(15)犬騎士と獅子姫
「お、かえりなさい、ルキノ殿」
王女の生誕祝いから数日。
アントニアは日に日にぎこちなくなっていく自分を自覚して、つくり笑顔をさらに引き攣らせた。
ルキノに惹かれている自分に気づいてしまってからというもの、ルキノの傍にいるだけでどうにも緊張してしまうのだ。「上官命令で自分のような女を娶った可哀想な人」とルキノをただ憐れんでいたころはごく普通に振る舞えていたのに、それが出来ない。
ソレイユ辺境伯が現れて有耶無耶になってしまったが、王女が憤ってアントニアにぶつけた言葉も今更のように頭の中をぐるぐる回って、ぎこちなさに拍車をかけていた。
―――イロンデル少佐はずっとあなたのことが好きで、だから結婚したんだって、侍女たちが言っていたんだから!
こんな勘違い、ルキノ殿が聞いたらどう思うだろう。気を悪くなさったら?「こんな噂を信じて浮かれないでいただきたい」などと言われたら、私はきっと立ち直れない…。
本をぎゅっと握ったアントニアに、ルキノが心配げに近寄った。
「姫…?」
肩に触れた指の温度にも緊張してしまう。重傷だ。
少し血が上った頬に手を当ててうつむいたアントニアの腕を、ルキノが突然ガッと掴んだ。
「あっ、あなたが俺とまともに目も合わせてくださらなくなったのはなぜですか?!俺のどこが気に障りました?もしかして、あなたのドレスを勝手に仕立てたのが駄目でしたか?職場でのろけていると聞いて呆れました?それとも、毎朝毎晩キスするのがうざいんですか?!絶対直しますから嫌わないでください!」
「……は?」
「あなたに嫌われたら、俺は、俺は…っ」
アントニアの戸惑いをすっかり誤解してしまっているルキノの言葉を、アントニアは慌てて否定した。
「違うんだ!ルキノ殿が悪いわけじゃない。ただ、私が意識してしまって…その、王女の勘違いを」
「勘違い?」
「王女殿下が、あなたは私をあ、愛していると…そんなわけないのに」
言いながら、気恥ずかしさと恐ろしさで目をそらしてしまう。
一瞬の沈黙の後、アントニアの頬にルキノがそっと触れ、顔を上向かされた。口づけるぎりぎりの場所で、真っ赤な顔のルキノがささやく。
「愛しています、姫…ア、アントニア」
「…嘘だ。心まで父に遠慮しないでくれ」
「嘘なんかじゃない!俺は本気であなたが好きです。あなたしか愛していない」
「でも、こんな大柄な女、」
長年のコンプレックスを口にした途端、強い力で抱き寄せられる。
「俺にはちょうどいい」
「じょ、乗馬や剣で男を負かしてしまうし」
「あなたと手合わせして負かされた五歳の時から、あなたが好きです。あなたに追い付きたくて、追い抜きたくて必死だった」
「…変わった趣味だ。打ち負かされて惹かれるなんて。普通は、」
「変わっていてもかまいません。俺は、あなたといられるだけで幸せなんです」
まっすぐな言葉が、視線が、本心だと告げていた。
喜びと気恥ずかしさでゆがんだ顔を、アントニアはルキノの胸に押しつける。いつになく高鳴る胸の鼓動に気づいて欲しいような、気づかないでいて欲しいような思いだった。
「私も、あなたのことが好きだ」
告白した瞬間、アントニアを抱く腕が大きく震え、強引に抱きあげられる。驚いて声を漏らしたアントニアの口を、ルキノの唇がふさいだ。角度を変えて何度も重なる唇から、抑えきれない歓喜の情が伝わってくる。
夫のあまりの喜びように驚き、照れて、アントニアは目を閉じた。嵐のような口づけに応えながら。
イロンデル将軍ルキノの名前は、レノー将軍、ロベナ将軍の名とともに、陸軍の黄金時代を築いた三将軍の一人として後世の歴史に刻まれている。
それとともに、獅子姫の犬、犬騎士という彼のあだ名は、歴史家たちの間で大きな議論を呼んだ。
一説によると、彼は身分の高い妻に頭の上がらない恐妻家だった。また一説では、政略結婚で娶った妻にへりくだりながらも内心で疎んじていたとも言われている。
後世の人々の勘違いを正せる者はいない。
彼が大層な愛妻家で、細君愛しさに将軍位まで登り詰めたことは、当時に生きた人々の公然の秘密なのだ。
最後まで呼んでくださった方、ありがとうございます。もしかしたらあと一話、ルキノとアントニアの出会いの番外編を投稿するかもしれませんが、続編はこれで完結となります。ご意見ご感想、いただけたらすごく嬉しいです。




