いい子
「結婚する資格がない、と言うのはよくわかりませんけど、でも少なくともお師匠様が誰かを幸せにできないとは思えません」
だって私は、幸せですから。と無邪気に、まるで昔のままみたいな笑みでリョンはそう言った。
その言葉は嬉しいけれど、だけどどうにも罪悪感があって、素直には受け入れられない。きっと北に行く前、自分がクズのままだと自覚する前なら、受け入れられただろう。
「リョンがそう言ってくれるのは嬉しいですが、私は……」
私はクズだ。ただの人殺しの罪人なんだ。そんな人間が、誰を幸せにする? 血にぬれた手で、誰を抱きしめると言うんだ。慰めに手を握ってもらうことすら、本当なら過分なことなのだ。
「なんですか? お師匠様、何か悩んでおられるなら、私でよければ聞かせてください。できることなら致しますから」
「いえ……人に話すようなことでは」
「私は他人じゃありません! 私は、弟子じゃないですか」
なじるように、よく見たら目に涙をためながら言われた言葉に、はっとする。そうだ。リョンは弟子で、家族同然に思っている相手じゃないか。
そんな相手がここまで言ってくれているのだ。なのに隠すのか? これ以上、その信頼に背き続けるのか?
私はクズだ。だがそれでもこれからも努力し、贖罪していくつもりだ。ならなおのこと、これを言って失望されたり嫌われたりするとして、それもまた受け入れなければいけないのではないか?
もちろん、それは、リョンだからこそ、恐怖は強い。他ならぬリョンだからこそ、嫌われたくない。軽蔑の目を向けられたくない。だけどそれは逃げではないか?
それに他ならぬ私自身が、思っている。リョンならば、受け入れてくれるのではないか、と。
「わ、私は、罪人なのです」
「え……ざい、にん?」
「私は、人を殺しました」
「そ、それは……この間の、と言うことではなく、それ以前に、私利私欲で、と言うことですか?」
「少し、長くなります。信じられないこともあるでしょう。ですが、私の話を聞いてくれますか?」
「……はい。聞きます。どんな話でも」
そして私は、この世界に来て初めて、元の世界のこと、自分の人生のことを、全て偽らずに話した。
リョンはずっと、神妙な顔でそれを聞いていた。
「そうして、あなた達と出会いました。それからは、リョンも知っているでしょう」
「……とても、簡単には信じられない内容です。それを言ったのが、お師匠様でなければ」
「内容は、信じてくれるということですか?」
「そんな顔で、こんな嘘をつく意味なんて、ありませんしね。ねえ、お師匠様。そっちへ行ってもいいですか?」
「え、あ、はい」
リョンは真顔のまま私の隣にやってきて、そして困惑する私を抱きしめた。横からその胸に頭を埋めるように強く抱きしめられた。
「りょ、リョン?」
「馬鹿じゃないですか? そんなことで、私が離れると思ったんですか?」
「え、そ、そんなことは言ってませんよね」
「顔が言ってます。お師匠様は、表情に嘘がつけない人ですから」
「そ、それはまあ。その可能性だって、なくはないでしょう。人殺しなのですから」
「その事実は変わらないかもしれません。だけど同時に、私たちを助けてくれた事実だって、変わりません。親のいない私たちは、それこそ、お師匠様と同じような道に進んだ可能性だってあったんです。なのに今、まっとうに生きていけるのは、お師匠様のお蔭じゃないですか」
「……それは、ですが、単に、自己満足ですよ」
そんな風に改まって言われると、居心地がわるい。そこまで考えて二人を弟子にしたわけじゃない。単なる成り行きで、そしてしばらくしてからは、自分が二人によくしたいからしただけだ。二人が素直に自分を慕ってくれたから、そうしたくなっただけだ。
助けたいとか、罪滅ぼしとか、そんなことすら考えてもいなかった。
「馬鹿。本当に、馬鹿なんですから。今まで、こんなに頑張ってきたじゃないですか。私とヨータだけじゃなく、この領の人だって、たくさん助けたじゃないですか。それでもまだ、罪人だなんていうんですか。だいたい、死刑でその世界を去ったなら、もうその時点で、罪を清算したんじゃないんですか。いつまで、罪人でいるんですか」
「……わかりません。わからなくなってしまいました」
「お師匠様は、人生をやり直すために聖人になったんですよね」
リョンが抱きしめるのをやめて、それでもいつもよりずいぶん近い距離のまま、私の目を見てそう尋ねた。私は目をそらすことができずに、心の内をそのまま話す。
「はい、そうです。この体は、とても恵まれていましたから。恵まれた私が、恵まれていない人に分け与えることは自然に思いましたし、なにより、誰かに覚えてもらえるような人になりたかったのです」
「そう、そうだったんですね。でも、私、思うんです。お師匠様は、恵まれてません」
「え? いや、え?」
いや、この無敵の体を見て、何をそんな。
混乱する私に、リョンはくすりと笑ってから、また真剣な表情になって続ける。
「聖人になりたいと言うのは、素敵だと思います。この国はすでにそう認められていますし、もっとより一層なりたいと言うなら、私は応援しますし、支えます。ですけど、恵まれてはいないと思います」
「何に、恵まれていないと? 私は力があり、寝食も必要なく、傷もつかないし病にもかからない。他に、何がないと言うのですか?」
「親です」
「は……お、親?」
「はい。親です。お師匠様には、親がいません。十分に愛してくれる、保護者がいません。私にはお師匠様がいました。ですがお師匠様には、誰もいませんでした」
「そ、そんなのは、私にはどうしようも」
親に恵まれなかった。それは確かに、そうだろう。どう思い返しても、クズだった私の親にふさわしいクソみたいな親で、あんな親でなければ、私だってもっとましだったはずだと何度も思ったことはある。
だけどそれだけは、どうしようもないではないか。もう取り戻すこともやりなおすこともできないのだから。
「そうです。だから、私があげます」
「は?」
「私はお師匠様に恵まれました。だから、今度は私が返します。私が、お師匠様の親になります。お師匠様を心から愛し、慈しみ、ずっと守ります」
「な、なにを言ってるんですか? おかしいでしょう」
「恵まれたものが、恵まれてないものに施すのは自然なのではないのですか?」
「そ、それとこれとは。親になるって。じゃあなんです? 私がリョンを、お母さんとでも呼べと?」
「はい」
いや本当に、リョンは何を言っているんだ? 本気の目で、狂ったのか。
「ちょ、ちょっと落ち着きましょう」
「落ち着いてます。お師匠様は、どうして子供のままなんですか? それは、親から受ける愛を受けないままだからじゃないですか?」
「そ、そんなことを言われても」
なぜ子供のままかなんて、考えたことはない。そもそもそんなことを言ったら、どうしてこの世界にいるのか、どうして子供になったのか、何もわからないことだらけだ。だからそんな仮説を言われたところで、否定も肯定もしようがない。
「じゃあ、お師匠様の前に、この世界での本当のご両親があらわれたとして、嬉しいですか?」
「それは……わかりませんよ。まぁ、ちゃんとした親がいればと思ったことがないと言えば、そりゃあ嘘になりますけど、今はもう大人なんですから」
「子供じゃないですか、どう見ても。いいじゃないですか、私で。なにも、恥ずかしいことなんてありませんよ。ほら、お母さんって呼んでください」
めちゃくちゃ強引だ。どうしてそんなに、私の親になりたがるのか。
「私の子供として、人生をやりなおしてください。北で人を殺したと後悔しているなら、もう一度、改めてやり直して、そして聖人を目指せばいいんです。今度こそ、恵まれた人として」
「理屈はわからなくもありませんけど」
「じゃあ、呼んでください」
……いや、うん。まあ。
「お、お母さん」
「はい、なに?」
……確かに、お母さんと呼びかけて、相手が笑顔で応えてくれて、そっと抱き寄せられるのは、とても心地よいと感じた。心がほっとする。
しかし、相手がリョンであるので、恥ずかしい。恥ずかしすぎる。
「お師匠様のことは、名前、ほし、と呼んでもいいですか? 嫌な名前なら変えますけど」
「え、いえ、別に嫌な名前ではありませんけど。この世界では変わった名前でしょう?」
「耳なじみはありませんけど、でも、星なんですよね。私にとってお師匠様は、希望である一番星のように輝く存在ですから、ほし、ぴったりだと思います」
「っ」
かっと体が熱くなる。別にこだわりなんてなかった。スターは嫌だったから無理に作ったあだ名だが、いい名前とも思わなかった。
だけど、そんな風に言われると、とても嬉しく感じられた。まるで、愛されてこの名前がついているような、名前が嬉しいなんて、誇らしい気になるなんて、そんなのは知らない。
「ほし、今日までよく頑張りましたね。偉いですよ。いい子ですね」
そう言ってリョンは私の頭を撫でた。私はそれに反応することはできず、何故か、気がついたら眠っていた。




