」
「よ、くきけ......」
あたりが静寂に包まれる。
聞こえるのはロウの荒い呼吸音。マイルスが涙を堪える音。
徐々に消えていく彼の命。目を逸らさず、マイルスとロウの最後のやりとりを見守った。
「......わ、ワシに、お前を......育てさせて......。あ、ありがとう......」
「なっ......」
「......お前に、コレ、を......」
右手をふるふると震わせながら、ゆっくりとその手に握る銃をマイルスに渡そうとする。
マイルスもロウの手を掴むべく、恐る恐る手を伸ばしていく。
「あっ......」
しかし、時間がきてしまった。
最後の力を振り絞り、右手をゆっくりと伸ばしていたと言うのに。
マイルスが手を差し伸ばして受け取る前に、銃がポロリと地面にこぼれ落ち、ロウの右手がビタっと地面に打ち付けられた。
「......」
「......くうぅ!」
涙を流して歯軋りし、落ちた銃を受け取るマイルス。
その銃を両手で大事に抱きしめて、彼は堪えきれなくなった大量の涙を流し、そして辺りに響き渡る声量で泣き叫んだ。




