表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/31

いい子

「結婚する資格がない、と言うのはよくわかりませんけど、でも少なくともお師匠様が誰かを幸せにできないとは思えません」


 だって私は、幸せですから。と無邪気に、まるで昔のままみたいな笑みでリョンはそう言った。

 その言葉は嬉しいけれど、だけどどうにも罪悪感があって、素直には受け入れられない。きっと北に行く前、自分がクズのままだと自覚する前なら、受け入れられただろう。


「リョンがそう言ってくれるのは嬉しいですが、私は……」


 私はクズだ。ただの人殺しの罪人なんだ。そんな人間が、誰を幸せにする? 血にぬれた手で、誰を抱きしめると言うんだ。慰めに手を握ってもらうことすら、本当なら過分なことなのだ。


「なんですか? お師匠様、何か悩んでおられるなら、私でよければ聞かせてください。できることなら致しますから」

「いえ……人に話すようなことでは」

「私は他人じゃありません! 私は、弟子じゃないですか」


 なじるように、よく見たら目に涙をためながら言われた言葉に、はっとする。そうだ。リョンは弟子で、家族同然に思っている相手じゃないか。

 そんな相手がここまで言ってくれているのだ。なのに隠すのか? これ以上、その信頼に背き続けるのか?


 私はクズだ。だがそれでもこれからも努力し、贖罪していくつもりだ。ならなおのこと、これを言って失望されたり嫌われたりするとして、それもまた受け入れなければいけないのではないか?

 もちろん、それは、リョンだからこそ、恐怖は強い。他ならぬリョンだからこそ、嫌われたくない。軽蔑の目を向けられたくない。だけどそれは逃げではないか?

 それに他ならぬ私自身が、思っている。リョンならば、受け入れてくれるのではないか、と。


「わ、私は、罪人なのです」

「え……ざい、にん?」

「私は、人を殺しました」

「そ、それは……この間の、と言うことではなく、それ以前に、私利私欲で、と言うことですか?」

「少し、長くなります。信じられないこともあるでしょう。ですが、私の話を聞いてくれますか?」

「……はい。聞きます。どんな話でも」


 そして私は、この世界に来て初めて、元の世界のこと、自分の人生のことを、全て偽らずに話した。

 リョンはずっと、神妙な顔でそれを聞いていた。


「そうして、あなた達と出会いました。それからは、リョンも知っているでしょう」

「……とても、簡単には信じられない内容です。それを言ったのが、お師匠様でなければ」

「内容は、信じてくれるということですか?」

「そんな顔で、こんな嘘をつく意味なんて、ありませんしね。ねえ、お師匠様。そっちへ行ってもいいですか?」

「え、あ、はい」


 リョンは真顔のまま私の隣にやってきて、そして困惑する私を抱きしめた。横からその胸に頭を埋めるように強く抱きしめられた。


「りょ、リョン?」

「馬鹿じゃないですか? そんなことで、私が離れると思ったんですか?」

「え、そ、そんなことは言ってませんよね」

「顔が言ってます。お師匠様は、表情に嘘がつけない人ですから」

「そ、それはまあ。その可能性だって、なくはないでしょう。人殺しなのですから」

「その事実は変わらないかもしれません。だけど同時に、私たちを助けてくれた事実だって、変わりません。親のいない私たちは、それこそ、お師匠様と同じような道に進んだ可能性だってあったんです。なのに今、まっとうに生きていけるのは、お師匠様のお蔭じゃないですか」

「……それは、ですが、単に、自己満足ですよ」


 そんな風に改まって言われると、居心地がわるい。そこまで考えて二人を弟子にしたわけじゃない。単なる成り行きで、そしてしばらくしてからは、自分が二人によくしたいからしただけだ。二人が素直に自分を慕ってくれたから、そうしたくなっただけだ。

 助けたいとか、罪滅ぼしとか、そんなことすら考えてもいなかった。


「馬鹿。本当に、馬鹿なんですから。今まで、こんなに頑張ってきたじゃないですか。私とヨータだけじゃなく、この領の人だって、たくさん助けたじゃないですか。それでもまだ、罪人だなんていうんですか。だいたい、死刑でその世界を去ったなら、もうその時点で、罪を清算したんじゃないんですか。いつまで、罪人でいるんですか」

「……わかりません。わからなくなってしまいました」

「お師匠様は、人生をやり直すために聖人になったんですよね」


 リョンが抱きしめるのをやめて、それでもいつもよりずいぶん近い距離のまま、私の目を見てそう尋ねた。私は目をそらすことができずに、心の内をそのまま話す。


「はい、そうです。この体は、とても恵まれていましたから。恵まれた私が、恵まれていない人に分け与えることは自然に思いましたし、なにより、誰かに覚えてもらえるような人になりたかったのです」

「そう、そうだったんですね。でも、私、思うんです。お師匠様は、恵まれてません」

「え? いや、え?」


 いや、この無敵の体を見て、何をそんな。

 混乱する私に、リョンはくすりと笑ってから、また真剣な表情になって続ける。


「聖人になりたいと言うのは、素敵だと思います。この国はすでにそう認められていますし、もっとより一層なりたいと言うなら、私は応援しますし、支えます。ですけど、恵まれてはいないと思います」

「何に、恵まれていないと? 私は力があり、寝食も必要なく、傷もつかないし病にもかからない。他に、何がないと言うのですか?」

「親です」

「は……お、親?」

「はい。親です。お師匠様には、親がいません。十分に愛してくれる、保護者がいません。私にはお師匠様がいました。ですがお師匠様には、誰もいませんでした」

「そ、そんなのは、私にはどうしようも」


 親に恵まれなかった。それは確かに、そうだろう。どう思い返しても、クズだった私の親にふさわしいクソみたいな親で、あんな親でなければ、私だってもっとましだったはずだと何度も思ったことはある。

 だけどそれだけは、どうしようもないではないか。もう取り戻すこともやりなおすこともできないのだから。


「そうです。だから、私があげます」

「は?」

「私はお師匠様に恵まれました。だから、今度は私が返します。私が、お師匠様の親になります。お師匠様を心から愛し、慈しみ、ずっと守ります」

「な、なにを言ってるんですか? おかしいでしょう」

「恵まれたものが、恵まれてないものに施すのは自然なのではないのですか?」

「そ、それとこれとは。親になるって。じゃあなんです? 私がリョンを、お母さんとでも呼べと?」

「はい」


 いや本当に、リョンは何を言っているんだ? 本気の目で、狂ったのか。


「ちょ、ちょっと落ち着きましょう」

「落ち着いてます。お師匠様は、どうして子供のままなんですか? それは、親から受ける愛を受けないままだからじゃないですか?」

「そ、そんなことを言われても」


 なぜ子供のままかなんて、考えたことはない。そもそもそんなことを言ったら、どうしてこの世界にいるのか、どうして子供になったのか、何もわからないことだらけだ。だからそんな仮説を言われたところで、否定も肯定もしようがない。


「じゃあ、お師匠様の前に、この世界での本当のご両親があらわれたとして、嬉しいですか?」

「それは……わかりませんよ。まぁ、ちゃんとした親がいればと思ったことがないと言えば、そりゃあ嘘になりますけど、今はもう大人なんですから」

「子供じゃないですか、どう見ても。いいじゃないですか、私で。なにも、恥ずかしいことなんてありませんよ。ほら、お母さんって呼んでください」


 めちゃくちゃ強引だ。どうしてそんなに、私の親になりたがるのか。


「私の子供として、人生をやりなおしてください。北で人を殺したと後悔しているなら、もう一度、改めてやり直して、そして聖人を目指せばいいんです。今度こそ、恵まれた人として」

「理屈はわからなくもありませんけど」

「じゃあ、呼んでください」


 ……いや、うん。まあ。


「お、お母さん」

「はい、なに?」


 ……確かに、お母さんと呼びかけて、相手が笑顔で応えてくれて、そっと抱き寄せられるのは、とても心地よいと感じた。心がほっとする。

 しかし、相手がリョンであるので、恥ずかしい。恥ずかしすぎる。


「お師匠様のことは、名前、ほし、と呼んでもいいですか? 嫌な名前なら変えますけど」

「え、いえ、別に嫌な名前ではありませんけど。この世界では変わった名前でしょう?」

「耳なじみはありませんけど、でも、星なんですよね。私にとってお師匠様は、希望である一番星のように輝く存在ですから、ほし、ぴったりだと思います」

「っ」


 かっと体が熱くなる。別にこだわりなんてなかった。スターは嫌だったから無理に作ったあだ名だが、いい名前とも思わなかった。

 だけど、そんな風に言われると、とても嬉しく感じられた。まるで、愛されてこの名前がついているような、名前が嬉しいなんて、誇らしい気になるなんて、そんなのは知らない。


「ほし、今日までよく頑張りましたね。偉いですよ。いい子ですね」


 そう言ってリョンは私の頭を撫でた。私はそれに反応することはできず、何故か、気がついたら眠っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ