手
ポチはいつも私を包み込むようにベッドの枕のうえに位置取っている。なので昔から姉弟と寝るときはポチの前足と後ろ足の間のお腹に収まるようにくっついていた。
しかしリョンが私より大きくなったので、なんだか変な感じだ。
「お師匠様、小さくなりましたね」
「……あなたが大きくなったんですよ。もう、気安く頭もなでれませんね」
「じゃあ、今撫でてください」
「……」
黙って手を伸ばす。リョンは気持ちよさそうに目を細めている。部屋は暗いが、私にとっては関係がない。昼間と変わらずにリョンの姿はよく見える。
その目の細め方も、キュッと上がる口角の感じも、昔と変わらない。面影そのままに、大人になっているのだ。
ほっとする。リョンは昔と変わらないのだ。大きくなって、離れていくような気がしていたけど、まだまだ、傍にいてくれるのだろう。
「リョン、可愛いですね」
「っ、お、お師匠様。いきなりですね」
「昔から、二人には言っていたと思いますよ」
「今は私一人ですもん」
拗ねたように言われた。そう言われると、なんだか恥ずかしいことを言った気がする。
困っていると、くすりとリョンは大人の笑みを浮かべてから、そっと頭上の私の手を両手で握った。
「おやすみなさい、お師匠様」
「はい。おやすみなさい」
そのまま、リョンは私の手を握ったまま眠った。そのぬくもりと、握られている感触に、私の心は何も憂うことなく、心地よい一晩を迎えた。
できることなら、ずっとこんな風に生きていきたい。そう思えた。
○
それから指示通り、まず整地をして道を整えてから、平地部分の作成に取り掛かる。道を整えたことで、木をわざわざこちらまで運ばなくても、それは街の人間がしてくれることになった。
その分ペースも上がり、わずかもう一か月後にはほぼ出来上がっていた。
「ふぅ」
自分一人でも予定地がわかるよう、木にしるしをつけておき、その範囲でとにかく木をとってはある程度土をならす。その作業もあと数時間で終わる。
そこまで来ると、少々感傷的な気持ちにもなる。夕食を終えて戻ってきてから、まだ日付は変わっていないくらいだろう。
明日の朝には終わっているが、あまり早く終えても、夜中に帰ってきても迷惑だろう。
かといって、終わっているのにここでぼんやりするのも間抜けな話だ。少し休憩を挟むとしよう。
ここ最近はよく晴れていたが、一週間ぶりに曇りだ。明日はまた雪が降るかもしれない。ちょうどよかった。
今は分厚い雲に阻まれ、月も星も見えない。この世界に来るまで空を見上げることもなかった。この世界では夜も眠らないので、必然的に空を見ることは多かった。
以前よりずっと目も見えるが、さすがに雲があると星は見えない。それを残念に思うなんて、前世では考えられなかった。空を見上げる余裕なんてなかった。だけどこんな風に、空を美しいと思ったり、遠い空に思いをはせるようなことを自分がするなんて。なんだか、嘘みたいだ。
ふいに、不安になる。ここまで長い長い、死ぬまでの夢を見ているのではないか。本当は私はただの屑のままで、誰も信頼してくれないし、傍にもいてくれないし、みじめに死ぬだけのゴミなのではないか。
そんなこと、ありえるはずがないのに。もう何年もこの世界で過ごして、たくさんの経験をして、私の都合のいい妄想だと言える範疇をとっくに超えているのに。
「……?」
と、つい悪い方に考えてしまうのを振り払っていると、ふと遠くから何か、音が近づいてくることに気が付いた。
こんな夜に? それに意識をしてわかったが、何か、獣の吐息か? それに、ソリ? いやそもそも、これは、山の上から向かってきている?
困惑しながら立ちあがり、音がする方へ、街からまっすぐ山へ向かう道をつくったその先へ向かう。麓の空間とはいえ、雪崩の危険もあるので多少、山の下の木々を残して森があってのこの空間だ。
だから山を見上げて、そのまま何もかもが見えるわけではない。何かがこちらへ近づいてきている。それはわかったが、何なのかわからない以上、待ち構えるしかない。
単なる獣の大群なら、蹴散らしてしまえばいい。だけどどうも、それだけではないような音だ。少しずつ、光も見えてきた。やはり人間がいるのだ。
こんな夜に、街とは反対の、山から? 大勢の人間がやってくる? 悪い予感しかしない。少なくとも、嬉しい知らせではないだろう。
身構えながら、到着するのを待った。進行方向に対してまっすぐ前で待っていたので、すぐに彼らは私に気が付いた。
たくさんの犬にひかせた犬ぞりだった。人間より犬の方がよっぽど多い。人間は皆、揃いの黒っぽい服を着ていて大荷物で武装している。
「やあ、こんばんは、いい夜ですね。こんな夜更けにどうされました?」
「見張りが残っていたか!」
久しぶりの慣れない言語を聞く感覚。聞こえる音と理解する内容の齟齬。異国の人間だ。
「他国からいらっしゃったようですが、夜に突然訪ねてくるなんて、少々強引では? なにかご事情でも?」
「なにを悠長にしゃべってやがる。状況が理解できない馬鹿か? おい、やれ!」
「はっ!」
偉そうな一人だけ色の違う帽子をつけた男の命令で、3人の男たちが犬ぞりから飛び降りて剣を腰から抜いて切りかかってきた。
さすがに殺しにかかってくるとは思わず、反応が遅れてしまった。反射的に避けようとしたが間に合わず、腕に思いっきり剣が当たるが、当然切れるわけもなく、高い音を立てながらはじかれた。
「!?」
「何を遊んでいる! 早く首をはねろ! 他に見張りが来たらことだぞ!」
「他に見張りはきません。落ち着いて話しましょう。目的はなんですか? 私を殺してどうするつもりですか?」
三人の剣をつかんで折り、そう声をかけるが、隊長らしき人間はさらに指示をして全員で私を取り囲んで剣を向けてきた。
自分の命が狙われていると言うのに、私は冷静だった。以前のような殺してやりたいと言う欲求もない。ただ話が通じないことへの悲しみがあった。
「なにを上から言ってやがる! 鎧を仕込んでるくらいでいい気になるなよくそが! すぐに殺してやるからな!」
「何が目的ですか」
「はー? だいたいなんでお前みたいなガキがいて、しかも言葉が話せるんだよ! 気持ちわりぃな!」
「あなた方のしていることは、犯罪ですよ」
「黙れ蛮族が! この国を俺らが管理してやるんだよ! お前もお前の家族もみんなぶち殺してやるから、感謝して死ね!」
「っ」
瞬間的に、私はキレていた。気が付いたら全員が死んでいた。
よく訓練されていたようで、犬たちも襲ってきていたがそれらも全て殺していた。
家族を殺してやる、と言われた瞬間、後ろの街にいるリョンやポチが頭に浮かんで、もう駄目だった。全員、握りつぶしていた。武器を持てないように、殺しに行けないように、手と足をつぶしてめちゃくちゃにしていた。
自分の手を見る。手、どころか、赤くないところがないくらい、私は血だらけになっていた。当然だ。
私はしょせん、人殺しの屑だったのだ。
「……っ、う」
一匹残っていた。殺そう。と行動しかけて、はっとする。いや、こいつらで全員かわからない。まだいるのかもしれない。ならこいつは、生かさないと。
しかしもちろん、私には人を生かすすべなんかない。しばって止血だけして、街へ連れ帰った。
血だらけの私に兵たちは驚いていたが、事情を話すとすんなりと招き入れてくれて、処置をしてくれた。
そのことに、今更だけど、私はクズかもしれないが、この人たちも守ったのかと気が付いた。それで罪が許されるわけではない。だけど、それは少しだけ私の心を救ってくれた。




